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猫池罵詈雑言雑記帳
2024/04. 10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30 
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 ぁあ、万が一にも共謀罪が施行されたら、市民を“摘発”するのはこんな連中なんだなァ……。

みうらじゅん、痴漢冤罪被害を告白! 捜査協力のはずが「犯人連れてきた」(マイナビ)

 リンク記事の内容は見出しのとおり。
 容疑者でもなんでもなく、単に(善良な一市民として)警察の捜査に協力してみたら、いきなり犯人扱いとはね。

 ようは、こんなクソバエどもが共謀罪摘発の任を背負うワケである(ほかに国家の暗部ともいいうる「公安」の類も関わるのであろうが、それとて同様──どころの騒ぎではないに違いない)。

 ついでにざっとネットのヘッドラインを眺めていったところ、兵庫県警がなんら法を犯していない市民を銃刀法違反容疑で現行犯逮捕したという雑報もあった。違法となる刃渡り云々をめぐる警察官の無知(勘違いではないよ)によって市民を逮捕したはいいが、調べてみたら違法でもなんでもなくただちに釈放したというのだ。

 このふたつの案件。ともに警察側の横暴から無辜の市民を拘束したという共通点がある。善良にすぎると、「誤りに気づいて釈放したんだからいいじゃないか」などという頓珍漢な発想に結びつくかもしれないが、鉄道車両内などでの痴漢騒ぎ報道などを見るにつけ、その事後で無罪を勝ち取ろうが、標的にされた側は(警察と違って)無傷ではいられないではないかと思う。

 共謀罪なんぞなくてもこのザマなのが現代ニッポンなのである。
 実際に犯罪行為に及ぶ前どころか及ぶつもりがまったくなくても、権力側の恣意的な見方によって摘発できるのが共謀罪である。「つもり」なり「計画」なりの有無を決めるのは、あくまで権力側であり、その先鋒に立つのが、こうしたニッポンの警察だということを知るべきであろう。

 犯人扱いされた漫画家にしても、これが共謀罪施行後であったとしたら、いわれもない家宅捜査などを受けた可能性だってある。仕事に関連するファイルも一方的に捜査資料とされ、押収でもされてしまえば、それこそ生活に関わってくる。「犯罪を犯したワケでもないのに、そんなバカな?」と思うかもしれないが、そんな権力側の行為を合法化するのも共謀罪だ(さらにいえば、気に食わないジャーナリストや出版社などに対し共謀罪容疑をでっちあげてパソコンや書類などを押収することだって可能だし、カメラマンなども街角などで取材活動をしていてどんな言いがかりをつけられるか知れたものではない。後者の場合も、仕事に必須のカメラやメモリが「証拠物件」として押収されるのは間違いない)。

 そんな恐ろしい法を行使するのがこの横暴にして無知な連中なのだ。無実や補償を訴えたところで、相手は強固な組織と権力に守られている。おそらくは、無実が証明されようとも、現実的には泣き寝入りを強いられる市民でニッポン中があふれかえることになるだろう。
 仮に成立したらどれだけの犠牲者が生まれることになるのだろうか……?
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 ゾっとさせられた。

  人が多い。しかし上海の人の群は不思議だ。黙々と歩く。無表情である。ヒトの肉声が聞こえない。街を歩けば歩くほど、見たいものが見えないもどかしさ。出会いたいものに出会えない欲求不満が募っていく。街は、人々は、何かをかたくガードしている。(『全東洋街道 下』藤原新也・集英社文庫)

 片づけものをしていたら、久々に本書に再会した。そこで、なんともなしに寝床で再読を楽しんでいたところ、ゾっとさせられたというのが、上の引用部分である。

 一昨年、広州から雲南省を経て成都までの汽車旅を楽しんできた。ほんの数日間、それもごくごく微細な小旅行である。
 それでも、あれこれ印象に残ったできごとはあったが、総じて感じられたのはつぎのようなことであった。

 中国人ってのは、もっとやんちゃかと想像していたのに、このおとなしさはなんなのだろう……。

 たしかに、広州駅前などの賑わいには圧倒されるものがあった。広大ともいえる駅前広場を埋め尽くすように行き交うひとびとの群は、明らかに日本のそれとは異なる迫力があった。だが、熱が感じられなかった。生気に乏しいような印象を受けた。同じアジアの外国である韓国やタイ、あるいはベトナムとも異なる。もとより、上に引用した上海の現在や北京などではまた違った感想を抱くのかもしれないが、ちょっと意外な思いにかられたのも事実である。

