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猫池罵詈雑言雑記帳
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 9月1日、JR西日本が三江線(江津~三次間)の廃止を表明した。同線は全長108.1kmに及ぶ長大ローカル線で、区間運転(全線走破スジは下り2本上り1本にすぎないが)を含めても上下合計17本にすぎない閑散線区である。だいぶ前に1度だけ乗りとおしたことがあるが、たった1両の小型ディーゼルカーが満席になった区間は皆無で、少ない乗客のうちふたり(オレを含む。ひとりは推測)は「三江線に乗るのが目的」で乗っていたのだからなにをかいわんやの状況ではあった。

 一方、JR北海道が今年12月を最後に留萌本線の留萌~増毛間を廃止、さらに石勝線の“夕張支線”(新夕張~夕張)間の廃止を夕張市に申請している。また、新幹線開業との引き換えではあるけれど、北陸本線の金沢~直江津間と信越本線の長野~直江津間、江差線(五稜郭~木古内)、鹿児島本線の八代~川内間、さらに東北本線北部などの第3セクター移管は、鉄道路線としての存続はしているものの、母体であるハズのJRから切り捨てられたという点で、広義の廃止に準ずるという見方ができるかもしれない。

 ここにきて、なんとなく「冬の時代」というものを予感する。このままいくと、廃止を含む路線切捨てに歯止めがかからなくなるのではないかという気もしてきた。

 ここからはまったくの個人的推理だが、彼ら(JR)がつぎに画策しているのは幹線を含む在来線の分社化ではあるまいか?

 たとえば、新幹線整備法に関連して3セク移管された線区がある一方で、その埒外にある東海道本線や東北本線の盛岡以南などはJRの路線として存続している。長距離優等列車が新幹線に移行したぶん、東京圏など大都市圏では生活路線としてより重要度が増している面もあるものの、長い区間のなかには経営(数字)的にみて厳しい部分もあるに違いない。とずれば、そんな儲からない路線はどうにかして切り捨てたいというのが経営側のホンネではないのか。
「●●線は新幹線開業のおかげでまんまと破棄できたんだがなァ。●●線もどうになからんのか?」
 というワケだ。まぁ、穿った見方であることは承知しているけれども。

 とはいえ、完全に自社と分離するには不都合な点もあるだろう。
 そんな推理で浮かび上がってきたのが、子会社の設立である。つまり、新幹線を含む儲かる路線をJRオリジナルで引き続き経営、そうでない路線・線区を新たに設立する子会社の管轄としてしまうのだ。この場合、3セク化などとは異なり、あくまでJRグループとして存続することになるハズで、当面は利用者にとって目にみえる不都合はないかもしれない(ICカード乗車券の類は共通利用できるのだろうが、運賃計算がどうなるかは想像の範疇外)。

 だが、従業員はほぼ完全に分離されるだろう。役員クラスなど一部には出向という形でJR本体の人間が配置されるのだろうが、現場を含む大半の従業員はそのまま子会社の社員という立場に置き換えられる。線路や駅などの関連施設の保持・分配については、分社を原則とする手段やオリジナルが子会社に貸し出すプランなどが思い浮かぶ(後者の場合、子会社が第2種鉄道事業者となる)。
 これは経営側からみれば意味のあることで、たとえば人件費(給与や賞与などもろもろ)についてだけみても、JRオリジナルと子会社との差が歴然とするに違いない。言い換えると、たとえば新幹線や一部大都市路線による儲けをより株主への配当や内部留保にまわしやすくなるのではないのか?

 仮にそんな事態が進行したとしたら、世界に誇れるわが国の優秀な鉄道網がどうなるか。おヒマな方はぜひ鉄道地図上などでシミュレーションしてみていただきたい(廃止路線もお忘れなく)。

 じつはこの推理(妄想であってほしいが・笑)にはちょっとしたヒントがある。
 航空である。
 たとえばわが国では最大手2社によって「JALグループ」と「ANAグループ」がいくつもの航空会社を傘下にして、地方路線などの運行を実施している(前者では日本トランスオーシャン航空やJALエクスプレスなど、後者ではANAウィングス)。これは外国の航空会社でも同様で、コードシェアによって大手会社便になっていても、実際の運行は子会社などがあたっているケースは常識になりつつある。
 さすれば、カネモウケ小児病(とオレは勝手に思っている)のJRが「オレも(「オレたちも」ではないんだな、この場合)」と考えるのは当然のなりゆきのように思うのだがどうだろう。

