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猫池罵詈雑言雑記帳
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 嗚呼、東京都議選。
 有権者じゃないし、さしあたりウォッチするにとどめているが、事前の想像どおりといおうか、アベ自民とコイケ自民劇場派ばかりがクローズアップされ、あたかもこの似たり寄ったりでしかない両者の戦いであるかのような演出がなされてきた。

 まっ、こんなのに騙されるほうがバカだとオレは考えているが、その顛末はフタを開けてみないことにはわかりようがないし、賢明なる都民有権者諸氏の冷静さにわずかな期待を寄せていたいような気もする。

 なぜ自民劇場派と造語を記したかといえば、そのボス格にあるおばさんの正体について、個人的なあるできごとからオレなりに見抜いているからだ。いちおうの“恩義めいた”気持ちがないわけではないし、こんなところでなにを記したところでどうってこともないと思うので具体的な記述は避けておく。

 しかしながら、劇場型だと見るその根拠について、ひとつだけ“たとえ話”を記しておこう。

 あのおばさん、かつては環境大臣を務めていたが、その“ご専門”であったハズの環境問題としてこういう“お伽話”はどうだろう?

 場面はとある環境問題を論ずる会議の席。
 主催者はこうした集まりの慣例にしたがって水差しを用意したかったが、会場に容器などがなかったため、やむを得ず市販のペットボトルの緑茶をテーブルに並べておいた。
 で、それをみたおばさん、
「これから環境問題について語り合うというのに、ペットボトルとはなにごとですかっ!」
 とどえらい剣幕でまくしたてた。

 一方、その騒ぎの影で、同じく会合に出席した別のひとりが、自らのバッグから水筒を取り出して、なにごとも言わずに自らの席前に置いた……。

※どうでもいいが、とうのご本人が日常生活にあってペットボトル飲料の類とまったくご縁がないかどうかはいざ知らずといったところでもありますな。


 閑話休題。
 いくつかの報道によれば、都議選の応援演説をしたわれらが安倍尊師に向かって、こともあろうか「安倍辞めろ」だの「安倍帰れ」といった抗議の声が飛び交ったという。なかには「臨時国会をいますぐ開け」というそのとおりでしかありえない声もあったらしいが、愉快だったのがそれに応じた尊師であった。
 
 いわく、
「人の演説を邪魔するような行為を自民党は絶対にしない」
「憎悪からは何も生まれない。こういう人たちに負けるわけにはいかない」
 っていうんですからねぇ。

 嗚呼、国会における自民党の面々から飛び出すヤジは、「人の演説を邪魔するような行為」ではないとでも主張したいのだろうか?

 記事を目にしたとたん、悪いけれど腹の底から大爆笑をしてしまいMASITAYO。

 その安倍尊師が、複数の学校法人をめぐって汚職めいた渦中にあるのはご存知のとおり。そしたら、それを正当かしたいのかどうか、こんどは獣医学部云々(でんでんじゃないYO)を後付で合法化しようとまであがいている始末。感想をハッキリと書きましょう。

「コイツ、ほんまもんのバカ雀っ!」

 オレはそうしみじみ思うほかはない。あくまで個人としての感想ではあるが。

 ところで、その子分のひとりが都議選応援で自衛隊がどうのと演説して問題化。アベ尊師をはじめ自民党でもその火消しに追われているというが、なぁに心配するこたぁありませんよ。なぜか?
 いまの安倍真理教・自民党を支持している善良なるひとびとにとっては、それのどこが問題なのかさっぱりわかりようがないんですから(これは共謀罪などをめぐってもまったく一緒)。ゆえに、ヘンにじたばたしないで静観していればいいのです、アベ尊師どの。

 それにしても、あんなのがこともあろうか「防衛大臣」とはねぇ。中国がどうのとか北朝鮮がどうのとか、さんざんっぱら「有事」をあおっている安倍心理教やその支持者だが、それでいてあんなのを「防衛」の責任者にしてるってんだから、笑うほかはないではないか。「バカ丸出し」とはこういうザマのことを指さないか?