「ゾっとさせられた」というのは、著者が歩いた時代の上海に現代ニッポン(とりわけ東京圏)を重ね見てしまったからである。
 本書でつづられている旅の時代、中国では外国人旅行(中国人もであろうが)の旅行は事実上自由化されてはいなかった。著者もまた、ひとり旅であるながら通訳と案内人という肩書きの監視人がふたりもつき添うという囚人さながらの上海滞在を強いられたらしい。対する日本ではそんなことはない。外国人であろうと日本人であろうと、国内を自由に行き来できるし、さしあたり理不尽な制限があるワケでもない。

 旅行云々(うんぬん)はさておいても、中国という国に社会主義国特有ともいえそうな、市民抑圧があることは否定できないであろう。街を歩けば、そこここに公安の姿が見られる(まださほど混雑していなかった駅待合室のベンチで脚を組んでいて、駅員に注意されたのも印象深い。まぁ、こんなのは社会主義とも抑圧とも関係ないのだろうが、少しばかり「やんちゃでない」その背景を窺ったような気がした)。
 ささいな一例を挙げれば、現地で知り合った中国人とカタコト会話を楽しみつつ、彼女が愛用しているスマホを使い、地図サイトでわが家の場所を教えようとしたら、遮断されていて、われわれのコミュニケーションにまでつかの間の空白が生じてしまった。ウワサは本当なんだなと思った。

 抑圧下の中国人大衆とニッポンジン。その両者に類似の印象を重ね見たというのはどういうことなのだろう。どうもわが祖国の明日といってもいいほどの近未来は、中華人民共和国に近寄りつつあるのではあるまいか? その名も朝鮮民主主義人民共和国と同様に、もはや詐欺かジョークとしか思えない自由民主党という名のカルト政党の暴走。その行き着く先は、かつて藤原が出会った上海人の群のような社会なのではないのか。「ゾっとした」というのは、まさにそんなわが祖国のザマを感じ取ってのことなのである。

 そんなさなかではあるが、この大切な祖国にも真の意味での「出世者」といいえる官僚が存在するというのは、まだしも明るい材料かもしれない。
 この勇気ある志士を指して、やれフーゾク店に通っていただのと筋違いの個人攻撃の末、批判されるや頓珍漢な逃げ口上を紙面で開陳し開き直っている“クズ紙”がある。件の官僚がそうした店を訪問していたのは事実らしいが、どうやらそ“クズ紙”が揶揄するのとは異なり、現代ニッポンの断面を彼自身として捉えるその過程であったようだ。

 仮に“クズ紙”の揶揄が正当であるとするならば、たとえば冒頭で引用した藤原新也は渋谷でタマタマ遭遇した若い女性に興味を抱き、彼女が勤めているフーゾク店(出会い系云々──うんぬん──などではなく、もっと直接的な“サービス”を販売している類)に赴き、その本人との対話をしている場面などが、著作『渋谷』(文春文庫)でつづられているのをどのように解釈すればいいのか。そこでは、見事に現代ニッポンの側面が切り出されている。それぞれの視点の違いはあるかもしれないにせよ、この『渋谷』と“志士”前川喜平前文科学事務次官との間には、共通するものが多々あるとオレは見る。

●参考リンク:
官邸の謀略失敗? 前川前次官“出会い系バー”相手女性が「手も繋いだことない」と買春を否定、逆に「前川さんに救われた」と(リテラ)


 それにしても、権力者と仲良しであれば裏取引でなんでもできかねないニッポン。数で押し切れば話し合いどころか憲法でさえクソ喰らえとばかりの現代ニッポン。お隣・韓国と比べても、なんともみっともない国になってしまったものである(韓国における汚職もすさまじいものがあるが、アベ尊師夫婦がらみの一連の事件もまた「汚職」とはいわないのか?)。

 そんな舵取りをしているアベ尊師政権。んなものを支持する連中の理想というのは、ようは選挙も議会も不要であり、国家の舵取りはすべて権力者による密室で一方的に決めてもらえばいいという解釈しかオレにはできない。庶民はツベコベ言わずに黙ってろと。うるさいヤツは全部「反日」だ。そんな世の中。ようは中世への逆行だ。

