「おおっ、いまとまったく変わってないではないか!?」
近ごろ凝っている大韓時代劇「王と妃」を鑑賞しながらそう思った。
「王と妃」は、 朝鮮王朝第5代王・文宗の晩年から、第10代王・燕山君の王位追放(中宗反正)に至るまでのおよそ55年間を描いた文字通りの大河ドラマ。大人気を博した「大長今(宮廷女官チャングムの誓い)」をはじめとして、フィクションとして創作された時代劇は日本と同様に韓国でも数多いが、この作品は朝鮮王朝の“正史”とされる「朝鮮王朝実録」に則りつつ、ときにその記述内容に対し疑問が呈せられているなど、歴史物語に仕上がっているのが特徴といえるだろう(わが国のNHKは、同じ大韓時代劇でいえば「太陽を抱く月」など100%のフィクションをさして「歴史ドラマ」と銘打っているが、いったいぜんたいどういう神経をしているんだ?)。
場面は中盤。7代王・首陽(世祖)のもとにあるできごとが報告される。送ってきたのは咸鏡道の豪族のひとりイシエ(이시애/李施愛──メロドラマのような名前だが、「王と妃」ではちょっとだけあの“勝新”風味を漂わせる豪快なおとっつぁんが演じている)。その文言によれば、咸吉道節度使(当地の軍などを統括)がふたりの重臣とともに政権転覆を企てているという。名前の挙げられている重臣はともに首陽の側近中の側近として重責を担ってきた人物(ハンミョンフェ<韓明澮/한명회>とシンスクチュ<申叔舟/신숙주>)である。首陽にとっては、青天の霹靂ともいえる報告であり、なんの前触れもないなかで地方の一豪族から送られてきた内容は、その信憑性を疑うに十分であったハズだし、重臣たちもその点を指摘していたのだが、怒涛のように怒り狂った首陽は、即座に盟友中の盟友の投獄を命じたのであった。
このイシエの乱(1467年)として史書に残るできごとは、なんら根も葉もない密告だけを真に受けて重臣らを投獄したり殺戮の犠牲者を出すことともなった(一方で密告したイシエは当地の民衆とともに中央政権に対する戦いを挑んでおり、“正史”が伝える「反乱」で片づけていいのだろうかとの興味も引く)。
ちょっと長い前置きになってしまったが、あれこれもれ伝わってくる金王朝北朝鮮とソックリではあるまいか? たったひとつの密告(それも捏造だ)をもって、もっとも信頼してきた盟友でさえ粛清してしまおうとした首陽。もちろん、ドラマはそれがいかに史実に沿っていたとしてもエンタテイメントであり、創作の部分が多々あることはあたりまえだが、本作で描かれている時代は、これがふつうのセンスであったようだ。この事件以外にも、同様の密告やささいな誤解などによって多くの罪なきひとびと──それもときには盟友であったりもする──が一方的に、それも“公開処刑”や“さらし首”などをもって殺戮されていっているのである。
これはドラマのなかのほんの一例に過ぎないが、殺戮までにいかないまでも、重臣の首を挿げ替えるのも日常茶飯事だったようだ。たとえば重臣の筆頭格であった領議政の変遷を見ると、世祖(首陽)時代の晩年からその息子・睿宗(海陽)の時代にあたる1466年から1469年にかけては9回もの交代があったというめまぐるしさ。言い換えると王に次ぐ権力者であったとしても、いつなんどき粛清されるか知れたものではなかったということが窺える。
古くからの愛読書のひとつ『ソウルと平壌』(萩原遼・文春文庫)では、著者が「一九六七年の金日成のクーデター」と呼ぶ粛清についてが触れてある。その“粛清”の直後、つぎつぎと朝鮮労働党幹部らが姿を消していったという。挙げられている数字によれば、1961年9月に選出された中央の役員151人中97人(約64%)が1970年11月までの間にその姿を消している。
あるいはまた、つぎのような報告もされている。
>代議員が壇上で報告中、ヒナ壇中央で聞いていた金日成が突然話をさえぎってどなりだした。彼の声はしゃがれて野太い。いわゆるドスのきいた声である。(中略)
そのあと十分あまり一方的にまくしたてた。代議員といっても地方の政府機関の大幹部である。その人物が、親に叱られる子どものようにうなだれている。(161~162ページ)
大韓時代劇ファンであれば、これがドラマのなかでよくみかける情景であることをすぐさまに理解するに違いない(「王と妃」でいえば、「朝鮮王朝実録」に記されているこうしたできごとの解説がときに加えられており、ドラマとはいえ史実のひとつとして捉えることが可能だと考える)。 金王朝北朝鮮は、少なくともこの時代の朝鮮王朝のごときなのではあるまいか? これはあの国が少なくともこの点ではなんら進歩していないか後退してしまったという見方ができるのかもしれない(一方で、殺戮の手段は圧倒的に“進化”したのだからなにをかいわんやである)。
ところで、首陽の圧政に対し反旗を翻した重臣や、手を貸さないことで無言の対抗をつづけた人物についても史実の中でいわば“英雄”として残されている(「死六臣」と「生六臣」など)。一方、積極的に強力した人物や自らの意思を押し殺すかのように従順に遣えた人物もいる。後者はいうまでもなく自らの生命や暮らし、名誉、権力欲などが交錯しつつときの最大権力者におもねったのであろうが、そのひとりであるシンスクチュなどは、世祖の確信的盟友であったハンミョンフェとは異なる意味で、現代韓国での評判はあまりよろしくないらしい。
首陽の顔色を窺っては右往左往する重臣たち。そのはざまで権力支配をたくらむひとびと。ひるがえって、現代ニッポンはいかがなものなのであろうか?