・解釈イ:周辺国との対立や有事的な危機問題など、じつはまったくないのだというのがホンネ。
・解釈ロ:あおっているとおりに微妙な状況にあるのを事実として、そんなさなかにあんなのを責任者にすることに対する危機感をまったく持っていない(つまり、危機をあおりながらも、自分自身はなんら危機感を覚えていない)。
・解釈ハ:単なるバカ。低能なだけ。
・嗚呼、こんなんでニッポンの防衛は大丈夫なのだろうか(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)
 

 
■おまけ
 加計学園をめぐる「幕引き」(まぁ、真理教側からみてね)のザマを眺めていてふと思った。
「でんでん」だの「腹心の友」だのといったアベ語だが、案外、その「お気持ち」に「忖度」した出版社なりが、国語辞典のつぎの改訂版かなにかで正式な日本語として掲載するかもしれませんなァ(笑)。

・うん-ぬん【云々・云云】・・・「でんでん」とも

 とかね(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;) 現代ニッポンに、いかにもありそうな話ではないか。
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  腐臭がするぜ。安倍晋三だの  菅義偉だのといった面々、そしてそこにたかる有象無象どもからよ。

 くわえて思う。
 あんたら、とってもみっともないよ
 往生際もすこぶる悪い(見苦しいともいう)。

 ひとことでいえば、軽蔑するほかはないニンゲンの好例だ。

 日本の将来を担う若者たちは、とくにマネをしないように(しないか・笑)。

 ところで、ニッポンの道徳教科書「検定」を舞台に「パン屋」がダメで「和菓子屋」ならOKという“介入”に順ずる事件があったそうな。なんでも、
「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度の扱いが不適切」
 だっていうのだが「首席に朝の挨拶をします」(そういう童謡が北朝鮮にあるのだかあったのだかした。いうまでもなく首席とはこの当時なら金日成を指した)じゃなかった(笑)、「国歌が流れたら、みんなでいっしょに歌います」なんて記述もあるらしいし、昨今の流行り歌やTVにありがちな三文ポエムフレーズも山盛りされているとか(流行り歌については、少し前までは「お説教ソング」と個人的に呼んでいたが、最近はそれを通り越して「よい子ソング」ないし「よい子のフリをします歌」に“進化”している。とっても気持ちが悪い)。

 断っておくが、個人として「パン屋はダメで和菓子屋!」などとしたり、「君が代」を心をこめて斉唱するのはなんら問題はないし自由である。もちろん「よい子ソング」の類だってそうだ。しかし、ここで問題となっているのは「教科書検定」という公権力との関係であり、そういう意味で極めて危険な状態にあるといえる。言論や思想の自由というのは、こうした公権力の行使に対してこそ問題となりうるものなのであり、日本国憲法が定めるそうしたものろもろは、まさに権力の行使に対する歯止めなのである。
 それがこのザマとはね。まさに北朝鮮にソックリ。こうしてみっともない国にますます陥っていってしまうのだろうか……。

◎補足
「伝統と文化の尊重」という点はあえて反対するつもりはない(公権力が入り込むのには大反対だが)。個人的には「伝統と文化」の核には言語(母語。つまりここでは日本語)こそがふさわしいと考えているが、ではさて、「戦後レジーム」がどうのとか「アベノミクス」だとか、にわかにはわけのわからんヨコモジもどきで煙にまいたつもりでいる連中ときたらどうか。そういう輩にこそ、「伝統と文化」を尊重しろといいたい(まぁ、首相からして「でんでん」だの「腹心の友」だもんなぁ。そのていたらくで、なにが「美しい日本」なんだよ・笑)。そうでなくとも、役所やマスコミが流布してやまない妙なヨコモジの数々(スキームだのコンプライアンスだの・・・)。そんなところに公権力によって「ポエム」が加わるとは、わが民族文化の滅亡もそう遠い未来のことではなさそうだ。

