「なんでそこでアメリカが出てくるのよ?」
仕事の手を休め階下に行くと、年老いた我が母堂がTVのニュースショウを見ていた。
題目は南北問題。27日に実現したあの歴史的瞬間などについて、そのスジの専門家やら自称専門家らが論評ないし出任せを番組司会者らとともに繰り広げるというテの番組である。
「あの会談のニュースを見て、真っ先に思い浮かんだのが拉致被害者のこと。一刻も早く帰国できるといいのだけれど……」
母堂はそう思っていたという。
とうの番組ではなかなかその拉致被害者問題の話題が出てこなかったが、しばらく見るともなしに見ていると、やっとこさという風情でこの話題がめぐってきた。すると、
「アメリカ(合州国)と北朝鮮との会談に期待したいですね(要旨)」
とのコメントが真っ先に飛び出したのである。
冒頭のひとことは、それを受けてすぐさま飛び出したものだ。
別段、日ごろから政治がどうの北朝鮮問題がどうのというワケでもなくとも、ごくごく素朴に当然ともいえる疑問に結びついたということであろう。まったくもって同意するほかはない。
──ったく、そのつもりがあるならアベが北朝鮮に乗り込んで交渉してこいってんだよな……。まぁ、乗り込んだところで平壌冷麺がどうのという話で終わりかねないからおとなしくしてるほうが恥をかかなくて済むかもしれませんなァ(笑・笑いごとではないが)。
※29日午後に配信された時事通信の短文記事
>文在寅大統領は27日の南北首脳会談の結果を説明し、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長に対して日本人拉致問題を提起したと報告した=29日午前、首相官邸(リンク記事)
※同じく29日午後の時事通信配信
>トランプ大統領が同日の安倍晋三首相との電話会談で、「日本の拉致問題を即座に解決するよう北朝鮮に促す」と伝えたことを明らかにした。(リンク記事)
(前者はアベの写真とともに配信されていたが、ここでも主体は日本側にはない。いったいどうしたことか?)
※同じく29日午後の時事通信配信
>トランプ大統領が同日の安倍晋三首相との電話会談で、「日本の拉致問題を即座に解決するよう北朝鮮に促す」と伝えたことを明らかにした。(リンク記事)
(前者はアベの写真とともに配信されていたが、ここでも主体は日本側にはない。いったいどうしたことか?)
あの会談を受けての「板門店宣言」の署名や南北両首脳のスピーチは、TV中継で目撃させてもらった。久々に感動を覚えた。それも猛烈に。
このまま順調に進んでほしいという願いの一方で、はたしてどのような障害が待ち受けているのか、それらをどのように克服してゆくのか。一筋縄でいかないかもしれないことは百も承知のうえだが、まさに歴史的快挙の瞬間であったと思う(北朝鮮の先代と先々代時代を含む道のりについては、たとえば『ソウルと平壌』や『朝鮮戦争 金日成とマッカーサーの陰謀』、『金正日 隠された戦争 金日成の死と大量餓死の謎を解く』──いずれも萩原遼著・文春文庫──などを参照されたい)。
そんな歴史的大事件にあって、我が祖国・日本国からのコメントや動きは驚くほど乏しいのが気にかかる。
そんななか、ネットのヘッドラインには、「日米首脳が電話会談」「認識が一致」といった米国主体の見出しが並ぶ。
たとえばつぎの記事──
※日米首脳、北朝鮮非核化へ行動要求=南北会談は「歴史的一歩」(時事通信29日)
>安倍晋三首相は28日夜、米国のトランプ大統領と電話で約30分間会談し、27日の南北首脳会談について、北東アジアの平和と安定に向けた歴史的一歩として歓迎すべきだとの認識で一致した。(リンク記事)
見出しだけを見るといかにも日米間で「会談」したかのようではあるが、そうではあるまい。単に米国側にご意向伺いをし、その結果を「一致」とウソぶいているだけではないのか?
