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猫池罵詈雑言雑記帳
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このコマーシャルのせかいでは、人間とその生活のネガティブな要素は一切削除される。コマーシャルの世界観の中には人の喜びの表現はあっても普通に生きてきた人であれば誰でも持っている怒りの表現はまず削除される。また愉楽の表現はあっても哀しみの表現はない。かくて私たちのコマーシャル環境には怒と哀の欠け落ちた喜楽人間が氾濫する。>『東京漂流』(藤原新也・朝日文庫)

ずいぶん昔にデザインというものに哀しみは盛れないといった人がいるが、最近のコマーシャルには、ほんのわずかであるが「哀」の字を表現しているものがたまにある。>(同)

 ここに引用した著者の観察眼には深く納得するが、これに加えて、近ごろでは「」という要素がわが祖国ニッポンのコマーシャル界に跋扈しているように思えてならない。

 TVはほとんど見ない人間だが、それでもときにはスイッチを入れる。そんなときにこの「醜」まみれになったコマーシャルとたびたび遭遇してヘキエキとさせられる。とりわけそれはBS放送において顕著である。


 それら「醜」世界をコマーシャルに盛り込んでいる常連はほぼ決まっていて、「サプリメント」だの「健康食品」だのと宣伝されている正体不明の「食品」群がもっぱらだ。たとえば、荒れきった肌の拡大画像が、なんの予告もなしに「ドカン」と画面を占拠する。直前までドラマのなかの美女に見とれていたのに、あんまりの仕打ちではないか。もちろん、荒れていることそのものはけっして「醜い」とは思っていないしむしろ人間らしさの一面だと思っているが、売らんがための見世物としたときに、それは一気に醜いシロモノと化す(むかし、「オールナイトフジ」のエロビデオ紹介コーナーで、ビデオの合間に鶴太郎のアップがイヤガラセのように出てきたのを思い出す。違うか・笑)。


 あるいは年配女性のたるみきった腹部によって、同様にいきなり画面が占拠される。つづいて現れる荒れた肌なりたるんだ腹部なりの持ち主の不景気きわまるご面相。
 または、年齢を重ねて現れがちな体調不良を大げさに表現して視聴者の不安をあおる。
 そして、そこに報酬と引き換えにして、いかにもしかつめらしくその「特効ぶり」を語る出演者。
 あるいは、そのじつなんら関係がないのに、「厚生労働省」の名前を出して、さもお墨つきがあるように喧伝するのもある。


 そのテの広告というのは、以前であれば子ども向けではない漫画雑誌やゴシップ雑誌に出ているのがもっぱらで、「厚生労働省」の文字と建物写真をでかく載せた「サプリメント」の広告を思い出す。どういう商品かって? なんでも、そいつを飲めば「あなたのチンポがでかくなる」のだそうだ(笑)。しかしこれは笑いごとではなく、それと大して変わらない商品が堂々とTVCMによって日々タレ流しにされているのであるからなにをかいわんやではないか。


 近ごろはネットのバナー広告にも「醜」コマーシャリズムが跋扈しつつあり、中年男女の不景気な表情を、さらにそれを増幅するような写真に仕立て上げ広告としているのも増えてきた。
 そんなモノに遭遇するにつけ、「あー気持ち悪い!」と不機嫌になりかねないオレであるが、あして跋扈しているところをみると、あんなものをみて「よさそうな商品だ。さっそく注文してみよう」といった(オレからみれば)不可思議な感性の持ち主が、想像以上に多いのかもしれない。


 さて、そうした「健康食品」群の一種である「トクホ」商品(「醜」コマーシャリズムの担い手でもある)とやらの品質を偽装していた事態が発覚、お墨つきを与えている消費者庁は1270種にも及ぶというそれら「トクホ」商品の成分検査をメーカーに指示したという。そんなものをいまさら、それもメーカーに命じてどうなるのかという気もするが、オレはあんなお墨つき制度は即刻廃止すべきだと考えているし、謳われている実効性云々以前に安全性すら疑っているので、このさい徹底的にメスを入れるべきであろう。



