沖縄知事選と那覇市長選の結果は、きわめて興味深いものであった。最大の争点は米軍基地の移設問題だったといわれるなか、前知事・仲井真弘多氏流の「いい正月」よりも、野古沖埋め立て承認の取り消し、撤回を表明している新知事・翁長雄志氏の訴えが有権者の支持を集めたということなのであろう。
選挙戦のさなか、マスメディアの配信記事に翁長氏が元は自民党だったことや陣営にも元自民党員らが参加していることなどに触れるさい「自民党を除名された」という言い回しを使ったものもみられた。これなどは「除名」という言葉が持つマイナスイメージを用いたプロパガンダにほかならないと思うのだが、日本共産党が支持していることを挙げ「アカ」だのといった宣伝や有名な反動ジャーナリストの発言をみるにつけ、「こいつらには正論、政策といったものがないのか?」と気の毒にすらなったものだ。
一夜を明けて、ネット上の記事をチェックしてみたのだが、沖縄の話題が意外なほど少ないことに気がついた。国の方針に真っ向から対立する結果を生んだ画期的な事件である。にも拘わらず、すくなくとも巨大ポータル上には芸能ゴシップほどの点数もみられないのはどうしたことだろうか。
そんななか、こんな見出しの記事が目にとまった。
>沖縄知事に翁長氏 「普天間固定化するのでは」地元住民から懸念の声- 産経ニュース(2014年11月17日07時59分)
内容は簡単。両論併記をしながら、選挙結果について批判ないし疑問を呈しているだけである。
記事中に用いられた市民の声を引用してみよう。
>「翁長さんは基地はいらないと言うが、中国が尖閣諸島(同県石垣市)に近づいている今、沖縄は誰に守られているのか」と嘆いた。
>「米軍に関係する仕事をしている人も多い。沖縄と米軍は切っても切れない関係」と話した。
>普天間飛行場のある宜野湾市では、移設に道筋をつけた仲井真氏の落選に落胆の声も。(中略)「政府との間に亀裂が入れば、普天間は再び固定化してしまうのでは」。
>16年に大型輸送ヘリが墜落した同市の沖縄国際大の近くに住む女性会社員(25)も「基地が残り、あんな事故がまた起きたらと思うと怖い」と吐露した。(以上4点、見出し記事から引用)
これらは、いずれも事実であろう。10万弱の票差をつけて新知事が誕生したとはいえ、前知事を支持した層も相当数にのぼる(ただ、この記事では前知事の寝返りやそれに対する市民らの声には触れられていない)。
ちょっとだけイチャモンをつけてみよう。
・1(上から):中華人民共和国を仮想敵とし、さらに沖縄と駐留米軍との問題への矮小化(中国側からの挑発とも思える行為には大いに問題はあるといちおうつけくわえておくが、アメリカ合州国が中国と軍事的衝突をしたがっているかどうかについても検証しなければ?)。とはいえ、新知事はただちに米軍に撤収を迫っているのかな?
・2:じつはこのなかでもっとも納得できたコメント。これには仕事以外に「軍用地」関連収入なども含まれるのであろう。どことなく「原発関連収入に頼っているひとも多いのだから」という論を思い浮かべるが、では、仲井真氏の政策どおりに移設したらしたで現基地周辺のそういうひとびとはどうなってしまうのだろう? これも同上。
・3:普天間が固定化というけれど、新知事はそんなことを政策にしているのですか? 仮にこれが「日本政府やアメリカ合州国によって固定化される(ないし新知事がつぶされる)」という懸念なのであれば、問題とする相手が違うのではありませんか?
