「積極的平和主義」
「そのための国際貢献、外交を展開する」
「革命的大事変を主導的に迎える」
ご存知のとおり、上のふたつはわれらがアベ大先生のお言葉。一方、最下段は朝鮮戦争の首謀者の筆頭格であった金日成大首領のお言葉である。
安倍政権をさして、「戦争する国づくり」を進めているといった論評が、おもに左側から発せられている。この政権がさまざまな意味で危険視すべき存在であることを疑うものではないが、しかしこれはいきすぎの見方であり、こうした論法では大衆のココロをつかみえいだろうぐらいに考えてきた。
だが、昨年末からこれまでの政権の動きをみるに、「戦争」云々がけっして絵空事ではないとの見方に変えざるをえなくなった。まさか朝鮮戦争のときのような一斉攻撃から一気に開戦するとまでは思ってはいないが、突発的な小競り合いを含むなんらかの形で、他国との武力衝突という実績をまんまと演出する可能性があるような気がしてならない。アベ大先生の発言は、その現われであったと、のちに歴史に刻まれるかもしれない。われわれにとってはたまったものではないが。
たとえば「朝鮮戦争 金日成とマッカーサーの陰謀」(萩原遼著・文春文庫)には、当時の北朝鮮側の姿勢を示す証言のひとつとしてつぎのようなくだりがある。
「まず、戦争には正義の戦争と不正義の戦争の二つがある、として(中略)つぎのようなスターリンの定義を引用する。
正義の戦争──これは外来の攻撃と征服の企図から人民を守ろうとする目的をもった、略奪的でない、解放的な戦争であり(以下略。引用ここまで)」
「人民を守ろうとする目的」云々はいざしらず、金日成はそうして朝鮮戦争をしかけたし、アメリカ合州国はその建国以前からそのテの論理をふりかざして戦争(一方的虐殺を含む)を繰り返してきた。いまのわが国の指導者たちのアタマのなかにも「人民」(つまりわれわれ)云々はあるまい。
断っておくが、現状の北朝鮮はもちろん、韓国政府および中国政府らがわが国に対し友好的な姿勢を示していとは言い難い部分はある(もっとも、わが国におけるそれと同様に、彼らもまた自国内の諸問題からの目くらましのために近隣国を使用しているともみているが)。しかしあえていえば、そんな連中にレベルを合わせてどうなる? むしろ平和かつ積極的な外交の手本を示すことこそが、真の先進国であり、リーダーシップとはいえないのだろうか。いささかキレイゴトかもしれないが。
残念ながら、現政権はまだまだ安泰のようである。たとえば数々の増税や負担増を率先して、あるいは座しておとなしく受け入れる大衆。そんな現状と北朝鮮人民の世界を報告するいくつかのルポルタージュとが重なってみえてならない。
せめて、「日本は祝福であった。この地か、あるいは世界のどこかで日本がなければならなかったのだ」(前掲書297ページ。アメリカ軍需産業のホンネを代弁した朝鮮戦争当時の米朝鮮前線司令長官の弁から、「朝鮮は~」を「日本は~」に差し替えて引用した)と歴史に語り継がれるザマにならないことを祈るばかりである。
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