 もちろん、そのメスは「トクホ」以外の類似商品群にも入らなければウソである。
 ごく素朴に疑問を抱いているのだが、ああしたコマーシャルには、一見すると薬品を思わせるような「効果」が謳われているが、いったいどうやって薬事法を制限をクリアしているのだろうか。たるみきった腹部CMでは、その商品を飲めばまたたくまにスリムなおなかに早代わりと言っているとしか思えないモノもある。そんなものが眉唾であることはたいていのひとがわかっているハズなのだが、わが母堂が通っているデイケア施設の通所者(つまりお年寄り)だけをみても、そうした商品を「CMでいいっていってるから」といった他愛のない動機で定期購買をしているひとが多くて驚く。しかも、「では効果はあるの?」と訊いても、明快な答えはまず返ってこないのだ。


 そうした商品群のなかには、メーカーと関係のない専門家によって謳われている効果などまったく期待できないと断言されている分野もある。また、知人の医療関係者も、専門家の視点として「ああしたものを患者さんに勧めることは一切できない」と効果に否定的だ。
 以前、他界した父親が疾患の影響で栄養が極端に吸収できない状態にあったさい、栄養剤が処方されたことはあったが、「あれこれ宣伝されていますが、(そうした商品云々ではなく)医療用のサプリメントみたいなものはないのでしょうか?」とドクターや看護師に訊ねたことがある。単に言葉をにごらされただけであったが、ようは立場的にも市販されているそのテの製品について「いい」とも「悪い」とも言えず、かといって医療用であっても有効なサプリメントなど存在しないのだと言外に語っているようでもあった。つまり、あんなものは効果はないのだと。

 冒頭で引用した『東京漂流』からいまいちど引用してみよう。

商品慣れした大衆は、神々のいかなる「変身!」も「分身!」もすぐに見破って、興味を示さなかった。彼らは、自分たちをエキサイトさせてくれるような、まったく新たしい製品の出現がないことを知っていたのである。
 しかし厳密に言えば、まったく新しい発明がないというわけでもなかった。「トランキライザー(精神安定剤)」である。必要は発明の母とはよく言ったものだ。苦境に陥った経営者たちは、この新種の神のお世話になり、買うものがなく欲望がなえてきた消費者のイライラも、この神が面倒をみた>(前掲書)

 トランキライザーと「サプリメント」(あるいは「トクホ」)。オレにはどうも両者が持つ背景に極めて近しい影を感じないではいられないのだがどうだろうか。

■補足その1
 それら「醜」コマーシャリズムの担い手には、「エロ雑誌」などはほとんど素通りしているような著名企業も少なくない。そのなかの一社をめぐる個人的エピソード。
 あるとき、冷たい飲み物でもと思って自動販売機に近づいた。小銭を出しながら並んでいる商品をみたら、近ごろそのテの商品販促にご執心の大手メーカーのものであった。買うのをやめた。暑い日ではあったが、我慢した。そのメーカー。正直いえばあのロゴデザインにすら不快感を覚える。かつてはその社のビールを買うことも少なくはなかったが、いまはもちろん手にすらしない。その点で、少なくともああした「醜」コマーシャリズムに頼るだけの特効はあったワケだ。
 

■補足その2
 薬事法云々にからめた疑問を提起したが、いまひとつは「二重価格」の疑念も抱いている。たとえば、「通常価格4990円が、いまなら1000円!」などというアレだ。そのテのCMに遭遇するたびに、「この商品、ホントに4990円で売られた実績はあるのだろうか?」と思う(実際にキャンペーンとして割引にしている商品もあるのですべてが該当するわけではない)。あるいは「50万セット突破!」の類。公正取引委員会や税務署が調査しているのかどうかまでは知りようがないが……。