・4: 同上。しかし、産経新聞社は、どういう狙いでこの4つめのコメントを引用したのだろう? これでは沖縄(大局的にはわが国全体)に米軍基地があるのが危険だという話になってしまい、同社の基本的な主張とは隔たってしまうというか、まるで「しんぶん赤旗」の記事を読んでいるようなのだけど(笑)。が、それならそれで結構な話ではありますね。
断っておくが、これらは取材に応じた市民とその声をあげつらうものではありません。新聞社によるコメントの用い方の稚拙さを指摘しているだけである。
なんにつけても「批判」ないし「批判精神」を持つことは大切である。したがって、今回の選挙結果を受けてその批判的な検証をすることそのものはきわめて正しいと考える。だが引用記事のレベルではお粗末。いくら結果が悔しいからって、なんともいじましいとしかいいようがない。同社をしのぐ「御用新聞社」であるヨミウリのほうも検分してみたいところだけど、あいにくそこまでのヒマはない。
ちょっと余談。
近ごろ、中国のバカどもによるサンゴの密漁がクローズアップされている(沖縄選以上に?)。しかし、米軍基地移設先として取りざたされている辺野古のサンゴ(辺野古だけではなくサンゴだけでもないが)はどうなってもいいのかな? まったくの違法による中国人のインディーズ(?)密漁団と、ゴリ押しで合法化された米軍と日本政府によるオフィシャルな自然破壊。なんだか暴力団と巨大企業との横暴合戦のようだけれど、ともに悪質であることには違いないのではないかと思うのだが。
余談その2。
今日、17日になって円安が進んでいるという報道があった。そのうちのひとつがつぎの見出しである。
>GDPが予想外のマイナス、株安・債券高・円安が進行=東京市場- ロイター(2014年11月17日09時48分)
これには、「日本の7─9月期国内総生産(GDP)が年率1.6%減(市場予想は2.1%増)と予想外のマイナス成長」(見出し記事)を示したことの影響が分析されているようだが、ユニークなのは引用記事にある「予想外」である。ホントなんですかね、これ? しかし、日本政府や財界、それらの提灯持ちにとっては円安進行は歓迎されるできごとのハズなのに、「マイナス成長」を材料として取りざたしている。ということは、わが国がマイナス成長する(=円安)ことは歓迎されるということなのかなぁ……。
さらにケッサクなのは、引用記事の締めくくりだ。いわく、
>消費再増税延期・衆院解散は決定的だろうと述べている。
である。「述べている」のは某証券会社所属の専門家らしいのだが、なぜかすぐ前段コメントを「」閉じにしつつここにはそれがない。それともこの部分だけは「述べている」のが違う人物なのかな? 述べられている内容を含め、オレの足らないアタマでは理解しがたいので、これ以上の言及は避けるが。
そういえば、消費税再増税に関するケッサクな御用報道を目にしたのを思い出したので、その話はあらためて。
文献などに目を通せば、たしかに新聞や放送局などが世論を誘導する手立て(プロパガンダ)になったことは否定しがたく、それを“教訓”としてゆく必要はあると考える。だが、責任をマスメディアに求めるその背後に、本当の責任者であったときの政権・指導者たちに対する責任回避の思想が潜んでいるように思えてならず、ことさらにマスメディアに対する責任を強調することに疑問を覚えるのである。
だが、このところのわが国のマスメディア──すべてとは言わない──のザマをみるにつけ、戦争におけるマスメディアの責任論というものが厳然として存在していると実感するようになった。
たとえば、自分たちの失敗(とばかりは限らないか?)をタナに上げ、嬉々として同業他社の失敗をあげつらう新聞社。ハッキリと記せば、なんだって右翼の諸君がことさらに「朝日新聞」を敵視するのか、過去の報道などに対する異論ならばともかく、少なくともここ十数年ほどの同社のザマを観察しているかぎりほとんど理解できないのであるが、それはともかくとしてもヨミウリだのサンケイだのの欣喜雀躍ぶりにはヘドが出るというものだ。
これら御用新聞社に加えて活躍する自称公共放送と化したNHK。あからさまに(?)政権と一体化した彼らが日々タレ流しているのは、政権擁護どころか改憲や生活破壊に世論を導くプロパガンダではないのか?
彼ら(放送局についてはNHKだけではない)による“報道”に接していると、
・いますぐにでも原発を再稼動させなければわれわれ一般庶民の生活が立ち行かなくなってしまう
・中華人民共和国がいまにもわが国に対する戦争をしかけそうだ
・消費税アップは世の必然。いまやらないと孫の代に大きなツケを残す(注1)
・アベノミクスは順風満帆。円安はこんなにすばらしく、ほら、平均株価だってこんなにあがって好景気じゃありませんか(注2)
・沖縄を“アカ” に乗っ取らせてはならん(さすがにココまではあからさまではないかもしれないが、たとえばアメリカ合州国で実施された中間選挙と沖縄知事選との報道の量的なバランスはどうか? とりわけHNKは?)
