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猫池罵詈雑言雑記帳
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 最初に断っておくが、いかなる形であれ権力の介入による言論封殺はあってはならないと考えており、そういう意味でのいわゆる「発禁」などとんでもないというのが個人的な立場である。
 したがって、ここに記すことがらはその原則とは相反することになるが(本当はならない。だって、オレは権力じゃないから)、原則とてモノには限度というものがある。ましてや、“商売敵”のミステイクをあげつらって「廃刊」だのと調子に乗って騒ぎ立てているような連中に対しては、ある種のユーモアとして表題のような発言だって許されるだろう。

 個人的にニッポン版「労働新聞」(相方として大部数の「人民日報」もある)と呼んでひさしい「産経新聞」が、調子に乗りすぎたのかどうかはともかく、アパルトヘイト擁護とも解釈しうる珍説をデカデカと掲載したことがちょっとした騒ぎになっている。
 問題の珍説を説いたのは売文をおもな生業とする曽野綾子女史。同紙の2月11日朝刊に「労働力不足と移民」と題し、偏見丸出しの暴論を堂々と発表したのだ。
 一読して驚いた。あの山本七平氏ですら真っ青になるではなかろうかというレベルの持論が、じつにあっけあかんと語られているのである。

 論旨のひとつは、少子高齢社会にあって問題化している高齢者介護に向けて外国人労働者を充当したらどうかという話である。高齢者介護という分野がますます重要になることは、間違いなく、個人的にはそういう社会的なフォローが整うことが、現役世代の労働力を保障するし、ひいてはわが国の経済にとって大いにプラスになると考えている(したがってアベ政権が強行する報酬削減など百害あって一理なし)。その現場に多方面からの人材を募ることも考え方のひとつだろうとは思う。
 しかし、この女史のお説ときたらどうか。いわく「(介護の職員など年寄りに対して)優しければそれでいいのだ」。すなわち、そこには技術や知識などまったく不必要で、しかもたいした訓練もなくだれにでもできる仕事だというのである。言い換えると、その肝心の介護という仕事についての己の無知ぶりを暴露したワケだが、とうのご本人はご自分のそんなザマにこれっぽちも気がついてないのであろう(売文屋なんだからマトモな取材のひとつぐらいしたらどうなんだ?)。哀れなものだ(女史の説のとおりだとすれば、国が定めている介護関係の資格の類はまったくの無駄ということになりかねませんな、サンケイさんよ・笑)。これについては、とうの介護の現場から正当な反論が無知なるご当人に浴びせられることになるであろう。

 そのうえで、「居住区だけは、白人、アジア人、黒人と分けて住む方がいい、と思うようになった」などと発言。つい持論が飛び出してしまったのであろうが、その後の報道をみても執筆した本人も掲載したサンケイもなんら反省を示していない。そりゃ、当人たちがそれ(アパルトヘイトだの介護蔑視だの)を正しいと思い込んでいる(?)のだから反省のしようもないのだろうが。

 とまぁ、こんなおばさんがアベンシンゾーのブレーンのひとりであることは、なんら驚くにあたいしない。たとえばオウム真理教に“エリート”が集ったその背景について云々するのとは異なり、思考や検討するに及ばないレベルのお話にすぎない(ク○にハ◎がたかるようなもんか?)。

 さて、こんな珍説をアピールした「産経新聞」は、相方のヨミウリとともにライバル社でもある「朝日新聞」に対し徹底的なネガティブキャンペーンを繰り広げている。それを助長したのは「朝日」側のミステイクあるいは勇み足であり、その後の同社の及び腰にあると考えるが、ミスと故意とでは、あったりまえだけれど「故意」のほうが重罪だわな。すなわち、今回の産経騒動はミスなどではけっしてありえず、同紙だからこそ起きた故意の言論事件だったのだ。
 
 事件の余波は大きく、すでに南アフリカ共和国をはじめとする外国からの批判の声が寄せられており、今後はさらに深刻化する可能性だって棄てきれない。コトは市井のおばあさんの繰言では済まないのである(繰り替えすが、政府の公職にも就いた大人物である。したがって、これは「産経」という一企業だけの問題ではなく、わが国の威信や“国益”とやらにも関係してくるであろう)。

