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猫池罵詈雑言雑記帳
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 なんとかっていうギャンブルに「ドカン」と賭金を投じておけばよかった。
 個人的な予想どおりの勝敗となったアメリカ合州国大統領選挙である(もっとも、全財産を投じるほどの自信はありませんでしたがね・笑)。

 前回アップの「おまけ」に記したが、あのトランプという御仁は、オレがみたところ典型的なアメリカ合州国の白人おとっつぁんであり、あの国の歴代大統領の面々と並べてもなんら遜色のない「アメリカ人中のアメリカ人」だと思う。グローバルだなんぞと吹いたところで、主流はあのテの“田舎者”(よくも悪くもだが。念のため…“田舎”で暮らすひとびとやコミュニティを揶揄しているのではない)。なにかにつけ「島国だから」などとのエキスキューズをつけたがるニッポンジンほどにも外のことを理解できない層は確実におり、次期大統領はそんな一面をも体現しているようにみえる。もちろん、ニューヨークだのロサンゼルスだのといった大都会には、雑多な人種・民族があふれ、ともに社会を形成している。また、人種間での対立や克服の歴史も重い。それらも十分に「アメリカ的」ではあろうが、素朴にすぎるひとびとが相当の層をなしていることを見逃してはならないだろう。
 

 それにしても、改めてくだらないと思わせたのがわが国のマスコミ、とりわけ“放送押し売り業”との看板を食らわせてやりたいあのNHKであった。まるでスポーツの世界選手権大会でも中継するかのごとしの大騒ぎ。あの国がわが国になにかと影響を及ぼしているのは事実であり、選挙結果についても「トップニュース」にあたいするとは思うが、このところ繰り広げられてきた「ショウアップ」ぶりは異常でしかない(民放も同様だが、まだしも視聴率が自分らのメシに直結していることなどから理解ができないでもない)。

 その反面、たとえばTPP関連の審議についてはほんの片手間程度にしか報じられていない。昨年の安保法案強行採決(テロ採決)の舞台となった国会中継をあえて無視したNHKのことだから驚きはしない。だが、TPP(アナーキズム経済協定=個人的造語)にせよ安保法にせよ、それと関連する南スーダン自衛隊派遣問題にせよ、あるいは沖縄における“防衛戦争”にせよ、現にわが国の根幹を脅かす可能性をはらむ重要事案はいくらでもある。外国の大統領選挙を報じるその半分の熱意でもいいから、こうした国内の重要案件を真っ当に報道すべきだと痛感するのだがどうだろうか。

 KHK。傀儡放送(押し売り)協会。
 悪いけれど、オレにはそんな雑言さえ思い浮かんでならない。あんな恥知らずな放送局を間違っても「公共放送」などとは呼びたくないものである。いや、「日本」を現すという「N」を「J」に変えるのもええなぁ。この放送局に限らずね。こんなに情けない国は、「日本」じゃなくて「JAPAN」で十分だ!

 冗談はともかく、本当にうんざりしてきた昨今でございます。


●おまけ
 投票前、トランプが当選したら、やれ「株価が暴落する」だの「円高が進む」だのといった言説が盛んに流布されてきた。だが、フタを開けてみれば株価は上昇、円高傾向ではあるものの若干は下げている状況にある。とりあえずいまのところはそうだ。
 くだらんと思う。
 だが、同時に思うのは、こうした右往左往の中心にいるのはその道のプロフェッショナルであり、それでもなお先行きなどわかりようがないということである(くだらん情報を流布している連中のなかには詐欺師同然の「コメンテイター」の類もいるのであろうが)。言い換えると、売買益を目的とした株式投資やFX(借金バクチ)などは、間違ってもシロウトが手を出すべきゲームではないのではないか。なかには成功しアブクゼニまみれになってうれしがっている「シロウト」もいるようだが、同じセンスでいけば、「アムウエイ」などに代表されるマルチ商法にだって金持ちになった「成功者」だっているワケだ(笑)。少なくとも実態のある「モノ」を売買しているという点だけを見れば、FXなんぞよかマルチ商法のほうがよほど真っ当であり立派だと思いますがね。
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 くだらない見出しを立ててみた。
 計画者と実行者とは別途にある。
 言論の自由が憲法によって保障され、経済的にはまごうことなき先進国であり、社会インフラも十分に整備されているわが祖国・日本。国民皆保険をはじめ、社会保障制度の充実度だって、けっしてバカにできたものではないだろう。もちろん上には上がいるし、詳細に見ていけば不備や不満は多々あるにせよ、これはこれで評価すべき実績だったのではないかと思う。