・エトセトラ・・・
という次第で、なんだかもう長いモノに巻かれてにゃおまえらシアワセとでもいわかのような按配である。もちろん、一部にはそれらについていちおうの検証を試みたテレビ番組などもあるにせよ、とりわけNHKの19時および21時のテレビニュースには恐怖を覚えることもしばしばだ。なんつうか、率先して政権におもねり、世論誘導にメディア生命を賭けているのではあるまいかと疑いたくなってくる。言い換えると、戦争に対するマスメディアの責任、その所在についてナマで実感させられているというワケだ。はたして、歴史はのちに彼らをどのように評するだろうか?
余談だが、このうちある御用紙については、その読者から大ウケさせられたことがある。
「ユニクロの柳井社長、立派ですねぇ。錦織選手に会社から5000万円と自分のポケットマネーからも5000万円プレゼントしたんですってね。●●新聞に書いてありましたけど」
「(略)あの会社が“ブラック企業”とも指摘されている話はご存知ないのですか?」
「なんですか、それ?」
知らないのである。ここで具体的な紙名を挙げないのは、関連記事を仔細に検分していないからであり、“暗部”に触れた記事があった可能性を慮っているからだが、わりと細かに「●●新聞」を読んでいるらしいこの知人の知識なのであった。ご自分の生活が大変なのにタメ息をつきながら。まさにブラックユーモアだ。
しかし、“ブラック企業”云々はさておいて、同社の法人税負担については驚くべき証言がある。
[同社の実効税負担率を見ると、2013年3月期では、税引前純利益は756億5300万円もありながら、納税した法人税等は52億3300万円とわずか6・92%でした。(中略)柳井氏は日本でトップクラスの大富豪です(『税金を払わない巨大企業』富岡幸雄著・文春新書。82~83ページ)]
引用記事は、こんなに軽い税負担に対し「ドイツ、イギリス、中国や韓国は20%台(だから日本も下げよ)」「これでは競争できるはずがない」と「声を荒げてい」る柳井氏の矛盾をついているが、ようははした金なのだ。軽減された税負担による余剰金。それをさもご褒美であるかのようにふるまい、かつ自社と己の宣伝をしただけの話なのではないのか? 素直に賞賛したのは件の「●●新聞」読者的(善良)な層に限られそうだが。
・注1:「孫の代までのツケ」を心配するのであれば、原発の再稼動なんぞてきっこないと思うんだがなぁ(笑)。発電所の糞の後始末さえできない人類。孫の代どころか未来永劫──まっ、致命的原発事故などを起こして地球が滅びなければの話だが──にまでツケを残すのが原発ではないか。
原発再稼動をしたがっている連中が、「発電コスト」を言い訳にし、「原発を動かせないのならば電気料金を値上げ」などと“恫喝”するムキがある(こんなのも主要マスメディアの諸君は無批判のままタレ流している)が、ならばよろしい。核以外の発電に関する実質的なコストに加え、常識的な職員および役員報酬など諸経費を加味したうえで、本当に値上げが必要ならばそのリスクを庶民として負おうではないか。しかし、原発事故や原発稼動によって生じるコストやリスクについては推進者に問答無用で負ってもらおう。法人だけでなく、関係する自然人に対する「無限責任」を条件として。たとえるならば、強制執行許諾つきの条件。関係する自然人はその家族ともども末代にわたって連帯保証人である。これが交渉の最低条件──というよりブラックユーモアのつもり──だが、だからといって再稼動を認めるつもりはさらさらない。
・注2:経済についてはシロウトだが、シロウトなりに思うことはある。
株価というのは、特定の企業の業績や新たな動きに対する期待感などから上下するのが原則だと考えているが、今般の株価の(大局的な)動きのどこにそんな明るい材料があるのだろうか。平均株価に影響するほどの規模で各企業が大ヒットを飛ばすなり新機軸を打ち出すなりの動きは(例外はあるにせよ)見られないように思うのだが、いうまでもなく「量的緩和」などという数字のこねくりまわしに“投資家”とやらが右往左往しているということなのであろう。だが、こんなものはインサイダー取引以下の禁じ手なのではあるまいか? 順番が逆なのだ。
かつてのバブル経済並に平均株価を上げたいのであればインサイダー取引を認めるなりお目こぼしをするなりすりゃぁいいだろうとかねてよりジョークとして考えてきたが、ようはそうするワケにもいかないので、いわば合法的な処方を打ってみたというのが今般の動きはのではないのか。しかし、実体経済も活性化したバブル期と比べて、いまや動くのは数字ばかり。風船にもならないまやかし、幻に踊らされているだけのように思える。言い換えれば、覚醒剤によって「元気」になってるみたいな。この覚醒剤というたとえがあたっているとしたら、未来は真っ暗というワケだが・・・。
こういうのを“スクープ”とはいわないだろうか?