 なお、外来語がダメだとかヨコモジを廃せよなどという極論を述べているのではないので念のため。

●追記
 お隣・韓国で前大統領の「親友」だという被告に対し懲役3年の実刑判決が下された。

 ぁあ、このおっかさんってのは、ようは前大統領にとっては“腹心の友”(アベ語)ってワケか。

 韓国嫌いにとっては、歴代大統領による汚職や、それに類するデタラメぶりを嘲笑していたりするのであろう。しかし、それに対して我らが祖国のザマときたらどうか? 司法がまともに動くことさえママならないではないか。けっしてよそを嘲ってばかりはいられないというのが実態ではないかと思うのだが。

 ちなみに、その被告の罪状の一部。
崔順実被告を起訴した特別検察官チームによると、崔被告は2014年、梨花女子大の入試で馬術の韓国代表だったチョン氏を合格させるため、チョン氏や大学関係者と共謀して面接官らに影響力を行使した。(聯合ニュース・6月23日配信)

 ぁあ、どこかにあったような話ですなァ……。「腐臭」漂うひとびとよ、こりゃぁ他人事じゃないぞ。よかったですなぁ、ニッポンジン(の政治家)で(嗤)。
  
 そういえば、(きちんとした裏づけがまだ取れてないので)だれとは名指しはしないけれど、「腐臭」を撒き散らしているそのなかに、東南アジアの某国(どの国までかは話を聞いている)で、買春三昧にいそしんでいた人物がいるそうな。コレはその“腹心の友”・・・かどうかはともかく、少なくとも仲良しであるらしい某人物がとある記者にもらした話。「いそしんでいた」と過去形にしたのは、以前なら(おそらくは公務ないしそれに順ずる仕事で)欧州などにゆくさいに、わざわざ遠回りとなるその国経由とし、(乗り継ぎ滞在を利用して)女遊びをするのを楽しみにしていたところ、エラくなってしまったがために、公務の出張にさいしては「政府専用機」があてがわられてしまうため、そうしたそそうができなくなってしまったとその御仁が「嘆いていた」という証言による。

 まっ、こんなのはほかのあまたの“罪状”に比べればどうってことのない話にすぎないし、「女遊びだろうがカジノ豪遊だろうが、やりたきゃ勝手にやってくれ」と笑い飛ばすことも可能であろう(とはいえ、公務中だったとしたら大問題ですな)。だが、「美しい日本」の正体がコレではねぇ・・・?


 ぁあ、万が一にも共謀罪が施行されたら、市民を“摘発”するのはこんな連中なんだなァ……。

みうらじゅん、痴漢冤罪被害を告白! 捜査協力のはずが「犯人連れてきた」(マイナビ)

 リンク記事の内容は見出しのとおり。
 容疑者でもなんでもなく、単に(善良な一市民として)警察の捜査に協力してみたら、いきなり犯人扱いとはね。

 ようは、こんなクソバエどもが共謀罪摘発の任を背負うワケである(ほかに国家の暗部ともいいうる「公安」の類も関わるのであろうが、それとて同様──どころの騒ぎではないに違いない)。

 ついでにざっとネットのヘッドラインを眺めていったところ、兵庫県警がなんら法を犯していない市民を銃刀法違反容疑で現行犯逮捕したという雑報もあった。違法となる刃渡り云々をめぐる警察官の無知(勘違いではないよ)によって市民を逮捕したはいいが、調べてみたら違法でもなんでもなくただちに釈放したというのだ。

 このふたつの案件。ともに警察側の横暴から無辜の市民を拘束したという共通点がある。善良にすぎると、「誤りに気づいて釈放したんだからいいじゃないか」などという頓珍漢な発想に結びつくかもしれないが、鉄道車両内などでの痴漢騒ぎ報道などを見るにつけ、その事後で無罪を勝ち取ろうが、標的にされた側は(警察と違って)無傷ではいられないではないかと思う。