 こんなわかりきったことを記すのは、いうまでもなくこれら立派な実績を反故にしようという連中が実権を握っているからであり、その恐ろしさに気づいていないであろう国民(「平和ボケ」の一種だ)があまりにも多いように感じられるからである。

 こうした暮らしやすいハズだった国が変容をはじめたのは、実態経済から金融経済(投機経済)へと大シフトしたころと合致するようにも思える(いうまでもなく日本だけの問題ではない)。

 先月、ワルシャワを訪れたが、ポーランド社会主義の根城であった旧労働党本部が、いまでは証券取引所と化している。
「これは面白い」と思った。
 社会主義時代の遺跡が、金融経済という意味で資本主義経済におけるひとつの核となったからだ。しかし、これは「膿」でもある。証券取引そのものは必ずしも不健全ではないと考えるが、金融経済が主導を握ったかにみえる現代にあって、それを助長するという見方に立てば、破滅への乗り物にすら思えてくる。

 金融経済が主導を握った社会。
 ブログのアップをひと月以上サボっていたが、これは前回のアップで記した「醜コマーシャリズム」にも通ずることで、もはや「売り物・買い物」が欠乏し、飢えに飢えた資本主義経済の悲鳴なのかもしれない(個別にはヒット商品はあるにせよ)。上り坂にあっては、モノをつくりだし生産し告知し流通に乗せれば売れに売れた。買う側にとってもそれは励みにもなり、ひとびとはそうして形のある商品を手にしてきた。だが、そうした基本的ともいえるビジネスモデルの一角は崩れた。モノをつくらない代わりにカネそのものを商品とすることがまかり通るようになった。それはカネを余らせている側にこそ顕著で、余剰のカネを証券や他国通貨、先物取引などにつぎ込む形でその利ざやを稼ぐことに熱中するようになってしまったのである。そしてそれはさらに進化し、たとえば(多額の)「内部留保」のようにそうした「運用」にすら用いられることのないカネが腐った膿のように滞留したりもしている。

 こうしたセンスは、少なからず庶民にも及んできたが、その多くはごく限られた自己資金を少しでも増やして将来に備えたいなどといった切実な思いからきているのかもしれない。そうやっておいて、たとえばFXのような「借金バクチ」で酷い目に遭っているひとがどれほどいるかまでは存じ上げないけれども、次やその次の世代(つまり若者や子どもたち)は、そうしたオヤ世代の貧困と「カネの稼ぎ方」を見て育っているのであろう。

 つい前置きが長々としてしまった。
 TPPである。
 言いだしっぺのアメリカ合州国のなかでさえ反対論が根強いアナーキズム経済(個人的造語)に祖国を差し出そうと躍起になっているアベ政権とニッポンのお役人。これは、中国の領海侵犯だの北朝鮮のミサイル実験(それらももちろん大問題ではあるが)が及ぶべくもないレベルの影響をわが国にもたらしかねない暴挙である。TPPというのは、ようはそういうシロモノなのだ。
 もちろん反対の声はわが国でも多い。確実に影響を受けるであろう農業や畜産業はもとより、知的財産権といった範疇でも疑問の声が出ている。例外はごく限られた輸出産業であろうが、以前にもこのブログで述べたように、オレ個人は金融経済にも多大な影響(保険業界を含む。わが国のとっては多くの場合で悪影響であろう)を与えると考えている。目先のミクロな利に妄想を抱いている場合ではないと思うのだが、昨今の乏しい報道によればここ2~3日中にも衆議院における強行採決が自民創価政権によって目論まれているようだ。

