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猫池罵詈雑言雑記帳
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 韓国・全羅南道沖で起きた船舶事故。
 調査が十分に進展したとはいえないながらも、報道によればどうやら人災である可能性が高いらしい。本来ならば起こりえない類の悲惨極まる事件であり、被害者や遺族らの悔しさは想像にあまりある。

 今回の事故をめぐって、フェリーの事業者やその従業員、さらに韓国行政のケンチャナヨさ加減がクローズアップされている。ひとつひとつをここでは挙げないけれど、その多くについて、あの国ならば十分にありうることだとは思った。
 たとえば、知人の在日韓国人G氏は、韓国企業に巣食ういい加減さをたびたび指摘しているし、日夜飲んだくれ、出社するやサウナに直行する管理職のエピソードなどを苦笑まじりに披露してくれたりもする。ケンチャナヨ(英語でいうところの「ノープロブレム」だが、しばしば前向きのニュアンスでも用いられる)はあの国の文化の大きな魅力だと個人的には実感しているし、やや大げさにいうならば、強さの根源である。だが、「ケンチャナヨ精神」はときに暴走する。「大丈夫」が「いい加減」と誤訳される。そういう意味で、今回の事故・事件は韓国社会に蔓延するそうした「負」の要素が収斂した結果なのではないかとも考えたくなってくるのである。

 さて、そうした隣国の「負」の部分をみるにつけ、日ごろから思っているのは、
「ニッポンのどうしようもない部分をさらにしょうもなくしたのが韓国のそれである」
 ということだ。言い換えると、わが国のそれとあの国のそれとは五十歩百歩。馬糞とイヌのクソ程度の差でしかない。
 そのニッポン的しょうもなさが、今回の事件にさいしてわが国に噴出している。すなわち、隣国の悲惨な事件をダシにしての誹謗中傷の類。なかには「船の管理ひとつできないのかよ」といった悪口もみられるが、ようは、
「ほぅら、韓国ってホントにダメでしょう?」
 というワケだ。それだけでとどまっていればまだしも、「だから従軍慰安婦をはじめとする軍国日本について連中が言うことは全部デタラメ」だのといった筋違いの方向にも発展したりもする。驚くべきは、そうした言がネット上の落書きだけでなく、商業紙誌やテレビ局までがこぞって記事配信によって日々タレ流されているところにある(ひとつひとつの例については割愛する。そんなものはネット上だけでも相当数あるからだ)。

 繰り返すが、あの国にはある種“未成熟”な面が多々あると考えている。だが、それならわがニッポンだって一緒ではないのか?
 たとえば、JR西日本・福知山線の大事故(事件)はどこの国のできごとか? あるいは、相次ぐJR北海道の事故や大事故未遂、あるいは事実の隠蔽はどうか? 中日本高速道路によるトンネル崩落事故はわが国で起きた不祥事事件ではないのか? 
 そうした近々の事件に頬かむりをし、ことさらに他国の不祥事をあげつらう哀れな国民。隣国を見下すことによって溜飲のひとつでも下げたいと思っているのかどうかはわからないが、「恥」というものを忘れたのかと嘆かわしくなってくる。そうしたひとびとは、たとえばここに挙げた3つの交通事故が、諸外国でどのように受け取られているのか、ちょっとは想像してみてほしい。

 こう書くと、「誹謗中傷を繰り返しているのはあっち(韓国)のほうじゃないか」と言い返したくなるムキもあるだろう(ただしこれは「言い返し」であって「反論」の仮定ではないので念のため)。その気持ちはわからないでもないし、その点ではまだしもニッポンジンのほうがいくらか行儀がいいかもしれない。だが、相手がそうだからこっちもというのはガキそのものではないか。「赤信号、みんなで渡れば・・・」というのはちょっと違うかもしれないが、ぁあ、それでわかった! 赤ん坊に刃物首相が拘泥する「集団的自衛権」云々が。ようは、「よその国も戦争してんだから、ウチだっていいじゃん!」ってことか(・・・というのはそれを好意に解釈する側のセンスであり、為政者側はもっと生臭くたくらんでいる)。バカだネ(笑)。

 外国の失態や欠点をあげつらって溜飲を下げるヒマがあるのなら、もっと自国の問題について真剣に向き合ったらどうなのか? とりわけ報道機関については心底からそういいたい。せめて、祖国・日本に誇りを持って胸を張りたい。そのためにもこんな体たらくなことでいいのか? そうじゃありませんか?

