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猫池罵詈雑言雑記帳
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 またぞろ馬鹿の取り巻きのひとりがくだらない持論をぶったとかで、お茶の間に怒りと失笑とを提供した。
 これはもちろんお笑いで済ませられる発言ではなく、さてどうやって罵倒してやろうかと思っていたところ、藤原新也氏が極めて簡潔かつわかりやすく“代弁”していてくれたたので、そのリンクをしておくこととした。

※Link:永遠のゼロ。──shinya talk

 上記リンク記事で、藤原氏はこの取り巻きについてこう締めくくっている。

ここまで来るとこの男、元々学生テレビタレントの大阪出身だから時代の要請に従い「極右コメディアン」として吉本興業に席を置いた方がお似合いだ。

あるいはここまで来ると今のまま世間に泳がしていた方が(極右の馬鹿ぶりが際立つので)よいのかも知れない。

いずれにしても百田というのは近来希に見る「永遠のゼロ」である。

 この百田某という男の本業は売文家らしく、かつそれなり以上に出版社の売り上げに貢献しているようだ。残念ながら一連の“ご高著”は読むつもりもなければ目を通したことすらないが、高評価を受けている一方で批判以前にバカにされているフシも、関連報道をみるとあるようだ。

 そこでまず思い出すのがあの山本七平氏である。出版社社長にして売文屋。自社から出版した出世作の『日本人とユダヤ人』(現在は角川文庫。筆名は「イザヤ・ベンダサン」)は生半可な知識を自己流にこねくり回して詭弁を並べただけのシロモノだったが、これが当時は大ベストセラーとなり、いまなお版(犯でも可?)を重ねているカネのなる木。こちらは『日本人と~』のほか雑誌掲載のエッセイなどいくつかに目を通しているが、あくまで個人的な感想ではあるけれど、にわかには理解困難な奇怪な文の羅列としか思えなかった(『日本人と~』については宗教学者の浅見定雄氏が著書『にせユダヤ人と日本人』〈朝日文庫〉のなかでそのペテンぶりを徹底的に論破しており、双方に目を通した感想では「まったくその通り」と納得せざるをえなかった)。

 この百田という男にせよ山本氏にせよ、彼らを“右翼”と規定するムキがあり、リンクした藤原氏の記事では「極右の馬鹿ぶりが」との言でそれを肯定している。だが、とりわけここで問題となっている百田某は、はたして“右翼”なのだろうか? どうも右翼云々以前のお子さま的いきがりおじさんにしか思えないからだ。というよりも、こんなのと一緒にされては本物の右翼人、イデオロギーとしての右翼に失礼というものであろう。むしろこういうのは芸者右翼というのが適当な位置づけであり、ようは右翼的言動や売文よってチヤホヤしてもらえかつカネが入る、その積み重ねによっていつの間にかそれが己の思想だと思い込んでしまったに過ぎないのではないか?

 そういう視点を持つと、あれこれと類似品(大阪の某あんちゃんなど)の顔が思い浮かびもするが、気の毒なのはどっかのお馬鹿さんの周囲がそんなのばかりになりつつあるということである。ごく最近では右翼人と十分に捉えうる超保守学者らからも三行半を突きつけられた格好だが、公費でマンガ本を買ってもポツダム宣言(おそらくは日本国憲法やTPP関連書類も)すら読むつもりもない権力者きどりの集まりに対し、さすがに「つきあっていられん」と我に返ったのであろう。

 ついでながら、一般語として定着した感のある「ネット右翼」をはじめとする右翼的なひとびとに対しても、じつは疑念を抱いている。言い換えると、それが本当に個人個人の思想であるならば、きちんとものごとに対し向き合いかつ己のアタマで考え抜いた末にたどり着いた考えであるならば、それはそれで敬意は持てる。だが、単に“サヨク”が気に食わない──たとえば、権力に対するアンチテーゼとしてのデモなどを含む市民運動や労働組合活動や言論などなど──などといった低レベルの反発に端を発している面が多々あるように思えてならない。どっかの御仁だかが創作した(?)「プロ市民」などという言いがかりもその類。じつはこうした手合いは、彼らがいうところの“サヨク”にもいて、オレ自身も「とてもつきあっていられん」とサジを投げたことがあるのだが……。