 まっ、せっかくだからさらに発展させて、JRの路線上を第2種鉄道事業者が活発に営業できるようにしたらどうかと思いますがね。ヨーロッパの鉄道路線で盛んなように。こんなのはまぁお遊びの部類ではあるけれど、JR東日本とJR西日本が「JR九州に続け」とばかりに投入する予定の超高額遊覧列車の類なんてのは、むしろそういう方式のほうが利用者のためになるだろう。「ファーストクラス的」なサービスなど、鉄道会社よりはむしろ航空会社のほうが得意なハズだし、現にヨーロッパでは航空会社が航空便として運行する列車だってあるわけだからねぇ。
 
 図体のでかさの割にあまりにせこい鉄道会社。
 どうもそんな偏見を抱かずにはいられない昨今である(われながら悲しいことだ)。
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 予想を超える退廃おっと大敗だったと思う。
 さきの都知事選における野党共闘の結果だ。
 そこには、候補者・鳥越氏および各政党の力不足もあったろうし、白川勝彦氏が言うところの「白色テロ」の効果もあったに違いない。だが、ここにきていまひとつ想像するのは、今回の「小池VS増田」という構図が、巧妙に仕組まれた茶番劇だったのではないかということだ。

 いかにも「反自民」的ポーズを全面に出した小池氏。それに対し、自民党主流と創価学会は元岩手県知事という異例なまでに“地味”な(失礼!)候補者を担ぎ上げた。しかも、件の「鳥越バッシング」が噴出する以前から、増田氏の“マスゾエぶり”が明るみに出て、ただでさえ知名度で勝る小池陣営にどこまで対抗しうるのかと思ったひとも少なくはないだろう。
 しかし、そんなことはとうの官邸側にとっては百も承知で、小池氏で勝てるという確証があったからこその芝居だったのではあるまいか?

 小池勝利が動かないのであれば(「白色テロ」はそれをより確実にするために仕掛けられた)、狙いはおのずから見えてくる。

 野党共闘を切り崩す。

 これこそが反動保守同士の対決を演出した本当の狙いだったのではないだろうか。

 結果として、小池VS鳥越ではダブルスコアをゆうにクリア。増田VS鳥越という局面でも大差をつけた。ここから導きだされかねないのは、野党共闘に対する疑念であり、それは今後の各選挙にも影響を与えるだろう(さきの参院選では大勝利とはいなかいまでも、共闘がなかったらどうなったか、冷静に省みてみたい)。また、いまひとつは民進党内部の動揺を生んだ可能性はあり、同党議員や党員の離反へとつながっていくかもしれない(同党内の「共産党嫌い」勢力は?)。そうなれば、せっかく実現した野党共闘にヒビが入り、今後の選挙においてますます自民・創価の独走を許すこととなっていくだろう。官邸の狙いはまさにそこにあったのではないのか?

 こう記すと、小池氏やその支持者に対する自民党主流の冷遇ぶりなどを材料に、否定するムキはあるに違いない。
 おそらく、そうした冷遇や対立はウソではない。小池氏は官邸の思惑云々をさておいてもある種の対立をしたのは間違いなく、それは増田陣営とて同様だっただろう。
 しかしそれもまた、仕組まれた演出のなせる業だったとオレは見る。

 かつて“キワモノ系ポルノビデオ”*(注)の演出で知られたバクシーシ山下監督は、出演者を「騙す」ことによって作品に緊迫感を与えてきたという。たとえば、強姦シーンを撮影にするにあたって、女性モデルを含む出演者にはそれが「強姦もの」であることなどはきちんと伝え了承を得ておく。しかし、そこに予期しなかった仕掛けをからませることにとって、出演者たちを「ハマらせて」しまうのだという。なかには、軽いアルバイト感覚で出演したはいいが、撮影現場で繰り広げられてゆくのが芝居ではない強姦そのものと勘違いした男が「これはヤバイ」と逃げ出そうした例もあったらしい。そうして出来上がったものは、山下作品と監督を糾弾した市民グループによれば「黒澤明をしのぐ」作品だったというのだ。
 こうしたエピソードは『セックス障害者たち』(バクシーシ山下・太田出版)や『アダルトな人びと』(足立倫行・講談社)などに詳しいが、ここで注目すべきは演出によって独自のドキュメンタリー的世界がつくられたという点であり、出演者自身もまた、演出と現実との境界が覚束ないままに演出者に操られていたところにある。