■おまけ
『東京漂流』はノンフィクション向けを謳っているそのスジで著名な文学賞の候補に挙げられたものを、著者自身が受賞を拒否したことでも知られている。
 これはあくまでオレ個人の推測にすぎないが、その賞にふさわしい内容と誤解される可能性をはらむ箇所が本書にはたしかにあり、それゆえ“与賞”という“罠”が仕掛けられそうになったのではあるまいか? 著者はそれを見抜いていたからこそ辞退という形で拒否したのではないだろうか。
 たしかに、その賞そのものは商売あるいはメシのタネとして割り切った場合には、得ておいて損はないだろう。また、受賞作のなかに優れた作品があることも否定できない。だが、この賞がそのお題目どおりに「ノンフィクション」ばかりに与えられてきたのかについては、いささか以上の疑問がある
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 フェイスブック運営者が、報道写真を「児童ポルノ」と解釈のうえ一方的に削除するという事件があった。
 いくつかの報道によれば、ベトナム戦争当時、米軍が実行したナパーム弾による大虐殺のさなかに逃げ惑う子どもたちの写真をノルウエー人のトムエーゲラン氏が投稿したところ、フェイスブック“当局”が直ちにその記事を削除。この事態に対し反発の声が巻き起こり、会員らが続々と同じ写真を投稿することによって抗議の意を示すこととなったという。

 フェイスブック側の言い分は、「裸の子どもが写った画像の投稿はわが社の規定に反する」であり、「一部の国では児童ポルノに該当する」(ゆえに削除しなければならない)というものだ。ところが、フェイスブック側の措置に対する批判は拡大を続け、“抗議の投稿”にはノルウエーの首相までが参加するという騒ぎに発展。結局、フェイスブック側がその検閲措置を撤回することとなった(ただし、いまのところ謝罪には至っていないらしい)。

 個人的にはフェイスブックはまったくやっていないしやるつもりもないので、たいした興味を持ってもいない。また、その当局者による検閲についてはネット上の話題で何度も目にしており、必要な面をあるていど認めつつも、それゆえに余計に関わりたくないと考えてきた。

 そこに現れた今回の事件を取り上げてみたのには意味がある。

 オレの予想どおりにといおうか(厳密には遅かったが)、アベ政権が共謀罪の創設に向けてスピードアップをはかっている。タテマエとしてはテロの未然防止などが挙げられ、そこだけをみれば「必要悪」との解釈をするムキもあるかもしれない(同時に、現行法の範囲での対策が本当にできないのかどうかについての検討をすべきだ)。
 しかし、具体的な犯罪に至る以前に罪人あるいは容疑者として身柄の拘束などを可能とするこの法案は、われわれ一般市民の日常生活をも脅かすことになる点を見逃してはならないだろう。単なる話し合いや行動が、共謀罪に該当する「共謀」であると判断するのはわれわれの側ではなくあくまで権力側である。「そんなものあとで無実が証明されるさ」(強姦事件で逮捕された役者のように? あの事件もよくわからない点が多いようだが、仮に不起訴となったとしても、あるいはあれが“冤罪”だったとしても、当人とその周囲は無傷ではいられなかった)とのんきに構えるのも結構だが、それを決めるのまた権力側であることを見逃してはならない。

 ちょうど、今回のフェイスブックの検閲事件、その検閲の是非や内容そのすべてを握っているのが“当局”側であるようにだ。

 その自覚がない層がことのほか大きいと思わされたのが、フィリピンで起きている無法状態に対するとあるポータルサイト上の投稿であった。

 たびたび報道されているように、薬物犯容疑者について、一切の司法手続きなしに“死刑”に処すべしと強行する大統領。すでに数千人規模とも伝えられる“被処刑者”。フィリピンにおける治安の悪さについてはあれこれ目にしており、あるていどは強硬な手段を用いることをアタマから否定できないようにも思う。しかしおそろしいのは、強硬どころか一方的虐殺手段に出たフィリピン当局について、「こうでもしなきゃダメだろう(治安を守るためには)」といった投稿が相次ぎ、それに対する「賛同」が圧倒的に多いことなのだ。そんなひとびとをさして「平和ボケ」と片づけるのは簡単だが、それが有罪であろうとなかろうと、「薬物犯罪者・容疑者」と断定するのはあくまでも当局者・権力者の側であり、断定される側には逮捕されるか殺されるかの二者択一しかないことをきちんと認識すべきであろう。そして、われわれ一般市民の大半は、その「断定される側」に属していることも知らなければならない。