「人間はクズでも面白い小説書く奴はいくらでも」というのはエロ漫画編集者・塩山芳明氏の弁(『出版業界最底辺日記』ちくま文庫)だが、ではさて、この百田某の著作はどうか。ドラマ化された小説もあったらしく、それについて触れた記事──いわく、さきの大戦中、戦場で上官に対し「死にたくない」などと申し立てた日本軍の一兵卒がどうのといった内容──をわが母堂に読ませたところ、「そんなバカなことあるワケないじゃないの」と文字どおりにハナで笑っていた。あの時代は、そんなこと死んでも口にできなかったというのが、描かれた時代を生き、兄が戦場(いわゆる「南方戦線」に送られ、のちに本人が生々しいエピソードを聞かせてくれたことがある)に送られた経験のある人物の証言だ。

参考記事Link:日本アカデミー賞受賞!『永遠の0』は平和ボケの戦争賛美ファンタジーにすぎない─リテラ

 ひょっとして、作者の根っこにあるのは「ガンダム」に代表されるアニメ作品ばっかじゃないのか(笑)。そんな疑念すら抱いた。でもって、そんな輩が政権の「ブレーン」ねぇ。これがわが祖国の実態だとは、オレは心底悲しいよ。

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「今帰ったペコペコした男、君達は知らんだろ?(中略。彼は)一時は凄い羽振りの売れっ子だったんだ。(中略)僕も『コミックVAN』時代に頼んだら、鼻水もひっかけない。〈僕ぁページ1万円以下じゃ描きませんよ〉なんつっちゃってね。」(中略)ところが今じゃあれ。〈遠山先生、いくらでも結構ですから、何かお仕事ください〉だよ。ハハハハハ……」

 引用したのは『出版奈落の断末魔 エロ漫画の黄金時代』(塩山芳明著・アストラ刊)の一節。著者は現役のエロ漫画編集者(編集プロダクション社長)。引用部分は自らの業界のさまを語るなか、かつての「ロクでもない記憶しかない(同書99ページ)」かつての上司(故人)についてふれたくだりだ。漫画家側にも言い分はあるに違いないが、ようは一部元売れっ子漫画家の「最盛期の傲慢」ぶりと「凋落後の彼らのみじめさ」という点。だが、じつはコレはお互いさま。

<遠山の凄いのは、自らが情け容赦なく切り捨てた漫画家に、(彼らが売れっ子になってから)平然と再び依頼する点。切ったほうはともかく、切られた側は恨みを忘れていない。ケンもホロロというか、この一言が叩き付けたくて、今日まで業界で頑張ってたってな対応。>(50ページ。()内はブログ筆者が補足)

 本書ではコミカルに語られてはいるが、案外コレは大切なことだ。人間たるもの、いかにエラくなったとしても謙虚をいうものを忘れてはならないのではないか。たとえ腹のなかはどうあれ、自らの傲慢はやがて自分に跳ね返ってくるものなのだと常にいましなければとオレは思う。

 さて、ここにきて、われらがアベシンゾー大先生とそのおとりまきにも、その事態は近づいてきたようである。“子飼い”ないし“同志”だと思い込んできた(?)憲法学者からこぞって「NO」を突きつけられ、自民党内部からも反発の声が表面化してきたからだ。それらは世論調査の結果とも重なる部分が多い。あくまで個人的な見方だが、ひとつは我慢を重ねてきたひとびとが機を捉えつつあり、いまひとつは化けの皮がだれの目にもわかるように剥がれてきたということではないか。

 ケッサクなのは、アベ一派がとてもまともには言論で対抗しえていないというところであろう。たとえば、自らが国会に招いた憲法学者の見解が意に反しており、かつ大勢がそのとおりである事実に対し「数ではない」とウソぶく馬鹿。「数ではない」というのであれば、過去にさかのぼって「数」で押し切った採決をすべて無効にしてごらんなさいよ(笑)。もちろん「数ではない」という言葉そのものは間違いではないけれど、こういう具合にご都合主義そのものな使い方をするとは、もう笑い飛ばすほかにはない(哀れんでもいいかもしれない)。さらに最高裁判決すら反故にせんとする政府・与党って、いったいなんなんでしょうねぇ(明治憲法下における判決ならともかく、れっきとした自民党政権下における判例である・笑)。こんなんで法治国家とは驚きだが、いうまでもなく中国や韓国がどうだのと外国のことをせせら笑っている場合じゃねぇぞ、お馬鹿さんたちよ。

