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猫池罵詈雑言雑記帳
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 前回のアップで、我らがアベシンゾーと韓国現大統領のご父君(正煕)との間に“類似性”があるという見方を示唆した。で、そろそろ記事にしてアップしようかと思っていたところ、以下の記事に遭遇した。

*Link:韓国、ベトナム派兵決定の国会審議 安倍政権「閣議決定」と共通

 リンク記事は「しんぶん赤旗」7月22日づけである。記事中では「アメリカ合州国からの要請」を受け、自国となんら関係のない戦場への派兵を「自国の安全保障」とウソぶいた点や、その決定に至る“やり口”にみられる両者の共通点を指摘している。もっとも、当時の冷戦下にあって、現にソビエト連邦の傀儡軍として設立された軍隊をもって北朝鮮が南進をした事実などを勘案すれば、記事に触れられている「共産主義の脅威」云々という部分に若干のエクスキューズがないとはいわない。言い換えると、まだしも朴正煕政権のほうが安倍政権と比べて言い訳の類が可能だったともいえる。

 さて、どういう事情からか戦争に巻き込まれたくてタマラナイ(まさか金日成のように率先して起こそうとまでは考えていないと思いたいが)ニッポンの現政権だが、せっかく先人である朴正煕政権が実例を遺してくださったのだ。韓国の、それも民衆にとってのベトナム派兵とはどういうものだったのか、そのひとつの証言を紹介したいと思う。

 漢江の南岸、銅雀洞の丘陵には朝鮮戦争で戦死した将兵たちの眠る広大な国軍墓地がある。ベトナム戦争での戦死者にも、この墓地の一隅にスペースが用意されていた。10月中旬までは、ひとつの墓標もなかった緑地に月の終わり頃から一本ずつ建ちはじめた。(『報道写真家』桑原史成著・岩波新書)

 ベトナムに送られた韓国軍は、一説には圧倒的な戦績を挙げたといわれている。その“戦績”は、すなわち本来は自国となんら関係のないベトナム人に対する殺戮であり、かつ女性に対する人権蹂躙の事実も浮き彫りにされてきた。当時のベトナムにおける彼らが背負った悪評について、桑原氏も証言している。が、ここではそれらの件については言及しない。自国の墓地に、他国のための戦争に送られた自国民の墓標が建つ。それも時間・時代を追うごとに確実にその数を増やしてゆく。まずは、そこにこそ自覚を持つべきだと思うからだ。
 引用した桑原氏の著作によれば、ベトナム戦争における韓国兵の死者は3844人、リンクした「赤旗」の記事では約4700人という数字が示されてる。
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“7・1クーデター”
 脱法スレスレと言い表したいぐらいの暴力でもってごり押しした「集団的自衛権」行使の容認。こんなものは、たとえ用語として「自衛」を謳ってはいても、祖国を守ることとはなんら関係がないことは、いまや多くの同胞が気づいているハズだ。

 そうして“暴力的談合”によって決定されるや、アメリカ合州国のヘーゲル国防長官が歓迎の旨、声明を公にしたという。
 これで明らかになったことがあると思う。

 アメリカ合州国という国家は、いわば自由主義の総本山的に自らを標榜し、たとえタテマエだとしても民主主義およびそれに基づく手続きこそを尊重し、重視してきたのではないか(タテマエと断った点に注意)。それに反すると、自国の権力層以外に対してはしばしば常軌を逸した行動すら展開してきたが、そんな国の政府中枢から歓迎されたわが国における非民主主義的横暴。どういうことか?

 簡単にいえば、こんなドジンの国など、彼らにとってはどうだっていいのである。自分たちにとって都合よく従えばそれでよし。そのためにはニンゲン社会でいうところの民主主義などもったいないし必要なしというワケだ。もっとハッキリ書くのならば、「ドジン(ニッポンジン)とその社会には、それ相応のやりかたで十分」という“ホンネ”に収斂されるのではあるまいか。

 この「自衛権」。はたして何者から祖国を「自衛」するのか。勘繰ってみると、飼い主の横暴からわが身を「自衛」する。そんな発想にも結びつく。まさかおっかない飼い主に噛みつくワケにもいかないから、ならば自国の同胞たちを丸め込んでしまえというためのドジンの酋長らしい裏切り行為。そんなのを歓迎もしくは黙認、ないし追認するというムキも、一説(世論調査)でかなりの数にのぼるらしいから、まっことニッポンに相応しい転落劇が、“7・1クーデター”だったといえるだろう。

