原発事故およびそれに関連する諸問題。最大の被害者が原発周辺で暮らすひとびとであり、その土地であり、あるいはさまざまな動植物であることは否定できないだろう。代々をかけて培った暮らしを破壊したという点では、その地域文化もまた犠牲者だ。さらに原発から相応に離れた土地やひとびとの暮らしなどに実害や不安を与えている点からすれば、その被害者を限定することなどもはや不可能といっていいかもしれない。
そうした犠牲には、たとえば事故発生後に右往左往を繰り広げた“計画停電”によるものや、その後に続く“節電モード”に伴う影響(たとえば、街路灯を休止した結果の事故や不便、鉄道の間引き運転による不便、公共の場でのエスカレーター停止などによる不便など)も含むことができる。節電そのものは結構だと思うし、むしろその関心を持つきっかけになったという皮肉な見方もできるが、はたせるかな、そうした施策や協力、あるいは“努力”は喧伝されたような電力不足に伴う諸事態を回避するにつながったようだ。
ひょっとすると、こうした施策を“犠牲”としてくくることについて疑問や反感を抱くむきもあるかもしれないが、その発端をつくったのが原発事故であることや、原子力依存を国や業界が先導して推進してきたことを考えると、たとえ“受益者”側だとしても十分に被害者として捉えうる。
では加害者はだれということになろう。その構図としてみえているのが当事者たる東京電力であり、その国策会社を支えてきた国家である。また、原発を取り入れ推進した側としての政治家らの責任を問う声も当然のこととしてある。推進者ということでは、たとえばアメリカ合州国の傀儡として働いた“原子力の父”・正力松太郎氏(故人・「日本版パクチョンヒ」という称号を最近思いついた)やその“落とし子”としての読売新聞社などもそれにあたるし、いわゆる御用学者の類についての責任も徹底して追求しなければならないだろう(推進者傀儡としての自民党政府を長年にわたり延命させた日本国民全体の責任とする考えもあろうが、そうした「一億総懺悔」的な発想は、その真の責任追求を曖昧にするものでしかない)。
こうした原発事故および推進した側に関して、欧州におけるナチス清算と同様の態度を持って臨むべしという考えはこれまでなんどか記してきたが、ここで触れてみたいのは、これら表の加害者ではなく、意外と見落とされがち(?)な真の受益者についてである。
そもそもなぜ原発なのか? 言い換えると、なぜ原発を建設し、さらにその輸出まであおっているのか。現・野田政権はこの期の及んでなお日本の原発技術を「世界最高水準の安全度」などと喧伝しているが、日本だろうがアメリカ合州国だろうがフランスだろうが、そんな“安全”がフィクションにすぎないことはいまや世界レベルでの常識になりつつある。が、たとえば野田首相が国連の場で「安全性」を強調したその真意は、原発の建設や輸出がカネになるからであり、あえていえば「つくった者」勝ちという論理であり、もっといえば「売り逃げ」してしまえばそれでいいという暴論であろう。
これは兵器商人と極めて近しい発想といえるが、ようは平和や安全よりもカネということであり、里の小川のドジョウすら生きていかれない世界をつくってもなおカネカネカネという自らの馬脚を顕わしたというワケだ(そのカネで潤おうのはだれか?)。アメリカ合州国はまさにそうした論理でもって原子力兵器とともに原子力の“平和利用”として原発を売り込んできたのであり、その片棒を担いできたわが国の指導者らは、いまなおその呪縛に対しなんら疑問を抱くことすらできないでいるのである。
そうした原発推進にあって、最大の受益者は何者か? これはもう明らかに原発メーカーである。メカニックの製造から建設、メインテナンス……。原発はカネのなる木なのであり、原発メーカーはまさにそうやって私腹を肥やしてきたのだ。でなければ躍起として建設や輸出にこだわるハズはないではないか? ここを忘れてはならない。
そうしたことをなぜいまさら触れたかといえば、原発の受益者を電力消費者に求めるような考えがある種スタンダードになっているように感じられるからだ。この消費者にはいうまでもなく産業界こそが主役の座を務めるが、そうして使われる電力がなにも原発由来でなければならないということはなく、否応なしに原発の“恩恵”を受けさせられているという考え方だってできよう。こうしたことは、原発解体や原発利用に伴う廃棄物の処理や今般の事件で汚染された土壌や廃棄物などの処理にも大きく関わってもくるハズだが、少なくとも一般庶民が原発の電力がほしいと言ったワケではない(推進賛成派もあろうが)。原発立地で暮らすひとびとを含めて。
