ちょっと古い話。
肝心の番組は見損なったが(そもそもTVはほとんど見ない)、政治ネタを扱ったバラエティ番組で人気タレントらが安保法に対する否定的な見解を示したという話題がひとことネット上に流布されていた。生放送だったとかで、おそらくはテレビ局側の意図とは正反対の方向に話が展開してしまい、関係者にとってはさぞやアタマの痛いできごとではないかと愉快な気持ちにさせられたものだ。
※フジの生放送で松坂桃李、指原莉乃、長嶋一茂が「安保法制は廃止すべき」、視聴者調査でも66%が廃止に賛成(リテラ)
件の番組中で、否定的見解を示したタレントらに対し、自民党の片山某とかいう女史が「みんなが選んだ国会議員が判断すること」などと開き直り発言をしたという。ようは「議員、政権を選んだ以上、有権者はツベコベ抜かすな」というのが女史の言い分なのであろう。それならばよ、片山さんや、万が一にも共産党でもなんでもいいが政権交代があったあかつきにも同じことを主張しなさいよ。これは、以前にNHKに対し直接問いただしてやったことでもありますがね(TBSに対し放送法がどうのと攻撃している連中も一緒。単にてめぇらにとって気に食わないからって公平だのどうのと持ち出すなよ、みっともない・笑)。
この片山発言に対しては、「(戦争法案が)憲法違反だということが問題で、議論する前提が崩されている」(シールズ・諏訪原健氏)と同席者があっさりと切り返したそうだが、ようはその程度のシロモノということだ。
しかし、一方で有権者の責任というものもあるとは思う。衆議院の小選挙区制度下でのマジックはともかく、地方自治体の選挙などをみても相変わらず自民党の支持は高く、そんなあたりも片山女史のうぬぼれにつながっているのかもしれない。言い換えると、自民党なり公明党なりを選出したのであれば、その選出に対する責任感を持つべきであろう。
これには、たとえば公約違反などにさいし抗議することなども含まれるが、賛成なら賛成でその政策の結果生じる事態について正面から受け止めなさいよということでもある。それも率先して(「正面から受け止める」のだから、途中で「おかしい」と考えれば抗議すべきなのもあたりまえ)。
ここまでは前置き。
さて、核廃棄物の最終処分場の受け入れ云々について、各都道府県の対応方針が明らかになったことが報道されている。
・一切受け入れを拒否(13府県):岩手、山形、福島、石川、福井、岐阜、三重、京都、香川、徳島、高知、長崎、鹿児島
・受け入れに否定方針(8道県):北海道、青森、秋田、新潟、富山、岡山、宮崎、沖縄
・受け入れ可否を慎重に検討(2県):静岡、広島
・方針不明瞭(取材無視を含む? 24都府県):東京都やわが郷土・千葉県を含む上記以外の都府県
念のためお断りしておくが、あくまでも極私的な感想である。
名指しをして申し訳ないし親しい友人や知人に対しても心苦しい気持ちで一杯だが、たとえば受け入れ否定方針を示した秋田県や方針を明らかにしなかった山口県。いうまでもなく菅だのアベだのの地元である。マンガ「ハーツ&マインズ」(いましろたかし)の山下サンではないが、「原発と戦争が頼みの綱」である彼らを選んだ責任として、率先して核廃棄物処理場を受け入れるのがスジなのではあるまいか? ついでにいえば、沖縄で問題となっている米軍基地は山口県長門市あたりが「移設代替地」として立候補すればいいし、どうしても必要だというのれあれば新規に原発を誘致すればよろしい(見返りにJR美祢線を新幹線にでもしますか?)。
仮に、わが郷土・千葉県から選ばれた反動政治屋──もはや自民党は「保守」ではないよ──がこうして実権を握ったのであれば、オレはこう主張するであろう。
「どうぞ原発をわが千葉県に! 巨大米軍基地もぜひいらしてください^^」