 
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 アップするのがすっかり遅くなってしまった。
 サッカーJリーグ・浦和レッズサポーターによる「差別的掲示物」事件についてである。

 事件についてはすでに多くが報道されているのでその内容については割愛する。
 
 事件に対する公式のリアクションとして、浦和レッズの主催試合が無観客で催行された。Jリーグ初の処分だという。迅速かつ妥当な措置だったと思う。国際的にみても、この種の事件はサッカー界で散発しているが、いずれも厳しい処分がスピーディーに執行されている。
 サッカーというスポーツは、文字どおりほとんど世界中で親しまれているといっていいだろう。それだけにレイシズムやそれに関連する問題には敏感かつシビアにならざるをえないに違いない(それにしても、浦和レッズには外国人のサポーターはいないのだろうか? どうでもいいが)。

 さて、今回みられたように、差別的発言や行動に対し速やかな処断を下したサッカー界だが、ではさてわが国における政治の世界はどうかというのが今日のテーマ。

 せっかくなのでおひとりだけお名前を挙げさせていただこう。
 石原慎太郎サンよ、たとえばあんたのことだ。

 そして、そんなのを首都の知事に据えてきたニッポンジンども。

 しかし、石原のおとっつぁんのような人物は、じつは市井にはいくらでもいる(ぁあ、そういう視点では森なんとかっていう肥満した田舎ジジイもまた然り・笑)。そういう人物が、たとえばごく私的な酒宴の席などでなにをぶちまこうと勝手というもの(まぁ、内容によっては問題になるかもしれないが)。だが、あの男は都知事というわが国の首都で知事を務めてきた御仁である。そこいらのおっさんとは異なる存在だったのだ。そういう立場にある(重責をになっていた)人物が、公の場でやれ「三国人」だの勝手に仮定するところの彼らが「暴動を扇動する」などとぶちまけ、それでいてほとんど不問のままやりすごすニッポンおよびニッポンジン。それだけでなく、そんなのを長期にわたって知事の座に据え、いまだにありがたがっている連中が蔓延すつニッポン。

 あのおっさんの差別発言は、なにも外国人に対してだけではない。女性やハンディキャパーらに対する痴漢的暴言の数々。気分が悪くなるので、いちいちここでは挙げない。繰り返すが、そんなのを知事に据えていたのがニッポンジンでありニッポンという国の実態なのだ。

 そうなってくると、今回の浦和レッズ事件と石原的ニッポンジンとの対比というものが際立ってはきまいか? 言い換えると、レッズに対するサッカー協会の処置に賛同し、かつレッズ側の公式見解について納得できるとするならば、石原やそれに類する人物およびその所業について疑問のひとつでも浮かばなければウソである。はたして、そこに気づいたひとはどれだけいるだろうか。

 なんつうか激甘だよなァ。ニッポンの政治の世界ってのは。バカ丸出し。日本人としてとっても恥ずかしいです、はい。
「しかし彼の論のすすめかたが、日本人を興がらせたのに違いない。もしこの本が日本名のだれかによって書かれていたとしたら、著者はほとんど即座に軍国主義者またはウルトラ右翼のレッテルを貼られ、本書は忘れ去られてしまっていたことであろう」

 これは、『にせユダヤ人と日本人』浅見定雄・朝日文庫)に付録として引用されたB.J.シュラクター氏の手による『日本人とユダヤ人』(イザヤベンダサン)の書評「論争の書、いまや英語に」の一節である。

 本書で浅見氏はイザヤベンダサンという人物が偽者のユダヤ人であり、出版社社長であった山本七平氏当人であることをすっぱ抜いているが、問題の『日本人とユダヤ人』はいまなお重版を重ねている超ベスト&ロングセラーである。発売当時の様子を、本書で引用されたシュラクター氏はつぎのように記している。