 さて、ここではTPPだけを取り上げたが、現在の国政はまさに重要問題がそれも差し迫った形(より正しくは「差し迫らせられた」のだが)で山積している。アベが企む「改憲」もまた、許してしまえば、わが国にとってTPPをしのぎかねないインパクトになるのは間違いない。
 ところが、わが国のマスコミ、とりわけテレビの自称「報道」番組の類を見るにつけ、そうした差し迫った問題などどこ吹く風であるのがおそろしい。

 個人的にはテレビのそうした自称「報道」番組の類はほとんど見ないので、たとえば白川勝彦氏が昨今の「豊洲問題騒動」に辟易としているというのも、想像の範疇にしかなかった(氏公式サイト参照)。しかし、実際にテレビのそうした番組を見てみれば明快で、白川氏が指摘するのと同様に、なにか臭いものにフタをしているとしかオレには思えなかった(同じ熱心さをもって、TPPやアベの改憲問題を追求すべきなのだ)。

 そんななか、ただひとつだけ、あの石原のおとっつぁんの狼狽ぶりはケッサクであった。
いわく、「記憶にない」「覚えてない」。

 う~~む(笑)。
 これではあのロッキード事件における小佐野賢治の「記憶にございません」と一緒じゃないか(ついでに「(オレは)シロウトなんだから」なんていう逃げ口上もあったな。そんなのを言い訳にするドシロウトを知事になんかするなよ)。

 あんたさぁ、なんとかっていう賞までもらったような元小説家なんだからさぁ、もっとオリジナリティのある言い訳でもしなさいよ。

 このていたらくをみて、あんな痴れ者を長々と知事の座に座らせていたことを東京都民がどれだけ自覚し恥じているかまでは知らないが、「バカなヤツだなぁ」ぐらいにせせら笑ったひとは存外少なくないだろう。もっとも、当時の「責任者」だかなんだかをあぶりだして見せしめを演出したはいいが、本丸についてはお目こぼしになりそうなのが、まさにニッポン的といえよう(先の大戦の“戦犯”に通ずるような気もする。「命令あるいは指示文書が残ってないから」といった理由で責任者が逃げ仰せかねないあたりがとくにね)。

 閑話休題。
 豊洲問題(もっと東京五輪開催そのものについての議論が深まればいいのだが)。北朝鮮。中国。通り魔。著名人不祥事。・・・オウム真理教。白装束……。
 そういや、新潟県知事選で「反原発派」が勝利した報道はネットのポータルサイト上にもヘッドラインが出た。しかし、そのうちのいくつかではごく短時間のうちにトップページ上から消滅。代わりにどうでもいいような雑ネタが延々と並んでいたのが印象に残る。逆の結果だったらはたしてどうなったのだろうか?


●おまけ
 アメリカ合州国の大統領選挙も、上記のように散々タレ流されている。もちろん無視できない案件であり、どうなるにせよわが国にだけでなく世界的な影響をもたらすであろうことは想像できるので、そういう意味では報道する価値が高い。しかし、今年訪問した7カ国におけるテレビ報道番組で比較すると、(たとえわずかな機会に限られるとはいえ)わが国におけるその比重の高さが異常に思えてならなかった。
 それはともかく、あれやこれやと話題を振りまいているエンタテイナー・トランプ候補ではあるが、あの御仁こそアメリカ合州国大統領にふさわしいように思うのだがなぁ……。たしかに、レーガンやらブッシュ(息子)やらと比べて正直すぎるきらいはあるにせよ、きわめて「アメリカ的」だと見ているのは、はたしてオレだけだろうか?