もっとも、オレは間違ってもそんな反動政治屋どもに票のひとつもくれてやるほどお人よしではないが、ホンネはどうあれある種の皮肉としてその程度のユーモア精神を発揮してもいいのではないか? もちろん、こうして目の前につきつけられた現実はユーモア云々ではないけれど、原発推進の旗振り役を選出した地元が「でも施設はイヤだよ」というのはあまりにも無責任というふうに思えてならない。
■おまけ
ぁあ、原発関連企業から、相変わらず自民党への献金がお盛んだそうですなぁ。
※自民に巨額原発マネー 3億円(12年) 5億円(13年) 7億円(14年) 再稼働・原発輸を後押し 14年政治資金報告(しんぶん赤旗)
表立ったカネだけ、それも原発関連企業からという一部であってもこれだけの収入があるのである。だったらさ、われわれの税金から掠め取っている政党助成金なんぞさっさと廃止しなさいよ。そもそも国庫は危機的状況にあるんだろ? くわえて、これら反動後押し企業の株主は、こうした献金に対しいったいぜんたいどう考えているのかとも思う(従業員にそうした疑問をぶつけるのは酷というもの)。ご都合主義が大手を振ってまかり通るくだらん国になってしまいましたなぁ、わが祖国日本あるいはニッポンは。
フランスにおける大規模テロ事件。
背景がなんであれ、無辜の市民を標的とした殺戮行為を許すわけにはいかない。
あたりまえである。
ゆえに、一部欧米露戦争国家の行為もまた、その同列上にある。
テロのニュースを目にした瞬間、真っ先に思い浮かんだのがわが国で亡霊のように滞留している「共謀罪」であった。おそらくは、今回のテロを奇禍として自創タッグ政権と官僚は「共謀罪」の成立を狙ってくるだろう……。そう思っていたところ、案の定といおうか、政権筋からさも「求められている」がごとく「共謀罪」が再浮上している旨が報じられた。陰惨な事件の陰でほくそえむ悪魔どものニヤケ面が目に浮かぶようである。
それにしても、テロそのものを許してはならないという崩れようのない大前提において、ではなぜ彼らがかくのごとくの所業に走ったのかという点を、わが同胞はどれほどの考察をしているだろうかと思う。
ネット上での報道によれば、さる著名人が上記のような考察(オレは正論だと考える)をネット上に配信したところ、テロ擁護だのとその論旨を完全に読み違えたうえで、自分ら自身は安全な場所にいながら個人攻撃にいそしんでいる連中がいるそうな。
クソバカな連中である。
バカで悪ければ、筋金入りの「平和ボケ」である。
「平和ボケ」という言葉は、そんな連中にこそふさわしい。
あるいはまた、爆弾の雨でも降らせて(テロリスト)を掃討すればいいという話も目にする。やや記憶が曖昧だが、政権党の某議員が、北朝鮮全土だか平壌だかにミサイルを撃ち込めばいいといったふうに口をすべらし、だれぞにたしなめられた事件があったように思う。「あなたがミサイルを落とすその先には、ふつうの市民が暮らしているんですよ」という正論によってである。その御仁については、オレはかねてから「平和ボケニンゲン」の最たるサンプルだとみているが、仮にその某が首相になったあかつきには、「日本版天安門事件」が起こるであろうことをいまから予言しておく。
さて、爆弾だの(武力による)テロリスト掃討だのと勇ましいことをぶっているみなさん。経験のある方がほとんどではないかと思うが、ウッカリ足の指をぶつけたときの痛みはどうだったか? ナイフや包丁をすべらせて指を切ってしまったときの痛みはどうだったか? あるいは、野球なりサッカーなりをしていて、急所にタマを食らった経験をお持ちの男性も少なくないかもしれないが(突き指でもいい)、そのときの悶絶ぶりはいかがなものだっただろうか? それとも、さきの東日本大震災はともかく、少々規模の大きなていどの地震に遭遇したさいの恐怖感はどうだったか?