一方で、産業界のトップは庶民に脅しをかけながら原発推進を謳っている。ここが臭いのだ。つまり、電力供給の不安定化につながるから原発を推進しろというのはあくまで表向きであり、そのじつ原発そのものに関わるさまざまな利権を代弁しているにすぎないのではないか? ちょうどダム建設のためにダムをつくるような構図が、ほかならぬ原発にこそ蔓延しているということである(電力業界による国会議員パーティー券の購入も取り沙汰されているが、原発メーカーからはどうか?)。
言い換えれば、真の受益者たる原発メーカーへの責任を措くことはできず、被害住民らへの補償問題を含め、その責任を追求すべきであろう。
ひょっとすると、こうした施策を“犠牲”としてくくることについて疑問や反感を抱くむきもあるかもしれないが、その発端をつくったのが原発事故であることや、原子力依存を国や業界が先導して推進してきたことを考えると、たとえ“受益者”側だとしても十分に被害者として捉えうる。
では加害者はだれということになろう。その構図としてみえているのが当事者たる東京電力であり、その国策会社を支えてきた国家である。また、原発を取り入れ推進した側としての政治家らの責任を問う声も当然のこととしてある。推進者ということでは、たとえばアメリカ合州国の傀儡として働いた“原子力の父”・正力松太郎氏(故人・「日本版パクチョンヒ」という称号を最近思いついた)やその“落とし子”としての読売新聞社などもそれにあたるし、いわゆる御用学者の類についての責任も徹底して追求しなければならないだろう(推進者傀儡としての自民党政府を長年にわたり延命させた日本国民全体の責任とする考えもあろうが、そうした「一億総懺悔」的な発想は、その真の責任追求を曖昧にするものでしかない)。
こうした原発事故および推進した側に関して、欧州におけるナチス清算と同様の態度を持って臨むべしという考えはこれまでなんどか記してきたが、ここで触れてみたいのは、これら表の加害者ではなく、意外と見落とされがち(?)な真の受益者についてである。
そもそもなぜ原発なのか? 言い換えると、なぜ原発を建設し、さらにその輸出まであおっているのか。現・野田政権はこの期の及んでなお日本の原発技術を「世界最高水準の安全度」などと喧伝しているが、日本だろうがアメリカ合州国だろうがフランスだろうが、そんな“安全”がフィクションにすぎないことはいまや世界レベルでの常識になりつつある。が、たとえば野田首相が国連の場で「安全性」を強調したその真意は、原発の建設や輸出がカネになるからであり、あえていえば「つくった者」勝ちという論理であり、もっといえば「売り逃げ」してしまえばそれでいいという暴論であろう。
これは兵器商人と極めて近しい発想といえるが、ようは平和や安全よりもカネということであり、里の小川のドジョウすら生きていかれない世界をつくってもなおカネカネカネという自らの馬脚を顕わしたというワケだ(そのカネで潤おうのはだれか?)。アメリカ合州国はまさにそうした論理でもって原子力兵器とともに原子力の“平和利用”として原発を売り込んできたのであり、その片棒を担いできたわが国の指導者らは、いまなおその呪縛に対しなんら疑問を抱くことすらできないでいるのである。
そうした原発推進にあって、最大の受益者は何者か? これはもう明らかに原発メーカーである。メカニックの製造から建設、メインテナンス……。原発はカネのなる木なのであり、原発メーカーはまさにそうやって私腹を肥やしてきたのだ。でなければ躍起として建設や輸出にこだわるハズはないではないか? ここを忘れてはならない。
そうしたことをなぜいまさら触れたかといえば、原発の受益者を電力消費者に求めるような考えがある種スタンダードになっているように感じられるからだ。この消費者にはいうまでもなく産業界こそが主役の座を務めるが、そうして使われる電力がなにも原発由来でなければならないということはなく、否応なしに原発の“恩恵”を受けさせられているという考え方だってできよう。こうしたことは、原発解体や原発利用に伴う廃棄物の処理や今般の事件で汚染された土壌や廃棄物などの処理にも大きく関わってもくるハズだが、少なくとも一般庶民が原発の電力がほしいと言ったワケではない(推進賛成派もあろうが)。原発立地で暮らすひとびとを含めて。
一方で、産業界のトップは庶民に脅しをかけながら原発推進を謳っている。ここが臭いのだ。つまり、電力供給の不安定化につながるから原発を推進しろというのはあくまで表向きであり、そのじつ原発そのものに関わるさまざまな利権を代弁しているにすぎないのではないか? ちょうどダム建設のためにダムをつくるような構図が、ほかならぬ原発にこそ蔓延しているということである(電力業界による国会議員パーティー券の購入も取り沙汰されているが、原発メーカーからはどうか?)。
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