 共謀罪なんぞなくてもこのザマなのが現代ニッポンなのである。
 実際に犯罪行為に及ぶ前どころか及ぶつもりがまったくなくても、権力側の恣意的な見方によって摘発できるのが共謀罪である。「つもり」なり「計画」なりの有無を決めるのは、あくまで権力側であり、その先鋒に立つのが、こうしたニッポンの警察だということを知るべきであろう。

 犯人扱いされた漫画家にしても、これが共謀罪施行後であったとしたら、いわれもない家宅捜査などを受けた可能性だってある。仕事に関連するファイルも一方的に捜査資料とされ、押収でもされてしまえば、それこそ生活に関わってくる。「犯罪を犯したワケでもないのに、そんなバカな?」と思うかもしれないが、そんな権力側の行為を合法化するのも共謀罪だ(さらにいえば、気に食わないジャーナリストや出版社などに対し共謀罪容疑をでっちあげてパソコンや書類などを押収することだって可能だし、カメラマンなども街角などで取材活動をしていてどんな言いがかりをつけられるか知れたものではない。後者の場合も、仕事に必須のカメラやメモリが「証拠物件」として押収されるのは間違いない)。

 そんな恐ろしい法を行使するのがこの横暴にして無知な連中なのだ。無実や補償を訴えたところで、相手は強固な組織と権力に守られている。おそらくは、無実が証明されようとも、現実的には泣き寝入りを強いられる市民でニッポン中があふれかえることになるだろう。
 仮に成立したらどれだけの犠牲者が生まれることになるのだろうか……?

 ゾっとさせられた。

  人が多い。しかし上海の人の群は不思議だ。黙々と歩く。無表情である。ヒトの肉声が聞こえない。街を歩けば歩くほど、見たいものが見えないもどかしさ。出会いたいものに出会えない欲求不満が募っていく。街は、人々は、何かをかたくガードしている。(『全東洋街道 下』藤原新也・集英社文庫)

 片づけものをしていたら、久々に本書に再会した。そこで、なんともなしに寝床で再読を楽しんでいたところ、ゾっとさせられたというのが、上の引用部分である。

 一昨年、広州から雲南省を経て成都までの汽車旅を楽しんできた。ほんの数日間、それもごくごく微細な小旅行である。
 それでも、あれこれ印象に残ったできごとはあったが、総じて感じられたのはつぎのようなことであった。

 中国人ってのは、もっとやんちゃかと想像していたのに、このおとなしさはなんなのだろう……。

 たしかに、広州駅前などの賑わいには圧倒されるものがあった。広大ともいえる駅前広場を埋め尽くすように行き交うひとびとの群は、明らかに日本のそれとは異なる迫力があった。だが、熱が感じられなかった。生気に乏しいような印象を受けた。同じアジアの外国である韓国やタイ、あるいはベトナムとも異なる。もとより、上に引用した上海の現在や北京などではまた違った感想を抱くのかもしれないが、ちょっと意外な思いにかられたのも事実である。

「ゾっとさせられた」というのは、著者が歩いた時代の上海に現代ニッポン(とりわけ東京圏)を重ね見てしまったからである。
 本書でつづられている旅の時代、中国では外国人旅行(中国人もであろうが)の旅行は事実上自由化されてはいなかった。著者もまた、ひとり旅であるながら通訳と案内人という肩書きの監視人がふたりもつき添うという囚人さながらの上海滞在を強いられたらしい。対する日本ではそんなことはない。外国人であろうと日本人であろうと、国内を自由に行き来できるし、さしあたり理不尽な制限があるワケでもない。