リンク記事はこう締めくくっている。
>日米首脳電話会談に同席した西村康稔官房副長官は、南北会談で拉致問題が取り上げられたかどうかについて、記者団に「具体的なやりとりは控えたい」と語った。(同前)
ようはなにもないのだ。アベを筆頭に、自民党のほとんどの面々はどうしていいのかさっぱりわからないのだ。おそらくは優秀であろうハズのトップ官僚をしても、主体的に動けるだけの意識も情報も持ち合わせていないのであろう。あきれ返るほどの属国ぶりではないか。
こんな体たらくだからこそ、ほかならぬ日本と北朝鮮との間の大問題である拉致被害者問題についてすら、米国だの韓国だのの顔色を伺いつつ、「ジャンケンの後だし」をするタイミングをはかるのがせいぜいなのだと考えざるをえない。
そういえば、26日には「2018年報道の自由度ランキング」とやらを伝えるニュースがあった。北朝鮮が最低位にあるのはともかく、我が祖国・日本は180中67位だったという。韓国の43位からも遠く引き離されたザマを国際的に見せつけたワケである。
しかし、前から思っているのだが、「自由度」という見出しは必ずしも正しくないのではあるまいか? ポルノや詐欺的商品のCMなどが手放しに近い状況で跋扈しているニッポンは、むしろ「自由度」は高い。その気になれば相当の部分まであからさまに報道することだってできないハズはなく、その点で北朝鮮などと比較するのはムリがある場合もあるだろう。
むしろここでは「マスコミのバカ度」。バカで悪ければ「(権力に対する)従順度」、あるいは「家畜度」としてもいいが(いや、こんな物言いは家畜に対して失礼かな?)、ようは主体的に腐っているのである。「自由」云々などという高尚なレベルにないのがわが国の実態ということであろう。心底情けない……。
(誤解を避けるための蛇足だが、今回引用させてもらった時事通信社がそうだとは言っていないので念のため。)
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ふだんなら目にしただけで素通りするレベルの雑報だが、ちょっとばかり仰天したので、紹介だけしておきたい。
※北朝鮮で餓死者続出、拉致被害者奪還の好機 家族会「いまを逃せば大変なことになる」
(「夕刊フジ」2018年3月31日)
すごいね、この見出し。
いくら北朝鮮を利用したいからといって、「ひとの道」に真っ向から反するごときの見出しをつけるウヨクメディアの正体とは、いったいなんなのだろうと思う。これでは、自国民に対し人権の「じ」の字も与えようともしない北朝鮮当局とまったく一緒だと思うのだがどうだろうか。
>「数十万」とも「200万」ともいわれる餓死者が相次いだ1990年代の「苦難の行軍」の再来を懸念する声も上がっているという。正恩氏が追い詰められた今、日本には拉致被害者奪還の好機が訪れている。(リンク記事)
と本文でも書き連ねている。
ここでダシにされている「苦難の行軍」の再来が事実云々かどうかはともかく、それで金正恩が「追い詰められ」ていると自覚しているのであれば、それはそれで評価すべきことかもしれない(父親・正日と比べてのことだが)。
この「200万」人にも及ぶ犠牲者が取りざたされている大量餓死事件について、先に亡くなったジャーナリストの萩原遼は、金正日による故意の大量虐殺事件だと看破している(『金正日 隠された戦争 金日成の死と大量餓死の謎を解く』文春文庫2006年/ほか)。そこには、自国民の大量死に対し座したまま手をこまねいていたのではなく、“敵”と位置づけられたひとびとを消すために仕組まれたワナ──食糧配給の停止などによって──というのである。言い換えるならば、このときの独裁者であった金正日はけっして「追い詰められ」てはいなかった。したがって、もし自国民が窮しているのに対し、息子・正恩が「追い詰められ」ているというのであれば、これはあの国にとって大きな進歩だという皮肉な見方だってできることになろう。
そういう意味において、交渉の「好機」としたいのであれば理解はできる。北朝鮮当局が韓国や中国との間で対話の場を設けたことは事実であり、さらに米国との対話すら現実のものとなる可能性だってあるからだ(記事では、こうした事実に目を背けたいのか、日本が置き去りにされているなんていうのは錯覚だとでもいわんかのごとしである。哀れで泣けてくる)。