 さきの中国はもとより、韓国など周辺諸国からの「日本は反省していない」という声は少なくない。いうまでもなく、先の植民地支配などについての主張ではあるが、オレもまったくもってそのとおりだといわざるをえない(部分的には「そんなことはない」と考えたいところだってあるが)。しかし問題は、その「反省していない」というのは、周辺諸国に対してだけではなく、わが祖国、日本人自身に対しても指摘しうる事実であり、このまま反省なきまま暴走してゆく果てに辛酸を舐めさせられるのは、ほかならぬわわわれ日本人であるということを見据えるべきであろう。


●参考リンク:
“腹心の友”…? 加計学園問題の核心(永田町徒然草)
 あのアベ尊師が「でんでん」に続き祖国の母語でさえ理解できていない(嗚呼、「美しい日本」・笑)ことを自ら暴露した「腹心の友」。「そんな言葉、日本語にあるんか?」といぶかったものだが、偶然にして白川勝彦弁護士も指摘している。

●参考リンク:
沖縄基地反対運動の現場から発信を続けるラッパー大袈裟太郎さんの貯金がいきなり凍結された(日刊ベリタ)
 推測含みの部分はあるが、少なくともこんな事態が跋扈してゆくとしたら、それはやはりアベ尊師暴走こそが背景にあるのだと断言する。


◎おまけ:
 件の“クズ紙”を親会社とする某プロ野球チームが創立以来の大連敗を繰り広げているそうな。野球中継の類はほとんど(まったくに近い)見ないし、新聞記事もまた然りだが、ネットのヘッドラインなんぞに出てくるので、見出しを通じてそれだけを知っている。
 痛快である。
 もとより、スポーツと政治とは切り離して捉えるべきであろう。だが、その親会社がみっともないまでに(歴史的大恥をさらしながら)カルト政権の提灯持ちをしていて、その読者獲得のためにこのチームが利用されてきた事実からすれば、このザマはやはり痛快でしかない。延々と負け続けてろ!


 あれこれ罵詈雑言すべきネタが山積しているが、あり余ったカネをもてあますのと似たようなもので(ホントか?)、ネタが「これでもかっ!」と押し寄せてくるものだから、却って同ブログのアップがおろそかになってしまう。まっ、ようは面倒なのでサボっているだけの話だが。

 としているうちに、来週は外国取材に出かける予定。韓国に加え、このところタイなどもウォッチしているが、たまさかに訪れる程度の旅行者が、そんな外国のことなどを十全に理解できるとは思えない。しかし、いくつかの外国を見聞しているなかで、祖国の姿を見る目というかその(新たな)視点を得られるという効能があるような気もしている。
 ここに挙げたふたつの国。韓国は朝鮮戦争が休戦状態にある国家であり、タイは軍政下にある。このところ、オレが興味を持っていることのひとつに、「ではこのふたつの国と祖国・日本という3カ国を歩いていて、はたしてオレが最初に職務質問の類を受けるのはどこになるだどうか?」というのがある。別段、いかにもアヤシゲな格好や行動をしているワケでもないが、オレにはどうも祖国こそがその座に就くのではないかという予感がしてならないのである……。

 さて、久々のアップに、いくつかの話題に対する個人的な雑感を記しておきたい。

●安倍尊師が「熟読」しろと明言した「読売新聞」がどのように目されているかというその一例

読売はダメだ! あんなもの、読む価値はまったくない
 コレを聞いた瞬間の驚きをいまもって思い出す。なにしろ、語った人物がまごうことなき保守思想の持ち主であり、「オレは国粋主義者だ!」と明言したこともある方だからである。もちろん長年の「読売新聞」の読者であった。

 そのときすでにご高齢にあって、残念なことにその後に他界してしまったが、最晩年に訪問したさい、書斎に「東京新聞」が積まれてあったのも印象に残っている。そのヨミウリ発言が出る数年前には「産経新聞」も購読しており、そのなかの“出任せ記事”(それまでの企業の寿命や経済サイクルがそうだから、そろそろ景気は回復するといった内容だったと記憶。もちろんそうはならなかったが・笑)を引用して、「景気はよくなるよ」などとご高説(同じく聞かされた別の年輩の知人のセリフ)を展開されていたこともあった。じつは、あれこれ大変お世話になった方であり、個人的に学んだことも多々あるが、ご自身もまた、ヨミウリだのサンケイだのの正体を見抜いたということなのかもしれない。いうまでもなく、最後まで保守人ではあった。

