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猫池罵詈雑言雑記帳
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 考えれば考えるほど愚かかつ不愉快である。目下のところ、考えうるかぎりにおいて最低線の人間とはいえまいか? いうまでもなく石原慎太郎である。

 すでに報道されているので同じ思いのひとも多いハズだが、今般の大震災を評して「やっぱり天罰」と語るあの醜老。この放言(妄言)、あえて善意に解釈してさしあげれば、現代ニッポンにおけるモラルの低下を指摘し、こういう機会に考え直そうではないかということなのかもしれないが、ごく大雑把に言い返せば、おまえに他人のことが言えた義理かよということになる。

 石原曰くの“我欲”。たしかにそんなものに凝り固まった人間は少なくないとは思う(わが国にかぎらず。念のため補足しておけば、何兆歩か譲ってあれが善意の発言だとしても、こうした大災害にあてつけることが相応しいのかどうかは、多少でも常識や人間らしい心の持ち主でありさえすればだれにでもわかるハズ)。あとで少しだけ触れるが、大銀行だの中央官庁の連中などもその代表例だろう。だが、ではとうの石原慎太郎はどうなのか? 一族に利益や権力を誘導し、てめぇのガキどもにそれを世襲させんとしているのがまず明らかではないか。あるいは内規をはるかに超越した出張ないし視察という名の豪遊三昧。強引なオリンピック誘致とその失敗(当然かつ喜ばしいことだが)に拘わる浪費の数々。築地市場移転問題に自身の利権が強くからんでいることも指摘されている。そういうのを“我欲”の発露とはいわないのか? それもただの“我欲”とやらならばカワイイものだが、なまじ権力を手にしたがために、さらに始末が悪い(アレにくらべれば、ひょっとしたらカダフィー氏など立派なもので、あえて同列の“偉人”を挙げるとすれば、モブツ(元ザイール大統領)やらボカサ(元中央アフリカ共和国皇帝)あたりが相応しい。しかしそんなのが先進国ニッポンの首都の首長を続けてるとはなァ……。
 そんな愚か者が、こともあろうか「日本はそんなもの(自由と博愛と平等)はない。我欲だよ。物欲、金銭欲(ばかりが代わりにある)」とは、泥棒から泥棒はダメだとのご指摘か(笑)? あるいは、バカが「おまえらバカだ」と虚勢をはっているがごとし。
 しかも(本筋からはややそれるが)ケッサクなのが、その「自由と博愛と平等」とやらの見本としてフランス共和国を挙げている点であろう。ホントにあの国のセンスがそのとおりなのかどうか、あの国に旅なり滞在なりを経験したひとならば、よしにつけあしにつけなんらかの疑問を持っていてもおかしくはない(そういや、このヒトったら、いつだったかフランス語を小バカにして批判を浴びてましたにゃぁ・笑)。冗談はともかく、ではさて、その「自由と博愛と平等」とやらを、石原慎太郎は自身の知事任期中にはたしてほんの少しでも政策として実行してきただろうか。反論を権力で封じ込め、自国の憲法すら自身の都合で反故にしてきたこの汚らしい男。女性や障害者に対する差別発言。ホームレスの切り捨て。失業者は死ねとばかりの冷たい政策。あの男の政策のどこを探せば「自由と博愛と平等」とやらがあるというのだろう? あの石原慎太郎という小説家崩れの話を聞いていると、こちらのアタマがおかしくなってきそうだ。
 そう考えてゆくかぎりはにわかに信じられない事実なのだが、それでもなお石原慎太郎という政治家を支持している人間が、それも呆れるほど多いようだ。だが、たとえば石原のつぎの発言の意味するところを考えてみられよ。