「一九七〇年に東京のあまり有名でない聖書関係専門の学術出版社から出るとすぐ、この『日本人とユダヤ人』は天井知らずのベストセラーとなった。
 有名人はみなこの本を読んだ。元総理大臣の佐藤栄作氏は国会でこの本を引き合いに出した。(中略)ほとんどずべての言論誌が書評を載せ、また本書とその作者にまつわる謎の物語を掲載した」

 浅見氏は付録としてこうした証言を引用しつつ、自らの学識と良識、あるいは信念にのっとって『日本人とユダヤ人』の偽書ぶりを暴いている。著者の正体なんてものはこのさい付録にすぎず、そこに書かれている内容そのものがウソだらけの“ペテン書”だということを浅見氏はおおやけにしたのであった。
 それでもなお『日本人とユダヤ人』が売れ続けているでろうことは驚嘆にあたいすると思うが、あれから半世紀が経ったいま、“ペテン書”がもたらした効果は侮りがたいものだったのだと感服せざるをえない。シュラクター氏が指摘したように、半世紀前であれば「ウルトラ右翼のレッテルを貼られ」というセンスを持っていたかもしれないわが国は、ものの見事にウルトラ右翼そのものが政権のトップに居座り、権力の中枢を握ることに成功してしまったからだ(もっとも、そろそろ化けの皮がはがれてきたとみえ、知人を含む保守的な人物からも戦争への懸念や引きずり下ろす必要があるという声を聞くようになってきたが)。
 
 しかし面白いのは、そんなウソで塗り固められたフィクション(つくり話)がこともあろうか業界内で有名かつ権威あるとされる「ノンフィクション賞」を受賞しているというところにもあろう。とてつもないペテンですね。フィクションにノンフィクションの「大賞」を授与しちゃったんですから(しかもその後に取り消しがあったワケでもない。ボクシング業界のほうがよほど清廉潔白である)。

 ところで、突然ふってわいたかのように、楽曲のつくりてをめぐっての真贋問題が浮上した。事実についてはいずれ明らかになるのだろうがオレ自身の第一印象についていえば「痛快」のひとことであった。
 問題として取りざたされていることのひとつに、NHK(ブラック公共放送)が放映した佐村河内守氏をめぐるドキュメンタリー番組がある。件の番組はタマタマだったがオレもみた。
「へぇ。こんなひともいるんだな」
「理論的には番組で説明されたような作曲法は可能だけど、(作曲法として紹介されていた)対位法的楽曲の作曲法としては不自然な面がありはしないか(とはいえ、ウソだとは思わなかった)」
「ではさて、対位法的楽曲以外ではどうなんだろう?」
 などとの感想は持ったが、多量の薬物に頼らざるを得ないほど悶絶の苦しみのなかでつくられ披露された肝心の楽曲を聴いても、さほどいい曲だとは思わなかったし、残念ながらココロにも響かなかった。なぜだかはわからないが。

 ところが世間というのは佐村河内氏的エピソードが大好きとみえ、氏の作品を収めたCDがベストセラーになったという。カネを払ったひとびとのうちのどれだけが音楽そのものを評価していらのかまでは知りようがないし、それ以前に「趣味・志向」の違いという面もあるからここではあまり踏み込まない。しかし、その作曲者の耳が聞こえないという付録がなかったら、はたしてどれだけのひとがカネをはたいたのだろうか。
 これは“にせユダヤ人”ともあるていど共通する現象ではないのか(「あるていど」というのは、“にぜユダヤ人”が別の次元でより悪質だという点をさす)。すなわち、
「もしこの曲が無名の健常者によって書かれていたとしたら、この曲は忘れ去られてしまっていたことであろう」
 ということはなかったのだろうか。言い換えると、その背景や真意はいざ知らず、大衆の心理をまんまとつかんだ現象でありビジネスだったのだ。そうしておいて事実の一端が暴露されるや右往左往して騒ぎたてる大衆。そんなザマをみるにつけ「痛快」という言葉が浮かんでくるワケだ。
 もっとも、今回は当局まで乗り出す騒ぎに発展しつつある。しかし、であれば山本ベンダサン氏やその偽作でカネモウケないしプロパガンダを続ける連中こそを問題としなければおかしい。