Link:http://lite-ra.com/2014/08/post-413.html
(中曽根元首相が「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が- リテラ)
朝方、ネット上のヘッドラインをチェックしていて、思わず読みふけったのがこのリンク記事である。
詳しくはリンク記事をお読みいただきたいが、内容はまさにその見出しどおり。あの「不沈艦」発言、わが祖国をアメリカ合州国という“宗主国”にとって奴隷以下の存在に貶めた中曽根康弘元首相の過去が、そのご当人の証言によって暴露されたのである。
恥ずかしながらその証言が綴られている『終りなき海軍─若い世代へ伝えたい』(松浦敬紀・編/文化放送開発センター刊)という著作は、このリンク記事を読むまでまったく知らなかった(早くに知っていればよかった。さっそくネット書店を検索したが、いまのところ品切れ状態。本日のベストセラーか?)。
記事によれば、本書に中曽根氏が寄稿、戦時中の思い出話を披露しているという。
タイトルは「二十三歳で三千人の総指揮官」。当時、インドネシアの設営部隊の主計長だった中曽根が、荒ぶる部下たちを引き連れながら、いかに人心掌握し戦場を乗り切ったかという自慢話だが、その中にこんな一文があったのだ。
「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである」
おそらく当時、中曽根は後に慰安婦が問題になるなんてまったく想像していなかったのだろう。その重大性に気づかず、自慢話として得々と「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と書いていたのだ。(リンク記事)
リンク記事では、さらに防衛研究所の戦史研究センターに保存されている当時の資料にあたり、中曽根氏の証言を裏づける内容を発見している。
すなわち、
「主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘」「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」という記載。それを裏付ける地図。中曽根元首相が自分で手記に書いたこととぴったり符合(後略。リンク記事)
である。
たとえていうなら、オセロゲームでずべてのコマがひっくり返るようなインパクトがある事実でありスクープだ(土人という表現にも注意。反動右翼というのは往々にして差別主義者である。本質的に“ドジン”なのはどちらか?)。だが、変わらないのだろう。この哀れな祖国とその国民とは。
それにしても。こんな“とんでも元首相”ではあるが、現在の自民党の諸君の面々と比べればおおよそマトモな政治家であり人物だったという気さえする。言い換えると、劣化する一方なのである。
■蛇足を承知で隣国の件
こうして“劣勢”が窺えてくると、「ほかの国だってやっている」だの「戦争とはそういうもの」だのといった言い逃れが飛び出してくるのも反動右翼の特徴といえるだろう。
しかしそんなことはなにも右翼じゃなくても事実は事実として承知しているものではないのか?
たとえば韓国についてはどうだろう。写真家の桑原史成氏はいくつかの著作のなかで駐在(占領と同義あるいは親戚)米軍相手に春をひさぐ韓国人女性の姿を捉えた写真と文章とを発表している。また、おもに日本人による買春ツアーをめぐる背景のひとつとして以下のような記述がある。
外貨高の乏しい韓国では、商工部(日本の通産省に近い)の黙認で妓生の宴が「商品」として外国人(おもに日本人)の観光ルートに組み入れられた。(『韓国真情吐露』(大月書店)
また、韓国元大統領・金大中氏(リスペクト!)によるつぎの証言。
ドル稼ぎ、いや今は円稼ぎかも知れないが、こうした売春行為を韓国政府が奨励しているふしがある。(『新・貧困なる精神 携帯電話と立ち小便』〈本多勝一/講談社〉中の本多氏との対談)
いずれも現大統領のご父君が君臨していた時代の話(前者は1970年代、後者は1973年)であるあたりも皮肉だが……。