 嗚呼、しばらくサボっていた反動でとりとめのない無駄話になってしまった。失敬。

このコマーシャルのせかいでは、人間とその生活のネガティブな要素は一切削除される。コマーシャルの世界観の中には人の喜びの表現はあっても普通に生きてきた人であれば誰でも持っている怒りの表現はまず削除される。また愉楽の表現はあっても哀しみの表現はない。かくて私たちのコマーシャル環境には怒と哀の欠け落ちた喜楽人間が氾濫する。>『東京漂流』(藤原新也・朝日文庫)

ずいぶん昔にデザインというものに哀しみは盛れないといった人がいるが、最近のコマーシャルには、ほんのわずかであるが「哀」の字を表現しているものがたまにある。>(同)

 ここに引用した著者の観察眼には深く納得するが、これに加えて、近ごろでは「」という要素がわが祖国ニッポンのコマーシャル界に跋扈しているように思えてならない。

 TVはほとんど見ない人間だが、それでもときにはスイッチを入れる。そんなときにこの「醜」まみれになったコマーシャルとたびたび遭遇してヘキエキとさせられる。とりわけそれはBS放送において顕著である。


 それら「醜」世界をコマーシャルに盛り込んでいる常連はほぼ決まっていて、「サプリメント」だの「健康食品」だのと宣伝されている正体不明の「食品」群がもっぱらだ。たとえば、荒れきった肌の拡大画像が、なんの予告もなしに「ドカン」と画面を占拠する。直前までドラマのなかの美女に見とれていたのに、あんまりの仕打ちではないか。もちろん、荒れていることそのものはけっして「醜い」とは思っていないしむしろ人間らしさの一面だと思っているが、売らんがための見世物としたときに、それは一気に醜いシロモノと化す(むかし、「オールナイトフジ」のエロビデオ紹介コーナーで、ビデオの合間に鶴太郎のアップがイヤガラセのように出てきたのを思い出す。違うか・笑)。


 あるいは年配女性のたるみきった腹部によって、同様にいきなり画面が占拠される。つづいて現れる荒れた肌なりたるんだ腹部なりの持ち主の不景気きわまるご面相。
 または、年齢を重ねて現れがちな体調不良を大げさに表現して視聴者の不安をあおる。
 そして、そこに報酬と引き換えにして、いかにもしかつめらしくその「特効ぶり」を語る出演者。
 あるいは、そのじつなんら関係がないのに、「厚生労働省」の名前を出して、さもお墨つきがあるように喧伝するのもある。


 そのテの広告というのは、以前であれば子ども向けではない漫画雑誌やゴシップ雑誌に出ているのがもっぱらで、「厚生労働省」の文字と建物写真をでかく載せた「サプリメント」の広告を思い出す。どういう商品かって? なんでも、そいつを飲めば「あなたのチンポがでかくなる」のだそうだ(笑)。しかしこれは笑いごとではなく、それと大して変わらない商品が堂々とTVCMによって日々タレ流しにされているのであるからなにをかいわんやではないか。


 近ごろはネットのバナー広告にも「醜」コマーシャリズムが跋扈しつつあり、中年男女の不景気な表情を、さらにそれを増幅するような写真に仕立て上げ広告としているのも増えてきた。
 そんなモノに遭遇するにつけ、「あー気持ち悪い!」と不機嫌になりかねないオレであるが、あして跋扈しているところをみると、あんなものをみて「よさそうな商品だ。さっそく注文してみよう」といった(オレからみれば)不可思議な感性の持ち主が、想像以上に多いのかもしれない。


 さて、そうした「健康食品」群の一種である「トクホ」商品(「醜」コマーシャリズムの担い手でもある)とやらの品質を偽装していた事態が発覚、お墨つきを与えている消費者庁は1270種にも及ぶというそれら「トクホ」商品の成分検査をメーカーに指示したという。そんなものをいまさら、それもメーカーに命じてどうなるのかという気もするが、オレはあんなお墨つき制度は即刻廃止すべきだと考えているし、謳われている実効性云々以前に安全性すら疑っているので、このさい徹底的にメスを入れるべきであろう。



