当ブログの本館「アトリエ猫池」上でこれまで細々と続けてきた「罵詈雑言雑記帳・日々是雑感」を引き継ぐ形でブログをスタートすることにしました。
ブログとはいっても、当面の間は「トラックバック」および「コメント」欄を設けずにゆきますし、テーマもこれまでどおりですのでそう大きな変化があるわけではありません。もっとも、これまで慣れたフォーマットとは異なることもあり、自分で決めたこととはいえ、やや戸惑いがあったりもします。
このブログタイトル「a_Tocsin」は直訳すれば「警鐘」となります。個人的に、安易な外国語を用いることを好みませんし、日本語漢字でもよかったのですが、ちょとキツイ感じもします。そこでTocisnという比較的聞き慣れない英単語を用いて少しばかりボヤかすことにしてみました(こういう言葉の手法は、都合の悪いことを誤魔化すときにもいいですね。「ホワイトカラーエグゼプション」某なんてその代表例でありましょう)。
とりあえずはこれまでどおり週1のアップを軸にし、さらに簡単な所感などを適宜記してゆきたいと思います。本館同様によろしくお願いいたします。
■制度と自主性
ある人物からの年賀状に、“すっかり変わった世の中”というくだりがあった。“制度が優先”する、そういう方向に向かってひた走る社会にあって、自分自身の“「らしさ」は失われそう”だというのである。新年早々に、これは日本の今年を凝視していくにあたって重要な視線だと思った。
さきに成立した“復古型”教育基本法は、本来は自ずと醸成されていくハズの「愛国心」(現状国家への帰依)を制度化したという点で、昨今の流れに飲み込まれつつあるこの国の状態をそのまま体現しているといえるが、今後は一般大衆の生活のすみずみにまでなんらかの制度がはり巡らされてくる可能性が高い。
教育の面でいえば、義務教育下でのカリキュラムのあり方や進学への指針に対してもある層の意志が介入してくるのは間違いないだろう。すでに一部の大学は事実上の就職予備校と化し、東京大学までが財界とのタイアップをする時代になってきてしまったが、こうした発想が底辺にまで拡がって、小中学校にまで及びつつあるからだ。学校の価値というものは広く多様性に富んでおり、そのなかのひとつとして、さきざきの就職に対する下地づくりという面があることは否定できないけれど、これはとりわけ就職という点にのみ重きを置いた点に特徴がある。
いうまでもなく、「いいところに就職」したいから「一流大学」に入りたいというそのための競争はある。オレ自身はそういう点への興味がまったくなく、この歳になってみても、そんなことはホントにバッカバカしいなと再認識しないでもないが、より高い給料をもらいたいという考えからすれば、たしかにそういう現実はあるのかもしれない。しかしここにちょっとしたトリックがある。「高い給料」という発想は、ほかよりはいくらか優遇された給料を支払っている企業や役所などに属するという前提がある。まぁ、就職というのはようは組織に入るということなんだろうけれど、まずは組織に飲み込まれるために競争するという、そのための学校という世界がみえてくるのである。もちろんそれが一面ならば問題は薄いが、主目的として“あたりまえのこと”にされてしまったのではたまらない。
斉藤貴男氏(ジャーナリスト)によれば、関西のある大学では学生に対して早い時期から就職指導をしているという。それそのものはアタマから否定するものではないけれど、これが「ウチ(おまえらのいる)大学はこのていどのレベルだ。したがっておまえらが入れる企業はこう。一部上場? とんでもない。我が身をわきまえろ」というものだと知ってしまえば、そんな学校は大学でもなんでもないと言いたくもなってくる。就職予備校ならまだいいほうで、企業ロボット養成所ではないか? これが極端に進むとすれば、「よりよいところ」への就職を“ゴール”と定められた、それのみを価値観とする単一的な学校教育制度につながっていくのであろう。その表れのひとつが、詐欺的ともいえる一連の課程未履修事件であった。おそらくは、制度として足らないカリキュラムも合法化されていくのだろう。
ところで、比較的早い時期から課目の選択ができるようにという考えがある。現状でもスポーツや芸術などの分野でそうした専門課目を強化した学校も少なくなく、児童・生徒の自発性ということからいけば賛成である。だが、いまの流れをみていくと、これが子どもたちの自主性や目標、志向などとは関係なしに、もっぱら特定の層(財界や為政者)らにとってだけ都合のいい内容に書き換えられていきつつあるように思う。学校で日々授業を受けている側からすれば、そんなことはわかりようがなし競争にさらされ、気がつくかどうかは別として本質的な意味での自主性が喪失させられてしまうのである。たとえば、就職にあたって自分自身の意志で企業なりを選んだと考えているかもしれないが、それは本当に自分が選びたかった生き方なのだろうか。じつはほかにいくらでも自分の能力を発揮できるハズの場所があるにも拘わらず、気がつかないようにさせられまんまとハメられている。これはなにも学校や就職だけでなく、自由でなければならない趣味の世界などでも同じようになっているが……。
これまではこうしたこともいくぶんは融通性のあるなかでされてきていたが、今後は目にみえる制度として確立させられていく可能性はある。そして恐ろしいのは、そうしたなかに飲み込まれてゆく側からして、制度に逃げ込ませられるように仕向けられ、錯覚させられていることだ。そうした制度が自分たちのためばかりではないことに、本来は気づくべきではないかと思うのだが。
*おまけ:
4日から銀行などでの現金振り込みが制限させるようになった。オレ自身にとってはいま現在はそれほどの関わりがないとはいえ、必要なひとにとってはきわめて不便である。事情については資金清浄など闇のカネの動きという現実があるらしい。で、当日のテレビニュースをみていたら、「マネーロンダリングとかがあるから仕方ないですよね〜」と街角でインタビューを受けていた通りがかりのおばさんが宣っていたのだった。モノわかりのいいひとである。しかし、本当に事態を理解しているのかなとも思った。このひとは、資金清浄と今回の規制との関連を、はたしてきちんと説明できるのだろうか? オレだったら、「不便きわまりなし! (事情はわかるが)もっとほかに手段はなかったのか?」と憤りのひとつでもぶつけるところだ。 ようはそうした違法行為のために無辜の市民が不便を蒙ったということであろうけれど、理解を示す前提に、自分自身の立場や考えとを照らし合わせることも必要なのではないだろうか。
教育の面でいえば、義務教育下でのカリキュラムのあり方や進学への指針に対してもある層の意志が介入してくるのは間違いないだろう。すでに一部の大学は事実上の就職予備校と化し、東京大学までが財界とのタイアップをする時代になってきてしまったが、こうした発想が底辺にまで拡がって、小中学校にまで及びつつあるからだ。学校の価値というものは広く多様性に富んでおり、そのなかのひとつとして、さきざきの就職に対する下地づくりという面があることは否定できないけれど、これはとりわけ就職という点にのみ重きを置いた点に特徴がある。
いうまでもなく、「いいところに就職」したいから「一流大学」に入りたいというそのための競争はある。オレ自身はそういう点への興味がまったくなく、この歳になってみても、そんなことはホントにバッカバカしいなと再認識しないでもないが、より高い給料をもらいたいという考えからすれば、たしかにそういう現実はあるのかもしれない。しかしここにちょっとしたトリックがある。「高い給料」という発想は、ほかよりはいくらか優遇された給料を支払っている企業や役所などに属するという前提がある。まぁ、就職というのはようは組織に入るということなんだろうけれど、まずは組織に飲み込まれるために競争するという、そのための学校という世界がみえてくるのである。もちろんそれが一面ならば問題は薄いが、主目的として“あたりまえのこと”にされてしまったのではたまらない。
斉藤貴男氏(ジャーナリスト)によれば、関西のある大学では学生に対して早い時期から就職指導をしているという。それそのものはアタマから否定するものではないけれど、これが「ウチ(おまえらのいる)大学はこのていどのレベルだ。したがっておまえらが入れる企業はこう。一部上場? とんでもない。我が身をわきまえろ」というものだと知ってしまえば、そんな学校は大学でもなんでもないと言いたくもなってくる。就職予備校ならまだいいほうで、企業ロボット養成所ではないか? これが極端に進むとすれば、「よりよいところ」への就職を“ゴール”と定められた、それのみを価値観とする単一的な学校教育制度につながっていくのであろう。その表れのひとつが、詐欺的ともいえる一連の課程未履修事件であった。おそらくは、制度として足らないカリキュラムも合法化されていくのだろう。
ところで、比較的早い時期から課目の選択ができるようにという考えがある。現状でもスポーツや芸術などの分野でそうした専門課目を強化した学校も少なくなく、児童・生徒の自発性ということからいけば賛成である。だが、いまの流れをみていくと、これが子どもたちの自主性や目標、志向などとは関係なしに、もっぱら特定の層(財界や為政者)らにとってだけ都合のいい内容に書き換えられていきつつあるように思う。学校で日々授業を受けている側からすれば、そんなことはわかりようがなし競争にさらされ、気がつくかどうかは別として本質的な意味での自主性が喪失させられてしまうのである。たとえば、就職にあたって自分自身の意志で企業なりを選んだと考えているかもしれないが、それは本当に自分が選びたかった生き方なのだろうか。じつはほかにいくらでも自分の能力を発揮できるハズの場所があるにも拘わらず、気がつかないようにさせられまんまとハメられている。これはなにも学校や就職だけでなく、自由でなければならない趣味の世界などでも同じようになっているが……。
これまではこうしたこともいくぶんは融通性のあるなかでされてきていたが、今後は目にみえる制度として確立させられていく可能性はある。そして恐ろしいのは、そうしたなかに飲み込まれてゆく側からして、制度に逃げ込ませられるように仕向けられ、錯覚させられていることだ。そうした制度が自分たちのためばかりではないことに、本来は気づくべきではないかと思うのだが。
*おまけ:
4日から銀行などでの現金振り込みが制限させるようになった。オレ自身にとってはいま現在はそれほどの関わりがないとはいえ、必要なひとにとってはきわめて不便である。事情については資金清浄など闇のカネの動きという現実があるらしい。で、当日のテレビニュースをみていたら、「マネーロンダリングとかがあるから仕方ないですよね〜」と街角でインタビューを受けていた通りがかりのおばさんが宣っていたのだった。モノわかりのいいひとである。しかし、本当に事態を理解しているのかなとも思った。このひとは、資金清浄と今回の規制との関連を、はたしてきちんと説明できるのだろうか? オレだったら、「不便きわまりなし! (事情はわかるが)もっとほかに手段はなかったのか?」と憤りのひとつでもぶつけるところだ。 ようはそうした違法行為のために無辜の市民が不便を蒙ったということであろうけれど、理解を示す前提に、自分自身の立場や考えとを照らし合わせることも必要なのではないだろうか。
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レジャーライター
自己紹介:
レジャーライター=植村誠の別館ブログです。
ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
なお、トラックバックおよび「コメント」は受けつけない設定にしております(当面はBBSへどうぞ!)。
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