*Link:佐村河内問題において法律では罰せられない”最大の罪“とは何か- messy
佐村河内守氏にからむできごとについてのエッセイである。ハートのあるいい記事で、自分なりにも考えさせられるところがあった。
さしあたりはリンク記事をお読みいただきたいが、ひとつ驚いたことがあったので、今日は前回の「追記」として、そのあたりに触れてみたいと思う。
リンク記事中で、筆者は「佐村河内プロフィール」について触れ、そこで自らが覚えた怒りや嫌悪感、そしてその根源について記している。大いに同感できることで、ぜひとも渦中にある佐村河内氏ご自身にも読んでいただきたいと思う。
さて、オレが「驚いた」のは、じつはその「佐村河内プロフィール」そのものについてである。
上記リンク記事にもあるが、佐村河内氏の公式サイトには、つぎのように紹介されている。
<被爆者を両親として広島に生まれる。4歳から母親よりピアノの英才教育を受け、
10歳でベートーヴェンやバッハを弾きこなし「もう教えることはない」と母親から告げられ、
以降、作曲家を志望。中高生時代は音楽求道に邁進し、楽式論、和声法、対位法、
楽器法、管弦楽法などを独学。17歳のとき、原因不明の偏頭痛や聴覚障害を発症。
高校卒業後は、現代音楽の作曲法を嫌って音楽大学には進まず、独学で作曲を学ぶ。
(中略)
2000年、それまでに書き上げた12番までの交響曲を全て破棄し、
全聾以降あえて一から新たに交響曲の作曲を開始。
同年から障害児のための施設にてボランティアでピアノを教える。
この施設の女児の一人は、交響曲第1番の作曲にあたり佐村河内に霊感を与え、
この作品の被献呈者となった。2003年秋、『交響曲第1番《HIROSHIMA》』を完成。
(佐村河内守氏公式サイトより引用──上記リンク中にリンクあり)>
うかつにも──というより、単に興味がなかっただけだが──氏のサイトにアクセスするという発想がなかったためもあり、具体的に氏の経歴をみたのは今日がはじめてであった。ここで「うかつにも」と記したのは、仮にこれをもっと早く目にしていたら、まずはここでその事実性を疑った可能性が高かったということである。
前回も記したとおり、NHK(ブラック公共放送局)のドキュメンタリー番組は偶然みていて、そのなかで紹介されていた対位法的楽曲の作曲法について違和感を覚えた。仮にその直後にでもこの経歴を目にしていたら、作曲法への違和感とともに、ある種の疑いを抱いたに違いない。
もっとも、それは「作曲にあたってなんらかの助っ人がいるかもしれない」というレベルで、騙られていることのすべてを疑うという意味ではない。だが、「(いかに耳が不自由だとはいえ、いやむしろそれだからこそ)このひとの作曲法には不自然なところがある」という疑念は前提としてある。
たとえば(リンク記事にも類似の所感が示されているが)、そもそもが「ベートーヴェンやバッハを弾きこなし」たから「もう教えることはない」ってのが大爆笑モノのおたわむれ。こんなものを鵜呑みにするほうがどうかしている。いうなれば、路上画家・其風画白[伯]がのたまった「注射のやり方を習った→病院の院長になる」と同レベルのギャグにすぎない(『人生解毒波止場』根本敬・著)。また、音大=「現代音楽の作曲法」というのも理解不能な話ではある。
もちろん、作曲や作曲法を独自に習得することは不可能ではないし、そこまでを否定しようとは思わない。経歴によればロックミュージシャンを目指していたころもあったというし、人一倍音楽が好きで、その道に憧れていたのではあろう(しかし繰り返すが、「和声」や「対位法」を独学であろうと学んだのであれば、NHKで紹介されたような作曲法とは直結しがたいのではないか?)。
結局のところ、「耳が聞こえない」だのといったハンディキャップを「商品」にして飛びついた大衆の愚かしさこそが問題だという持論にはなんら変わりはない(商品にしたのは、供給側ばかりではないのだ)。
いうまでもなく詐欺はだますほうが悪いに決まっているが、(一連のできごとが詐欺かどうかはともかく)このテのできごとをみるにつけ、飛びつくほうもまた愚かなのだという思いをいっそう強くした次第。
前回記したが、いまいちど問いかけてみたい。
こうしたハンディキャップを持つ演奏家のCD(あるいはDVDやライブ)。はたしておカネを払うひとは、どの部分に対しての対価だと思っているのだろうか。
さて、前回の記事で佐村河内氏論評のダシに使わせてもらった「イザヤベンダサン」の経歴をみてみよう。『日本人とユダヤ人』の原本が行方不明なので、前回同様に『にせユダヤ人と日本人』(浅見定雄・著)から引用する。
<イザヤ・ベンダサン氏はまだ公衆の前に顔を見せていないけれども、彼は──とその本を出した山本七平氏主張している──神戸という港町で生まれた。彼の両親はもちろんユダヤ人で、エストニアからの亡命者だった。第二次大戦の勃発前に一家はみなアメリカへ移住した。青年イザヤは、戦争中陸軍の諜報活動に従事し、一九四五年日本へ戻り、数年後にはイスラエル独立戦争で戦い、そして再び一九五〇年に日本へ戻って来て五年間暮らした。一九五五年に彼は特許ブローカーとして日本とイスラエルと合衆国との間を往き来するようになり、インディアナ州のテリ・ホートで幸福に暮らしている。>
