ネット検索をしていたところ、富野由悠季氏の名前が目にとまった。いうまでもなく「ガンダム」シリーズの生みの親である。
なんでも、次回作をめぐる発言のなかで声優の質についてふれ、それが一部ファンの反発を買っているらしい。いわく、「オタクだけが喜ぶ声はいらない」。
面白い発言だと思った。どうやら“萌え系”というのだろうか、若手声優たちの芝居の流行に対する“苦言”
でもあったようだが、熱心な声優ファンらを中心に、氏の発言はあまり受け入れられていないようだ。
モロに「ガンダム」世代だったオレだが、じつは最初から同作を見ていたワケではない。「ブッチャーVSガンダム」というのは当時なにかの媒体で目にしたような気もするけれど、ようは同じ時間帯に放映されていた「全日本プロレス中継」のほうを熱心に楽しんでいたからだ。それが、たまたまプロレス中継が休止になったときに「ガンダムとやらを見てみようか」とチャンネルを合わせてみたところ、「にゃるほど」と納得する面白さがあった。再放映で最初から見直し、かつ劇場版でも楽しんだが、にも拘わらずシリーズと化した「ガンダム」そのその後はほとんど知らない。言い換えれば、オレにとっての「ガンダム」は初代の「機動戦士ガンダム」でおしまい。同作がオンリーワンであり、それで十分なのであった。
したがって、富野氏いわくの「オタクだけが喜ぶ声」については、「ガンダム」そのものとしてはわからない。だが、これが面白い発言だと思ったのは、自分自身が感じてきたつぎのことからによる。
「近ごろの声優は、芝居がすべからく『ガンダム』になってしまってはいまいか?」
ようは、作品や登場人物とあまりにも乖離した芝居の横行。(大好きな)「ガンダム」と仕事としての芝居との区別がついていない。とくに吹き替えに顕著のように思うのだが、「この声優、アニメ(より狭義には最近の~)以外の訓練をしているのだろうか?」と思うこともしばしば。声と画面、作品と芝居とがまったく合っていないのだ。これはまぁ「ガンダム」ではないが、小学生か中学生か、そんな女の子の役なのに、声だけを聞いていると金髪のダイナマイトボディが目に浮かぶような声と芝居に仰天したこともあった。「声なんて生まれもったものだから」と思うかもしれないが、そういうレベルの話ではなく、芝居者自身の自覚と訓練の問題であろう(もっとも、こうした傾向は声優だけの話ではないが)。
などと思っていたところの富野発言。以前、アニメ脚本の大家が、オレとの立ち話で「脚本家が育っていない」と嘆いておられたが、富野氏の心中もそれに近い危機感があるのかもしれない。
このアニメ(広義にはマンガ)界の問題。じつはそれ以外の世界で“大問題”として充満しているのではないかと近ごろ考えるようになった。
だいぶ前の話になるが、カウンター式の食堂で昼食をとっていたところ、厨房の主任だかなんだかと部下との間でささやかな衝突があった。なにが原因かはさっぱり覚えてないが、当時「アホか」と呆れ返りつつ覚えているのはつぎのくだりである。
部下「(なにやら言い返したあとで)チーフ」
主任「そうだ。オレがチーフだ」
コレ、そのころ連載だかなんだかしていたマンガ(なんの作品かは覚えてないが)のセリフそのまんま。まぁ、偶然かもしれないが、タイミングといい絶妙の技であった。
それからだいぶたったある日。タマタマ仕事で同行した男と編集担当と3人で食堂に入ったのはいいとして、
「(無事に取材も終わったし)軽く一杯やりましょうか」
との編集担当の提案を受けたその男、
「あとワインもお願いします。われわれに払えるもので」
と言ってのけた。
コレ、「美味しんぼ」のなかで、高級レストランにカノジョをデートに連れて行きたいだなかんだかの相談だか世話焼きだかなんだの場面で山岡がしゃべったセリフと一緒。断っておくけれど、ごくフツーの食堂ですよ、ココ。庶民が家族連れで行くような。葡萄酒なども置いてあるパスタ&ピザの店の類でのできごとである。
内心「ウゲッ」とさせられつつ、悪いけれど「ホンマモンのバカかコイツ?」と、一緒にいてたいへん恥ずかしい思いをさせられMASITA。
だが、こんなのはムナクソが悪いだけでなんら害はない。それよりも政治の世界にこうした「アニメ化・マンガ化」が充満してはいまいか? 本題かここからである(前置きを長々すみません)。
そうしたフィクションでは、たとえば新たな指導者(リーダーや上司などでもいいが、多くの場合は主役ないし主役格)が就任するやいなや威勢よく“敵役”というか内部の謀反者の類の粛清に乗り出したり、脅しをかけたりという場面は枚挙にいとまがない。見るほうとしては、それまで小悪を重ねてきた面々が締め上げられるのだからちょっとした溜飲も下がろうというものだ。だが、なにげにリアルな政界を見渡してみれば、その手の人物やその所業がやたらと目立つようになってきてはいないだろうか。
西のほうの弁護士崩れなどはその格好の例ではないかと考えているけれど、現政権の暴虐の数々にだってその根っこに似たような感覚がくすぶっているような気がしてならない(その好戦ぶりなど最たる現象である。ああいうのを「平和ボケ」というのだ、本当は)。だが、アニメやマンガ、ドラマのできごとというのはフィクションだからこそ溜飲を下げられるのではないか。そんなものをそのまま現実の世界でやられたのではたまったものではない。
バーチャルの錯誤。現実のはき違え。わが国において欠けつつあるのは思慮というものだろうか。
なんでも、次回作をめぐる発言のなかで声優の質についてふれ、それが一部ファンの反発を買っているらしい。いわく、「オタクだけが喜ぶ声はいらない」。