 もちろん、そのメスは「トクホ」以外の類似商品群にも入らなければウソである。
 ごく素朴に疑問を抱いているのだが、ああしたコマーシャルには、一見すると薬品を思わせるような「効果」が謳われているが、いったいどうやって薬事法を制限をクリアしているのだろうか。たるみきった腹部CMでは、その商品を飲めばまたたくまにスリムなおなかに早代わりと言っているとしか思えないモノもある。そんなものが眉唾であることはたいていのひとがわかっているハズなのだが、わが母堂が通っているデイケア施設の通所者(つまりお年寄り)だけをみても、そうした商品を「CMでいいっていってるから」といった他愛のない動機で定期購買をしているひとが多くて驚く。しかも、「では効果はあるの?」と訊いても、明快な答えはまず返ってこないのだ。


 そうした商品群のなかには、メーカーと関係のない専門家によって謳われている効果などまったく期待できないと断言されている分野もある。また、知人の医療関係者も、専門家の視点として「ああしたものを患者さんに勧めることは一切できない」と効果に否定的だ。
 以前、他界した父親が疾患の影響で栄養が極端に吸収できない状態にあったさい、栄養剤が処方されたことはあったが、「あれこれ宣伝されていますが、(そうした商品云々ではなく)医療用のサプリメントみたいなものはないのでしょうか?」とドクターや看護師に訊ねたことがある。単に言葉をにごらされただけであったが、ようは立場的にも市販されているそのテの製品について「いい」とも「悪い」とも言えず、かといって医療用であっても有効なサプリメントなど存在しないのだと言外に語っているようでもあった。つまり、あんなものは効果はないのだと。

 冒頭で引用した『東京漂流』からいまいちど引用してみよう。

商品慣れした大衆は、神々のいかなる「変身!」も「分身!」もすぐに見破って、興味を示さなかった。彼らは、自分たちをエキサイトさせてくれるような、まったく新たしい製品の出現がないことを知っていたのである。
 しかし厳密に言えば、まったく新しい発明がないというわけでもなかった。「トランキライザー(精神安定剤)」である。必要は発明の母とはよく言ったものだ。苦境に陥った経営者たちは、この新種の神のお世話になり、買うものがなく欲望がなえてきた消費者のイライラも、この神が面倒をみた>(前掲書)

 トランキライザーと「サプリメント」(あるいは「トクホ」)。オレにはどうも両者が持つ背景に極めて近しい影を感じないではいられないのだがどうだろうか。

■補足その1
 それら「醜」コマーシャリズムの担い手には、「エロ雑誌」などはほとんど素通りしているような著名企業も少なくない。そのなかの一社をめぐる個人的エピソード。
 あるとき、冷たい飲み物でもと思って自動販売機に近づいた。小銭を出しながら並んでいる商品をみたら、近ごろそのテの商品販促にご執心の大手メーカーのものであった。買うのをやめた。暑い日ではあったが、我慢した。そのメーカー。正直いえばあのロゴデザインにすら不快感を覚える。かつてはその社のビールを買うことも少なくはなかったが、いまはもちろん手にすらしない。その点で、少なくともああした「醜」コマーシャリズムに頼るだけの特効はあったワケだ。
 

■補足その2
 薬事法云々にからめた疑問を提起したが、いまひとつは「二重価格」の疑念も抱いている。たとえば、「通常価格4990円が、いまなら1000円!」などというアレだ。そのテのCMに遭遇するたびに、「この商品、ホントに4990円で売られた実績はあるのだろうか?」と思う(実際にキャンペーンとして割引にしている商品もあるのですべてが該当するわけではない)。あるいは「50万セット突破!」の類。公正取引委員会や税務署が調査しているのかどうかまでは知りようがないが……。