たったそのていどのこと(大震災の被災を除く。同時に被災しなかったひとびとがTVなどを通して目撃した被災現場から受けた感想を思い出していただきたい)で、つかの間とはいえうろたえ、悶絶してしまいかねないのがニンゲンという生き物なのである。ましてや爆弾や銃弾を食らったらどうなるか? 映画やアニメにおける勇ましい場面のような按配にはならないことを少しぐらいは想像してもいいのではなかろうか? 今回のテロにおける犠牲者はもちろんだが、テロ撲滅だのをスローガンに、一方的に最新兵器による武力攻撃をいままさに受けているシリアのひとびと……。
テロとはなにか?
リスペクトしている弁護士の白川勝彦氏が見解を語っているので氏のサイト記事をリンクしておく。
※永田町徒然草
明快なヒントである。
現実にテロ行為を撲滅することが困難にすぎるであろうことは理解できるが、仮に理想論であろうともその道筋を理解すべきではないか。いまひとつ、あえて身勝手な(?)書き方をするならば、少なくともわが国が(今般のフランスの事件のような)テロの標的にならないための方策は極めて単純である。そこには「共謀罪」も「安保法」も「日米同盟」もそれら一切合財が不要とだけは言っておきたい。
キチガイどもに食い散らかされている感のあるわが国の政治だが、いかにキチガイといえども彼らはやりすぎた。連日の国会前でのデモはあくまでも氷山の一角であり、その背後にはケタ外れのレベルで「サイレントマジョリティ」、それも現政権を否定するセンスが醸成されつつあると見ている。そうした層は自分たちなりのやり方で政治に参加することに目覚めつつあり、直接的行動・権利のひとつである選挙において、現政権を信任することはほとんどありえないであろう。皮肉にも、政権に巣食うキチガイどもがその気運を醸成してくれたのである。
では、その受け皿となる野党勢力はどうか?
以前、民主党が爆発的反自民ブームに巻き込まれるように政権の座に就いたことがあるが、その政権交代選挙を前にして、その後の展開を当ブログ上で自分なりに推理したことがある。すなわち、圧倒的多数で民主党が政権に就いたはいいが、彼らは十全に国民の期待には応ええず、その反動がつぎの選挙に、それも極めて危険な形で現れるというものだ。そのときにはすでに「最大野党」としての民主党の屋台骨はボロボロであり、共産、社民などの政党もまた極めて厳しい状況に置かれるだろうと考えた。そうなれば自民・公明タッグの事実上の独裁政権となるのは自明。憲法9条はもとより、11条(基本的人権の享有)や19条(思想および良心の自由)、25条(生存権、国の社会的使命)などもその独裁政権の餌食にされるに違いなく、数の横暴をいかんなく発揮するであろうことは容易に想像ができたわけである。もちろん税制も一部特権階級の利益のために手を入れられるであろうし、アメリカ合州国への無条件隷属化もますます進化する。そしてそれらはまんまと現在のニッポンのザマとなって実現しつつある(戦争法案を行使するにあたって、どれだけの税金が拠出されてゆくかを想像してもらいたい。自国の防衛のためならまだしも、宗主国の侵略戦争のための大判振る舞い。財政危機だと騒ぎ立てていながら一方でそのザマ。こんなものを支持する者は単純に馬鹿だと思いますね、本当に)。
だが、ここにきて変化が生じてきた。ひとつは国民の覚醒。いまひとつは野党の真剣な協力態勢である。
土曜日夜のヘッドラインでは、あの日本共産党が国政選挙でほかの野党との選挙協力を表明したと報じられていたが、これは大きな変革のひとつであり、与党によっては不気味に映るに違いない。地方選挙では岩手県知事選挙などですでに実績があるが、そのさいに心底驚いたのが共産党の志位和夫と生活の党の小沢一郎との間で会談が持たれたということであった。けっして大げさにではなく、アメリカ合州国とキューバ共和国との国交回復につぐ変革の種が蒔かれたと思った。なかには小沢がどうしたという声もあろうけれど、水と油が共闘を前提に話し合ったというその意味は大きい(共産についていえば、ほとんど報じられていないが、仙台市議選などの地方選挙で1位当選という選挙区が出現している)。