 旅行云々(うんぬん)はさておいても、中国という国に社会主義国特有ともいえそうな、市民抑圧があることは否定できないであろう。街を歩けば、そこここに公安の姿が見られる(まださほど混雑していなかった駅待合室のベンチで脚を組んでいて、駅員に注意されたのも印象深い。まぁ、こんなのは社会主義とも抑圧とも関係ないのだろうが、少しばかり「やんちゃでない」その背景を窺ったような気がした)。
 ささいな一例を挙げれば、現地で知り合った中国人とカタコト会話を楽しみつつ、彼女が愛用しているスマホを使い、地図サイトでわが家の場所を教えようとしたら、遮断されていて、われわれのコミュニケーションにまでつかの間の空白が生じてしまった。ウワサは本当なんだなと思った。

 抑圧下の中国人大衆とニッポンジン。その両者に類似の印象を重ね見たというのはどういうことなのだろう。どうもわが祖国の明日といってもいいほどの近未来は、中華人民共和国に近寄りつつあるのではあるまいか? その名も朝鮮民主主義人民共和国と同様に、もはや詐欺かジョークとしか思えない自由民主党という名のカルト政党の暴走。その行き着く先は、かつて藤原が出会った上海人の群のような社会なのではないのか。「ゾっとした」というのは、まさにそんなわが祖国のザマを感じ取ってのことなのである。

 そんなさなかではあるが、この大切な祖国にも真の意味での「出世者」といいえる官僚が存在するというのは、まだしも明るい材料かもしれない。
 この勇気ある志士を指して、やれフーゾク店に通っていただのと筋違いの個人攻撃の末、批判されるや頓珍漢な逃げ口上を紙面で開陳し開き直っている“クズ紙”がある。件の官僚がそうした店を訪問していたのは事実らしいが、どうやらそ“クズ紙”が揶揄するのとは異なり、現代ニッポンの断面を彼自身として捉えるその過程であったようだ。

 仮に“クズ紙”の揶揄が正当であるとするならば、たとえば冒頭で引用した藤原新也は渋谷でタマタマ遭遇した若い女性に興味を抱き、彼女が勤めているフーゾク店(出会い系云々──うんぬん──などではなく、もっと直接的な“サービス”を販売している類)に赴き、その本人との対話をしている場面などが、著作『渋谷』(文春文庫)でつづられているのをどのように解釈すればいいのか。そこでは、見事に現代ニッポンの側面が切り出されている。それぞれの視点の違いはあるかもしれないにせよ、この『渋谷』と“志士”前川喜平前文科学事務次官との間には、共通するものが多々あるとオレは見る。

●参考リンク:
官邸の謀略失敗? 前川前次官“出会い系バー”相手女性が「手も繋いだことない」と買春を否定、逆に「前川さんに救われた」と(リテラ)


 それにしても、権力者と仲良しであれば裏取引でなんでもできかねないニッポン。数で押し切れば話し合いどころか憲法でさえクソ喰らえとばかりの現代ニッポン。お隣・韓国と比べても、なんともみっともない国になってしまったものである(韓国における汚職もすさまじいものがあるが、アベ尊師夫婦がらみの一連の事件もまた「汚職」とはいわないのか?)。

 そんな舵取りをしているアベ尊師政権。んなものを支持する連中の理想というのは、ようは選挙も議会も不要であり、国家の舵取りはすべて権力者による密室で一方的に決めてもらえばいいという解釈しかオレにはできない。庶民はツベコベ言わずに黙ってろと。うるさいヤツは全部「反日」だ。そんな世の中。ようは中世への逆行だ。

 さきの中国はもとより、韓国など周辺諸国からの「日本は反省していない」という声は少なくない。いうまでもなく、先の植民地支配などについての主張ではあるが、オレもまったくもってそのとおりだといわざるをえない(部分的には「そんなことはない」と考えたいところだってあるが)。しかし問題は、その「反省していない」というのは、周辺諸国に対してだけではなく、わが祖国、日本人自身に対しても指摘しうる事実であり、このまま反省なきまま暴走してゆく果てに辛酸を舐めさせられるのは、ほかならぬわわわれ日本人であるということを見据えるべきであろう。