 しかし、じつはこれに類似した発言にはあちらこちらで遭遇している(逆にいまだ熱心な読者も少なくはないが)。しかもそれらのなかに、選挙では自民党ないしその推薦候補者に投票する程度には保守的な人物が少なからずいるというあたりにも興味を抱いてきた。

 一方の“雄”、サンケイはどうだろうか?
「いやさ、ウチのオフクロが近所のひとからの勧めでサンケイをとったんだよ。でも最初のひと月でストップしてさ。なんでかっていうと『あれじゃ“週刊誌”と変わらないじゃないの! くだらなくて読んでられなかったワ!』という話らしい。“週刊誌”にもいろいろあるが、おそらくはゴシップ雑誌の類と比較したのであろう。
 その話を聞いて大笑いしたが、この“オフクロ”さんは別段特定の支持政党があるワケではなく、どちらかといえば保守的なところがあるようだ(その息子というか友人談)。まっ、保守的だからどうのということではないにせよ、「その程度の新聞なんだな」「よくわかっていらっしゃる」と思ったものだ。

 ついでながらこの新聞社(サンケイ)、系列の「夕刊フジ」紙面で現政権に対するアンチテーゼを「反日」とひとくくりにしていて驚いた。
フランスで拡大する「左派活動」の実態

 詳しくはリンク記事をお読みいただくとして(筆者の狙いとは別の部分で愉快ですな、コレ)、これを寄稿した「杉田水脈」という人物によれば、憲法改定や安保法などに反対することが、イコール「反日」になってしまうらしい。オレは、祖国である日本を愛し、大切にしつづけたいと考えているからこそアベ一派の跋扈を許せないのだが、そういう解釈はできないということなのだろうか(あえて記事を弁護するとすれば、フランス語学習という場でありながら云々──うんぬん──ということになるのであろうが、「そこに、一方的なイデオロギーに基づく活動が入り込んでくるという」という表現(一方的という点にも注目)をはじめ「目立っているという」「参加しているというのだ」「聞く耳を持たないようだ」・・・というのは、ブログ程度ならともかく、新聞媒体に載せるにはあまりに無用心にすぎないか?)。

もう自民党は保守じゃないね
 とは某県の地方議会の代議士を務めている知人の弁である。この人物も保守的な方(若いころは自民党国会議員の秘書を務めていた)ではあるが、オレの記憶では、コイズミ時代を境に自民党とは袂を分けている。次項にも触れるが、先だって電話連絡をいただいたさいにそんな話題となって、そのさなかに「読売新聞」についてのコメントもあった。
「ヨミウリだって同様(保守でもなんでもない)だよ。マトモに読んでるヤツなんかいないんじゃないか?」


●カルト集団が支える安部尊師

 前出の代議士の話。
「地元の首長選挙で、“共産系”候補を応援したんだ」
「ほぉ……」と思ったが、つぎの弁は、このごろオレが抱いている感想と共通するものがあった。
自民党は、マトモな保守層からは見放されている。面白いことに、その受け皿となっているのが共産党だったりするんだ」
 繰り返すが、その代議士は自民党とは離れたものの“保守系”であり、いわんや共産党員でもなんでもない。話を聞くと、日ごろの諸問題に対応するなかでそう実感したということらしい。同じような考えのひとは存外に多かったそうで(当地は保守的な土壌の強い“田舎”である)、投票前には当選の可能性がかなり高く評価されていたという。

 ところが、これがひっくり返った。
 自民党の推す対立候補が当選したのである。

 問題はその“逆転劇”の影にある集団があった(らしい)取り沙汰されていることだ。
「●●●会に対し、多額のカネが渡った。それを受けた会側が大挙して対立候補に投票したんだ。そんなウワサが出たあたりを境に、期日前投票が大幅に増えた」
 ありそうなことだとは思ったが驚いた。日ごろチェックしている「しんぶん赤旗」サイトにすらそんなことは取り上げられていない。
「確実な証拠がないんだ。地元では(いろいろな話などから)わかっていることなんだが、新聞社なんかにしても、記事にできるだけの証拠がいまのところ得られていないようだ」

(そんな証拠もないものをたとえ個人ブログとはいえ記事にするなというのは真っ当なご意見だとあらかじめ言っておくが、オレは一切やっていないものの、SNSでは早々からこの話題がかなり流布され論じられているとその代議士の話。そのうえで、こんなブログであっても、記事にする価値があると判断したからこそアップしてみたのである。ただし、証拠云々──うんぬん──を鑑みて「●●●会」と名称をボカした。)