■おまけ1:
北朝鮮の太っちょとアメリカ合州国のおしゃべりおとっつぁんとが言葉でやりあっている様子が伝えられている。そこに並ぶ罵詈雑言の類を目にすると、「目くそ鼻くそ」という言葉が浮かんでくるが、一方の大国の顔色窺いに専念しているわがニッポンのアベ政権などは、「目くそ鼻くそ」にすらなれないバカゴミといっていいだろうよ。
ところで、北朝鮮側からの罵詈雑言だが、ありゃぁまさにパンソリなのではアルマイトの弁当箱? 手持ちの文献が未整理なまま丘陵状態になってしまっていてネタモトが記せないが、韓国におけるケンカの作法として、手を出す前に言葉でやりあうといった話がどこかにあった。それゆえ、日本では考えられないような(?)汚らしい言葉が飛び出したりもするようなのだが、あの太っちょあんちゃんのメッセージを目にするたびに、「ぁあ、あそこに書いてあることは本当なんだなァ」と感心するほかはない。ただ、一方のおっとっつぁんが朝鮮伝統のそうしたセンスが理解できているのかはわからない。暴発に至らないことを期待するほかはないが、ああした「目くそ鼻くそ」(少なくとも両トップはだが)の応酬のさなかにあって、わが国などは、理想をいえば世界に対し平和的な存在感を示す絶好のチャンスなのではないかという気もする。もっとも、いまの政権にそれを期待するなんていうのは、まさに太陽を西から昇らせるようなものなのであろう。哀しいことである。
■:おまけ2:
その哀しき政権が、解散総選挙に打って出るという。重要な国政問題はもとよりあれこれ政権そのものに疑惑が浮かび上がってきたなか、野党がさんざん臨時国会の召集を要求してきたにも関わらず一切の無視を決め込み、その挙句にこの暴挙である(返り討ちにしなければ!)。
“報道”によれば、一時下降傾向にあった「内閣支持率」がやや持ち直しているという。不思議だ。彼らはその間になんら国民や国家のためになる施策など打っていないではないか。ではなにがあったかといえば北朝鮮による一連の暴挙であり、いままさに進行している北朝鮮危機である。つまり、アベ政権が北朝鮮に助けてもらっているとの解釈も十分に可能であろう(ホント、金一封でも金王朝の手に渡っていないとだれが断言できようか?)。
しかし、アベ政権は北朝鮮危機に対する有効な手立てなど、なんら示していないばかりか、おそらくはそれを描き実行するつもりも力もないとみる。やってることはあいも変わらず宗主国の顔色窺いであり、願わくば、これ幸いとばかりに憲法改定になだれ込みたいというのがホンネだ。さきの韓国(ないし伝統という意味で「朝鮮」も)の罵詈雑言語のひとつに「ケーセッキ(개새끼)」というのがある。「イヌの子」を意味する言葉だが、簡単な日本語に置き換えれば「こん畜生」の類。ただし、最大級に近い罵倒語らしいので、現地では使わないほうがいい(笑)。でまぁ、アベなんぞはまさにこのケーセッキなんじゃないかと思うのだがどうか(笑)。
近ごろ凝っている大韓時代劇「王と妃」を鑑賞しながらそう思った。
「王と妃」は、 朝鮮王朝第5代王・文宗の晩年から、第10代王・燕山君の王位追放(中宗反正)に至るまでのおよそ55年間を描いた文字通りの大河ドラマ。大人気を博した「大長今(宮廷女官チャングムの誓い)」をはじめとして、フィクションとして創作された時代劇は日本と同様に韓国でも数多いが、この作品は朝鮮王朝の“正史”とされる「朝鮮王朝実録」に則りつつ、ときにその記述内容に対し疑問が呈せられているなど、歴史物語に仕上がっているのが特徴といえるだろう(わが国のNHKは、同じ大韓時代劇でいえば「太陽を抱く月」など100%のフィクションをさして「歴史ドラマ」と銘打っているが、いったいぜんたいどういう神経をしているんだ?)。