■おまけ
『東京漂流』はノンフィクション向けを謳っているそのスジで著名な文学賞の候補に挙げられたものを、著者自身が受賞を拒否したことでも知られている。
 これはあくまでオレ個人の推測にすぎないが、その賞にふさわしい内容と誤解される可能性をはらむ箇所が本書にはたしかにあり、それゆえ“与賞”という“罠”が仕掛けられそうになったのではあるまいか? 著者はそれを見抜いていたからこそ辞退という形で拒否したのではないだろうか。
 たしかに、その賞そのものは商売あるいはメシのタネとして割り切った場合には、得ておいて損はないだろう。また、受賞作のなかに優れた作品があることも否定できない。だが、この賞がそのお題目どおりに「ノンフィクション」ばかりに与えられてきたのかについては、いささか以上の疑問がある

 フェイスブック運営者が、報道写真を「児童ポルノ」と解釈のうえ一方的に削除するという事件があった。
 いくつかの報道によれば、ベトナム戦争当時、米軍が実行したナパーム弾による大虐殺のさなかに逃げ惑う子どもたちの写真をノルウエー人のトムエーゲラン氏が投稿したところ、フェイスブック“当局”が直ちにその記事を削除。この事態に対し反発の声が巻き起こり、会員らが続々と同じ写真を投稿することによって抗議の意を示すこととなったという。

 フェイスブック側の言い分は、「裸の子どもが写った画像の投稿はわが社の規定に反する」であり、「一部の国では児童ポルノに該当する」(ゆえに削除しなければならない)というものだ。ところが、フェイスブック側の措置に対する批判は拡大を続け、“抗議の投稿”にはノルウエーの首相までが参加するという騒ぎに発展。結局、フェイスブック側がその検閲措置を撤回することとなった(ただし、いまのところ謝罪には至っていないらしい)。

 個人的にはフェイスブックはまったくやっていないしやるつもりもないので、たいした興味を持ってもいない。また、その当局者による検閲についてはネット上の話題で何度も目にしており、必要な面をあるていど認めつつも、それゆえに余計に関わりたくないと考えてきた。

 そこに現れた今回の事件を取り上げてみたのには意味がある。

 オレの予想どおりにといおうか(厳密には遅かったが)、アベ政権が共謀罪の創設に向けてスピードアップをはかっている。タテマエとしてはテロの未然防止などが挙げられ、そこだけをみれば「必要悪」との解釈をするムキもあるかもしれない(同時に、現行法の範囲での対策が本当にできないのかどうかについての検討をすべきだ)。
 しかし、具体的な犯罪に至る以前に罪人あるいは容疑者として身柄の拘束などを可能とするこの法案は、われわれ一般市民の日常生活をも脅かすことになる点を見逃してはならないだろう。単なる話し合いや行動が、共謀罪に該当する「共謀」であると判断するのはわれわれの側ではなくあくまで権力側である。「そんなものあとで無実が証明されるさ」(強姦事件で逮捕された役者のように? あの事件もよくわからない点が多いようだが、仮に不起訴となったとしても、あるいはあれが“冤罪”だったとしても、当人とその周囲は無傷ではいられなかった)とのんきに構えるのも結構だが、それを決めるのまた権力側であることを見逃してはならない。

 ちょうど、今回のフェイスブックの検閲事件、その検閲の是非や内容そのすべてを握っているのが“当局”側であるようにだ。

 その自覚がない層がことのほか大きいと思わされたのが、フィリピンで起きている無法状態に対するとあるポータルサイト上の投稿であった。

 たびたび報道されているように、薬物犯容疑者について、一切の司法手続きなしに“死刑”に処すべしと強行する大統領。すでに数千人規模とも伝えられる“被処刑者”。フィリピンにおける治安の悪さについてはあれこれ目にしており、あるていどは強硬な手段を用いることをアタマから否定できないようにも思う。しかしおそろしいのは、強硬どころか一方的虐殺手段に出たフィリピン当局について、「こうでもしなきゃダメだろう(治安を守るためには)」といった投稿が相次ぎ、それに対する「賛同」が圧倒的に多いことなのだ。そんなひとびとをさして「平和ボケ」と片づけるのは簡単だが、それが有罪であろうとなかろうと、「薬物犯罪者・容疑者」と断定するのはあくまでも当局者・権力者の側であり、断定される側には逮捕されるか殺されるかの二者択一しかないことをきちんと認識すべきであろう。そして、われわれ一般市民の大半は、その「断定される側」に属していることも知らなければならない。