 ところで、あの安倍政権を支える集票マシーンのひとつに創価学会がある。件の代議士がいう「マトモな保守層からは見放されている」その穴埋めを、創価学会がしているという見方もできるかもしれなない。言い換えれば、“安倍真理教”政権なんぞ、創価学会から見棄てられでもすれば、いとも簡単に崩壊する可能性があるということだ。
 この会、海外進出も著しいが(オウム真理教もそうでしたな・笑)、国によっては「カルト」と目されているとの報道を目にしたことがある(古くはともかく、いまやオレも同感ではあるが)。くわえて、尊師ご自身がメンバーでもある某会。オレはこちらもまた「カルト」的だと考えている。以前、白川勝彦氏が「ポツダム宣言」にからめて述べられていた一掃されるべきであった戦前の残滓であり、たとえばドイツであればその存在からして認められないのではあるまいか。ナチズムと同様に。

 マトモな保守層から見放された自民党が頼ったのはカルトであった
 そんな見方だって可能なんじゃないかと思うのだが、いかがだろうか?


●よかったなぁ、ニッポンジンで(笑)

 神社本庁が2011年に配布したポスターに載せられている「私日本人でよかった」とのキャッチコピーが一部で波紋を広げているという。
 いくつかの報道によれば、東日本大震災を受けたボランティア活動などが外国メディアに注目されたことなどがこの背景にあるようだ。
 もっとも、政府の対応(最近のバカ大臣発言などを含む)や関連する東京電力の対応などを鑑みるに、はたしてこの件で「よかった」といえるのかなとも思うのだが……。

 オレも日本という国はいい国だと実感している。経済的にも豊かな部類に入り、交通や衛生面などの各種インフラも充実しており、なによりも安全で自由な社会である。また、いにしえから培われた文化にもすばらしく誇れるものが多々ある(しかし、ほかの各諸国・民族だって同様なのでは? 国家という点で、あるいは社会整備などの点で問題を抱えている国が少なくはないにせよ)。
 だが、この「よかった」というフレーズが、戦前の権力者と一体化して庶民や諸外国を苦しめてきた歴史を持つ組織から飛び出したことに、オレはゾっとせざるをえない(しかも、「よかった」という「日本人」でない外国人に対してさえ、信仰を強要したというおぞましい歴史を持つのがわが国の神社ではないのか?)。

 せっかくなので、ひとつ引用をして今日のアップを締めくくろう(長々と失礼しました)。

「我が同志よ!!」
 この言葉と精神を、90年代以降忘れた多くのバカ日本人が、代わりに「自己責任!!」の言葉を胸に、官僚や政治家、資本家に、公園や橋の下に棄てられつつあるのは笑える。これも北朝鮮や中国、韓国が悪いってんだろ? わかってるって。日本人でよかったなぁ。
(『出版奈落の断末魔 エロ漫画の黄金時代』塩山芳明・アストラ・2009年/243ページ。文中漢数字を算用数字に改めました)


 北朝鮮による一連のキチガイ行為などを受け、朝鮮半島における“有事”の可能性が指摘され、流布もされている。個人的に、韓国をあれこれ取材していることもあれば、韓国人の友人や知人だっていることなどから無関心ではいられない事態だ。

 現在、米軍艦が接近しつつあると伝えられ、米軍による軍事行動(侵略と紙一重ではないかと思うのだが)があるのではないかと見るムキもあり、たしかに予断を許さない状況に置かれているようにも思える。また、中国やとうの北朝鮮とアメリカ合州国との間で秘密裡に駆け引きが続けられているとの報道も一部では見られる。

 実際にどうなるのか。残念ながら、そんなことは相当の消息通でもわかりようがないというのが現実というものであろう。おそらくは、TV番組などでは北朝鮮専門家やらウォッチャーやらがこれ幸いとばかりに“自説”を述べているに違いないが、それらすべてがそうだとまではいわないにせよ、彼らにしたところでそうだと言い切れるほどの材料を揃えているとはとうてい思えない。

 当然ながら、コレを書いているオレ自身もまた、一般大衆以上の情報を持ち合わせているワケではないが、それでもなおひとつの見方を崩せないでいる。
 それは、仮に「第二次朝鮮戦争」やそれに順ずる軍事衝突が起きるとすれば、そこで引かれる引き金にはアメリカ合州国こそが関わるだろうということである。