●参考リンク:
“腹心の友”…? 加計学園問題の核心(永田町徒然草)
 あのアベ尊師が「でんでん」に続き祖国の母語でさえ理解できていない(嗚呼、「美しい日本」・笑)ことを自ら暴露した「腹心の友」。「そんな言葉、日本語にあるんか?」といぶかったものだが、偶然にして白川勝彦弁護士も指摘している。

●参考リンク:
沖縄基地反対運動の現場から発信を続けるラッパー大袈裟太郎さんの貯金がいきなり凍結された(日刊ベリタ)
 推測含みの部分はあるが、少なくともこんな事態が跋扈してゆくとしたら、それはやはりアベ尊師暴走こそが背景にあるのだと断言する。


◎おまけ:
 件の“クズ紙”を親会社とする某プロ野球チームが創立以来の大連敗を繰り広げているそうな。野球中継の類はほとんど(まったくに近い)見ないし、新聞記事もまた然りだが、ネットのヘッドラインなんぞに出てくるので、見出しを通じてそれだけを知っている。
 痛快である。
 もとより、スポーツと政治とは切り離して捉えるべきであろう。だが、その親会社がみっともないまでに(歴史的大恥をさらしながら)カルト政権の提灯持ちをしていて、その読者獲得のためにこのチームが利用されてきた事実からすれば、このザマはやはり痛快でしかない。延々と負け続けてろ!


 あれこれ罵詈雑言すべきネタが山積しているが、あり余ったカネをもてあますのと似たようなもので(ホントか?)、ネタが「これでもかっ!」と押し寄せてくるものだから、却って同ブログのアップがおろそかになってしまう。まっ、ようは面倒なのでサボっているだけの話だが。

 としているうちに、来週は外国取材に出かける予定。韓国に加え、このところタイなどもウォッチしているが、たまさかに訪れる程度の旅行者が、そんな外国のことなどを十全に理解できるとは思えない。しかし、いくつかの外国を見聞しているなかで、祖国の姿を見る目というかその(新たな)視点を得られるという効能があるような気もしている。
 ここに挙げたふたつの国。韓国は朝鮮戦争が休戦状態にある国家であり、タイは軍政下にある。このところ、オレが興味を持っていることのひとつに、「ではこのふたつの国と祖国・日本という3カ国を歩いていて、はたしてオレが最初に職務質問の類を受けるのはどこになるだどうか?」というのがある。別段、いかにもアヤシゲな格好や行動をしているワケでもないが、オレにはどうも祖国こそがその座に就くのではないかという予感がしてならないのである……。

 さて、久々のアップに、いくつかの話題に対する個人的な雑感を記しておきたい。

●安倍尊師が「熟読」しろと明言した「読売新聞」がどのように目されているかというその一例

読売はダメだ! あんなもの、読む価値はまったくない
 コレを聞いた瞬間の驚きをいまもって思い出す。なにしろ、語った人物がまごうことなき保守思想の持ち主であり、「オレは国粋主義者だ!」と明言したこともある方だからである。もちろん長年の「読売新聞」の読者であった。

 そのときすでにご高齢にあって、残念なことにその後に他界してしまったが、最晩年に訪問したさい、書斎に「東京新聞」が積まれてあったのも印象に残っている。そのヨミウリ発言が出る数年前には「産経新聞」も購読しており、そのなかの“出任せ記事”(それまでの企業の寿命や経済サイクルがそうだから、そろそろ景気は回復するといった内容だったと記憶。もちろんそうはならなかったが・笑)を引用して、「景気はよくなるよ」などとご高説(同じく聞かされた別の年輩の知人のセリフ)を展開されていたこともあった。じつは、あれこれ大変お世話になった方であり、個人的に学んだことも多々あるが、ご自身もまた、ヨミウリだのサンケイだのの正体を見抜いたということなのかもしれない。いうまでもなく、最後まで保守人ではあった。