これは大韓民国という国家、そして韓国人たち自らが総括しなければならない問題である(“客”であった日本人自身あるいは米軍の問題としても重要)。そして、中曽根氏が証言したようなわが国の過去は、日本という国家と日本人そのものが事実を知り、認め、その後の進路を選ばなければならないということにもつながる。「やられた側」が抗議するのは当然のことだが、それに対して「ほかでもやっている(から自分もやっていい?)」などという言い逃れをするのであれば、それはおのれの馬鹿ぶりを喧伝していることにほかならないではないか。恥を知れといいたい(祖国の過去を先んじて総括するのはどちらになるだろうか?)。
それはそれとしても、インパクトのあるスクープである。リンク記事にもあるとおり、「土人女を集め」たという元主計長・中曽根康弘氏の国会喚問の実現を望みたい。
※おまけ:
自民党(元・自民党幹部であった弁護士・白川勝彦氏=リスペクト! によれは反動右翼)が、わが国における「ヘイトスピ−チ(憎悪表現)」が国際的に問題視されたのに便乗し、首相官邸前や国会周辺での抗議行動などの規制を目論みはじめたという(ここでいう抗議行動の類は、たとえば「憲法を改悪せよ!」といったものではなく、原発再稼働や平成版治安維持法などに対するアンチテーゼであることはいうまでもない。それにしても人種・民族・国籍差別と原発問題との区別がつかないとは、底抜けの◎◎揃いですね)。
以前、当ブログで「日本版天安門事件」がいずれ起こることを予言(クーデター雑感の巻)したが、ひょっとするとこれはその予兆なのかもしれない。
なんでも、次回作をめぐる発言のなかで声優の質についてふれ、それが一部ファンの反発を買っているらしい。いわく、「オタクだけが喜ぶ声はいらない」。
面白い発言だと思った。どうやら“萌え系”というのだろうか、若手声優たちの芝居の流行に対する“苦言”
でもあったようだが、熱心な声優ファンらを中心に、氏の発言はあまり受け入れられていないようだ。
モロに「ガンダム」世代だったオレだが、じつは最初から同作を見ていたワケではない。「ブッチャーVSガンダム」というのは当時なにかの媒体で目にしたような気もするけれど、ようは同じ時間帯に放映されていた「全日本プロレス中継」のほうを熱心に楽しんでいたからだ。それが、たまたまプロレス中継が休止になったときに「ガンダムとやらを見てみようか」とチャンネルを合わせてみたところ、「にゃるほど」と納得する面白さがあった。再放映で最初から見直し、かつ劇場版でも楽しんだが、にも拘わらずシリーズと化した「ガンダム」そのその後はほとんど知らない。言い換えれば、オレにとっての「ガンダム」は初代の「機動戦士ガンダム」でおしまい。同作がオンリーワンであり、それで十分なのであった。
したがって、富野氏いわくの「オタクだけが喜ぶ声」については、「ガンダム」そのものとしてはわからない。だが、これが面白い発言だと思ったのは、自分自身が感じてきたつぎのことからによる。
「近ごろの声優は、芝居がすべからく『ガンダム』になってしまってはいまいか?」
ようは、作品や登場人物とあまりにも乖離した芝居の横行。(大好きな)「ガンダム」と仕事としての芝居との区別がついていない。とくに吹き替えに顕著のように思うのだが、「この声優、アニメ(より狭義には最近の~)以外の訓練をしているのだろうか?」と思うこともしばしば。声と画面、作品と芝居とがまったく合っていないのだ。これはまぁ「ガンダム」ではないが、小学生か中学生か、そんな女の子の役なのに、声だけを聞いていると金髪のダイナマイトボディが目に浮かぶような声と芝居に仰天したこともあった。「声なんて生まれもったものだから」と思うかもしれないが、そういうレベルの話ではなく、芝居者自身の自覚と訓練の問題であろう(もっとも、こうした傾向は声優だけの話ではないが)。
などと思っていたところの富野発言。以前、アニメ脚本の大家が、オレとの立ち話で「脚本家が育っていない」と嘆いておられたが、富野氏の心中もそれに近い危機感があるのかもしれない。
このアニメ(広義にはマンガ)界の問題。じつはそれ以外の世界で“大問題”として充満しているのではないかと近ごろ考えるようになった。
だいぶ前の話になるが、カウンター式の食堂で昼食をとっていたところ、厨房の主任だかなんだかと部下との間でささやかな衝突があった。なにが原因かはさっぱり覚えてないが、当時「アホか」と呆れ返りつつ覚えているのはつぎのくだりである。
部下「(なにやら言い返したあとで)チーフ」
主任「そうだ。オレがチーフだ」
コレ、そのころ連載だかなんだかしていたマンガ(なんの作品かは覚えてないが)のセリフそのまんま。まぁ、偶然かもしれないが、タイミングといい絶妙の技であった。