 この「痛快」。同じクラシック系音楽業界でいえば、たとえばハンディキャップを持つ演奏家がもてはやされているという現象にも結びつく。
 とある全盲のピアニストの演奏をテレビ番組ではじめて聴いたとき、「これは素晴らしい演奏だ!」と感激したものだ。「目がみえないなんていうのは余計なおまけ。そんな背景を知らずともこの演奏は十分に楽しめた」のである(とはいえ、CDにカネを払おうとまでは思わなかったし、もっといい演奏はいくらでもある。ようはその程度)。
 しかし同時に「“サーカス的”にビジネスツールとしてすり減らされなければいいのだが・・・」という一音楽ファンとしての懸念が芽生えるのも覚えた。
 それからときどきテレビ放送などで彼の演奏を耳にすることはあったが、あるときみたテレビ番組での演奏にはぎょっとせざるを得なかった。
「なんでこんなに音痴になってしまったのか・・・?」
 演奏はナマモノだという。したがって、タマタマその収録された演奏がそうだっただけなのかもしれない。だが、そのときの演奏からは最初に聞いたときに覚えたような感激の類は一切起きなかった。

 さて、こうしたハンディキャップを持つ演奏家のCD(あるいはDVDやライブ)。はたしておカネを払うひとは、どの部分に対しての対価だと思っているのだろうか。ひょっとするとそうした現象を含めての警鐘という意味がありはしないかということ、それが「痛快」の意味なのである。

 これは、たとえば世界遺産などにも結びつく。富士山の登山者が激増したというが、いうまでもなくその呼び込みとなったのは世界遺産への登録であろう。富士山は富士山。世界遺産なんてものはユネスコという一機関が施したデコレーションに過ぎないのに、なぜか「世界遺産だから」と飛びつくひとびと(先日、飛行機の窓に雲ひとつない富士山が浮かび上がった。韓国の航空会社だったが、「富士山がみえます」とのアナウンスがはいったほど見事な富士山風景だった(数十回乗って、そんなアナウンスははじめてだった)。が、同時にみえたのはその裾野を醜くえぐりとっている自衛隊の演習基地であった。嗚呼、世界遺産・富士山!)。

 自分自身でその価値を見出す努力を怠り、いわんやそのための感性も置き忘れ、まやかしのレッテルに操られるひとびと。今回の暴露になにを思うかはわからないが、怒ろうが悲しもうが笑い飛ばそうが、そのいずれもオレにとっては「痛快」だ。

 ひとつつけ加えると、佐村河内氏とイザヤベンダサンとの違いは、ベンダサンがメジャーレーベルであったのに対し、佐村河内氏がインディーズ的であったことであろう。日本を特殊かつ優れた国だというまやかしのテーゼを外国人が記すという手法などによって実益を勝ち得た偽書(繰り返すが、著者の正体のみならず、ノンフィクションを謳ったフィクションという点でもニセモノである)。方や広島や東日本大震災とたくみにからめつつ「現代のベートーベン」として実益を得つつあったショウ。ともに社会に漂う“空気”を利用した点でも共通点がある。しかし、その内容たるや、メジャー側のほうが比べるべくもないほど悪質だという点を強調しておく必要があるのだが。

 
 時事通信社ほかの報道によれば、NHKが脱原発について語ろうとした出演者に内容の変更を求めたという。
*LINK:NHK、脱原発テーマに難色=大学教授がラジオ番組降板(時事通信)

<NHKラジオ第1放送の番組に出演予定だった東洋大の中北徹教授(62)が「原発事故のリスクをゼロにできるのは原発を止めること」などと話す意向を事前に伝えたところ、担当ディレクターから「東京都知事選の期間中はやめてほしい」と難色を示され、テーマの変更を求められていたことが30日、同教授への取材で分かった。中北教授は同日朝の出演を拒否し、番組を降板したという。>(リンク記事)

 リンク記事によれば、中北氏は経済学者としての観点からこのテーマを扱う予定だったようで、
<原発の稼働コストが上昇し、石炭や石油による発電コストと差が縮小しているほか、事故の発生確率を減らしても、1件当たりの損害額が巨額になる点を経済学者の観点から話す>(リンク記事)と担当ディレクターに伝えていたという(氏の指摘はまるっきり事実ではないか!)。
 ところが、NHK側は都知事選が同じテーマで争われている部分があることを口実に、テーマの変更を求めたというのである。