 そこでだ。ここはひとつ「産経新聞」は自主廃刊してはどうだろうか? それこそが昨今繰り広げてきた持論に対しても矛盾がなく真摯な姿勢として世論の目に捉えられると思うのだが、ふと思い出したのが1995年に起きた「マルコポーロ事件」である。これは文藝春秋が発行していた雑誌「マルコポーロ」がホロコーストを否定する特集を組んだ結果、内外からの批判を浴びて廃刊に追い込まれたエピソードである。背景にはコマーシャリズムの問題もあったらしく、今回の件とは必ずしも合致しないが、「国際的な批判を浴びた末の廃刊」、その「前例」として「産経」の諸君の目にはどのように捉えられているだろうか。

 とはいえ、繰り返すがこれは「ユーモア」の類として発言している。「マルコポーロ事件」についても、はたして廃刊という措置が正しかったのかどうかという疑問は大いにある(これについては各方面の識者らがそれぞれ意見を表明している。もっとも、当時一読した記憶では、当該記事そのものがマトモな論評にあたいする以前のシロモノに思えたが……ぁあ、そりゃ今回の女史のコラムも一緒ですな・笑)。だが、今回の事件は、他社に対し浴びせた暴論がブーメランのごとく跳ね返ってきたということはいえよう。お粗末な話ではある。

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「イスラム国」による邦人の拉致および殺人事件について、個人的に思うところは多々あるけれど、発言はこれまで見送ってきた。
 流布され続けている幾多の発言のなかで、オレとして腑に落ちたのは写真家・藤原新也氏の以下のコラムである。

*Link:ジャーナリストの命の値段について。(Catwalkより)@Shinya talk

 上記リンクは、このあと述べる所感にも関係することなので、ぜひお目とおしを願いたい。
 さて、本題。
 ネット配信記事につぎのようなものがあった。

朝日の複数記者、外務省が退避要請のシリア入国
読売新聞(2015年1月31日13時33分)
 イスラム過激派組織「イスラム国」とみられるグループによる日本人人質事件で、外務省が退避するよう求めているシリア国内に、朝日新聞の複数の記者が入っていたことが31日分かった。  同省は21日、日本新聞協会などに対し、シリアへの渡航を見合わせるよう強く求めていたが、朝日のイスタンブール支局長はツイッターで、26日に同国北部のアレッポに入り、現地で取材した様子を発信していた。(以下、略)引用ここまで>


 この御用紙の書きっぷりときたらどうか。いわく
「外務省が退避するよう求めているシリア国内に」
 であり、
「同省は21日、日本新聞協会などに対し、シリアへの渡航を見合わせるよう強く求めていた」
 である(もちろん、それぞれ事実ではあろうが)。
 
 同時に思い浮かべたのが、かつて雲仙普賢岳における大噴火のさい(91年)、ジャーナリストの鎌田慧氏が島原市が指定した「危険区域」内に立ち入って取材を敢行、書類送検されたという事件である。今回のシリアに関する渡航自粛とは異なり、災害対策基本法というエクスキューズが行政側にはあったが、当時、お行儀のよろしいメディア組織(おもに記者クラブ加盟組織の勤め人たち)が、こぞって鎌田氏の所業を批難。鎌田氏は不起訴になったが、彼らはジャーナリストとしての仕事、使命よりも自らの保身を大切にしたのであろう。それだけならいいが、ひょっとして、そこにはある種の嫉妬心がありはしなかったのか? あるいは予定調和でお互いの抜け駆けをしようもしない仲良しの輪を乱したよそ者に対するいじめかも?