 フェイスブック事件では、権力者を含む多くのユーザーが抗議の声を挙げ、“当局”側に撤回まではさせることに成功した。だが、繰り返すが、それがなんであれ、対権力という点での決定権がどちら側にあるのかということを認識しておく必要がある。そして、その決定権を覆す手段があるということについても、今回の事件は暗示してくれたわけだが……。


■補足
「児童ポルノ」を取り締まるのは正当な行為だが、報道写真を安易にポルノと断定してしまうフェイスブック“当局”者の程度の悪さには心底驚かされた(やはりあんなものに手を出さなくてよかったとしみじみ思った)。だが、いくらかのエクスキューズがないとはいえないかもしれない。
 これはあくまでオレ個人の想像ではあるが、たとえぞれが悲惨な場面を切り抜いた映像だとしても、単に裸の女児(いや、男児もか?)が写っているというだけで、性的興奮を覚える人間がいないとは限らないからだ。しかしそれをつきつめてしまうと、ニンゲンが写った写真のほとんどが「ポルノ」と解釈されかねないことにもなってしまう(ただし、性的興奮の誘発がイコールで取り締まりの要件となるのかどうかという問題もある。そこに被害者がいる場合は別問題ではあるが)。
 一般にポルノといえば若い女性がモデルなりにされるイメージがあると思うが、題材はいくらでもある。別段、ヌードになっている必要もなければ年齢どころか性別さえ容易に飛び越えてしまう。性的な傾向というのはあまりに広範囲で、なかには当人たちがそれゆえに大きな悩みを抱えている場合も少なくないだろう。マイノリティ中のマイノリティのようではあるが、肥満した中年から初老の男性を好む男性だっているという。言い換えると、そこらのおとっつぁんを“ネタ”にして性的興奮を覚えている男性だっているワケだ。あまりこうした点を挙げると差別になりかねないしキリがないのでこのへんにしたいが、その「ポルノ性」云々の判断を権力者に委ねていいのか? フェイスブック事件は、そのあたりを再考するきっかけにもなったかもしれない。

 なお、仮に共謀罪が創設されてしまった場合、その矛先のひとつとされるのが沖縄であるような気がしてならない。すでに進行している日本版天安門、あるいは日本版光州……。本当に誇れない国になってしまった。


 9月1日、JR西日本が三江線(江津~三次間)の廃止を表明した。同線は全長108.1kmに及ぶ長大ローカル線で、区間運転(全線走破スジは下り2本上り1本にすぎないが)を含めても上下合計17本にすぎない閑散線区である。だいぶ前に1度だけ乗りとおしたことがあるが、たった1両の小型ディーゼルカーが満席になった区間は皆無で、少ない乗客のうちふたり(オレを含む。ひとりは推測)は「三江線に乗るのが目的」で乗っていたのだからなにをかいわんやの状況ではあった。

 一方、JR北海道が今年12月を最後に留萌本線の留萌~増毛間を廃止、さらに石勝線の“夕張支線”(新夕張~夕張)間の廃止を夕張市に申請している。また、新幹線開業との引き換えではあるけれど、北陸本線の金沢~直江津間と信越本線の長野~直江津間、江差線(五稜郭~木古内)、鹿児島本線の八代~川内間、さらに東北本線北部などの第3セクター移管は、鉄道路線としての存続はしているものの、母体であるハズのJRから切り捨てられたという点で、広義の廃止に準ずるという見方ができるかもしれない。

 ここにきて、なんとなく「冬の時代」というものを予感する。このままいくと、廃止を含む路線切捨てに歯止めがかからなくなるのではないかという気もしてきた。

 ここからはまったくの個人的推理だが、彼ら(JR)がつぎに画策しているのは幹線を含む在来線の分社化ではあるまいか?