 韓国と北朝鮮との間では、中小の軍事衝突がこれまでもたびたびおきてきた。たとえば、2010年11月23日に起きた延坪島砲撃事件は記憶に新しいところだ。そのさいも「あわや」という見方もあったが、現実には関係国を含め冷静な態度をみせていちおうの収束がはかられている。
 そこには中国とオバマ政権下の米国の判断も関与していたようだが、いまひとつは主体者である韓国側が事態の悪化に対するブレーキをかけるだけの判断力が残されていたことがありはしないだろうか? 北朝鮮のふっとっちょあんちゃんはいざ知らず、韓国の指導部や大衆には朝鮮戦争が自国になにをもたらしたか、その記憶が残されているだろうからだ。北朝鮮側は「ソウルを火の海にする」などと威勢のいいことをたびたびぶっているが、彼らが本当のそんなことをできるかどうかはともかく、仮に「第二次朝鮮戦争」という事態になったとしたら、自国民や国土、経済それらもろもろが甚大にすぎる被害を受けることは否定できない。くわえて、朝鮮戦争自体がいまだ休戦状態で停滞していることを考えれば、その戦争の収束への道すら覚束ないのだということが、当事者である韓国はよくわかっているのだ。

 とまぁ、これは個人的な想像を含む推測にすぎないが、戦後のわが国の政治をみたとき、コイズミ・アベ化する以前の自民党内ですらある一定のブレーキが作用していたことを忘れてはならないだろう(自民党は大本からして「憲法改正」などを党是としてきたが、戦後わが国の多くの期間で政権の座にありながら、いまだにそれを果たせないでいるのはなぜか? “長老”を含むひと世代前以上の自民党ないし保守政治家らの発言からもそのブレーキの存在を窺わせるものが少なくないが、ここでは割愛する)。

 ところが、アメリカ合州国にとっては、そんなことはどこ吹く風だ。古くは南北戦争。先の大戦でハワイ真珠湾の軍事施設が日本軍によって空爆されたなどといった体験はあるにせよ、国家の成立以前からこのかた、世界各地で起きている戦争や一方的軍事行動において、そのじつに多くの場面で関わっているこの戦争国家。ベトナムやイラクに対する虐殺破壊行為などは、自国における被害を一切合財受けずに、文字通りに一方的な軍事行動にいそしんできた(自国将兵の戦死や負傷、PDSTなどの戦争後遺症が起きているという一面はあるが)。言い換えれば、彼らはなんら痛みを知ることのないママに、世界中で戦争を繰り広げているワケだ。

 そんなセンスだからこそ、ブレーキというものがあろうハズもない。いなれば「好戦的平和ボケ」。アベだのイシバだのもこの類と推察するが、米軍による先のシリア空襲もそのひとつであろう(戦争被害どころか、外交面での「平和ボケ」ぶりも示した。わが国の首脳を含めて)。
 それゆえ、米軍艦の北上はブキミこのうえないし、仮に韓国と北朝鮮、あるいは中華人民共和国においてブレーキが作用したとしても、それを反故にしてしまう可能性が棄てきれないのである。言い換えれば、今般の軍事的緊張の主役はアメリカ合州国である。もちろん、北朝鮮当局を擁護するつもりなど一切ないが、それと「戦争」とが直接的に結びついてはならない。

 おそらくは・・・仮に最悪の事態に発展したとしても、「わが国への直接的な被害なない」とわが国のだれそれは見ているに違いない。同時に、「軍事関連株の時価が上がる」からと、官民を挙げてすでに買い込みに取り掛かっているのではないかとの疑念すら浮かぶ。いったんはじまったが最後、いつどうやって終わらせられるとも知れない戦争が、それだけの被害をもたらすのかということになんら理解を持ちえないままに……。
世の中がキナ臭い。

 共謀罪というおそるべき法案が国会で審議されているというのに、静かすぎる日本のマスメディア。繰り返すようだが、これこそがまさに「平和ボケ」の象徴なのだとオレは思う。
 北朝鮮の民衆を苦しめているのがほかならぬ北朝鮮当局であるように、あるいは中国においてインターネットの利用制限され、思想や発言の自由を事実上保障していないのが中華人民共和国政府であるように、われわれ一般大衆の人権や自由を脅かすのが、その祖国そのものであるということは、決して例外的なことではない