こうした動きは、つぎの衆院選を経てこれまでにない連立政権成立へとつながってゆく可能性はありはしないだろうか? 一部報道には、はやくも来年の参院選で自民・公明が頽廃・・・はすでにしているので・・・大敗するだろうといった論調も見られるが、国民の怒りが持続しさえすれば、衆議院における数の勢力図が与野党間でひっくり返ってもおかしくはないだろう。
ただ、そのさいに確固たる意思と体力とを兼ね備えていることが必須だと考える。巷でウワサされているような宗主国や自国官僚からの妨害、あるいは性懲りもないクズ新聞やゴミTV局などに屈してしまえば、元の木阿弥になってしまいかねないからだ。そのためにも、今回の共闘を機にして積極的な対話や協力を野党間で繰り広げてもらいたい。
今般のキチガイ与党の横暴は、こうして新たな希望を醸成したのである。
※補足:仮に現野党勢力による連立政権が実現した場合でも、共産党には野党で力を発揮してもらいたいと考えている。たとえば同党の機関紙である「しんぶん赤旗」は同党の「プロパガンダ」の類を除けば非常に優れた(というよりもいまや貴重な)ジャーナル紙であると考えている。執拗な調査報道と権力に対するブレない批判精神。しかしゆえに与党の機関紙とはなってもらいたくないのである。同党ともども、権力に対する番人という意味で個人的には期待し、注目したい考えるからだ。
彼らは数の横暴によって「勝利した」だのとウソぶいているに違いないが、それが単なる強がりに過ぎないことに気がついている者は、はたしてどれだけいるだろうか?
国民は彼らの正体をイヤというほど目の当たりにできたのである(逆にいえば、その正体を理解できない者の教養の度合いについては真っ向から疑いの目を持たざるをえない。信条や理念として支持するという確固たる意思を持っているのならば話は別ではあろうが)。国会をめぐってデモなど直接的な行動に出たひとびとはもちろん、その裾野に広がる「サイレントマジョリティ」的な層にとっても、自民・公明はもはや敵でしかないだろう。そのなかにはもとからの野党支持者もいれば自民・公明の支持者もいる。あるいは大多数を占める「無党派」が、少なくとも彼らを支持できない者として認識したハズだ。そうしたある種「マス」のムーブメントに対し無視あるいは敵対を決め込んだ自民・公明(もっといえば裏で手綱を握っている役人とその飼い主であるアメリカ合州国という存在を忘れてはならない)。彼らはここでいったんの「勝利の美酒」を手にしたかもしれないが、やがてそれが「毒酒」であることを悟るであろう。彼らは自殺したのである。ひとつは独立立憲国家の政党として、いまひとつは日本人として。いまはせいぜい酔いしれるがいい。そし願わくば手の施しようがなくなるまで、その「毒酒」をあおっていてもらいたい。
一方、仮に彼らを自殺から救うようなことがあれば、今度こそわが同胞の死となる。「馬鹿は死ななきゃ直らない」のか、はたまた健全なる祖国を取り戻すのか。そういう意味では、むしろ楽しみが増えた。
昨日アップの「外患誘致罪 安倍」と同様に、案外こんなのもフツーに思いつくジョークのひとつかもしれない。個人的には「世界遺産」なんぞ(極論すれば)愚の骨頂だぐらいに考えているが、そういう視点を含めても、わが祖国・ニッポンはそのタイトルを冠するに相応しい存在に昇華したとはいえまいか?
世界有数の経済大国にして、紛うことなき一大先進国。(なお高い目標はあるにせよ)社会的インフラの整備も十分に進み、社会保障制度もそのレベルを保守してきた。自由闊達な言論が保障され、人権もまた然り。自由主義の旗手として恥じない立派な民主主義国家だといえるだろう。じつは、日本という国は、本来は非常に暮らしやすくよくできた国なのである。
ところが、それを自ら否定し、破壊への道へと進むニッポン。
世界屈指の「自由かつ豊かな国」で、なぜかような逆行が選択されつつあるのか?