 たとえば、新幹線整備法に関連して3セク移管された線区がある一方で、その埒外にある東海道本線や東北本線の盛岡以南などはJRの路線として存続している。長距離優等列車が新幹線に移行したぶん、東京圏など大都市圏では生活路線としてより重要度が増している面もあるものの、長い区間のなかには経営(数字)的にみて厳しい部分もあるに違いない。とずれば、そんな儲からない路線はどうにかして切り捨てたいというのが経営側のホンネではないのか。
「●●線は新幹線開業のおかげでまんまと破棄できたんだがなァ。●●線もどうになからんのか?」
 というワケだ。まぁ、穿った見方であることは承知しているけれども。

 とはいえ、完全に自社と分離するには不都合な点もあるだろう。
 そんな推理で浮かび上がってきたのが、子会社の設立である。つまり、新幹線を含む儲かる路線をJRオリジナルで引き続き経営、そうでない路線・線区を新たに設立する子会社の管轄としてしまうのだ。この場合、3セク化などとは異なり、あくまでJRグループとして存続することになるハズで、当面は利用者にとって目にみえる不都合はないかもしれない(ICカード乗車券の類は共通利用できるのだろうが、運賃計算がどうなるかは想像の範疇外)。

 だが、従業員はほぼ完全に分離されるだろう。役員クラスなど一部には出向という形でJR本体の人間が配置されるのだろうが、現場を含む大半の従業員はそのまま子会社の社員という立場に置き換えられる。線路や駅などの関連施設の保持・分配については、分社を原則とする手段やオリジナルが子会社に貸し出すプランなどが思い浮かぶ(後者の場合、子会社が第2種鉄道事業者となる)。
 これは経営側からみれば意味のあることで、たとえば人件費(給与や賞与などもろもろ)についてだけみても、JRオリジナルと子会社との差が歴然とするに違いない。言い換えると、たとえば新幹線や一部大都市路線による儲けをより株主への配当や内部留保にまわしやすくなるのではないのか?

 仮にそんな事態が進行したとしたら、世界に誇れるわが国の優秀な鉄道網がどうなるか。おヒマな方はぜひ鉄道地図上などでシミュレーションしてみていただきたい(廃止路線もお忘れなく)。

 じつはこの推理(妄想であってほしいが・笑)にはちょっとしたヒントがある。
 航空である。
 たとえばわが国では最大手2社によって「JALグループ」と「ANAグループ」がいくつもの航空会社を傘下にして、地方路線などの運行を実施している(前者では日本トランスオーシャン航空やJALエクスプレスなど、後者ではANAウィングス)。これは外国の航空会社でも同様で、コードシェアによって大手会社便になっていても、実際の運行は子会社などがあたっているケースは常識になりつつある。
 さすれば、カネモウケ小児病(とオレは勝手に思っている)のJRが「オレも(「オレたちも」ではないんだな、この場合)」と考えるのは当然のなりゆきのように思うのだがどうだろう。

 まっ、せっかくだからさらに発展させて、JRの路線上を第2種鉄道事業者が活発に営業できるようにしたらどうかと思いますがね。ヨーロッパの鉄道路線で盛んなように。こんなのはまぁお遊びの部類ではあるけれど、JR東日本とJR西日本が「JR九州に続け」とばかりに投入する予定の超高額遊覧列車の類なんてのは、むしろそういう方式のほうが利用者のためになるだろう。「ファーストクラス的」なサービスなど、鉄道会社よりはむしろ航空会社のほうが得意なハズだし、現にヨーロッパでは航空会社が航空便として運行する列車だってあるわけだからねぇ。
 