 今回の「小池VS増田」という構図は、まさにこの手法によって打たれたひと芝居だったのではあるまいか? そりゃぁ(ひょっとすると)本気だっただろう。小池陣営としてはアベ自民&創価タッグと真っ向から対決したのかもしれない。山下監督が出演者を「ハマらせた」のと同様に「ハマって」しまったのだからムリもない。しかし、“監督”としては「小池勝利で十分。問題は、小池+増田がどれだけ鳥越をしのげるかだ」。
 こうしてまんまと小池都政がスタートし、下馬評にみられた「鳥越独走か?」という筋書きすらなかったことにされてしまったのである。

 各野党とその支持者、あるいは「反アベ」でも正統的な「保守」でも「自由主義者」でもあるいは「社会主義信望者」でもいいが、なすべきことは前進である。揺さぶりなどに動揺してしまえば、相手側の思う壺だ(正面から見れば、それだけアベ政権にとって脅威なのだ。野党共闘が)。


*注:
 一般的に「アダルトビデオ(AV)」などと呼ばれるが、「アダルト」とか称しつつもその大半は単なる「ポルノ」。個人的には「エロビデオ」という呼び方を好むが、「ポルノビデオ」というほうが正々堂々としているように思うので、ここでもこうした。単に「興奮する作品が(ほとんど)ない」というつまらん理由で個人的にはほとんど見ることのない「ポルノビデオ」だが、「作り手」についてはなにかと興味を覚えている(そりゃそれとしても吉沢明歩はええなぁ。出演作は1本も持ってないけど)。なお、例として「強姦」云々を持ち出したが、そうしたテーマに対する是非についてはここでは触れないこととした。


●おまけ:
 で、かような都知事だが、かつて石原みたいな元破廉恥小説家を長きにわたり抱いてきたのである。ここはひとつ、ポルノ界の御大・村西とおるをその席にご招待してみてはどうか?
 スローガンは「東京からスケベがやってくる!」。
 東京23区を「ポルノ特区」とし、いまや韓国エンタテイメント(とくに映像部門)に唯一対抗できているかもしれないポルノビデオの一大製作・輸出拠点とする。村西とおるのずば抜けた行動力については、たとえば『裏本時代』(本橋信宏・幻冬社)などに詳しいが、それがたとえポルノであれ、あれよという間にトップに躍り出た実績(それも二度も)を持つ巨人である。特定のイデオロギーに害されることなしに、文字どおりに寝食を忘れて東京都を盛り上げてくれるといっても過言ではないでしょう。

 なぜこんな露悪的なことを記すかって? それほど絶望したからさ。あまりにも無防備な選択に。

「成田エクスプレス」が営業運転中に誤った線路に進入したという信じがたい事件があった。
 事件がおきたのは29日(金)18時半ごろ。いくつかの報道によれば、成田空港発大宮ゆき「成田エクスプレス40号」が品川で新宿方面に進むべきものを横浜方面に向かう線路を進行してしまったというのである。運転士はただちに誤りに気がつき、いったん停車させたのちにそのまま横浜方面に進行、武蔵小杉駅で乗客を降ろしたという。

 なんでも、その列車が新小岩駅で起きた人身事故により車両が破損、そのため併結運転(大宮ゆきと大船ゆき)の編成を入れ替えて運転しており、本来は大船ゆきであった編成が大宮ゆきとなっていたらしい。影響で詳らかな原因についてはこれから公表されていくのだろうが、これはもう立派な“重大インシデント”とはいえないだろうか。これまで報道された内容から察するに、これそのものがただちに大事故につながるとはシロウト目には思えないが、こうしたミスの積み重ねがやがて致命的大惨事を招く可能性はある。

 以前、当ブログで記したように(争点破壊・・・の巻。ケンカを仕掛けたのは政権のほうである )、オレにはどうも、つぎなる致命的大事故は、この会社が起こすのではないかという気がしてならないのだ