*鎌田氏のような“インディーズ”がお気に召さないのであれば、あのNHKがかつて混乱下のソマリアにクルーを送って優れたドキュメンタリー番組を発表した。あの取材は、文字どおりの命がけだったのではないかと思うのだが。


 さて、日ごろのこのY紙の姿勢からして言わんとしていることは想像できる。すなわち「お上がきめた規律を乱すなよ(この場合は強制力のない勧告にすぎないが)」であり、言い換えると「お上の言うことを守れよ」ということであろう。よくいるでしょう? ふだんの素行をさておいて、大人の前では「先生のおっしゃることは守りましょうね」という“いい子”が(いや、この場合は適当なたとえじゃないかな?)。

 
 断っておくが、これが事実だとすれば、「なにを無謀な!」とオレも思う(少なくとも、オレにはそんな使命感も度胸もないし、己の分相応というものを自覚しているつもりだ)。これで仮に拉致でもされ日本政府との間でなんらかの交渉ごとの道具にでもされれば、またしてもあの醜き「自己責任」の大合唱となるに違いない。加えて、やおらとうの御用紙たちが嬉々として揚げ足取りを繰り広げるのは目にみえている。
しかし、にも関わらず、これはジャーナリズムの権利であるとも考える(義務や使命ではなく)。ここで、「お上(近ごろではこれに「大衆」が加わった感があり気味が悪い)がダメだから」と現場に背を向けるのは、自らの安全を確保するのと同時にジャーナリストとしての権利を放棄しているとはいえないのか。そもそもが──大きなお世話かもしれないが・笑──御用紙の勤め人にせよ、藤原新也氏が指摘するところの上位系カーストとして、まだしも身分を保証されてはいはしまいかと思うのだが。


 そうしてその大切な権利を反故にして、他紙やその記者を揶揄するメディア(あるいは「大衆」)とは、いったいなんなのだろう。これは件の「特定秘密保護法」にも通ずる。たとえ、国家としての機密、その存在を認めるにせよ、このような乱暴な法に対し迎合するのであれば、これもまたジャーナリズムの権利の放棄ということになると考えるからだ。それとも、単なる嫉妬からなのか?
 
 なんとなしにテレビをつけたら、NHKで魚釣り番組をやっていた。
 エモノはアジ。小田原沖での船釣りである。

 魚釣りは、近ごろはさっぱりやらなくなってしまったが、アジは食べておいしいし、釣り魚としても味のある魚だと思う。で、番組半ばからそのまま見ていたのだが、末尾の釣り場案内にいたって「おや?」と思った。

 問題の箇所は、旅行案内書などでいう「データ欄」にあたる。つまり、東京駅を起点に小田原までのアクセスを紹介していたワケだが、どうしたことか東海道新幹線だけしか紹介されなかったのである。「東京駅からは新幹線で40分」。JR在来線もなければ小田急も省略されており、いわんやマイカーの「マ」の字すらなかった。

 これが気になったのは、東海道新幹線、すなわち東海旅客鉄道株式会社の社長だか会長だかがあのアベシンゾーの“ブレーン”として知られている御仁であることと、いうまでもなくいまのNHKが事実上アベ政権の御用メディアと化しているからだ。まさか金銭の類が暗躍したとはこれっぽっちも思ってはいないが、いわゆる“同志”としての“手心”が加えられたがゆえではないかと想像するのである(案外、JR東日本から抗議されてたりして・笑)。

 そもそも、案内されていた東京駅起点の場合、新幹線の始発は6時。小田原停車の列車は6時26分までない(新横浜発6時というのはあるが、くどいようだけれど「東京駅発」が番組での紹介である)。するとべらぼうに高い特急券を払った挙句、小田原着は7時04分。しかし、こうした釣りではたいていの場合、夜明けをメドに出港するハズ。そんなお寝坊さんの船釣りって……まっ、ありえないとまではいわないけどさ(笑)。
 在来線でも東京発では6時37分になってしまうが、品川に目を向ければ小田原駅5時51分着が一番列車であり、いくらか現実的。沿線各駅からのアクセスは新幹線よりも格段に便利だ。
 しかし、いずれにしてもこういう内容(遊漁船での魚釣り)のアクセス案内としては、新幹線はほとんど適しているとはいえないだろう(前夜に会社などを退けてから現地入りするということはあるかもしれないが)。

 さすがに、こんな重箱の隅をつつくような質問をNHKにしようとまでは思わなかったが、たとえしたとしてものれんに腕押しなのは目にみえている(電話代のムダ!)。だが、ほかにも全国で499人ぐらいは同様の疑問を抱いた人がいたかもしれない。なぜあえて東海道新幹線だけがアナウンスされたのか・・・?
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