 北朝鮮は大げさかもしれないが、少なくとも中華人民共和国程度に国民の思想やその自由を統制しようとたくらんでいるのがアベ政権であり、共謀罪新設もその過程のひとつである。それも3度も廃案になった悪法を、今般は数の力で強行しようと邁進しているワケだが、いわばそんな「崖っぷち」の状態にあって(ほぼ)だんまりを決め込んでいるニッポンのマスメディア(ごく一部に例外は見られるが)とともに、なんら危機感を覚えようがないニッポンジン(同)。「平和ボケ」そのものではないか。

 そんなさなか、北朝鮮が意味不明の“ミサイル”発射を試み失敗、一方ではアメリカ合州国がシリアへの一方的空襲を繰り広げた。おかげで(?)あの大NHKなどは(オレからみれば)嬉々として自称ニュースの主要部分のネタとしているワケだが、シリア虐殺について、一部とはいえその根拠を疑問視する記事もみかける(アベってヒトは、まっさきにアメリカ合州国による虐殺行為を支持する意を表したそうだが、そんなのも「平和ボケ」そのものであろう。いまひとつは、あのおっさっさん、シリアっていう国がどこにあるのかわかってるのかねぇ……という疑念もある。もっとも、平均的という意味で米国人もその点では同様とみてますがね・笑)。

 なかには空襲の根拠とされたサリン使用が、シリア当局ではなく反政府側によるという見方をするムキもあるようだが、アメリカ合州国による空襲に疑問を示すひとも少なくはないようだ。だが、ざっと見た範疇では、ロシアなどを含み国際的な駆け引きという点での失策とする見方や、ブッシュ時代の一方的虐殺と関連してその暴挙を批判する内容が目立つなか、いままさに自国政府や外国(いうまでもなくアメリカ合州国)による武力攻撃によって死の淵に立たされているシリアの一般大衆の現実に触れたものや、それを具体的に報じた記事がほとんど目立たないほどに乏しいのが気にかかる。一部で流布されているアメリカ合州国による北朝鮮攻撃もそうだが、そうした武力行動の標的には必ずわれわれのような一般大衆が暮らしているのだということを忘れてはならない。広島・長崎の原爆攻撃然り。東京大空襲をはじめとする各地への“空爆”然り。

 ところで、ちょっと気にかかる記事に遭遇した。

中国の領海侵犯は本当か? 海保も認める「暗黙のルール」を徹底検証

 中華人民共和国によるわが国領海への侵犯行為は、繰り返し実行され、盛んに報道もされている。もちろん、それそものからして許される行為ではなく、わが国としても正面から抗議する必要はある。だが、同時に彼らの狙いはなんなのだろうかという疑念もかねてから浮かんでいた。こんな国際的にみても肯定されようがない領海侵犯を繰り返したところで、彼らが主張するような形で尖閣諸島問題が解決するハズもないことは、ほかならぬ彼ら自身が理解しているのではないか? こんなことで利するのは、アベをはじめとするわが国の反動勢力であり、その背後を牛耳るアメリカ合州国であることは目にみえている。

 上記リンク記事から引用してみよう。

野田政権が尖閣の一部国有化という愚挙に出る以前は、ほとんどない。12年9月から跳ね上がるように始まって、13年8月に28隻というピークを迎える。しかし、丸1年が過ぎた13年10月からはかなり鎮まって、大体月に10隻前後で今日至るまでほぼ横ばいが続いている。
(中略)
一定のリズムがあって、月に標準で3回、たまに2回の時もあるが4回という時はない。1回当たりの隻数は標準で3隻、たまに2隻や4隻のこともある。今年に入ってからもそのペースは変わらず、1月は3回で4+3+3=12隻、2月は2回で3+4=7隻、3月は3回で3+3+4=10隻で、この3年半の間ずっとこのペースである。
(中略)
中国の海警局には、北海と東海と南海の3分局があり、尖閣は東海分局の担当。その下に上海、浙江、福建の3総隊があってそのそれぞれが月に1回、出て行くことになっているから「月3回」となる。(中略)目的は、中国が尖閣の領有権を主張していることを継続的にデモンストレーションすることなので、これで十分だ。余計なトラブルにならないよう、1回につき日本の主張する領海内に入るのは1時間半と決めていて、しかも15年冬以降は事前に日本の海保に「明日行きますから」と事前通告するようにしている。それで海保も「いつ来るか」と待ち構えていなくてもいいので、だいぶ楽になったと思いますよ……。
──それは、中国側が一方的にルール化しているのか?
「その通りで、海保も暗黙の内にそれを受け入れている」
 