 その「お馬鹿」ぶりの好例が、あのヨミウリがネット配信した記事であろう。

看過できないのは、政府提出法案の内容を否定するような参考人を自民党が推薦し、混乱を招いたことだ。参考人の見識や持論を事前に点検しておくのは当然で、明らかな人選ミスである。(集団的自衛権 限定容認は憲法違反ではない)
読売新聞 / 2015年6月6日 1時10分)

 驚いた。これでは、与党が推薦した参考人(憲法学者)が政府の狙いと反する見解を表明したこと、さらにそうした参考人を与党が推薦したことが国会の「混乱を招いたこと」になってしまう。しかし、こんなことはちょっとおませな小学生レベルでも看破できるレベルの詭弁だ。混乱を招いたのはかような法案を(一説によればアメリカ合州国の意向を丸呑みして)国会に提案し、それを強行しようとしている政府・与党の側ではないか。読者を笑わせるのも結構だが、ギャグの程度としてもいささかお粗末(ついでに自社独自のシロモノにすぎない見解までさも「事実」を報じるがごとくつけくわえているという厚顔無恥ぶりはどか。「~と当社は考える」とでもしておけばまだしも謙虚さがあるというものだがよ・笑)。

「潮目が変わった」
 弁護士の白川勝彦氏は、氏のHP5月24日掲載記事でそう語っている。ここにきて、そのとおりかもしれないと思うようになった。
潮目が変わった。ー永田町徒然草


氏は6月10日のアップで、さらにつぎのような一文を寄せている。
池に落ちた犬は叩け。ー永田町徒然草


先週の土曜日に、“あと一突きで、安倍政権は頓挫する書いた。昨日今日と、私なりに国会情報等を懸命に収集した。その結果は、“もう勝負は付いた”ということである。情報の専門家である筈のマスコミは、何故このことを報じないのだろうか。現在のわが国の報道は、北朝鮮や中国と同じレベルである。マスコミよ、恥を知れ

 上記ヨミウリの提灯持ち記事など、その最たる部類であろう。
 しかし、彼らは(飼い主たる)このとんでも政権が、永遠に続くとでも思っているのだろうか? NHKの恥知らず会長が政府が右というものを左とはいえないといった類の持論をぶちまけたが、ではさて、もしも万が一にもにも日本共産党が政権に就いたら、あんた同じことを主張できるのかね? あんたにもまた、落ち目のエロ漫画家と同様の運命が待ち受けているのではありませんか?

 ところで、その共産党もまた、この「潮目」の変化を摑んでいるようだ。

自民・村上誠一郎議員のあいさつ 日弁連院内勉強会ーしんぶん赤旗

 リンクは同党機関紙「しんぶん赤旗」の表題どおりの記事。自民党の村上誠一郎衆院議員が10日の日弁連主催の院内勉強会「『安全保障法制』を問う」の席上で発言したその要旨をまとめたものである。

 さらに今日(6月13日)アップでは、自民党(元を含む)の大ベテラン政治家の発言を詳しく報じている。

「戦争法案「国策を大きく誤る」山崎・亀井・藤井・武村氏 元自民幹部ら反対表明ーしんぶん赤旗

 山崎拓氏は戦争法案が成立することになれば「不戦国家から軍事力行使国家へとの大転換を意味する」という誤解の余地がない見識を示した。件の会見や記事では触れられていないが、そうなればカネ(国民の税金)の支出先も自ずと変わらざるをえないことにも留意する必要がある。なんでも、あのオスプレイを「倍の価格で購入」したとも言われるが、こんなレベルでない莫大な出費も見込まなければならないだろう(ついでながら、ロッキード事件を連想したのはオレだけだろうか?)。消費税を上げる一方でこの有様なのである。