だが、この恥さらしな「見出し」。
あたかも人間の悲惨な死を福音としたいがごとしの姿勢。
悪辣な独裁者とそのもとで虐げられているひとびととの区別がついていないかのような幼児性(多少でもそういう常識を持っていれば、こんな見出しは避けるだろう)。
フジサンケイというメディアの正体が、これほどわかりやすい見出しという意味では、天晴れというほかはない(フェイクニュースの実績もありますな)。
それはそれとして……。
北朝鮮問題において、米中露の介入をできるだけ少なくすべきだとオレは考えている。
それは、なんらかの武力含みによる「ハードランディング」が取り返しのつかない結果をもたらすと考えていることがひとつと、北朝鮮解放後という大きな場面・時代においてが国がぜひリーダーシップをとってほしいと願っているからだ。
そう単純な問題でないことは承知のうえだが、あの国のインフラの整備をはじめ、農業や工業といった産業育成、教育や医療、さらにはエンタテイメントなどのビジネスチャンスにもつながらないワケがない。残念ながら、いまの政権のママでは、そんな前向きな近未来をデザインすることはとうてい不可能であろう。
■オマケ:
「バカのひとつおぼえ」あるいは(マンガのなかの)「壊れたロボット」みたいに「改憲・改憲」とさわぐ愚か者リーダー。あの男のオツムのなかには、祖国のデザインなどはなく、単に祖父の墓前にある成就を報告したいだけなのであるまいか。彼ののたまう「改憲」とは、ようはそういう「改憲」なのかもしれない。少なくとも彼のオツムのなかでは……。
※北朝鮮で餓死者続出、拉致被害者奪還の好機 家族会「いまを逃せば大変なことになる」
(「夕刊フジ」2018年3月31日)
すごいね、この見出し。
いくら北朝鮮を利用したいからといって、「ひとの道」に真っ向から反するごときの見出しをつけるウヨクメディアの正体とは、いったいなんなのだろうと思う。これでは、自国民に対し人権の「じ」の字も与えようともしない北朝鮮当局とまったく一緒だと思うのだがどうだろうか。
>「数十万」とも「200万」ともいわれる餓死者が相次いだ1990年代の「苦難の行軍」の再来を懸念する声も上がっているという。正恩氏が追い詰められた今、日本には拉致被害者奪還の好機が訪れている。(リンク記事)
と本文でも書き連ねている。
ここでダシにされている「苦難の行軍」の再来が事実云々かどうかはともかく、それで金正恩が「追い詰められ」ていると自覚しているのであれば、それはそれで評価すべきことかもしれない(父親・正日と比べてのことだが)。
この「200万」人にも及ぶ犠牲者が取りざたされている大量餓死事件について、先に亡くなったジャーナリストの萩原遼は、金正日による故意の大量虐殺事件だと看破している(『金正日 隠された戦争 金日成の死と大量餓死の謎を解く』文春文庫2006年/ほか)。そこには、自国民の大量死に対し座したまま手をこまねいていたのではなく、“敵”と位置づけられたひとびとを消すために仕組まれたワナ──食糧配給の停止などによって──というのである。言い換えるならば、このときの独裁者であった金正日はけっして「追い詰められ」てはいなかった。したがって、もし自国民が窮しているのに対し、息子・正恩が「追い詰められ」ているというのであれば、これはあの国にとって大きな進歩だという皮肉な見方だってできることになろう。
そういう意味において、交渉の「好機」としたいのであれば理解はできる。北朝鮮当局が韓国や中国との間で対話の場を設けたことは事実であり、さらに米国との対話すら現実のものとなる可能性だってあるからだ(記事では、こうした事実に目を背けたいのか、日本が置き去りにされているなんていうのは錯覚だとでもいわんかのごとしである。哀れで泣けてくる)。
だが、この恥さらしな「見出し」。
あたかも人間の悲惨な死を福音としたいがごとしの姿勢。
悪辣な独裁者とそのもとで虐げられているひとびととの区別がついていないかのような幼児性(多少でもそういう常識を持っていれば、こんな見出しは避けるだろう)。
フジサンケイというメディアの正体が、これほどわかりやすい見出しという意味では、天晴れというほかはない(フェイクニュースの実績もありますな)。
それはそれとして……。
北朝鮮問題において、米中露の介入をできるだけ少なくすべきだとオレは考えている。