 フェイスブック事件では、権力者を含む多くのユーザーが抗議の声を挙げ、“当局”側に撤回まではさせることに成功した。だが、繰り返すが、それがなんであれ、対権力という点での決定権がどちら側にあるのかということを認識しておく必要がある。そして、その決定権を覆す手段があるということについても、今回の事件は暗示してくれたわけだが……。


■補足
「児童ポルノ」を取り締まるのは正当な行為だが、報道写真を安易にポルノと断定してしまうフェイスブック“当局”者の程度の悪さには心底驚かされた(やはりあんなものに手を出さなくてよかったとしみじみ思った)。だが、いくらかのエクスキューズがないとはいえないかもしれない。
 これはあくまでオレ個人の想像ではあるが、たとえぞれが悲惨な場面を切り抜いた映像だとしても、単に裸の女児(いや、男児もか?)が写っているというだけで、性的興奮を覚える人間がいないとは限らないからだ。しかしそれをつきつめてしまうと、ニンゲンが写った写真のほとんどが「ポルノ」と解釈されかねないことにもなってしまう(ただし、性的興奮の誘発がイコールで取り締まりの要件となるのかどうかという問題もある。そこに被害者がいる場合は別問題ではあるが)。
 一般にポルノといえば若い女性がモデルなりにされるイメージがあると思うが、題材はいくらでもある。別段、ヌードになっている必要もなければ年齢どころか性別さえ容易に飛び越えてしまう。性的な傾向というのはあまりに広範囲で、なかには当人たちがそれゆえに大きな悩みを抱えている場合も少なくないだろう。マイノリティ中のマイノリティのようではあるが、肥満した中年から初老の男性を好む男性だっているという。言い換えると、そこらのおとっつぁんを“ネタ”にして性的興奮を覚えている男性だっているワケだ。あまりこうした点を挙げると差別になりかねないしキリがないのでこのへんにしたいが、その「ポルノ性」云々の判断を権力者に委ねていいのか? フェイスブック事件は、そのあたりを再考するきっかけにもなったかもしれない。

 なお、仮に共謀罪が創設されてしまった場合、その矛先のひとつとされるのが沖縄であるような気がしてならない。すでに進行している日本版天安門、あるいは日本版光州……。本当に誇れない国になってしまった。


 9月1日、JR西日本が三江線(江津~三次間)の廃止を表明した。同線は全長108.1kmに及ぶ長大ローカル線で、区間運転(全線走破スジは下り2本上り1本にすぎないが)を含めても上下合計17本にすぎない閑散線区である。だいぶ前に1度だけ乗りとおしたことがあるが、たった1両の小型ディーゼルカーが満席になった区間は皆無で、少ない乗客のうちふたり(オレを含む。ひとりは推測)は「三江線に乗るのが目的」で乗っていたのだからなにをかいわんやの状況ではあった。

 一方、JR北海道が今年12月を最後に留萌本線の留萌~増毛間を廃止、さらに石勝線の“夕張支線”(新夕張~夕張)間の廃止を夕張市に申請している。また、新幹線開業との引き換えではあるけれど、北陸本線の金沢~直江津間と信越本線の長野~直江津間、江差線(五稜郭~木古内)、鹿児島本線の八代~川内間、さらに東北本線北部などの第3セクター移管は、鉄道路線としての存続はしているものの、母体であるハズのJRから切り捨てられたという点で、広義の廃止に準ずるという見方ができるかもしれない。

 ここにきて、なんとなく「冬の時代」というものを予感する。このままいくと、廃止を含む路線切捨てに歯止めがかからなくなるのではないかという気もしてきた。

 ここからはまったくの個人的推理だが、彼ら(JR)がつぎに画策しているのは幹線を含む在来線の分社化ではあるまいか?