 つい長々とやってしまうが、もうひとつだけ触れておきたい。
 与党が12日に強行採決を狙い果たせなかった「派遣法改悪案」についてである。
 
 当ブログで関連したことを何度か触れてきたが、こんなモノがまかり通った先になにが起こるか?
 表だって論議されているのは雇用の不安定化(雇用者都合のクビ切りが自由になるなど)だが、それはすなわち行政として以下の収入に齟齬をきたすことに結びつく。

 所得税
 健康保険税
 年金

 所得税は単純。被雇用者の所得が減れば税収もリンクするだけである(もちろん、非正規雇用下にあってもある程度以上の収入を確保することは可能だし現にあるが、現在論議されている法案によって影響を受けるのはそうなりづらい一般労働者である)。ではさて、それによって生じた不足分をどうやって補うつもりなのですかな?
 健康保険税と年金はどうか? じつはこれも単純で、「払いたくても払えない」層がより拡大してゆくことになるであろう。雇用する企業側にとっても大変だろうが、企業と被雇用者がともに負担するという現システムがあってこそ、機能できている面もあるのではないか? 払えない……。それが行き着く先は破綻である。単純に個人や雇用者だけの収入云々の問題ではないのである。

「派遣法改悪」の背後には人材派遣業界が蠢いているともウワサされるが、いまひとつはアメリカ合州国資本を含む保険業界からの恫喝もあるのかもしれない。あたかも別件でコトを進めるようにして、まんまと目的を果たす。手品のようでもあるが引っかかってはならない。ふと北朝鮮で起きた数百万人規模といわれる餓死事件が思い浮かんだ。ジャーナリストの萩原遼氏(氏以外にも)は、それを金正日が仕組んだ故意の大量殺人だと看破している(たとえば『金正日 隠された戦争―金日成の死と大量餓死の謎を解く』文春文庫 )。

 独裁政権のザマというのは、いずれも似たり寄ったりということか・・・。

 かねてから不可思議で仕方がなかったことのひとつに、われらがアベシンゾー流の“解釈改憲”とやらがある。そもそもが、アベが目の敵にしている日本国憲法第9条のどこをどのように読めば、ああいう“解釈”とやらが可能なのかがさっぱり理解できないからだ。
 法令をはじめ「きまりごと」を示す文章にはとかくわかりづらいものが多いが、そんななかでもわが国の憲法は明快な部類に入るであろう。たしかにファジーな部分がないとはいわないにせよ、そうそうに解釈が困難な文章が並べられているとは思えない。

 にも関わらずああいう“解釈”がなぜ飛び出してきたか?
 ある種、その解答を示したのが、5月20日に実施された国会での党首会談だ。

 わが国の首相は語った。
「詳らかに読んでいない」

 これは日本共産党の志位和夫委員長から提起された「ポツダム宣言のこの認識を認めないのか?」という問いに答えたもので、憲法について直接触れたものではない。だが、それに対する国会での答弁はかくのごとし。「詳らか」もヘッタクレもない。コトは単純。(大任を背負うべき政治家として)それを「読んだか読まないか?」それだけである(逆に、読んでいるにも関わらずそうした答弁をしたのであれば、アベの本質が著しい不誠実さにあるか、そうでないというならば国会軽視という政治家として致命的な欠陥が詳らかにされたことになってしまう。ましてや改憲だの戦後レジームがどうのなどと騒ぎ立てている張本人にしてニッポンの首相である。しかしその論議の前提にすら達していないとはねぇ。アベサンよ、あんたひょっとしてホンマモンの馬鹿なのか?)。

 この事実は、すでに国際的にも流布され、ある種の“国恥”として拡散しつつあるようにも思えるが、こういうわが国の政治化としておよそ不適格な男だからこそ、ああした“解釈改憲”などという詐欺を思いつくことができたのではないのか? おそらくは、その第9条はおろか、日本国憲法をすべからく読んでいないのがあのアベシンゾーという人間なのに違いないという推論が容易に成り立ちはしまいか?
 これはもう、考え方だのイデオロギーだのの違いという問題ではなく、いわんや「人間性がどうの」などというポエムチックな問題でもない。単純に政治家としての資質の欠如そのものである。

