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猫池罵詈雑言雑記帳
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 時事通信社ほかの報道によれば、NHKが脱原発について語ろうとした出演者に内容の変更を求めたという。
*LINK:NHK、脱原発テーマに難色=大学教授がラジオ番組降板(時事通信)

<NHKラジオ第1放送の番組に出演予定だった東洋大の中北徹教授(62)が「原発事故のリスクをゼロにできるのは原発を止めること」などと話す意向を事前に伝えたところ、担当ディレクターから「東京都知事選の期間中はやめてほしい」と難色を示され、テーマの変更を求められていたことが30日、同教授への取材で分かった。中北教授は同日朝の出演を拒否し、番組を降板したという。>(リンク記事)

 リンク記事によれば、中北氏は経済学者としての観点からこのテーマを扱う予定だったようで、
<原発の稼働コストが上昇し、石炭や石油による発電コストと差が縮小しているほか、事故の発生確率を減らしても、1件当たりの損害額が巨額になる点を経済学者の観点から話す>(リンク記事)と担当ディレクターに伝えていたという(氏の指摘はまるっきり事実ではないか!)。
 ところが、NHK側は都知事選が同じテーマで争われている部分があることを口実に、テーマの変更を求めたというのである。

 リンク記事にもあるように、(テレビや新聞など公共性の強いメディアにおいては)<意見が対立する問題を扱う場合、双方の意見を伝えるなど公平性を確保する>ことは大切であろう。ではさて、とうのNHK自身のそれはどうなのか? たとえば、ここ1~2週間のあいだにみた番組だと思うが(日にちは失念)、冒頭でこんな類のことを述べていた(抄録)。

「核兵器開発を放棄し、技術を原発という平和利用に転用」

 これは、核開発が試みられているというイランの問題を扱ったコーナーでの話である。「冒頭で」と記したが、新聞や雑誌に置き換えれば「リード」ないし「中見出し」にあたる部分の文言だ。
 いうまでもなく、イランの核疑惑をめぐっては、大規模戦争発展への可能性をはらむなど、国際社会の懸案事項のひとつである。ところが、それがNHKの手にかかると、まんまと原発推進に利用されてしまうのだからおそろしい。そりゃぁ、核爆弾よりは原発のほうがマシという考え方もないではないが、それを「平和利用」と強調することによって、その是非で対立している原発問題の「是」すなわち「推進側」のバックアップを問わず語りに果たしているのである。NHKは原発推進の立場にあります。それもあからさまに。

 直接的な報道や政治番組などでも基本は同じ。タテマエ上は対立軸とともに「両論併記」しているけれども、それすらも巧妙に細工されていることはいまさら指摘するまでもないだろう。たとえば、弁護士・白川勝彦氏によるつぎの指摘はどうか。
*LINK:永田町徒然草・いい加減にせい、NHK。

<私は当然に、都知事選のニュースから始まると思っていたが、最初はマー君の話。次が、朝鮮総連本部の競売の話。3番目は、寒さの話。4番目が、富士山の愛好者の話。そして、5番目にようやく、都知事選のニュースだ。>(リンク記事)

 そうなのである。断言してもいいが、ほとんどのニュース構成でこうした操作がなされている。
 それにしても出演者の発言にイチャモンをつけてまで都知事選に対する「公平性」とやらを保つフリをしようとしたとうのNHKが、公示当夜に「5番目」扱いとはね。

 しかし笑いごとではない。わがNHKは、北朝鮮ないし中国、もとい戦前ニッポンの体制翼賛御用メディアとしての正体をあからさましつつある。それも急速に。美しい国(そういや、「美しい国・ニッポン」的なおなぐさめ系スポット番組もあるな、この放送局)。豊かで自由で暮らしやすい国。(軍事的手段によらぬ)平和を推進する国。・・・すばらしい国・日本は、こうして崩壊しつつあるのだろうか。

*問題のラジオ番組「ラジオあさいちばん」は、「小泉改革ブーム」のさなかに内橋克人氏(経済学者)がその弊害を解説するなどの企画もあった(その当時のマスメディア上では稀有といっていい内容だった)が、それだけに今回のていたらくが危険な事実のように思えるのである。
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 とあるレストラン。
 アヤシゲなシェフがおススメする「ウマのクソ」と「ウシのクソ」。
 セールストークの違いはある。
 方や「経済性を追求し、科学的飼育法で育てた動物のクソです」
 方や「ウチのクソは科学薬品の類なんてもってのほか。そんなアブナイものは使っていません」
 まっ、どっちもクソであることには違いはないのだが、それらクソに殺到する客が大勢いるんだからィ世の中わからない。中毒したければ勝手にしてくれ。