 リンク記事にもあるように、(テレビや新聞など公共性の強いメディアにおいては)<意見が対立する問題を扱う場合、双方の意見を伝えるなど公平性を確保する>ことは大切であろう。ではさて、とうのNHK自身のそれはどうなのか? たとえば、ここ1~2週間のあいだにみた番組だと思うが(日にちは失念)、冒頭でこんな類のことを述べていた(抄録)。

「核兵器開発を放棄し、技術を原発という平和利用に転用」

 これは、核開発が試みられているというイランの問題を扱ったコーナーでの話である。「冒頭で」と記したが、新聞や雑誌に置き換えれば「リード」ないし「中見出し」にあたる部分の文言だ。
 いうまでもなく、イランの核疑惑をめぐっては、大規模戦争発展への可能性をはらむなど、国際社会の懸案事項のひとつである。ところが、それがNHKの手にかかると、まんまと原発推進に利用されてしまうのだからおそろしい。そりゃぁ、核爆弾よりは原発のほうがマシという考え方もないではないが、それを「平和利用」と強調することによって、その是非で対立している原発問題の「是」すなわち「推進側」のバックアップを問わず語りに果たしているのである。NHKは原発推進の立場にあります。それもあからさまに。

 直接的な報道や政治番組などでも基本は同じ。タテマエ上は対立軸とともに「両論併記」しているけれども、それすらも巧妙に細工されていることはいまさら指摘するまでもないだろう。たとえば、弁護士・白川勝彦氏によるつぎの指摘はどうか。
*LINK:永田町徒然草・いい加減にせい、NHK。

<私は当然に、都知事選のニュースから始まると思っていたが、最初はマー君の話。次が、朝鮮総連本部の競売の話。3番目は、寒さの話。4番目が、富士山の愛好者の話。そして、5番目にようやく、都知事選のニュースだ。>(リンク記事)

 そうなのである。断言してもいいが、ほとんどのニュース構成でこうした操作がなされている。
 それにしても出演者の発言にイチャモンをつけてまで都知事選に対する「公平性」とやらを保つフリをしようとしたとうのNHKが、公示当夜に「5番目」扱いとはね。

 しかし笑いごとではない。わがNHKは、北朝鮮ないし中国、もとい戦前ニッポンの体制翼賛御用メディアとしての正体をあからさましつつある。それも急速に。美しい国(そういや、「美しい国・ニッポン」的なおなぐさめ系スポット番組もあるな、この放送局)。豊かで自由で暮らしやすい国。(軍事的手段によらぬ)平和を推進する国。・・・すばらしい国・日本は、こうして崩壊しつつあるのだろうか。

*問題のラジオ番組「ラジオあさいちばん」は、「小泉改革ブーム」のさなかに内橋克人氏(経済学者)がその弊害を解説するなどの企画もあった(その当時のマスメディア上では稀有といっていい内容だった)が、それだけに今回のていたらくが危険な事実のように思えるのである。
 改憲。消費税増税。TPP参加問題。原発問題。そして、かぎりのあるカネ(おもに税収)をいかに、どのようなことに使ってゆくか。
 まだまだあるが、きたる参院選の大きな争点である。

 改憲についていえば、9条や96条が大きく取りざたされており、一見するとこここそがこの問題(改憲勢力の狙い)の本丸のように思えるが、彼らの真の狙いは11条だとオレはみている。すなわち、基本的人権の否定だ。
 戦争の放棄を謳う9条の反故や原発推進はズバリここと密接に関わっている。ようは“国家”とその実質的な権力者のために、われわれ一般国民に対し痛みを一方的におしつけられるその根拠をでっちあげたいのであり、究極的には国家ありきで平民よ死ねというそのバックボーンをつくろうとしているのではないか。「死ね」というのはいささか極端に思えるかもしれないが、治安警察の台頭や刑事警察の横暴を合法化するためにぜひとも必要な手続きだとはいえよう。
 原発も然り。11条を反故にし、その関連法をなし崩しに改定してしまえば、事故のさいの保障問題も回避でき、建設や稼働の反対に対しても十全な権力行使が可能になる。「おまえらは国家のために犠牲になれ。だまっていろ!」というワケだ。
 もちろん現9条の廃止にも関わっている。自衛隊と軍隊との違いは、単に武力行使云々だけではない。権力者たちが目論む軍隊、その兵隊にとって基本的人権は保障されないからだ。自衛隊の実態が、いかに軍隊のそれと近しいとしても、両者の概念には大きな溝が横たわっているのである。