 断っておくが、安倍晋三さんという一個人が「ポツダム宣言」について訊ねられ、「読んでいないから」とかわしたことを問題にしてるのではない。「ポツダム宣言」にせよ「日本国憲法」にせよ、きちんとあるいはほとんどまったく読んだ経験のない人は、それこそゴマンといるだろう(なかには「あべさんのどこがいけないんだよ。オレだって「ポツダム宣言」なんか読んだことない是!」などと飲み屋やらネット上やらでクダを巻いてるヤツはいそうだが、そういう手合いもオレからみれば「馬鹿」の類。読んだことがないことについてではなく、一市井人と首相との立場の違いが理解できていないことに対しだ)。
 カレはわれらが日本の政治家、それも首相である。であれば、たとえそれらの内容が自らのイデオロギーに反する内容であったとしても「ポツダム宣言」や自国の憲法ぐらいを「詳らかに」理解しているのが最低の資質といえるハズだ(繰り返すがそんな無知な前提に立って「改憲」だの「戦後レジーム」がどうのなどと叫び続けているとは驚いてもしょうがないが驚きだ)。それを自らの無知を言い訳に答弁逃避を図るとは、「馬鹿も休み休み言え!」とはこういうことを指す。市井のひとびとが飲み屋でクダを巻いているのとはまったく違うのである。

 言い換えると、そんな無知な男だからこそああした政策を「粛々と」進められるのかもしれないが、問題はああいうのを国会議員、それも首相にしていい気になっているニッポンジンにあろう。韓国だの中国だのと外国のことを嘲ってる場合じゃないだろうよ、お馬鹿さんたちよ(笑)。

 それにしても、学業優秀を貫き官僚として責任ある立場にあるひとびとは、ああいう無知な首相を戴いていることについてどう思っているのか? せっかく数々の難関を潜り抜けて“エリート”の仲間入りをしたら、じつはあんな無知な輩でも首相としてイイ気になっていられるとは。あんなザマを見せつけられた子どもたちは、それこぞバカバカしくなって勉強なんぞしなくなったりしてなァ(笑)。
(どっかの国のトップみたいに)まんまと世襲さえすれば、無知なお馬鹿さんでもなれるのが、ニッポンの政治家のようなのでございます。

 しかしまぁ「バカとハサミは使いよう」という言葉もある。官僚機構や財界、くわえてアメリカ合州国にとっては、むしろそのほうが好都合なのかもしれない。そうだとすれば、日本人も馬鹿にされたものである。あんなのを首相にしてんだから自業自得ともいえるが、巻き添えにされるのはたまったものではありませんな(笑)。

※おまけ:
 ここはひとつ、抜き打ちで「わが国の国会議員にあるべき最低限の資質ペーパーテスト」でも実施してみたらどうか? 弁護士や医師、教諭、不動産取引、旅行業斡旋……、あるいいは自動車の運転をするにあたってだってペーパーテストがあるのだ。選挙の洗礼も重要だが、それらに比べるとニッポンの政治家ってのはかくも軽々しいシロモノなのか(まぁ、テストをすればいいって問題でもないが)。
 ついでに、TPPもそんなセンスで論議モドキをしてるんだろうなァ。もっともアレは、先方(アメリカ合州国)が一方的に自国語(米語)で押しつけてきているシロモノで、一説によれば日英語に堪能であってもその条文の翻訳が困難だとも聞く。しかしアベ政権の面々(いちおう全員とまではいわない)がそれ以前の姿勢あるいは能力の持ち主であることは十分に想像できはしないだろうか?