 話かわりますけど。
 ここ数年に定着した流行語に「ブラック企業」というのがある。実際やレベルはさまざまなようだが、かくいうオレ自身がサラリーマン時代を送った企業がそうだとは思っていないけれど、少なくとも賃金制度のうちある部分については「ブラック」の要件を満たしていた可能性はある。
「ブラック企業」というフレーズが定着した副産物として、そうした企業側の横暴(というより明確な法規違反であるケースも多いのだろうが)に対し疑問を呈する風潮もいくらかでてきたかもしれない。しかし、大勢としてはどうだろうか。大方がわかってはいても我慢せざるをえないのではないか? いや、それならまだしも、むしろ「ブラック企業」に賛意を持ち、嬉々として奉仕しつつ「ブラックと戦う」という風潮やひとびとに対し悪意すら抱いているひとが少なくないような気がしないでもない。自分自身が搾取されているのを知ってか知らずかだが……。

 そうしたひとびと(実際に複数に会っている)の話を聞きながら、「このヒトたちは、ある意味では底抜けに善良なのかもしれないなァ」などと思ったりもしたものだが、同時にアタマをよぎったのが北朝鮮のひとびとである。もとより、北朝鮮云々というのは、ごくかぎられたルポルタージュや報道などからの見聞にすぎないけれど、ごく大雑把にいえば、「自らが搾取され人権すら奪われているにも拘らず権力に従順なひとびと
」という一面をさす。
 北朝鮮当局については、さまざまな報告もあり、いまやその「ブラック」ぶりは国際的に広く知られている。しかし、そんな「ブラック国家」にあって住民らによる反乱の類もほとんどなく(闇に葬られて報じられる以前という可能性もあるが)、その多くはおとなしく国家のいうがままに従っているとも伝えられている。

 北朝鮮の実態については、いうまでもなくいまだわからない部分も多い。ではわが国・ニッポンはどうか。
「ブラック企業」もそうだが、いまや(?)国家そのものが「ブラック」化への一途を辿ってはいまいか? 言論や報道に対する抑圧。現在目論まれている「共謀罪」がまんまと成立すれば、冗談でなしに北朝鮮型の社会への門を開けることになるだろう。
 そして一方的に庶民をターゲットにした増税等の負担増。いや、産業の根幹だっていつ外国の大企業群のほしいがままにさせるとも限らない状況にある。それを甘んじて……ならばまだしも、嬉々として受け入れんとするニッポンジン。
 あるいはレイシズム(一部に「人種差別」という言葉があてられているが、近隣諸国のひとびとの大半は日本人と同人種であり、この場合は「民族差別」とあてるのが正しい)を半ば(?)肯定し、あるいは自らが率先するような連中を政治の場に送り込んで嬉々とするニッポンジン。
 いまやわが国ニッポンは、「ブラック国家」への道を邁進しているのである。
 北朝鮮のパロディをみるがごとしだが、著しく自由が抑圧されている北朝鮮(あるいは中国もか)に対し、わが国のそれは比較しようもないほどに自由である。にも拘らずではあるが、ということはその実態は北朝鮮におけるそれよりも深刻だという見方も可能であろう。

 日本という国やその文化はすばらしいし愛着もまたひとしおだが(なにしろ祖国だ!)、国家の一員としてのニッポンンジンであることが、このごろは心底恥ずかしい。

 そんなことをつらつら考えていたところ、藤原新也氏がつぎの記事をアップしていた。

shinya talk
「福島からさらに東京へとはびこる鈍感サバイバルへの覚え書き(Cat Walkより転載)。」

<マスクをしていてさえ、白い眼で見られるというから福島の多く人々はこの3年の原発問題の中でその精神が屈折し、安全よりも鈍感を選ぶことが(精神衛生的)サバイバルとなっているのかとさえ思える、そういう不可思議な住民感覚が生まれているのである。>(リンク記事)

 この「鈍感」については、いずれあらためてみたいと思うが、藤原氏のこの報告に戦慄を覚えざるをえなかった。あるいは、この「安全よりも鈍感を選ぶ」あるいは選ばざるをえないことこそが、北朝鮮化(太平洋戦争前夜の日本と言い換えてもいいが、ようは「ブラック国家化」)への第一歩なのかもしれない。