それは、なんらかの武力含みによる「ハードランディング」が取り返しのつかない結果をもたらすと考えていることがひとつと、北朝鮮解放後という大きな場面・時代においてが国がぜひリーダーシップをとってほしいと願っているからだ。
そう単純な問題でないことは承知のうえだが、あの国のインフラの整備をはじめ、農業や工業といった産業育成、教育や医療、さらにはエンタテイメントなどのビジネスチャンスにもつながらないワケがない。残念ながら、いまの政権のママでは、そんな前向きな近未来をデザインすることはとうてい不可能であろう。
■オマケ:
「バカのひとつおぼえ」あるいは(マンガのなかの)「壊れたロボット」みたいに「改憲・改憲」とさわぐ愚か者リーダー。あの男のオツムのなかには、祖国のデザインなどはなく、単に祖父の墓前にある成就を報告したいだけなのであるまいか。彼ののたまう「改憲」とは、ようはそういう「改憲」なのかもしれない。少なくとも彼のオツムのなかでは……。
一連のアベ不祥事。
もはや言い逃れなどできないと、いくらかでも常識を持ち合わせていれば理解できているハズなのだが、いまだのらりくらりと追求かわしに躍起になっているアベ政権。いよいよ死に対だと考えるのが当然というものであろう。同時に、そうはならないかもしれないというのが、ニッポンという国の正体でもある。とんだ恥さらしであり、残念なことだ。嗚呼、美しき日本(笑)。
その“忠臣”のひとりである佐川某をスケープゴートにしてはならないのは当然だが、その佐川某を含め、アベ一族およびその取り巻きについては、国家によって一生の生活と仕事を保障すべきだというのが、オレが考える理想論だ(まぁ、そういう法律はいまのところないので「夢想」でしかないのだが)。ここでいう「保障」とは、もちろん自由との引き換えにおいてこそ遂行される(佐川某のような忠臣が切り捨てられるのは、北朝鮮のそれによく似ている。まァ、3000万円とも言われる“ご褒美兼口止め料”つきだし、“人間ミンチ”にされることもないのだが。しかしカネがないだの国民をあおっておいて太っ腹なものですな)。
公文書偽造や破棄(言うとおりであればだが)という重大な犯罪行為が跋扈しているわが国ニッポンだが、こうしたザマを目の当たりにすると、たとえば先の戦争における“汚点”の言い逃れも容易に理解できるというものだ。韓国がことさらに問題提起している従軍慰安婦問題も然り。中国における“南京大虐殺”もそのひとつ。“公式な”書類云々(でんでんじゃないぞ)と取りざたしてあったことをないとするその姿勢は、今般一連のザマと根っこは一緒なんだなぁといまさらながら呆れ返るほかはない。証拠隠滅と時間稼ぎ。そのうち騒ぎも収まるだろという猿知恵以下の発想である。
もっといえば、たとえば水俣病や原爆後遺症などといった自国民に対する補償問題もこれらと同類。さらに、天皇の退位問題だって同様に通じているのだと考えざるをえない。
自国内の問題でさえこうなのである。いわんや外国(宗主国であるアメリカ合州国を除く)に対して、こんな国家がどうして真摯に向き合おうか? 心底情けない。
それにしても、とりわけネット上の落書き(これもまぁ、その一種かもしれないが)を見れば、韓国に対する悪口雑言は相変わらず多い。オレ自身も自分なりにあの国を“ウォッチ”していて、問題点や欠点めいたところが多々あることは十分に承知しているつもりだが、それでもわが祖国よりは三権が機能している面があると考えざるをえない。
たとえば、さきの朴のおっかさんは「懲役30年および罰金1185億ウォン」が求刑された(2月27日ソウル中央地裁)。相棒の崔アジュンマにも懲役25が求刑されている。
「国民から委任された大統領の権限を私有化して国政を壟断し、憲法の価値を毀損した」
「その結果、被告は憲政史上初めて罷免され、韓国の憲政史に消せない汚点を残した」
というワケだが、コレを、
「国民から委任された首相の権限を私有化して国政を壟断し、憲法の価値を毀損した」
と“書き換え”てもなんら違和感がないのが、われらがアベ政権ではないか(笑)。
願わくば、
「その結果、罷免され、日本の憲政史に消せない汚点を残した」
と断罪されてほしいものだが、それができるかどうかは、日本という国が正常な民主主義国家であるかどうかを示す重要な指標となりうることだけは指摘しておく必要がある。断っておくが、これは韓国がどうだからという話ではまったくない。