 消費税増税。身近な話題から拾ってみれば、これだけカネがないないと騒ぎながらも夏のボーナスが増えたという国家公務員。不思議ですなぁ(そもそも、公務員に対しボーナスという考えそのものに矛盾があるが、これはそれ以前の問題だ)。一般会社員の7割以上が“景気回復”を実感していないという報道もあったなかでの大盤振る舞いである。冒頭に記した「かぎりのあるカネ(おもに税収)をいかに、どのようなことに使ってゆくか」というなかのひとつには、こういう支出も含まれる。税の分配とその用途。それを適正化し、国民のために監視してゆく。これこそが政治のもっとも重要な役割とはいえまいか?

 あるいは、消費税を上げるさなかにあって、投資などというギャンブル(すべての投資がそうだとはいわないが、ここではおもに投機的なものをさす)に対する減税が検討されていることの不思議。投資などというものは、カネに余裕があるからこそなしうるのである(この点は小博打とは異なるだろう)。言い換えればカネに余裕がある連中の余ったカネの使い道に対し減税をし、なけなしのカネで暮らすひとびとからカネを吸い上げようということではないのか。まさに「弱きをくじき、強きを助ける」である。「実体経済」云々というフレーズもついさきごろまで流布されていたけれど、いったいぜんたいどこに消えてしまったのだろう? バカは死ななきゃ治らないというありきたりの言葉が浮かんでくる。 

 ついでにいえば、輸出企業にとっての消費税というのは、彼らにとっては還付の源泉でもある。下請けが取引の消費税を転嫁できないといった問題は古くから取りざたされているが、二重課税を避けるという名目によって、巨額にのぼる税の還付を一部大企業が受けているその意味を知るべきであろう。そして、そこで彼らの懐に入ったカネは、内部留保などという形で沈殿し、社会的に還流されないことになる。死に金だ。

 TPPについていえば、さすがに自民党内部ですら疑問視する声があるという。ここでは農業などへの影響がクローズアップされているが、本丸は金融部門ではないのだろうか。おもにアメリカ合州国資本によるわが国企業に対する敵対的買収もエスカレートするかもしれない。そして、それをわが国の法律では一切の規制すらならんというのがこの協定のキモなのである。
 これに乗じて、銃器のセールスがわが国に上陸という筋書きを指摘する声もあるようだが、冗談でなしに、いかにわが国の法律で銃器の所持が厳しく規制されていたとしても、彼らの輸出および販売攻勢を差し止めることができなくなるかもしれない。むしろ、銃器の所持を禁止しているのは、わが社の利益に反すると訴訟に持ち込まれる可能性だってある。そして、そんな訴訟を防ぐこともできなければ、その結果についてもロクなことになりはしないというのがTPPの根幹だ。
 ついでに農産物をはじめとする食料および食糧品についても、いまひとつ“愉快”な想像ができる。TPP参加を検討しているといわれる中華人民共和国。これだけで半ばアレルギー症状を起こす有権者だって少なくないハズなのだがなァ……。

 さぁて、参院選でも過半数を獲得する可能性が高いらしい自民党だが、上に記したことは、ほかならない彼らが「信任を得た」として進めてゆく政策の一部である(もっとも、先の東京都議選で圧勝したとはいっても、票の実数増は1万にも及んでいない──それでも少ないとはいわないが──し、議席獲得を後押ししていた創価学会の存在を忘れてはならないだろう。したがって、必ずしも彼らが「信任」されたとまではいえないのではないだろうか?)。まぁ、権力者に対しおとなしく従ってゆくもよし。無気力におとなしく死んでゆくもよし。なんにしても、自分の敵に利することもあるまいにと思うだけである。


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 ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
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