「積極的平和主義」
「そのための国際貢献、外交を展開する」
「革命的大事変を主導的に迎える」

 ご存知のとおり、上のふたつはわれらがアベ大先生のお言葉。一方、最下段は朝鮮戦争の首謀者の筆頭格であった金日成大首領のお言葉である。

 安倍政権をさして、「戦争する国づくり」を進めているといった論評が、おもに左側から発せられている。この政権がさまざまな意味で危険視すべき存在であることを疑うものではないが、しかしこれはいきすぎの見方であり、こうした論法では大衆のココロをつかみえいだろうぐらいに考えてきた。
 だが、昨年末からこれまでの政権の動きをみるに、「戦争」云々がけっして絵空事ではないとの見方に変えざるをえなくなった。まさか朝鮮戦争のときのような一斉攻撃から一気に開戦するとまでは思ってはいないが、突発的な小競り合いを含むなんらかの形で、他国との武力衝突という実績をまんまと演出する可能性があるような気がしてならない。アベ大先生の発言は、その現われであったと、のちに歴史に刻まれるかもしれない。われわれにとってはたまったものではないが。

 たとえば「朝鮮戦争 金日成とマッカーサーの陰謀」(萩原遼著・文春文庫)には、当時の北朝鮮側の姿勢を示す証言のひとつとしてつぎのようなくだりがある。

「まず、戦争には正義の戦争と不正義の戦争の二つがある、として(中略)つぎのようなスターリンの定義を引用する。

 正義の戦争──これは外来の攻撃と征服の企図から人民を守ろうとする目的をもった、略奪的でない、解放的な戦争であり(以下略。引用ここまで)」

「人民を守ろうとする目的」云々はいざしらず、金日成はそうして朝鮮戦争をしかけたし、アメリカ合州国はその建国以前からそのテの論理をふりかざして戦争(一方的虐殺を含む)を繰り返してきた。いまのわが国の指導者たちのアタマのなかにも「人民」(つまりわれわれ)云々はあるまい。

 断っておくが、現状の北朝鮮はもちろん、韓国政府および中国政府らがわが国に対し友好的な姿勢を示していとは言い難い部分はある(もっとも、わが国におけるそれと同様に、彼らもまた自国内の諸問題からの目くらましのために近隣国を使用しているともみているが)。しかしあえていえば、そんな連中にレベルを合わせてどうなる? むしろ平和かつ積極的な外交の手本を示すことこそが、真の先進国であり、リーダーシップとはいえないのだろうか。いささかキレイゴトかもしれないが。

 残念ながら、現政権はまだまだ安泰のようである。たとえば数々の増税や負担増を率先して、あるいは座しておとなしく受け入れる大衆。そんな現状と北朝鮮人民の世界を報告するいくつかのルポルタージュとが重なってみえてならない。
 せめて、「日本は祝福であった。この地か、あるいは世界のどこかで日本がなければならなかったのだ」(前掲書297ページ。アメリカ軍需産業のホンネを代弁した朝鮮戦争当時の米朝鮮前線司令長官の弁から、「朝鮮は~」を「日本は~」に差し替えて引用した)と歴史に語り継がれるザマにならないことを祈るばかりである。

      
 
自公タッグ政権の支持者諸兄にお訊きしたい。
 朝鮮民主主義人民共和国を民主主義国家だと考えるか否か?
 中華人民共和国を民主主義国家だと思うか否か?

 直接は関係のない外国の具体名を挙げるのは失礼きわまりない。ここに“たとえ”として使わせていただいた国と国民にあらかじめおわびしておきたい。もっとも、これは「大東亜戦争」敗戦前のわが国、すなわち日本と置き換えてもいいことではある。

 しかし、わが国の現政権(とその背後に暗躍する官僚・・・財界もか?)がいままさに突き進もうとしているは、まさにうえに挙げさせていただいた国のそれに相通ずる国づくりではないのか? 自由で豊かな日本。世界に誇れる経済大国であり平和国家の日本。これらをすべてないがしろにしようというのが自公タッグ政権だと思うのだが、そんな連中がやれ「民主主義」だのとほざくは、およそタチの悪い冗談としか思えない。
 わが国の善民たちは、どうしてそんな単純なことに気がつかないのだろう。一方で北朝鮮のような国にあり方については怒りを表わし、ときに“小バカ”にするクセに。

 政権の中枢にいるとある“有事●●ローゼ”が、自国民の言論による訴えを「テロ」扱い(「呼ばわり」よりも性質が悪い)したことが大きく取りざたされている。しかし思うのだが、とうの御仁のご高説に合わせるのであれば、秘密法案における先の衆議院での強行突破や、一両日中にも目まれているといわれる参議院での強行採決をさして「クーデター」と呼ぶにいささかのためらいもない。