面白い発言だと思った。どうやら“萌え系”というのだろうか、若手声優たちの芝居の流行に対する“苦言”
でもあったようだが、熱心な声優ファンらを中心に、氏の発言はあまり受け入れられていないようだ。
モロに「ガンダム」世代だったオレだが、じつは最初から同作を見ていたワケではない。「ブッチャーVSガンダム」というのは当時なにかの媒体で目にしたような気もするけれど、ようは同じ時間帯に放映されていた「全日本プロレス中継」のほうを熱心に楽しんでいたからだ。それが、たまたまプロレス中継が休止になったときに「ガンダムとやらを見てみようか」とチャンネルを合わせてみたところ、「にゃるほど」と納得する面白さがあった。再放映で最初から見直し、かつ劇場版でも楽しんだが、にも拘わらずシリーズと化した「ガンダム」そのその後はほとんど知らない。言い換えれば、オレにとっての「ガンダム」は初代の「機動戦士ガンダム」でおしまい。同作がオンリーワンであり、それで十分なのであった。
したがって、富野氏いわくの「オタクだけが喜ぶ声」については、「ガンダム」そのものとしてはわからない。だが、これが面白い発言だと思ったのは、自分自身が感じてきたつぎのことからによる。
「近ごろの声優は、芝居がすべからく『ガンダム』になってしまってはいまいか?」
ようは、作品や登場人物とあまりにも乖離した芝居の横行。(大好きな)「ガンダム」と仕事としての芝居との区別がついていない。とくに吹き替えに顕著のように思うのだが、「この声優、アニメ(より狭義には最近の~)以外の訓練をしているのだろうか?」と思うこともしばしば。声と画面、作品と芝居とがまったく合っていないのだ。これはまぁ「ガンダム」ではないが、小学生か中学生か、そんな女の子の役なのに、声だけを聞いていると金髪のダイナマイトボディが目に浮かぶような声と芝居に仰天したこともあった。「声なんて生まれもったものだから」と思うかもしれないが、そういうレベルの話ではなく、芝居者自身の自覚と訓練の問題であろう(もっとも、こうした傾向は声優だけの話ではないが)。
などと思っていたところの富野発言。以前、アニメ脚本の大家が、オレとの立ち話で「脚本家が育っていない」と嘆いておられたが、富野氏の心中もそれに近い危機感があるのかもしれない。
このアニメ(広義にはマンガ)界の問題。じつはそれ以外の世界で“大問題”として充満しているのではないかと近ごろ考えるようになった。
だいぶ前の話になるが、カウンター式の食堂で昼食をとっていたところ、厨房の主任だかなんだかと部下との間でささやかな衝突があった。なにが原因かはさっぱり覚えてないが、当時「アホか」と呆れ返りつつ覚えているのはつぎのくだりである。
部下「(なにやら言い返したあとで)チーフ」
主任「そうだ。オレがチーフだ」
コレ、そのころ連載だかなんだかしていたマンガ(なんの作品かは覚えてないが)のセリフそのまんま。まぁ、偶然かもしれないが、タイミングといい絶妙の技であった。
それからだいぶたったある日。タマタマ仕事で同行した男と編集担当と3人で食堂に入ったのはいいとして、
「(無事に取材も終わったし)軽く一杯やりましょうか」
との編集担当の提案を受けたその男、
「あとワインもお願いします。われわれに払えるもので」
と言ってのけた。
コレ、「美味しんぼ」のなかで、高級レストランにカノジョをデートに連れて行きたいだなかんだかの相談だか世話焼きだかなんだの場面で山岡がしゃべったセリフと一緒。断っておくけれど、ごくフツーの食堂ですよ、ココ。庶民が家族連れで行くような。葡萄酒なども置いてあるパスタ&ピザの店の類でのできごとである。
内心「ウゲッ」とさせられつつ、悪いけれど「ホンマモンのバカかコイツ?」と、一緒にいてたいへん恥ずかしい思いをさせられMASITA。
だが、こんなのはムナクソが悪いだけでなんら害はない。それよりも政治の世界にこうした「アニメ化・マンガ化」が充満してはいまいか? 本題かここからである(前置きを長々すみません)。
そうしたフィクションでは、たとえば新たな指導者(リーダーや上司などでもいいが、多くの場合は主役ないし主役格)が就任するやいなや威勢よく“敵役”というか内部の謀反者の類の粛清に乗り出したり、脅しをかけたりという場面は枚挙にいとまがない。見るほうとしては、それまで小悪を重ねてきた面々が締め上げられるのだからちょっとした溜飲も下がろうというものだ。だが、なにげにリアルな政界を見渡してみれば、その手の人物やその所業がやたらと目立つようになってきてはいないだろうか。
西のほうの弁護士崩れなどはその格好の例ではないかと考えているけれど、現政権の暴虐の数々にだってその根っこに似たような感覚がくすぶっているような気がしてならない(その好戦ぶりなど最たる現象である。ああいうのを「平和ボケ」というのだ、本当は)。だが、アニメやマンガ、ドラマのできごとというのはフィクションだからこそ溜飲を下げられるのではないか。そんなものをそのまま現実の世界でやられたのではたまったものではない。
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ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
なお、トラックバックおよび「コメント」は受けつけない設定にしております(当面はBBSへどうぞ!)。
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