(151ページ。英語新聞上の『日本人とユダヤ人』書評・BJシュラクター)
いまひとつ、同じ“作曲家”の肩書きを持っていたあの麻原彰晃のプロフィールもおつけしましょう。
<仏教・ヨーガの修行に取り組むこと約八年。一九八六年ヒマラヤにて最終解脱を果たす。その後も厳しい大乗の修行を続け、多くの弟子を指導し三五〇人以上を解脱へと導く。麻原尊師の瞑想ステージは、チベット仏教の成就者から「イェシェ」(最高の智慧を得た段階、完全なる絶対なる神の叡智)のステージであると称えられたのをはじめとして、インド・スリランカ・ブータン等伝統的な仏教国の聖者方に絶賛される。瞑想によって得た神秘力と解脱者の叡智によって、宗教のみならず科学・医学・音楽・文筆・翻訳・教育等において専門家以上の力を発揮し、危機の時代の新たな宗教家として内外から注目を集める。(以下略)>
(『シンセ音楽をたのしもう 最聖麻原彰晃尊師のベスト26』オウム出版)
しかし、いまや麻原のそんな“経歴”を真に受けるのは熱心な信者ぐらいなものだろうし、佐村河内氏についても事実が明らかになるに違いない。ところが、ウソとペテンで塗り固めたような男・イザヤベンダサンについては、案外いまだその著作内容を含めて疑いのカケラも持っていない知識人の類が少なくないかもしれない。じつは、そっちのほうがよほど問題なのだが・・・。
*注:あの「しょ~こ~しょ~こ~」を含め、麻原死刑囚の作詞・作曲作品は多いが、実際に本人がつくったと思うひとはごくごく限られていただろう。しかも、「編曲者」としてウルベーラカッサパだのタントラギータだのといった「弟子」の名が明記されている。この点では佐村河内氏よりもいさぎよかったということか?
夕方。NHKニュースをみるともなしにみて驚いた。
来る21日投票の参議院選挙についての報道。
「(衆参国会の)ねじれ問題が争点です」
だってさ。それも冒頭にいきなりだから、これこそが最大の争点だと言いたいのであろう。危うくひっくり返るところだった。
「ねじれ」状態がどうなるのかはたしかに関心事のひとつかもしれないが、自民党やら維新とやらがこぞってぶち上げている改憲問題はどうなのか? 「ねじれ」をトップに挙げ、かつ「争点です」と解説した以上、NHKにとってはこれこそが与党やらその分派が熱意をあげてやまない改憲問題よりも上位にあるべき「争点」だと解釈しているとみられる。自民党らはNHKに対し抗議のひとつでもしなければウソである。自分たちのもっとも主張したいところがないがしろ(あるいは二の次)にされたのだからね。
そして経済。アベのおぼっちゃんがイイ気になっているけれど、その是非を問うことすら「ねじれ」の下位にあるというというのだろうか。雇用問題はどうか? 社会保障は? 近隣諸国との関係改善はどうなる?
不思議なのだ。いちおう新聞には目を通しているし、ネット配信のニュースも日々チェックしている。そこで得られる情報がごく一部であり一面であることはいうまでもないが(ヤフーのヘッドラインには、NHKと同様の見出しがみられた)、おきおりこうしてテレビニュースをみると、自分が浦島太郎になったかのような気にさせられてしまうのである。日々のニュースを、ごくかぎられた範疇とはいえチェックし、自分なりにそれぞれの重要度や視点・論点を反芻しているハズなのだが、それとまったく異なる“重要ニュース”がこうして飛び出してくるからだ。
おそらく、日々NHK(民放も大同小異だろうが)ニュースに頼っている人々にとっては、改憲問題など自分たち(有権者)の与り知らぬできごとであり、中国は日々わが国の主権を侵す危険国家であり(まぁ、あの国の政府に対してはオレ自身も言いたいことはあるが)、乱高下を続ける株式相場のその原因はなにかにつけて簡単に片づけられていることになる(だいたいが、「●●を受けて買い注文が殺到し、そのため」などと冒頭の一文に持ってくるあたりがセオリーに反しているし、そこで語られる「そのため」が本当に「そのため」なのかどうかは専門家でも判断しきれない部分があるのではないのか? それでいて、証券担保金融やFXなどにみられる証拠金──簡単にいえば他人のカネでバクチを打つようなもの。最低の下衆である──ビジネスの影響などには、目を向けることが原則としてないのだ)。そんなセンスの延長線上に、こうしたあからさまな目くらましが飛び出してくる。
まぁ、来るべき破滅の責任を、こうしたマスコミにのみ背負わせようなどとはこれっぽちも思っていないが、反省なき連中をバカを呼ぶことになんらためらいはないし、もっといえば哀れに思う。
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