 彼らは公約違反という詐欺も起こしてやまないが、これもまたきわめて「クーデター」的ではないか。

 政治は国や国民の姿を反映する。あまりに恥ずかしい。

 もはや思いつくのは「分離」というそのひとことである。


「どうでもいいや」とばかりにブログ更新を半ば放棄していたのが、ここのところ復活したのにはワケがある。ひとことでいえば、明日の参院選がわが国の今後の行き方を示す峠だと考えざるをえないからである。手にすべきは(われわれ一般庶民にとっての)地獄への切符か? どうやらその可能性が高いらしいことがマスコミによってこれでもかと喧伝されているけれど、まだその切符を押しつけられたワケではない。迂回する手段はあり、それによって誤った切符を無効にすることだって可能なのだ。

 たとえば「NEWSポストセブン」が配信したつぎの記事のなかにもそのヒントが示唆されている。
※<a href="http://news.infoseek.co.jp/Councilor2013/article/postseven_201069" target="_blank">「参院選 国会のねじれ解消は旧来の自民党政治への回帰を意味」</a>
(HTMLソースが正常に反映されなくなってしまいました。リンク記事につきましては、当該URLをコピ&ペーストのうえご覧ください。)


 いわく、「政権の暴走を止めるストッパー役」だ。テレビを中心とする体制迎合派が合唱している「ねじれ解消」というのは、簡単にいえばこの「ストッパー役」を放棄するということである。いや、たとえ
“彼ら”の目論みどおりに「ねじれ」とやらが「解消」したとしても、まだあきらめてはならないのだが。

「ねじれ」が「解消」すれば、国会は滞りなく仕事が進むだろう。だが、大切なのはものごとを素早く決めることではなく、その決めるべき「ものごと」がどれだけ国民のためになるのかということではないのか。自創タッグ軍にとっての「ものごと」がどのようなものなのかということについては、このブログでも触れてきたが、上のリンク記事でもかいつまんで取り上げられている。

 つまり『まず、「庶民から奪い、企業に還元する」政治が始まる。』。
 そのココロは『住民税の課税対象を低所得者に拡大する。来年4月には消費税率が8%に引き上げられ、70歳から74歳までの医療費窓口負担も1割から2割に倍増する。そうやって庶民から吸い上げたカネを、公約で明記した「法人税減税」で大企業に還元するのだ。』である。
 ここで注目しておきたいのは、「法人税減税」の恩恵を受けるのが単なる「企業」ではなく「大企業」とされているところであろう。しかし、じつは彼らこそが税制上での優遇をすでに多大に受けていることを指摘しておかなければらならい。

 そして「低所得者層」への課税強化。
 いわゆる「正社員」の類であれば、「関係ないさ」と見逃すかもしれない。だが、アベジョンイル政権が進めている政策には、その「正社員」という“階級”すら危うくする仕組みが盛り込まれている。単純にいえば、企業側の都合次第で、簡単に人員整理や給与・福利厚生等を縮小するための立法をたくらんでいるワケだ。

 そうでなくとも「正社員」になるのがより困難になりつつある時代である。ここでなにかしら仕事があるさと考えるのは危険で、「アルバイト」の類で、はたしてどれだけの年収を得られるかを検証しておくべきだ。
 仮に200万円の年収(所得。だが、これだって多めの前提かもしれない)があったとしよう。国税関連の源泉徴収は12.1%。このほか、住民税などがかかる。そして国民年金が18万9840円。さらに健康保険料が10万円前後。これで53万円以上、つまり4分の1超である。
 これら公的な支払いはいうまでもなく義務であり、(減免制度はあるものの)原則として節約不可能な支出といえるだろう。所得税はともかく、これらは所得が低ければ低いほどそこに占める割合が高くなることにも注意しておきたい。この残りから、日常の衣食住に関する支出があり、ときに不意の支出(医療費など)がかかってくるが、そこからさらにふんだくろうというのが、ようは消費税であり、ソイツを増税するというのが、自創軍をはじめとする“悪党”(<a href="http://www.liberal-shirakawa.net/index.html" target="_blank">白川勝彦氏</a>による)なのだということを認識したうえで、明日の投票に臨むべきであろう。

 ついでにいえば、上の「原則節約不可能」な経費が負担できない(しないのではなく、できない)層は、このまま悪党政権がつづけば確実に拡大する。そうなれば、「正社員」を含めた国民がなけなしのカネを負担してきた年金制度や健康保険制度は崩壊への道をたどってゆくだろう(しかしそれこそが内外の保険会社らが狙っている筋書きなのであろう)。
 


 
 
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