 図体のでかさの割にあまりにせこい鉄道会社。
 どうもそんな偏見を抱かずにはいられない昨今である(われながら悲しいことだ)。

 予想を超える退廃おっと大敗だったと思う。
 さきの都知事選における野党共闘の結果だ。
 そこには、候補者・鳥越氏および各政党の力不足もあったろうし、白川勝彦氏が言うところの「白色テロ」の効果もあったに違いない。だが、ここにきていまひとつ想像するのは、今回の「小池VS増田」という構図が、巧妙に仕組まれた茶番劇だったのではないかということだ。

 いかにも「反自民」的ポーズを全面に出した小池氏。それに対し、自民党主流と創価学会は元岩手県知事という異例なまでに“地味”な(失礼!)候補者を担ぎ上げた。しかも、件の「鳥越バッシング」が噴出する以前から、増田氏の“マスゾエぶり”が明るみに出て、ただでさえ知名度で勝る小池陣営にどこまで対抗しうるのかと思ったひとも少なくはないだろう。
 しかし、そんなことはとうの官邸側にとっては百も承知で、小池氏で勝てるという確証があったからこその芝居だったのではあるまいか?

 小池勝利が動かないのであれば(「白色テロ」はそれをより確実にするために仕掛けられた)、狙いはおのずから見えてくる。

 野党共闘を切り崩す。

 これこそが反動保守同士の対決を演出した本当の狙いだったのではないだろうか。

 結果として、小池VS鳥越ではダブルスコアをゆうにクリア。増田VS鳥越という局面でも大差をつけた。ここから導きだされかねないのは、野党共闘に対する疑念であり、それは今後の各選挙にも影響を与えるだろう(さきの参院選では大勝利とはいなかいまでも、共闘がなかったらどうなったか、冷静に省みてみたい)。また、いまひとつは民進党内部の動揺を生んだ可能性はあり、同党議員や党員の離反へとつながっていくかもしれない(同党内の「共産党嫌い」勢力は?)。そうなれば、せっかく実現した野党共闘にヒビが入り、今後の選挙においてますます自民・創価の独走を許すこととなっていくだろう。官邸の狙いはまさにそこにあったのではないのか?

 こう記すと、小池氏やその支持者に対する自民党主流の冷遇ぶりなどを材料に、否定するムキはあるに違いない。
 おそらく、そうした冷遇や対立はウソではない。小池氏は官邸の思惑云々をさておいてもある種の対立をしたのは間違いなく、それは増田陣営とて同様だっただろう。
 しかしそれもまた、仕組まれた演出のなせる業だったとオレは見る。

 かつて“キワモノ系ポルノビデオ”*(注)の演出で知られたバクシーシ山下監督は、出演者を「騙す」ことによって作品に緊迫感を与えてきたという。たとえば、強姦シーンを撮影にするにあたって、女性モデルを含む出演者にはそれが「強姦もの」であることなどはきちんと伝え了承を得ておく。しかし、そこに予期しなかった仕掛けをからませることにとって、出演者たちを「ハマらせて」しまうのだという。なかには、軽いアルバイト感覚で出演したはいいが、撮影現場で繰り広げられてゆくのが芝居ではない強姦そのものと勘違いした男が「これはヤバイ」と逃げ出そうした例もあったらしい。そうして出来上がったものは、山下作品と監督を糾弾した市民グループによれば「黒澤明をしのぐ」作品だったというのだ。
 こうしたエピソードは『セックス障害者たち』(バクシーシ山下・太田出版)や『アダルトな人びと』(足立倫行・講談社)などに詳しいが、ここで注目すべきは演出によって独自のドキュメンタリー的世界がつくられたという点であり、出演者自身もまた、演出と現実との境界が覚束ないままに演出者に操られていたところにある。

 今回の「小池VS増田」という構図は、まさにこの手法によって打たれたひと芝居だったのではあるまいか? そりゃぁ(ひょっとすると)本気だっただろう。小池陣営としてはアベ自民&創価タッグと真っ向から対決したのかもしれない。山下監督が出演者を「ハマらせた」のと同様に「ハマって」しまったのだからムリもない。しかし、“監督”としては「小池勝利で十分。問題は、小池+増田がどれだけ鳥越をしのげるかだ」。
 こうしてまんまと小池都政がスタートし、下馬評にみられた「鳥越独走か?」という筋書きすらなかったことにされてしまったのである。