 たとえば、新幹線整備法に関連して3セク移管された線区がある一方で、その埒外にある東海道本線や東北本線の盛岡以南などはJRの路線として存続している。長距離優等列車が新幹線に移行したぶん、東京圏など大都市圏では生活路線としてより重要度が増している面もあるものの、長い区間のなかには経営(数字)的にみて厳しい部分もあるに違いない。とずれば、そんな儲からない路線はどうにかして切り捨てたいというのが経営側のホンネではないのか。
「●●線は新幹線開業のおかげでまんまと破棄できたんだがなァ。●●線もどうになからんのか?」
 というワケだ。まぁ、穿った見方であることは承知しているけれども。

 とはいえ、完全に自社と分離するには不都合な点もあるだろう。
 そんな推理で浮かび上がってきたのが、子会社の設立である。つまり、新幹線を含む儲かる路線をJRオリジナルで引き続き経営、そうでない路線・線区を新たに設立する子会社の管轄としてしまうのだ。この場合、3セク化などとは異なり、あくまでJRグループとして存続することになるハズで、当面は利用者にとって目にみえる不都合はないかもしれない(ICカード乗車券の類は共通利用できるのだろうが、運賃計算がどうなるかは想像の範疇外)。

 だが、従業員はほぼ完全に分離されるだろう。役員クラスなど一部には出向という形でJR本体の人間が配置されるのだろうが、現場を含む大半の従業員はそのまま子会社の社員という立場に置き換えられる。線路や駅などの関連施設の保持・分配については、分社を原則とする手段やオリジナルが子会社に貸し出すプランなどが思い浮かぶ(後者の場合、子会社が第2種鉄道事業者となる)。
 これは経営側からみれば意味のあることで、たとえば人件費(給与や賞与などもろもろ)についてだけみても、JRオリジナルと子会社との差が歴然とするに違いない。言い換えると、たとえば新幹線や一部大都市路線による儲けをより株主への配当や内部留保にまわしやすくなるのではないのか?

 仮にそんな事態が進行したとしたら、世界に誇れるわが国の優秀な鉄道網がどうなるか。おヒマな方はぜひ鉄道地図上などでシミュレーションしてみていただきたい(廃止路線もお忘れなく)。

 じつはこの推理(妄想であってほしいが・笑)にはちょっとしたヒントがある。
 航空である。
 たとえばわが国では最大手2社によって「JALグループ」と「ANAグループ」がいくつもの航空会社を傘下にして、地方路線などの運行を実施している(前者では日本トランスオーシャン航空やJALエクスプレスなど、後者ではANAウィングス)。これは外国の航空会社でも同様で、コードシェアによって大手会社便になっていても、実際の運行は子会社などがあたっているケースは常識になりつつある。
 さすれば、カネモウケ小児病(とオレは勝手に思っている)のJRが「オレも(「オレたちも」ではないんだな、この場合)」と考えるのは当然のなりゆきのように思うのだがどうだろう。

 まっ、せっかくだからさらに発展させて、JRの路線上を第2種鉄道事業者が活発に営業できるようにしたらどうかと思いますがね。ヨーロッパの鉄道路線で盛んなように。こんなのはまぁお遊びの部類ではあるけれど、JR東日本とJR西日本が「JR九州に続け」とばかりに投入する予定の超高額遊覧列車の類なんてのは、むしろそういう方式のほうが利用者のためになるだろう。「ファーストクラス的」なサービスなど、鉄道会社よりはむしろ航空会社のほうが得意なハズだし、現にヨーロッパでは航空会社が航空便として運行する列車だってあるわけだからねぇ。
 
 図体のでかさの割にあまりにせこい鉄道会社。
 どうもそんな偏見を抱かずにはいられない昨今である(われながら悲しいことだ)。
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 レジャーライター=植村誠の別館ブログです。
 ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
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