 ここに至って、我らがアベシンゾーやおとりまきらを指して「馬鹿」と呼ばわりすることのためらいがなくなったことは、以前、「馬鹿の巻き添えは御免蒙る・・・の巻」に記しました。その後の(とはいっても、たいして時間は経っていないのですが)動きをみていると、他人をそうたとえることの卑しさという点で己を反省するどころか、むしろもっと酷いことになっているとの思いを禁じえません。

 おそらくは、それに近いかあるいはもっと辛らつな思いに違いありませんが、ネット上にあるふたつの記事を紹介してみましょう。

 ひとつめは、「改憲派の憲法学者が安倍政権の改憲を批判する理由…愛国の義務化で“非国民”再教育制度が!」です。

http://lite-ra.com/2015/05/post-1070.html

 リンク記事は、改憲論者として知られる慶應義塾大学名誉教授の小林節氏の著書『タカ派改憲論者はなぜ自説を変えたのか 護憲的改憲論という立場』(皓星社)を紹介したもの。
<35歳の助手のころから自民党の憲法改正論議に付き合ってきた筋金入りの改憲論者だ。安倍晋三首相の祖父でいまは亡き岸信介元首相が会長をしていた「自主憲法制定国民会議」にも最年少メンバーとして参加し、1994年に読売新聞社が出した「読売改憲試案」にも深くかかわっていた。>(同記事)
 という著者が鳴らす警鐘とはなにか? 詳しくはリンク記事をお読みいただきたいと思いますが、たとえばつぎのくだりはいかがでしょうか。

それでも「改憲」という大きな目標に向かって進むのならと我慢して付き合ってきたが、自民党が具体的な「憲法改正草案」を出したところで糸が切れたのだという。

 〈私はこれで具体的な改憲論議を始める叩き台が出来たと、素直に喜んだ。しかし、中身を読んで、私は落胆し、遂には怒り出していた〉

 何が問題なのかというと、どれだけ口をすっぱく教えても憲法とは何か、立憲主義とは何かがまったく理解できない人たちだったということだ。議論の前提となる基礎知識すら共有できないのだから話にならない。改憲をこんな奴らにやらせたら、トンデモないことになるというのが小林氏の言い分だ。では、憲法とは、立憲主義とは何なのか。

 〈そこで、いま、改めて原点を確認しておきたいが、憲法の本質は、主権者・国民が権力担当者に課す制約である。(中略)憲法は、主権者・国民大衆の中から例外的に選ばれて個人の能力を超えた力を託された人々(つまり権力者)が、人間の本来的な不完全性ゆえに、その権力を乱用することがないように、権力に歯止めをかける規範である
 〈言うまでもないことであるが、心配だからあえて言うが、憲法とは、主権者・国民・大衆が、一時的に「権力」という大きな力を国民から託された権力者(つまり政治家と公務員)がその権力を濫用しないように「権力者に課した制約」である。それが権力者によって無視されたら、もはや日本も例えば北朝鮮と違いがなくなってしまう〉

 同書には、こうした表現が繰り返し出てくる。ところが自民党の草案は、この立憲主義の大原則を踏み外し、国家が国民を縛るかたちになっているというのである。2012年版「自民党憲法改正草案」第102条に「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」とあるのはその象徴だ。憲法を尊重しなければならないのは、国民でなく権力者だ。
(中略)
〈そこで、改憲論者である私も、最早これまでと思い、反対の論争を始めた〉のだ。
(リンク記事。下線挿入はブログ筆者)

 まさにそのとおりでありましょう(「馬鹿の巻き添えは御免蒙る・・・の巻」で引用した伊藤真氏の「中高生向け」コメント参照)。「刃物とはなにか?」、そんなことをまったく理解できない赤ん坊のごとしなのが、アベ政権であり、そのおとりまきなのであります(いや、いくら「無知」のたとえだとしても、これでは赤ん坊に失礼。したがって、抽象的表現としての「馬鹿」こそが最適)。こんな恥知らずの政権が、世界に名だたる自由な民主主義国家であり先進国にわがニッポンに君臨しているとは……。北朝鮮の主体思想がその為政者でしか通用しないように、自民創価主体思想も本来はそうあるべき。

 いまひとつは、当ブログでたびたび引用させていただいている“元・自民党幹部”の白川勝彦氏(リスペクト!)の「永田町徒然草」です。

http://www.liberal-shirakawa.net/tsurezuregusa/index.php?itemid=1686

「日米安全保障条約を中心とする日本とアメリカの二国間関係は、双方にとって死活的に重要な二国間関係である」というのが、私が国会議員当時(平成10年頃)の、最大の肯定的な表現であった。これを修辞的に日米同盟と呼ぶのは許されるとしても、政治の場で“日米同盟”と無批判に呼ぶのは、断じて許されない。日本の政治家である限り、絶対に許されないことなのである