 ところで、あのべらぼうに高い特急料金やグリーン料金はどうなったのだろうか?
 あいにく、この点に触れた報道を確認することができていないが、仮に大宮到着(途中の新宿や池袋も同じ)が定刻より2時間以上遅れていたとすれば、単純に払い戻しとなるケースだ。いまひとつ、乗客は武蔵小杉駅から湘南新宿ライン経由の電車に誘導されたというが、「成田エクスプレス40号」のグリーン車を利用していた乗客は、湘南新宿ラインのグリーン車をそのまま利用する権利がある(もしほかの特急があれば、それぞれ「成田エクスプレス40号」で利用していた設備に相当する座席が手持ちの「成田エクスプレス40号」の特急券でそのまま利用できるし、「急乗承」のケースではそのうえで料金券が全額払い戻しになる)。仮にそこで着席できない状況であればどうかというのは、「旅規」をあたってみなければならないが、はたしてそうした案内が現場できちんとなされていたかについては、これまで体験や見聞してきたJR側の態度からみて甚だアヤシイと思わざるをえない(新幹線特急料金半額払い戻しや、寝台料金全額払い戻しのケースなどを現場での案内が一切なかったばかりか、申請してもあれやこれやと屁理屈をつけて応じないのがJR東日本というわが国を代表する鉄道会社の体質である)。

 いまひとつの疑問は、運転士がただちに誤りに気づき停車させたのは当たり前とはいえきちんとしていると思うが、ATSなど自動保安装置はどういう判断をしていたのだろうか。大惨事の前兆として見逃してはならないケースであろう。


■おまけ
 年金のバクチ損益が5.3兆円(公式?)にのぼっているとの発表があった。
 ホントにそれだけで済んでるのかよ?
 そういう疑問もあるが、いずれにしてもべらぼうな額である。しかもそのカネときたら、われわれ国民が将来に備えて国家に預けている公共の資金だ。そもそもがそんな大切なカネをその道のプロフェッショナルであろうと相当のリスクから逃れ得ないマネーゲームなんぞにつぎ込むというのがバカ丸出し。小遣い銭をバクチで稼ごうとして失敗。気がつけば借金を抱え、それを返済するためにまたバクチ。さらにまたまた借金。それもまた召し上げられていよいよ泥沼と化す。
「オレのためじゃないんだ。おまえたち(家族など)を少しでも楽にさせてやりたいと思っただけなんだ」
 なんていうのは映画や小説のなかのありがちなセリフではあるが、ニッポンという国家がしでかしていることとどれほどの違いがあるだろうか?

 国家から運用を任されている年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の高橋則広理事長は「謙虚に受け止めて次回に生かしたい」と記者会見で語ったという。
 しかしふつうの企業あれば、これだけの損失を出してしまえばもう「次回」などありはしないだろう。バカも休み休みいえと思うが、ふと気になったのがこのGPIFの諸君らの「賞与」である。まさか、こんな莫大な「赤字決算」を出しておいてビタ一文もの「賞与」をもらったとは思えないが、それは総責任者であるアベシンゾーとて一緒。ってことは、ちゃっかりともらうものはもらっているということなのだろうか? 言い訳はどうあれ、事業に大失敗した企業や事業部が「賞与」を手するなんてことはありえないハズ(社会主義国を含む官僚の類はいざ知らず・笑)。こんなんで「民間」だの「市場」だの「成長」だのとくっだらない「ポエム」を口にしているのはどこの馬鹿者なんだろうなァ。知性を疑うとはそういう輩に対して言うべき言葉である。

 この体たらくに関し、共産党の小池晃書記局長がわかりやすい発言をしているのが目に留まった。

>安倍政権が株の運用比率を高めたのは、「年金をどうするのかということでやった改革でなく、株価を買い支えるためだ」と指摘。「安倍政権は、アベノミクスの株価対策のために国民の大事な年金資金を流用し、株価暴落で大きな穴をあけた。(後略)
年金資金に大穴あけた安倍政権の責任は重大


 然り!
 かつて竹村なんとかというタレント(?)が「株価が上がれば景気はよくなる」とか抜かしていて、「そりゃ逆だろうよあんた」と爆笑させられたことがあるが、一方でそんなペテン発言を信じちゃっている善良なひとも少なくないようだ。こんなのは、モノの値段がどう決まるかという経済学以前の経済のイロハレベルの話ではないかと思うのだが、株価だって上がるべき材料がなければ本当には上がりはしないだろうよ、なぁ(笑)。

「気違いは抹殺されなければならない。
 もし私が父親なら、単身日本にやってきて、必ず彼を絞殺する。やせてまずそうだから食いたくはない。しかし食わないと異常者扱いされない。異常者扱いされないと無実にならないから泣く泣く食う、いや食ったフリをする」石堂淑明