 しかし、じつはこれに類似した発言にはあちらこちらで遭遇している(逆にいまだ熱心な読者も少なくはないが)。しかもそれらのなかに、選挙では自民党ないしその推薦候補者に投票する程度には保守的な人物が少なからずいるというあたりにも興味を抱いてきた。

 一方の“雄”、サンケイはどうだろうか?
「いやさ、ウチのオフクロが近所のひとからの勧めでサンケイをとったんだよ。でも最初のひと月でストップしてさ。なんでかっていうと『あれじゃ“週刊誌”と変わらないじゃないの! くだらなくて読んでられなかったワ!』という話らしい。“週刊誌”にもいろいろあるが、おそらくはゴシップ雑誌の類と比較したのであろう。
 その話を聞いて大笑いしたが、この“オフクロ”さんは別段特定の支持政党があるワケではなく、どちらかといえば保守的なところがあるようだ(その息子というか友人談)。まっ、保守的だからどうのということではないにせよ、「その程度の新聞なんだな」「よくわかっていらっしゃる」と思ったものだ。

 ついでながらこの新聞社(サンケイ)、系列の「夕刊フジ」紙面で現政権に対するアンチテーゼを「反日」とひとくくりにしていて驚いた。
フランスで拡大する「左派活動」の実態

 詳しくはリンク記事をお読みいただくとして(筆者の狙いとは別の部分で愉快ですな、コレ)、これを寄稿した「杉田水脈」という人物によれば、憲法改定や安保法などに反対することが、イコール「反日」になってしまうらしい。オレは、祖国である日本を愛し、大切にしつづけたいと考えているからこそアベ一派の跋扈を許せないのだが、そういう解釈はできないということなのだろうか(あえて記事を弁護するとすれば、フランス語学習という場でありながら云々──うんぬん──ということになるのであろうが、「そこに、一方的なイデオロギーに基づく活動が入り込んでくるという」という表現(一方的という点にも注目)をはじめ「目立っているという」「参加しているというのだ」「聞く耳を持たないようだ」・・・というのは、ブログ程度ならともかく、新聞媒体に載せるにはあまりに無用心にすぎないか?)。

もう自民党は保守じゃないね
 とは某県の地方議会の代議士を務めている知人の弁である。この人物も保守的な方(若いころは自民党国会議員の秘書を務めていた)ではあるが、オレの記憶では、コイズミ時代を境に自民党とは袂を分けている。次項にも触れるが、先だって電話連絡をいただいたさいにそんな話題となって、そのさなかに「読売新聞」についてのコメントもあった。
「ヨミウリだって同様(保守でもなんでもない)だよ。マトモに読んでるヤツなんかいないんじゃないか?」


●カルト集団が支える安部尊師

 前出の代議士の話。
「地元の首長選挙で、“共産系”候補を応援したんだ」
「ほぉ……」と思ったが、つぎの弁は、このごろオレが抱いている感想と共通するものがあった。
自民党は、マトモな保守層からは見放されている。面白いことに、その受け皿となっているのが共産党だったりするんだ」
 繰り返すが、その代議士は自民党とは離れたものの“保守系”であり、いわんや共産党員でもなんでもない。話を聞くと、日ごろの諸問題に対応するなかでそう実感したということらしい。同じような考えのひとは存外に多かったそうで(当地は保守的な土壌の強い“田舎”である)、投票前には当選の可能性がかなり高く評価されていたという。