 それにして、も。つくづく思うのは、我らがアベシンゾーと韓国現大統領のご父君との類似性である。自国の経済を発展させた(る)実力を除いては(前・朴政権下における重工業を中心とした“発展”とともに起こった諸問題は、ここでは措く。単なる皮肉としての対比だからだが、この点は自分なりに考察していることをいずれアップしたいと思う)。

 さて、ここから先はまったくの個人的思いつきである。確たる根拠も具体性もないフィクションだとお断りしておく。

 このあとのニッポンになにが起こるか?
 そのひとつに“日本版天安門事件”があるような気がしてならない。
 先に「ニッポンに相応しい転落劇」と皮肉ったけれど、その一方で抗議の声を上げたり、無言の反意を示しているひとだって大勢いる。そのごく一部はデモによって酋長連に対し抗議を表明している。オレが懸念しているのは、そうした合法行為に向けて文字どおりの暴力を発動する可能性が、今後のわが国にありはしないかということである。まさか現首相にそこまでの“心臓”があるとはこれっぽちも考えてはいないが、今後タイプを異にする暴君がお出ましになる可能性は極めて高い。

 そのときは、「逆行した国家」として世界中の注目を集めることになるであろう。

 2014年7月1日。

 7.1クーデター

 わが国の歴史に、そう刻むべきであろう。

 今後は、すべて“オレ流”のご都合解釈でいけばよい。
 ニッポンというくには、すでに法治国家ではなくなったからだ。
 そう“解釈”することにした。

 いくつかの報道によれば、アメリカ合州国が投下した原爆に長崎で被爆した老人に対し、横浜市内の中学生5人が「死に損ないのクソジジイ」などとの暴言をぶつけたという。これは、中学生らが修学旅行で同市を訪れたさいに起きた事件で、学校側からは校長が電話で謝罪したという。

 詳細は省く。

 まっさきに連想したのは、このニッポンという国が、イシハラシンタローに(ある種)代表される無百済人間によって繰り返される差別発言であった。当ブログで繰り返しているけれど、彼ら公的かつ重責をになっている“立派な”おとなたちが、さまざまな差別発言の類をぶちまけてもなんらおとがめながいのが、このニッポンという国なのである(若干の騒ぎになるケースもあるが、たいていはあやふやなまま、発言者が相応の責任を取らされることは滅多にない)。
 そうしたセンスの“くに”あるいは社会で育った子どもたちが、
「これぐらいならいいだろ」
 と勘違いしてもなんらおかしくはないではないか。

 おまけに、こんな恥ずかしい事件に乗じて、とうの被爆者らを「被爆者を自称して反日思想を植え付ける話をしていた」などと公言した“学者”までいるそうな。よくわからない。

 こんなのは序の口。もっともっと恥ずべき事件が日常的に起こるようになるのだろうなぁ。嗚呼、わが祖国・ニッポン!


*蛇足な補足。
 こういう文言をみて「反日」だのと誤解する向きがあるのも現代ニッポンである。また、差別だのといったことで中華人民共和国や大韓民国のほうがもっとひどい(だからニッポンもやっていい?)などという具合に話を逸らす向きもありがちだ。しかし、極論すればそんな外国のことなどどうでもいい。われわれ日本人あるいは日本という国・社会がしっかりしていればいいだけの話ではないのか。その積み重ねこそが外国からの尊敬につながり、ひいては率先した愛国心につながるというのは、はたしてキレイゴトだろうか。

 大相撲夏場所を制覇した横綱・白鵬をめぐって、不穏な空気が漂っている。
 いくつかの報道によれば、優勝力士による場所翌日の会見を白鵬が拒否、定例となっているこの行事が取りやめとなったという。相撲協会側では千秋楽後の深夜にわたり説得をしたというが、本人の意思は覆ることがなかったらしい。