これは非常に稀有な人類史のサンプルであり、教訓的遺産としてのちの世代に引き継いでゆくに相応しいのではないか。できれば、ニッポンと逆の道を歩みながら双子のように進化している朝鮮民主主義人民共和国との同時登録がいい。
すでに報道の自由・独立は否定され、国民の一大関心事をあえて無視する公共放送を持つ自由主義先進国というのも珍しいように思うが(*注)、そのうえで「説明」だ「理解を求める」だなどと抜かしているバカもまた、個々としては世界遺産にもってこいかもしれない(てかよ、自分のバカを理解しなさいよ、あんた・笑)。
いやまてよ。イグノーベル賞というものええなァ。
ノーベル賞についても、オレ個人はなんら価値を認めていない。一方で、わが国の憲法9条がノミネートされており、オレ個人としてそういう価値観を持っているとしても、わが国の平和憲法を守り、国際的に広めるという点において非常に効果的だと考えているので、できれば受賞を果たしてほしいと願っている。それが、安倍政権のイグノーベル賞と同時受賞だったら最高ではありませんか!
*注:NHKテレビ18時の全国ニュースでは、件の戦争法案が完璧に無視されていた(こんなに国民的関心を集めている重要法案の審議・採決の舞台となった国会中継をわざと外した公共放送というのもすごい)。
やや私事になるが、古い同級生がNHKの職員となっていたことが比較的最近になってわかった。とはいえ肩書き的には存分な出世をしているワケでもないようだが、先ごろ東京都心超一等地の高級分譲集合住宅(日本ではマンションと呼ばれているが?)を購入したとのことで慶賀にたえない。高級取りなんですなぁ……なぞとうらやむ気持ちはこれっぽっちもないが、受信料を支払うことのバカバカしさには結びつきますね(笑)。
ところで、その18時のニュースでは、国立競技場関連の話題もあった。この問題に関しては、あのヨミウリだのサンケイだのという誤用おっと御用新聞までが批判記事を載せただのと揶揄されているが、彼ら御用新聞にとってのこの問題は、白装束騒ぎ(古いか)などと同じ格好のめくらまし(中国や北朝鮮なども類似の用法とされる場合がある)。これっぽっちも(?)問題視していないクセに騒ぎ立てて肝心の焦点を逸らす。それだけならいいが、(単なる想像だが)政府関連の広告予算なんかも関係していたりしてねぇ……。
※おまけ:
安倍政権が、なぜここまで強硬姿勢を取れるのか?
たとえば、元自民党幹部にして弁護士の白川勝彦氏(リスペクト!)は以下のように解説している。
<その際、政権与党がいちばん重きを置くのは、国民の反対の度合いである。政権与党が引き続き政権を担当するためには、次の選挙でも勝たなければならない。政権与党は、国民が反対する法案を通すことにより、次の選挙で多数が取れなくなる事態を招くかどうかを、いちばん重要視するのだ。(中略)権力を保持するためには、次の選挙でも勝たなければならないと考えている。>
※:LINK:“錦の御旗”を掲げる7~8割の国民を敵に回す安倍右翼反動内閣──永田町徒然草
その後の展開はかくのごとし。
あくまで個人的な見方だが、その背景には創価学会があるとみる。簡単にいえば、創価学会票に対する保障がなんらかの形であるのではないか? それゆえ仮に解散・総選挙となっても勢力維持が可能と判断しているのであろう。しかし、こんなにナメ切られた話もない。オレはオウム真理教と創価学会とを比較し、前者をエボラウィルスとするのであれば、後者はHIVだと勝手に考えているが、これはすなわち人類および社会に対する悪影響度という見方である(かつて自民党政府の暴虐に対し必死の抵抗をした創価学会・公明党はどこに行ったのか?)。エボラ出血熱はたしかに激烈な感染症ではあるが、死者からみればHIVやインフルエンザの足下にも及ばない。
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