──それって「馴れ合い」というか、事実上の「棚上げ」ということではないか。
「中国側はそう捉えている」
つまり、「月3回」というのが「頻々」に当たるかどうかは双方の見方は異なるかもしれないが、少なくとも一触即発、いつ戦闘が起きるか分からないというような緊迫状態からは程遠く、むしろ逆に、尖閣はかつてないほど落ち着いた状態にあることが分かる。
(※下線は引用者による)

 そんなさなか、今日もまた尖閣諸島沖への中国当局船の領海侵犯が報じられた。
 時事通信の見出し──。
中国公船が領海侵入=今年9回目―沖縄・尖閣沖」(2017年4月10日12時11分)

 その回数が引用記事のそれと矛盾していないのは、はたして偶然か?

 少々長くなってしまったが、引用した記事が触れているように、こうした実態を把握しているのかどうかはともかく、サンケイあたりはまさに嬉々として(という言葉が悪ければ、「鬼の首を取ったように」)「中国による領海侵犯」を、さも有事事件のごとくタレ流しているのだからなにをかいわんや……。

 もちろん、リンク記事はひとりのジャーナリストが独自に取材をし考察を加えたものであり、引用者としてもこれによって中国の領海侵犯を正当化するというものではない(リンク記事もそんなことは一切訴えていない)。だが、自国のマスメディアが報じるその内容が、必ずしも事実を十全に反映していないというその見本にはなるのではないかと考える(いまさらではあるが)。同時に「だまされた」その行き先について、われわれはもっと慎重であるべきなのではないか?


■おまけ
 アベの子分のなんとかっていう大臣が、大震災被災者をさして「自己責任」だのと一席ぶったのは周知のとおり。
 オレは思った。
 まさにこれこそが連中(ニッポンの反動右翼)の正体でありセンスそのものではないか。

 連中にとってみれば、まず「お上」ありき。大衆はその下々という存在にすぎず、お上にたてつこうなんてもってのほか。飼い犬よろしくご主人さまたるお上に対し従順であればいいのだ。ツベコベいわずにお上に従っていろというワケだ(さらにその「お上」であるアメリカ合州国に対し、わが国為政者が従順にすぎる理由もこれでわかる)。言い換えれば、被災者らが自らの暮らしや地域社会の建て直しに対し政治や行政に手助けを求めるのは、とんでもない反逆行為に思えてしまうのであろう(しかし、政治家とはなんぞや?)。

 今般、「教育勅語」が話題に取り上げられる機会も増えた。原典ではあくまで「天皇」に対する「臣民」の従属が謳われているが、それを持ち上げる連中の現天皇に対する態度を窺うにつれ、少なくともアベ一派にとっての「天皇」とは単純に権力のお飾りにすぎないのではないかとの疑念を払拭することができない。件の大臣は、震災被災地を「ご訪問」されたさいの「陛下」の「お心」をなんと心得ているのであろうか?

 さて、少し前に「赤」に対する私論を述べてみたが、「赤」とされる思想が、多くの場合で「お上」にたてつく存在であることをつけ加えておくべきかもしれない。言い換えると、お上にたてつくがゆえ、その「お上」である為政者にとっては甚だ迷惑な存在なのである。そこで世論を従順に調教しておけば、こんどは大衆が自らが「権力」と一体であるかのように錯覚し(?)、「反権力」である「赤」に反感を覚えるようになる。したがって、たとえ保守的な思想の持ち主であろうと、アベ(少し前ならコイズミ)に異論を唱えようものなら、たちまちにうちに「赤」呼ばわりされるという始末。件の大臣のバカ発言もコレと同様のセンスだとみる(案外、リスペクトする白川勝彦弁護士などに対してもそういう誹謗があるのかもしれない。氏はまごうことなき保守論者であり自由主義者なのだが。ついでながら、戦前ニッポンの負の遺産を恒久的に封印するべきではなかったのかという持論について、タマタマの偶然ではあるが、ポツダム宣言を引用しつつ一致すると思われる意見を述べている──枝葉末節に惑わされずに、疑惑の本質的な要件事実をまず押さえよう。永田町徒然草──)。
 
 類似の調教結果が、たとえば韓国や中国に対する反感(コレは韓国や中国でも同様であるが)であろう。たとえ部分的にあろうと韓国や韓国人の意見に理解を示すだけで、「あいつは反日だ!」などといった誹謗中傷が繰りひろげられているその類の話である。
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