 個人的に、大相撲にはさほどの興味があるわけではないが、白鵬のような強い力士は爽快だし、新進力士らの活躍をみるのは面白い。今場所の千秋楽は、タマタマ時間があったので三役以降の取り組みをテレビ観戦をした。そのさい、ちょっと気になる場面があった。
 表彰式にさいして「君が代」が演奏された(伴奏に自衛隊の楽団を使う意図はなにか?)。法的には国歌とされているから、これも形式的なセレモニーだということは理解しているけれど、なかには複雑な気持ちになっている力士だっているかもしれない。そんなことをつらつら思っていたところ、NHKアナウンサーが実況をつけくわえた。
「(こういう場では)いつもは(君が代)を歌っている白鵬ですが、今日は口を結んだままでしたね」正確ではない抄録だが、内容的にはこんな感じだった)
 そのときはそのまま見過ごしてしまったが、いまに思えば、これもまた大横綱の抵抗だったのかもしれない。

 ここからはまったくの個人的推測である。
 白鵬の心中には、ひょっとして大相撲協会内部にいる国粋主義的差別主義者に対する怒りがあるのではないか?

Link:“昭和天皇万歳”集会で――舞の海氏が排外発言
 リンク記事(「週刊金曜日」5月22日)から一部を引用する。
 改憲を唱える政治団体が4月29日、東京・明治神宮会館で開いた「昭和の日をお祝いする集い」で、厚労政務官・高鳥修一衆院議員(自民)らを先頭に、来賓と全参加者約250人が起立し、“聖寿万歳”と称し「天皇陛下万歳」を大合唱した。
(中略)
「昭和天皇と大相撲」と題し“記念講演”をした舞の海秀平氏が「外国人力士が強くなり過ぎ、相撲を見なくなる人が多くなった。NHK解説では言えないが、蒙古襲来だ。外国人力士を排除したらいいと言う人がいる」と語ると、参加者から拍手が湧いた。(ここまで)

 いうまでもなく、白鵬はモンゴル人である。この大横綱が念頭にあったかどうかはともかく、あからさまに「蒙古」と名指しし、しかも「襲来」などと言いがかりをつけている。差別主義者ないし反動というものは、やられる側のすべてを慮るセンスをこれっぽちも持ち合わせていないのが常というものだが、こんな発言がまかり通っている事実に対し、白鵬が絶望的な怒りにかられたことは想像に難くない。
 ひょっとすると、進退についても真剣に考えているかもしれないが、その怒りは視野に入ってきた大鵬の優勝記録更新よりもはるかに重いものだということはいえる。こんなことは部外者の妄想にすぎないことを祈るのみだが・・・。

 たしかに、今般の大相撲では外国人力士の活躍が著しい。これは見方を変えれば日本人力士に対しハッパのひとつでもかけろということにもつながろうし、一方ではわが国伝統の大相撲の国際的認知・人気度がますます高まったという解釈もできるのではないかと思う。
 前者についていえば、日本人横綱が絶えて久しいことに対する不安や不満があってもおかしくはない。だが、舞の海秀平某の発言は論外である。わかりやすい言葉で言い換えれば、筋違いの八つ当たりというものであろう。情けない。わが国の恥さらしだ。

*ついでに:件の御仁がのたまった「相撲を見なくなる人が多くなった」はまったくの節穴発言。今場所は連日満員御礼だったそうではないか(笑)。たしかに、一時期その観客動員数などが減ったことはあったが、その理由が御仁ののたまうとおり「外国人力士が強くなり過ぎ」たからかどうかという点については大いに疑問がある。外国人力士の台頭は事実だが、それならば弱体化したかもしれないニッポンジン力士のほうを憂えたらどうなんだ?

 たとえば、サッカーではこうした差別発言や行動を厳しく戒めている。先だっての浦和レッズサポーターによる排外事件も然り、つい先日は愛媛を舞台に類似の事件が起き、関係者は厳しく処断されている。それに対し、イシハラシンタロー(元・文筆家)に代表される痴れ者を放置しているわが国の愚劣ぶりについては以前にアップしたが(浦和レッズ事件とニッポンの政治。。。の巻)、今回の舞の海発言もほぼ同等の愚劣事件である。
 ところが、驚くべきことにこの発言はほとんど報道されておらず、そんな事情からか、白鵬の沈黙と件の差別行動とを結びつけた考察も、(しらみつぶしに検分したわけではないが)いまのところ知る限りではみられない。件の集会が報道する価値がないとみなされたからかどうかはともかく、こうした差別発言や行動を放置しつづけるニッポンという国が祖国であることが恥ずかしくてならない。

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