およそ政治的知識も見識もない安倍首相が、アメリカでどのような演説をしようが、日米安全保障条約や日本国憲法は毫も変わらない。安倍首相が、日本とアメリカとの関係を“希望の同盟”と表現したとしても、それは文学的表現に過ぎない。そんなものは、政治的には全く意味がない。従って、これを批判する者は、日米安全保障条約と日本国憲法に基づいて、正面から批判しなければならない。これからの国会論戦を、じっくりと見る必要がある。>(リンク記事。下線挿入および太字強調はブログ筆者)

 白川氏の指摘も、前出の小林氏のそれと通ずるところがあります。すなわち「同盟とはなんぞや?」というその基本のところすらこれっぽっちも理解できていない無知なアベ政権。それでいて強力な刃物を振り回しているのだからたまったものではありません。
 しかしもっとも危険視すべきは、そういう政権を生み出し、存在を許しているのがほかならぬニッポンジンだということでしょう。政権は国民の態をなすという意味において(いわんや、北朝鮮や中華人民共和国などとは異なる自由主義民主国家でその体たらくなのですから、言い訳のしようがないわけです)。

 それにしても。マトモな(?)改憲論者はさておきかもしれませんが、改憲の正当性を訴えるひとつのアピールとして、現・日本国憲法が宗主国であるアメリカ合州国から押しつけられたものであるという論があります。これについては、「たとえそれが事実だとしても、いいものはいいのだ」という反論が容易にできますし、「押しつけ」についての解釈の違いだってあります。しかしそれはさておくとして、その「押しつけられたからダメだ」とのお説を振りかざしながら、アベ改憲の目指すところがアメリカ合州国の下請け化でありこれまで以上の隷属化であることはケッサクのひとこと。自衛隊の扱いしかり。沖縄問題しかり。(改憲とは直接の関係はないかもしれませんが)TPPしかり……。

 こんな単純な矛盾にすら気づかない(フリをしている?)連中に対しても、「馬鹿」というのはまっこと相応しい比喩とはいえないでしょうか?

 JR北海道をめぐる一連の“不祥事”は、こんどは青函トンネル車両事故という形で噴出した。北海道新幹線開業を前にしたみっともない事件にクビをかしげざるをえなかったが、つづいておきたJR東日本における山手線の電柱倒壊事件には、驚きや怒りを通り越して、恐怖、さらに悲しみまでを実感することとなった。

 事件については、現場に居合わせたワケではなく、大半のひとびとと同様に報道を通しての知識しか持ち合わせていない。国としては、どうやら「重大インシデント」との認識を示したらしく、今後は同社の体質を含め、直接的あるいは間接的な原因が追求されることを願ってならない。なによりも個人的に「世界一」と愛着を覚えているわが国の鉄道が健全であってほしいと願うがためである。

 JR東日本(だけではないが)といえば、当ブログでその車内騒音について触れたことがある。

騒音鉄道...の巻。もうちょっと静かになりませんか、JRサン!

 停車駅案内など必要不可欠と思われるものは別として、やれ携帯電話がどうの、やれ優先席がどうのと、えっらそうにタレ流し続けられている下世話な“道徳系放送”。あるいは自社の都合(構内工事や遅れなど)を乗客に対し注意喚起するむすびに「ご理解ご協力を」などと他人さまに対し「理解せよ」との慇懃無礼な態度(これは鉄道会社だけでなく、日本全国多種多様な分野に感染した誤った日本語ではあるが)。しかも、そんなのを自国語だけでなく米語──しかも、その米語そのものについても問題点を指摘するムキがある。pleaseの用法などはどうか?──で延々と繰り返す。とりわけ、常日頃利用せざるえをえない東京圏の通勤電車の類では(ほかも同じかもしれないが)、女性の陰気な声色に神経を逆撫でされ続けている。