 ところが、これがひっくり返った。
 自民党の推す対立候補が当選したのである。

 問題はその“逆転劇”の影にある集団があった(らしい)取り沙汰されていることだ。
「●●●会に対し、多額のカネが渡った。それを受けた会側が大挙して対立候補に投票したんだ。そんなウワサが出たあたりを境に、期日前投票が大幅に増えた」
 ありそうなことだとは思ったが驚いた。日ごろチェックしている「しんぶん赤旗」サイトにすらそんなことは取り上げられていない。
「確実な証拠がないんだ。地元では(いろいろな話などから)わかっていることなんだが、新聞社なんかにしても、記事にできるだけの証拠がいまのところ得られていないようだ」

(そんな証拠もないものをたとえ個人ブログとはいえ記事にするなというのは真っ当なご意見だとあらかじめ言っておくが、オレは一切やっていないものの、SNSでは早々からこの話題がかなり流布され論じられているとその代議士の話。そのうえで、こんなブログであっても、記事にする価値があると判断したからこそアップしてみたのである。ただし、証拠云々──うんぬん──を鑑みて「●●●会」と名称をボカした。)

 ところで、あの安倍政権を支える集票マシーンのひとつに創価学会がある。件の代議士がいう「マトモな保守層からは見放されている」その穴埋めを、創価学会がしているという見方もできるかもしれなない。言い換えれば、“安倍真理教”政権なんぞ、創価学会から見棄てられでもすれば、いとも簡単に崩壊する可能性があるということだ。
 この会、海外進出も著しいが(オウム真理教もそうでしたな・笑)、国によっては「カルト」と目されているとの報道を目にしたことがある(古くはともかく、いまやオレも同感ではあるが)。くわえて、尊師ご自身がメンバーでもある某会。オレはこちらもまた「カルト」的だと考えている。以前、白川勝彦氏が「ポツダム宣言」にからめて述べられていた一掃されるべきであった戦前の残滓であり、たとえばドイツであればその存在からして認められないのではあるまいか。ナチズムと同様に。

 マトモな保守層から見放された自民党が頼ったのはカルトであった
 そんな見方だって可能なんじゃないかと思うのだが、いかがだろうか?


●よかったなぁ、ニッポンジンで(笑)

 神社本庁が2011年に配布したポスターに載せられている「私日本人でよかった」とのキャッチコピーが一部で波紋を広げているという。
 いくつかの報道によれば、東日本大震災を受けたボランティア活動などが外国メディアに注目されたことなどがこの背景にあるようだ。
 もっとも、政府の対応(最近のバカ大臣発言などを含む)や関連する東京電力の対応などを鑑みるに、はたしてこの件で「よかった」といえるのかなとも思うのだが……。

 オレも日本という国はいい国だと実感している。経済的にも豊かな部類に入り、交通や衛生面などの各種インフラも充実しており、なによりも安全で自由な社会である。また、いにしえから培われた文化にもすばらしく誇れるものが多々ある(しかし、ほかの各諸国・民族だって同様なのでは? 国家という点で、あるいは社会整備などの点で問題を抱えている国が少なくはないにせよ)。
 だが、この「よかった」というフレーズが、戦前の権力者と一体化して庶民や諸外国を苦しめてきた歴史を持つ組織から飛び出したことに、オレはゾっとせざるをえない(しかも、「よかった」という「日本人」でない外国人に対してさえ、信仰を強要したというおぞましい歴史を持つのがわが国の神社ではないのか?)。

 せっかくなので、ひとつ引用をして今日のアップを締めくくろう(長々と失礼しました)。

「我が同志よ!!」
 この言葉と精神を、90年代以降忘れた多くのバカ日本人が、代わりに「自己責任!!」の言葉を胸に、官僚や政治家、資本家に、公園や橋の下に棄てられつつあるのは笑える。これも北朝鮮や中国、韓国が悪いってんだろ? わかってるって。日本人でよかったなぁ。
(『出版奈落の断末魔 エロ漫画の黄金時代』塩山芳明・アストラ・2009年/243ページ。文中漢数字を算用数字に改めました)

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