「こいつは気違い。気違いに言い分を与えるなんて絶対におかしい。天下の大道をいけしゃぁしゃぁと歩いているのもマスコミが原因だ。やんなっちゃうよ。それを議論すること自体、世の中が間違っている証拠。気違いに自由なんて、とても大人とは思えない。そんなことがわからないのか。地獄の競争に勝つたけに、マスコミはルールとマナーとエチケットを忘れている。
 私は石堂君に全面賛成だね。」西部邁

『電氣菩薩 豚小屋発犬小屋行きの宇宙オデッセイ(上)』(根本敬・径書房/158ページ)

 以上、著名人によるふたつの発言は、「パリ人肉事件」として一般に知られている事件の当事者に対し述べられたものだ。共通しているのは、このお二方が右翼の「論壇」で長年にわたりもてはやされてきたことと、特定の個人を指して「気違い」と言い切っていること(「気違い呼ばわりともレベルが異なる)、さらに「気違い」だから殺してしまえというところにある。

  事件の当事者である佐川一政氏の「コレクション」からの引用だというこれらの発言集には、ほかに大岡昌平、加賀乙彦、福島章、矢崎泰久、中野肇各氏のコメントが列記されている。(当然ながら)いずれも手厳しい論であり、ことにあれだけの陰惨な事件をしでかしながら不起訴になった点などにも疑問が提起されている。だが、あとに挙げた5氏はさきのお二方とは異なり「気違い」といった言葉は一切使っていないばかりか、事件や当事者についてそんな安易な単純化はしていない(あるていどの知性があれば当然の話だが)。いわんや、「気違い」だから「抹殺」せよなどと安直な態度も示していない(石堂のおとっつぁんときたら、具体的に「絞殺する」とまで言い切っている。恐ろしいことだ)。

 こんな話を取り出してきたのは、いうまでもなく相模原で起きた大量殺人事件の容疑者の発言(あくまでマスコミを通したものだが)を目にして、「どこかで同じ言説を目にしたことがあるぞ」と思ったからである。
 同じなのだ。相模原事件の容疑者と右翼論壇の著名人お二方とが。

 断っておくが、「ハンディキャパ(*注)」と「気違い」とを同列視しているのではない。また、具体的に犯罪を犯した佐川氏となんら罪のない「ハンディキャパ」とはまったく異なる。ここでは、あくまで石堂・西部という個人(それも影響力のある著名人)が堂々と「●●だから殺していいのだ」という趣旨の発言をしていること、また、ここで記した「●●だから」がいつなんどきだれに向けられるか知れたものでないという恐怖感から「同じ」としている。

 同時にあの石原のおとっつぁん(小説家崩れの元政治家)も類似の発言を何度もしているので、その詳細を確認すべくネットで「石原 障害者」で検索してみたら、出るわ出るわ。相模原事件と石原とを結びつけたひとびとがこんなにもたくさんいるのかとやや救われる思いもしたが、この石原も先のお二方と本質的に同じである。
 このあたりについ触れた記事をふたつリンクしておこう。

障がい者抹殺思想は相模原事件の容疑者だけじゃない! 石原慎太郎も「安楽死」発言、ネットでは「障がい者不要論」が跋扈(リテラ)


「障がい者を殺せば税金が浮く」植松容疑者の狂気は自民党政権の障がい者切り捨て、新自由主主義政策と地続きだ(リテラ)


 リンク記事によれば、石堂西部石原植松予備軍がわが国にはことのほか多く顕在しているようだ。なんというか、いったいぜんたいどうしてこんな祖国を心から愛することができようか!?
 心の底から悲しくて恥ずかしい……。


●おまけ:
 あの「サンケイ」がミュンヘン事件容疑者がナチスに傾倒していたらしいという「雑報」を配信しているが、ここはぜひとも相模原事件容疑者と「アベニズム(即席造語)」との親和性についても記事にしてもらいたい(できもしないだろうが・嘲)。