 各野党とその支持者、あるいは「反アベ」でも正統的な「保守」でも「自由主義者」でもあるいは「社会主義信望者」でもいいが、なすべきことは前進である。揺さぶりなどに動揺してしまえば、相手側の思う壺だ(正面から見れば、それだけアベ政権にとって脅威なのだ。野党共闘が)。


*注:
 一般的に「アダルトビデオ(AV)」などと呼ばれるが、「アダルト」とか称しつつもその大半は単なる「ポルノ」。個人的には「エロビデオ」という呼び方を好むが、「ポルノビデオ」というほうが正々堂々としているように思うので、ここでもこうした。単に「興奮する作品が(ほとんど)ない」というつまらん理由で個人的にはほとんど見ることのない「ポルノビデオ」だが、「作り手」についてはなにかと興味を覚えている(そりゃそれとしても吉沢明歩はええなぁ。出演作は1本も持ってないけど)。なお、例として「強姦」云々を持ち出したが、そうしたテーマに対する是非についてはここでは触れないこととした。


●おまけ:
 で、かような都知事だが、かつて石原みたいな元破廉恥小説家を長きにわたり抱いてきたのである。ここはひとつ、ポルノ界の御大・村西とおるをその席にご招待してみてはどうか?
 スローガンは「東京からスケベがやってくる!」。
 東京23区を「ポルノ特区」とし、いまや韓国エンタテイメント(とくに映像部門)に唯一対抗できているかもしれないポルノビデオの一大製作・輸出拠点とする。村西とおるのずば抜けた行動力については、たとえば『裏本時代』(本橋信宏・幻冬社)などに詳しいが、それがたとえポルノであれ、あれよという間にトップに躍り出た実績(それも二度も)を持つ巨人である。特定のイデオロギーに害されることなしに、文字どおりに寝食を忘れて東京都を盛り上げてくれるといっても過言ではないでしょう。

 なぜこんな露悪的なことを記すかって? それほど絶望したからさ。あまりにも無防備な選択に。

「成田エクスプレス」が営業運転中に誤った線路に進入したという信じがたい事件があった。
 事件がおきたのは29日(金)18時半ごろ。いくつかの報道によれば、成田空港発大宮ゆき「成田エクスプレス40号」が品川で新宿方面に進むべきものを横浜方面に向かう線路を進行してしまったというのである。運転士はただちに誤りに気がつき、いったん停車させたのちにそのまま横浜方面に進行、武蔵小杉駅で乗客を降ろしたという。

 なんでも、その列車が新小岩駅で起きた人身事故により車両が破損、そのため併結運転(大宮ゆきと大船ゆき)の編成を入れ替えて運転しており、本来は大船ゆきであった編成が大宮ゆきとなっていたらしい。影響で詳らかな原因についてはこれから公表されていくのだろうが、これはもう立派な“重大インシデント”とはいえないだろうか。これまで報道された内容から察するに、これそのものがただちに大事故につながるとはシロウト目には思えないが、こうしたミスの積み重ねがやがて致命的大惨事を招く可能性はある。

 以前、当ブログで記したように(争点破壊・・・の巻。ケンカを仕掛けたのは政権のほうである )、オレにはどうも、つぎなる致命的大事故は、この会社が起こすのではないかという気がしてならないのだ