それからだいぶたったある日。タマタマ仕事で同行した男と編集担当と3人で食堂に入ったのはいいとして、
「(無事に取材も終わったし)軽く一杯やりましょうか」
との編集担当の提案を受けたその男、
「あとワインもお願いします。われわれに払えるもので」
と言ってのけた。
コレ、「美味しんぼ」のなかで、高級レストランにカノジョをデートに連れて行きたいだなかんだかの相談だか世話焼きだかなんだの場面で山岡がしゃべったセリフと一緒。断っておくけれど、ごくフツーの食堂ですよ、ココ。庶民が家族連れで行くような。葡萄酒なども置いてあるパスタ&ピザの店の類でのできごとである。
内心「ウゲッ」とさせられつつ、悪いけれど「ホンマモンのバカかコイツ?」と、一緒にいてたいへん恥ずかしい思いをさせられMASITA。
だが、こんなのはムナクソが悪いだけでなんら害はない。それよりも政治の世界にこうした「アニメ化・マンガ化」が充満してはいまいか? 本題かここからである(前置きを長々すみません)。
そうしたフィクションでは、たとえば新たな指導者(リーダーや上司などでもいいが、多くの場合は主役ないし主役格)が就任するやいなや威勢よく“敵役”というか内部の謀反者の類の粛清に乗り出したり、脅しをかけたりという場面は枚挙にいとまがない。見るほうとしては、それまで小悪を重ねてきた面々が締め上げられるのだからちょっとした溜飲も下がろうというものだ。だが、なにげにリアルな政界を見渡してみれば、その手の人物やその所業がやたらと目立つようになってきてはいないだろうか。
西のほうの弁護士崩れなどはその格好の例ではないかと考えているけれど、現政権の暴虐の数々にだってその根っこに似たような感覚がくすぶっているような気がしてならない(その好戦ぶりなど最たる現象である。ああいうのを「平和ボケ」というのだ、本当は)。だが、アニメやマンガ、ドラマのできごとというのはフィクションだからこそ溜飲を下げられるのではないか。そんなものをそのまま現実の世界でやられたのではたまったものではない。
バーチャルの錯誤。現実のはき違え。わが国において欠けつつあるのは思慮というものだろうか。
*Link:韓国、ベトナム派兵決定の国会審議 安倍政権「閣議決定」と共通
リンク記事は「しんぶん赤旗」7月22日づけである。記事中では「アメリカ合州国からの要請」を受け、自国となんら関係のない戦場への派兵を「自国の安全保障」とウソぶいた点や、その決定に至る“やり口”にみられる両者の共通点を指摘している。もっとも、当時の冷戦下にあって、現にソビエト連邦の傀儡軍として設立された軍隊をもって北朝鮮が南進をした事実などを勘案すれば、記事に触れられている「共産主義の脅威」云々という部分に若干のエクスキューズがないとはいわない。言い換えると、まだしも朴正煕政権のほうが安倍政権と比べて言い訳の類が可能だったともいえる。
さて、どういう事情からか戦争に巻き込まれたくてタマラナイ(まさか金日成のように率先して起こそうとまでは考えていないと思いたいが)ニッポンの現政権だが、せっかく先人である朴正煕政権が実例を遺してくださったのだ。韓国の、それも民衆にとってのベトナム派兵とはどういうものだったのか、そのひとつの証言を紹介したいと思う。
漢江の南岸、銅雀洞の丘陵には朝鮮戦争で戦死した将兵たちの眠る広大な国軍墓地がある。ベトナム戦争での戦死者にも、この墓地の一隅にスペースが用意されていた。10月中旬までは、ひとつの墓標もなかった緑地に月の終わり頃から一本ずつ建ちはじめた。(『報道写真家』桑原史成著・岩波新書)
ベトナムに送られた韓国軍は、一説には圧倒的な戦績を挙げたといわれている。その“戦績”は、すなわち本来は自国となんら関係のないベトナム人に対する殺戮であり、かつ女性に対する人権蹂躙の事実も浮き彫りにされてきた。当時のベトナムにおける彼らが背負った悪評について、桑原氏も証言している。が、ここではそれらの件については言及しない。自国の墓地に、他国のための戦争に送られた自国民の墓標が建つ。それも時間・時代を追うごとに確実にその数を増やしてゆく。まずは、そこにこそ自覚を持つべきだと思うからだ。
引用した桑原氏の著作によれば、ベトナム戦争における韓国兵の死者は3844人、リンクした「赤旗」の記事では約4700人という数字が示されてる。
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