■都知事選について
 先週は数日間日本を離れていたが、出発前にアップする間がなかったネタに、都知事選をめぐり、文春・新潮あたりがなにかをやらかすのではないかという推測コラムがあった。出発直前まで本業で往生していたため、そのままになってしまったが、帰ってきたら「あらビックリ!」。想像をしのぐ騒ぎになっているではないか。
 この騒ぎについては、白川勝彦氏が言うところの「白色テロ」という言葉がふさわしいとオレも考えるが、いまひとつは懸念していた部分が露見したのではないかという思いも捨てきれない。
 じつは、オレ個人は鳥越氏をいまひとつ評価していないのである。これは氏のプライベートでどうのという話ではなく、ジャーナリストに対する個人的評価であり、「大丈夫なんだろうか?」と思っていたなかで起きた騒動なのであった(長くなるので詳細は省くが)。
 もっといえば「さもありなん」。だが、だとしても鳥越氏にはがんばってもらわなければならない。いまの日本がそれほどの危機にあるからだ。足らない部分があるとすれば、周囲でフォローすればいい。先の4氏に並ぶような極右女史だのアベの子分だのに席をくれてやってはならない。まずはその1点で結束し、この短期決戦を勝ち抜くことこそが必須だと考える。
*注:「障害者」を「障がい者」とする風潮が昨今にあり、この「害」の字が問題視されているというのだが、では「障=さしさわり」の字はどうなんだろうという疑問を早い時期から抱いてきた。こんなのは偽善なのではないのか? しかしながら、現に障害を抱えたひとびとが「害」の字を充ててほしくないと考えている可能性もあり、個人的にはカタカナ語のハイディキャパを用いるようにしている。安易にエイゴなど使いたくはないだが。

 なお、一般的に「気違い」だの「キチガイ」の類が「放送禁止用語」の類にされている。いくつかの文献などによれば、精神的な障害を背負ったひとに対する差別にあたるからという説があるようだが、そんな発想こそが差別的だとオレは思う。両者は全然別ものではないか。本質的「気違い」というのは、「気違いだから抹殺しろ」などといけしゃぁしゃぁと抜かす──飲み屋などでのごく内輪の与太話ならともかく──連中のことを指すのでは?
 
 珍しく(?)、大相撲の千秋楽をTV観戦した。とりたてて相撲に興味があるわけではないが、白鵬のように豪快な強豪力士にはグっとくるものがある。
 今場所は白馬富士が優勝を決めた。
 あくまで個人的な見方だが、白馬富士といえばどことなく頼りなげで、いま一歩「横綱」になきりれていない「横綱」というイメージを抱いてきた。それが、ここ数場所は力強さと粘りが増し、なによりも目に気力が宿っているように思えていたので、なにげに応援したい気持ちもあったさなかでの優勝。あの白鵬に今回で21度目の勝ち星というのはうかつにして知らなかったが、最強級横綱の向こうを張ってきたのである。立派な実績なのではないだろうか。


 さて、TV中継を見ていたら、解説者のなんとかっていう元力士がすっとんきょうな発言をしていていささか仰天した。
 抄録ではあるが、その発言はこうである。
オリンピックだって、自分の国の代表選手を応援するじゃないですか。(だから)大相撲に日本人の横綱が出てきてほしいというのはごく自然な思いなんです
 とかなんとか……。
 

 驚きましたねぇ。もとい、
「アホか」
 と思った。


 大相撲って、いつから国別(代表別)競技大会になったんですか?
 世界各地からトップアスリートが集い、それぞれの技を競うオリンピックをはじめとするスポーツの世界大会であれば、元力士が主張するように自国の代表選手やチームを応援したくなるのはごくありふれた心情であろう(とはいえ、いかに選手が祖国の代表に選ばれたうえで出場しているにせよ、多分に個人競技的な種目だってある)。だが、大相撲はまったくの個人技であり(なになに部屋だから応援するなんてこともあるのかな?)、国際的競技会ではない。日本伝統の「国技」とされていることなどから、白鵬や白馬富士のような外国人あるいは外国出身力士の故郷のファンが「祖国出身だから」と応援していることはあるかもしれないが(同様に、「●●県出身だから」というファンもいるだろう)、それを元力士がいうように「日本人横綱」云々に結びつけることはいささか乱暴なのではあるまいか?

 件の元力士は、一部では「右翼」ないし「極右」などとみられているフシのある人物である。ゆえに、その発言のベースには、そうした連中特有の薄っぺらで「ポエム」な「国粋主義」があるとも考えたくなってしまう。もっといえば、そんなに外国人横綱が気に食わないのであれば、「大相撲の力士は、日本出身の日本国籍者で、かつ“ヤマト民族”でなければならない」とでも主張すりゃぁいいのだ(もっとも、そういう連中に限って「日本は単一民族国家」だのといった己の無知ぶりを披露してくれたりもしますね・笑)。
 アナウンサーも、ひょっとしたらオレと同様に仰天したのかもしれない。「ああ、そうですねぇ」などといった相槌の類も一切ないままに話そのものを素通りさせていた。
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 レジャーライター=植村誠の別館ブログです。
 ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
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