 ところで、あのべらぼうに高い特急料金やグリーン料金はどうなったのだろうか?
 あいにく、この点に触れた報道を確認することができていないが、仮に大宮到着(途中の新宿や池袋も同じ)が定刻より2時間以上遅れていたとすれば、単純に払い戻しとなるケースだ。いまひとつ、乗客は武蔵小杉駅から湘南新宿ライン経由の電車に誘導されたというが、「成田エクスプレス40号」のグリーン車を利用していた乗客は、湘南新宿ラインのグリーン車をそのまま利用する権利がある(もしほかの特急があれば、それぞれ「成田エクスプレス40号」で利用していた設備に相当する座席が手持ちの「成田エクスプレス40号」の特急券でそのまま利用できるし、「急乗承」のケースではそのうえで料金券が全額払い戻しになる)。仮にそこで着席できない状況であればどうかというのは、「旅規」をあたってみなければならないが、はたしてそうした案内が現場できちんとなされていたかについては、これまで体験や見聞してきたJR側の態度からみて甚だアヤシイと思わざるをえない(新幹線特急料金半額払い戻しや、寝台料金全額払い戻しのケースなどを現場での案内が一切なかったばかりか、申請してもあれやこれやと屁理屈をつけて応じないのがJR東日本というわが国を代表する鉄道会社の体質である)。

 いまひとつの疑問は、運転士がただちに誤りに気づき停車させたのは当たり前とはいえきちんとしていると思うが、ATSなど自動保安装置はどういう判断をしていたのだろうか。大惨事の前兆として見逃してはならないケースであろう。


■おまけ
 年金のバクチ損益が5.3兆円(公式?)にのぼっているとの発表があった。
 ホントにそれだけで済んでるのかよ?
 そういう疑問もあるが、いずれにしてもべらぼうな額である。しかもそのカネときたら、われわれ国民が将来に備えて国家に預けている公共の資金だ。そもそもがそんな大切なカネをその道のプロフェッショナルであろうと相当のリスクから逃れ得ないマネーゲームなんぞにつぎ込むというのがバカ丸出し。小遣い銭をバクチで稼ごうとして失敗。気がつけば借金を抱え、それを返済するためにまたバクチ。さらにまたまた借金。それもまた召し上げられていよいよ泥沼と化す。
「オレのためじゃないんだ。おまえたち(家族など)を少しでも楽にさせてやりたいと思っただけなんだ」
 なんていうのは映画や小説のなかのありがちなセリフではあるが、ニッポンという国家がしでかしていることとどれほどの違いがあるだろうか?

 国家から運用を任されている年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の高橋則広理事長は「謙虚に受け止めて次回に生かしたい」と記者会見で語ったという。
 しかしふつうの企業あれば、これだけの損失を出してしまえばもう「次回」などありはしないだろう。バカも休み休みいえと思うが、ふと気になったのがこのGPIFの諸君らの「賞与」である。まさか、こんな莫大な「赤字決算」を出しておいてビタ一文もの「賞与」をもらったとは思えないが、それは総責任者であるアベシンゾーとて一緒。ってことは、ちゃっかりともらうものはもらっているということなのだろうか? 言い訳はどうあれ、事業に大失敗した企業や事業部が「賞与」を手するなんてことはありえないハズ(社会主義国を含む官僚の類はいざ知らず・笑)。こんなんで「民間」だの「市場」だの「成長」だのとくっだらない「ポエム」を口にしているのはどこの馬鹿者なんだろうなァ。知性を疑うとはそういう輩に対して言うべき言葉である。

 この体たらくに関し、共産党の小池晃書記局長がわかりやすい発言をしているのが目に留まった。

>安倍政権が株の運用比率を高めたのは、「年金をどうするのかということでやった改革でなく、株価を買い支えるためだ」と指摘。「安倍政権は、アベノミクスの株価対策のために国民の大事な年金資金を流用し、株価暴落で大きな穴をあけた。(後略)
年金資金に大穴あけた安倍政権の責任は重大


 然り!
 かつて竹村なんとかというタレント(?)が「株価が上がれば景気はよくなる」とか抜かしていて、「そりゃ逆だろうよあんた」と爆笑させられたことがあるが、一方でそんなペテン発言を信じちゃっている善良なひとも少なくないようだ。こんなのは、モノの値段がどう決まるかという経済学以前の経済のイロハレベルの話ではないかと思うのだが、株価だって上がるべき材料がなければ本当には上がりはしないだろうよ、なぁ(笑)。
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 ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
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