「被災者の方々はかわいそうですよ」

 流行りの言葉でいえば、この「上から目線」。「かわいそう」だって? なんでこんなのに哀れまれなきゃならないのだ? ふざけるのもいい加減にしろである。しかしじつは、こんな言い回しにこそ、石原慎太郎という男の正体が顕われているのである。他者を常に下の下に見下し、自らを皇帝よろしく祭り上げるセンス。税金を湯水のごとく浪費することに対しても、「オレはおまえら下々のものどもとは違うのだ」と根っから思い込んでいるのだ。

 もうなんというか、いまの正直な気持ちを記せば、石原慎太郎本人のみならず、一族郎党すべらかく表舞台から消え失せてくれといったところになる。もっといば、末代まで祟られてほしい。なんだか小説家崩れのレベルに合わせてしまうようだが(苦笑)、こうした自然災害を指して「天罰」などと切り捨てる無神経な元モノ書きに対しては、これでもまだまだ甘いと本気で考えている。

「天罰」だのというバカ発言にしても、個人があくまで個人的に発したのであれば、たいした害があるワケでもないだろう。目の前で不愉快に思えばその場で反論してもよし、バカだなぁと思えば「あっ、そう」と相手にしなくてもいい。言い換えれば、酔っぱらいの出任せと同類だし、そんなたわごとなど放置しておけばいいのだ。だが、石原慎太郎という男は3期にもわたって首都の首長を務め、いまなお次期の座を狙っているのである。きわめて責任の重い立場にあるのだ。したがって、たとえたわごとの類であろうとも「ああそうですか」で済ますわけにはいかないのがあたりまえである。とうの本人にその自覚があるのかないのかまではわからないが、その自覚があろうとなかろうと、問題の根幹はそんな愚か者を首長にし続けてきた東京都民のセンスにこそある。あの“害”おっと“我意”のかたまりの醜老に、いったいどうして権力を与えてこなければならなかったのか。このテの妄言の類は、今回がはじめてではないのだ。それどころか、あの男自身が見本にしたいらしい「自由と博愛と平等」の真逆の政策しかしていないのである。つまり、つぎの東京都知事選に都民有権者がどこまで最低限の常識を発露させられるか、それこそがいまつきつけられた問題のひとつであるといえるだろう。もっといえば、東京都だけでなく、わが国の恥さらしである。

 さて、“我欲”の例として中央官庁や大銀行を挙げた。このうち銀行について友人がメールを送ってきた。JRによる“便乗運休”の影響をモロに受けつつ、疲れ果てて自宅最寄り駅付近で「目撃」したというつぎの情景(メールの受信は0時42分。確認してないが、彼の通常の勤務状況からみて、帰宅および目撃の情景は23時をまわっていたと思われる)。

「東京三菱UFJもみずほも三井住友も、ネオンが通常と同じく光っていた。東日本一帯が節電しているというのに」

 あるいは中央官庁について白川勝彦氏のつぎのリポート。

「いま何をすべきか?」


 私は国会に行った。霞が関や永田町がどうなっているのかを確かめるためであった。案の定、中央省庁のビルの電燈は、煌々と点けられていた。国会の建物も同じだった。廊下などの電燈は、普段と同じように煌々と点けられている。廊下の電燈など、明りが少しとれればそれで良いのだ。
──リンク記事

 こうした例が、はたして石原曰くの“我欲”にあたるのかどうかという見方もあろうけれど、無神経なヤツらが少なからずいるということであろう。

 もうひとつ蛇足をしておこう。いずれあらためるが、コンビニをはじめ市中の商店でのモノ不足が顕著になっている。なかには買いだめをしている輩もいるようで、そういうのをみたりあるいはイメージ(つまりみていなくても思い込みで)から、「あぁ、石原サンの“我欲”ってのはホントだなぁ」と納得するムキがあるかもしれない。しかし、一方で被災地で少ない物資や食料を分け合ってしのいでいるひとびとの姿が報じられ、善意の寄附やボランティアも伝えられている。そういう事実の一切を無視し、“我欲”がどうのというのは、まったくの錯覚といえる。少なくとも一般庶民にあっては。
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