それにしても現代ニッポン。
日本という美しい国を殺伐とさせたのはあの小泉純一郎だとオレは考えているが、これを一歩進め、日本という美しかった国を出鱈目に陥れたのがほかならぬ安倍晋三だ。
じつは、さらに進めて、「日本を破滅させる人物」についてもあくまで個人的な妄想としてある人物を想定しているのだが、公言は差し控える(あたりまえだ)。だが、幸いにしてまだそれなりの猶予が残されている。美しき国を取り戻すチャンスはなくなったわけではない……。
※なお、著名人に関しては「敬称略こそ最大の敬称」であるとの持論から、当ブログでは、該当する人物については原則それに沿った記述としてあります。
町でも広場でも部屋でもいいが、きちんと片づけられてゴミひとつないようなところでは、ゴミの投げ捨てがはばかられるという話はむかしからよく聞く。チリひとつないようなところに、わざわざゴミを「ポイ棄て」するというのはちょっとした度胸というかあつかましさが必要だと思うが、逆に、ゴミだらけの街角などではひとびとも鷹揚になりがちなのか、普段はそうではないのに、「まぁいいか」と「ポイ棄て」してしまうひとだっているかもしれない。
これは、ゴミに限った話ではなく、会社なり学校なりなんらかの集まりなりで、たとえば時間にルーズであったりとか、金にだらしがないだとか、約束ひとつマトモに守れない──もちろんその逆も多々あるけれども──などといったことは別段珍しいことでもないだろう。そうしたことは“社風”だのといった形で語られることもある。こうしたことを突き詰めてゆくと、やれ国民性だのといったステロタイプな話になりがちなので、個人的にはあまりこういうたとえをしたくはないのだが、だとしても集団においてなんらかの傾向が現れることは否定できないように思う(国民性とか地域性みたいな話はあるとは思うが、それをもって片づけられないことはもっと多いと考える)。
さて、わが祖国・ニッポン。
著名企業の粉飾やら談合やらどっかのバカが権力を行使して自分のお友だちを優遇したりやら官民挙げてのデタラメぶりがやたらと目立つ昨今であります。
先の成人の日がらみでは、晴れ着屋のトンズラ事件なんかも起きて世間に話題を提供しているが、ほうぼうで指摘されているように、旅行代理店「てるみくらぶ」事件がなんま再現されたかのごとしである。
いちいちひとつひとつを挙げていてはキリがないが、こうした現代ニッポンに蔓延するデタラメを見るにつけ、この国のモラルというものはいったいどうなっているのだろうと暗澹たる気持ちになってしまう。
しかし、考えるまでもなく、首相や閣僚、与党らが率先してデタラメに明け暮れているのだから、その国民、ひいては国そのものがその追従をしたとしてもなんら不思議ではないのだ。大原則として首相や与党ら政治の核心部こそが厳守しなければならないのが憲法なのだが、大衆がそう求めているのならばまだしも、そうとは必ずしも言い切れないなかで首相自らが「改憲」に拘泥しているという逆立ちぶりからしてデタラメの真骨頂でありその頂点なのである。言い換えれば、トップからしてこうなのだから、その集団がデタラメに対し鈍感になってあたりまえ。もちろん、もろもろの事件がアベシンゾーとそのおとりまきの責任だとは言うつもりもないが、「美しい日本」なんぞとたわけているなかでこの体たらくなのだから、なにをかいわんやではないか(笑)。
しかし、ニワトリとタマゴの話ではないけれど、かくたるごとしに国(集団)や国民だからこそ、あんな汚らしいデタラメ政権が長々つ続いているとはいえるし、ふさわしい政権だともいえる。クソとハエがお似合いであるように、まっことお似合いな関係なのかもしれないねぇ(このたとえはハエとクソに失礼というものかも?)。
閑話休題。
前にも殴り書きしたが、こんなクソデタラメに巻き込まないでくれ。ひとりの日本人としてそういいたい。
ちょっと“古い話”になってしまうが、さきの「東アジアE-1サッカー選手権2017」は、久々にテレビ観戦をじっくりと楽しませてもらった。男子が優勝を決める対韓国戦で惨敗を喫したのは残念ではあったものの、政治や(一部の)国民感情といったものを乗り越えて展開したスポーツマンシップ。スポーツの国際イベントという面でも、なにかと実りが多かったのではないかとも考えている。