 じつはこの問題に関連し、さまざまな分野を対象に社会問題として取り組んでいるグループがある。

静かな街を考える会

 昨年、会では在京各鉄道会社に対し、利用者からの意見および質問として、車内放送についての書状を送付、同時に書状に対する回答を各社に求めた。その結果は同会の会報誌である「AMENITY32号」で報告されたが、いずれの会社も根本的な部分を避けた(自社にとって)無難な内容に終始している。どうやら、(英語放送や道徳系放送などを)不要とする考えがある一方で「必要」という声もあるらしく、鉄道会社としては、「必要」という一方だけの都合をタテマエにして現状維持を図りたいと見て取れた。しかしそれはまだしもマシである。少なくとも利用者の声に対し、たとえ形式的なものであったにせよ回答をしてきたからである。じつはたった1社、無視を決め込んだ会社があり、それがJR東日本であった(少なくとも会報誌配布時点では)。ようは、「こんなモノは雑音にすぎない。われわれのカネモウケのためには無視するに限る」とでも言わんがごとしというか、他社と異なり無視を決め込んだのだから、それをどう解釈しようと会やこちらの勝手というものだ。

 あくまで個人的な推測ではあるが、この体質こそがJR東日本の今回の体たらく極まる大惨事未遂につながったのではないのか?
 報道によれば、現場では異常を認識していたにも関わらず、組織としてなすべき対応を先送り(この場合は、怠ったあるいは無視したと同義)し、その結果がああした事件に直結したという。きちんと異常を察知し、報告を怠らなかった現場の鉄道マンは立派である。これがあるからわが国の鉄道は安心して利用ができるのだ。だがしかし、組織として風通しがないままにカネモウケばかりに奔走しているのでは、鉄道会社としての未来はないだろう。

 そこでだ。ここはひとつ、JR東日本関連の全オフィス(キャリア官僚の巣のごとき本社はもちろん、ありとあらゆる子会社を含む同社関連施設)に「異常を発見したら速やかに対処しましょう。問題の先送りは厳禁です。現場および指揮系統各位のご理解ご協力をお願いします」と終日にわたり流し続けてみたらどうか。もちろん米語版も忘れずに──ただし乗客ら社員外に騒音公害の累が及ばないようにネ──。こんなのはいますぐにでも実践できるのではありませんか? 

 それにしても、昨夜起きたアシアナ航空の着陸失敗のおかげで(?)、JRの大事故未遂がニュースの埒外にされてしまった感があるのが残念だ。というより、JR東日本さらに広告や販売などの事情で同社におもねりたいマスコミとしては、アシアナ事故を奇貨としたいのかもしれない。しかし、子どもがオヤに叱られたり、長じて上司などからあるべき叱責を受けたりするのは、人間の成長の過程においては必要不可欠。これは、組織だって同じなんじゃないかと思うのだが、カネと権力を手にしてしてしまえば、もうそれで結構ということなのだろうか。ニッポンというくには、子どもに国家都合の「道徳」を強いるよりも先にすべきことがあるのではないかと思うのだが。


■おまけ
 多忙にかまけて触れるタイミングを逸してしまったが、天皇皇后ご夫妻のパラオ訪問にさいし気づいたできごとにひとつだけ触れておきたい。

 報道によれば、現地において天皇はつぎのような弔いの言葉を手向けている。
「さきの戦争で亡くなったすべてのひとびとに対し(抄録、以下略)」

すべてのひとびと」
 案外、これこそが天皇ご自身が国民や国家に対し伝えたかったひとことなのではあるまいか?
 詳細は省くが、これは、ある特定の宗教施設とそれを利用あるいは利用せんとしている有象無象らに対するある種の警告なのではないかと直感的に思った。先代の天皇やその戦後を含め、そのご真意を知りたいとは思うが、そんなことすら許されず叶わないのがニッポンという先進国なのであろうか……。

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猫池
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性別:
男性
職業:
レジャーライター
自己紹介:
 レジャーライター=植村誠の別館ブログです。
 ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
 なお、トラックバックおよび「コメント」は受けつけない設定にしております(当面はBBSへどうぞ!)。
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