韓国代表に惨敗したのを受け、日本代表を率いるハリルホジッチ監督に対する非難が一部に沸き起こった・・・というのはいわば想定内。これを「毎度のこと」と片づけるか、あるいは理路整然と監督としての資質といった面に目を向けるか、さまざまな見方はあるだろうが、首を挿げ替えればいいという話ではないにせよ、監督の役割というのは絶対に侮ることはできない。サッカーはもとより、多くのスポーツにおいてその成績が監督に左右されるということは厳然としてある。スポーツ以外でも、映画やドラマなどのエンタテイメントも然り。ぁあ、オーケストラ(指揮者)なんかもそうですな。「トップ」の責任は重大なのだ。これは、規模の大小を問わず企業においても、無視できない常識であろう。
さて、2017年も終わりに近づくなか、わが国では多方面から体たらくともいいうる企業・法人の不祥事が明るみになっている。
ほんの一部だけを拾ってみても「新聞1面」を飾った重大事件が目白押しだ。
日産などにおけるインチキ整備事件。中央新幹線(リニア)プロジェクトをめぐるJR東海と大手ゼネコンとの談合疑惑。ついさきごろには、あわや1000人規模の犠牲を出しかねなかった東海道・山陽新幹線「のぞみ」の重大インシデントが起きた。いうまでもなく、「モリ・カケ騒動」などとも揶揄されている森友と加計をめぐる“平成の大疑獄疑惑”もそのひとつだ。
このうち、「のぞみ」事件を起こしたJR西日本は、すでに福知山線脱線大量惨殺事件という“前科”があるにも関わらず、ヘタをすればそれを遥かに超える大事件を起こしかねなかったのだから情状酌量の余地はない。福知山事件では歴代社長の責任云々(でんでんじゃないYO)が問われたものの、いかにも「ニッポンらしい」展開をみせ、犠牲者らが踏みにじられた格好となった。しかし、いままたこうして類似の事件に発展しかねなかったザマからすれば、やはり同社経営にこそ問題があるのだといわざるをえない。
※(「のぞみ」台車亀裂のJR西 検査要員20人 今年4月削減 検査間隔も引き延ばす「しんぶん赤旗」17年12月27日)
>今回トラブルを起こした「N700系」新幹線に限り「30日、または走行距離3万キロ以内」としていた検査の間隔を、4月1日から「45日、または走行距離6万キロ以内」と変更していました。(リンク記事)
ついでながら、こうした指摘を読むと、鉄道以上に航空の実態が心配になってくる。アベ自民とべったりともウワサされている航空某社は大丈夫だろうか?
くわえて、同記事では、東海道・山陽新幹線として超高速列車を頻繁運転している相棒であるJR東海との間で情報共有が十全なかったことも指摘している。これは「別法人だから」で片づけるべき問題ではないし、利用者としては背筋が寒くならざるをえない。
さて、ここで気になっているのが、こうした体たらくの数々が、我らがアベシンゾー政権のもとで跋扈しているという事実である。もちろん、それ以前からの蓄積もあろうし、少し遡ればあのコイズミスネオ政権時代に強行された「規制緩和」といった点にも触れる必要がある(ある分野における「規制緩和」の産物をめぐる指摘をしたいと考えているが……)。必ずしも政権の責任とまではいえないだろう。しかし、こうしたわが国における恥さらしな実態が、その“監督中の監督”であるべき立場にアベシンゾーというくだらない男が就いていることとまったくの無関係だと言い切れるだろうか? トップがダメなら組織は崩れる。もちろん国家も。末端を含め、関わるひとりひとりの資質や責任もさることながら、トップの無能によって取り返しのつかない事態に陥ることは、分野や規模を問わず常に起こりうることなのである。
まっ、その「無能」の尻拭いをあえてしたいというのであれば口を挿むのもヤボというものかもしれないが、道連れはゴメンだというのがホンネではある。
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レジャーライター=植村誠の別館ブログです。
ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
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