場面は中盤。7代王・首陽(世祖)のもとにあるできごとが報告される。送ってきたのは咸鏡道の豪族のひとりイシエ(이시애/李施愛──メロドラマのような名前だが、「王と妃」ではちょっとだけあの“勝新”風味を漂わせる豪快なおとっつぁんが演じている)。その文言によれば、咸吉道節度使(当地の軍などを統括)がふたりの重臣とともに政権転覆を企てているという。名前の挙げられている重臣はともに首陽の側近中の側近として重責を担ってきた人物(ハンミョンフェ<韓明澮/한명회>とシンスクチュ<申叔舟/신숙주>)である。首陽にとっては、青天の霹靂ともいえる報告であり、なんの前触れもないなかで地方の一豪族から送られてきた内容は、その信憑性を疑うに十分であったハズだし、重臣たちもその点を指摘していたのだが、怒涛のように怒り狂った首陽は、即座に盟友中の盟友の投獄を命じたのであった。
このイシエの乱(1467年)として史書に残るできごとは、なんら根も葉もない密告だけを真に受けて重臣らを投獄したり殺戮の犠牲者を出すことともなった(一方で密告したイシエは当地の民衆とともに中央政権に対する戦いを挑んでおり、“正史”が伝える「反乱」で片づけていいのだろうかとの興味も引く)。
ちょっと長い前置きになってしまったが、あれこれもれ伝わってくる金王朝北朝鮮とソックリではあるまいか? たったひとつの密告(それも捏造だ)をもって、もっとも信頼してきた盟友でさえ粛清してしまおうとした首陽。もちろん、ドラマはそれがいかに史実に沿っていたとしてもエンタテイメントであり、創作の部分が多々あることはあたりまえだが、本作で描かれている時代は、これがふつうのセンスであったようだ。この事件以外にも、同様の密告やささいな誤解などによって多くの罪なきひとびと──それもときには盟友であったりもする──が一方的に、それも“公開処刑”や“さらし首”などをもって殺戮されていっているのである。
これはドラマのなかのほんの一例に過ぎないが、殺戮までにいかないまでも、重臣の首を挿げ替えるのも日常茶飯事だったようだ。たとえば重臣の筆頭格であった領議政の変遷を見ると、世祖(首陽)時代の晩年からその息子・睿宗(海陽)の時代にあたる1466年から1469年にかけては9回もの交代があったというめまぐるしさ。言い換えると王に次ぐ権力者であったとしても、いつなんどき粛清されるか知れたものではなかったということが窺える。
古くからの愛読書のひとつ『ソウルと平壌』(萩原遼・文春文庫)では、著者が「一九六七年の金日成のクーデター」と呼ぶ粛清についてが触れてある。その“粛清”の直後、つぎつぎと朝鮮労働党幹部らが姿を消していったという。挙げられている数字によれば、1961年9月に選出された中央の役員151人中97人(約64%)が1970年11月までの間にその姿を消している。
あるいはまた、つぎのような報告もされている。
>代議員が壇上で報告中、ヒナ壇中央で聞いていた金日成が突然話をさえぎってどなりだした。彼の声はしゃがれて野太い。いわゆるドスのきいた声である。(中略)
そのあと十分あまり一方的にまくしたてた。代議員といっても地方の政府機関の大幹部である。その人物が、親に叱られる子どものようにうなだれている。(161~162ページ)
大韓時代劇ファンであれば、これがドラマのなかでよくみかける情景であることをすぐさまに理解するに違いない(「王と妃」でいえば、「朝鮮王朝実録」に記されているこうしたできごとの解説がときに加えられており、ドラマとはいえ史実のひとつとして捉えることが可能だと考える)。 金王朝北朝鮮は、少なくともこの時代の朝鮮王朝のごときなのではあるまいか? これはあの国が少なくともこの点ではなんら進歩していないか後退してしまったという見方ができるのかもしれない(一方で、殺戮の手段は圧倒的に“進化”したのだからなにをかいわんやである)。
ところで、首陽の圧政に対し反旗を翻した重臣や、手を貸さないことで無言の対抗をつづけた人物についても史実の中でいわば“英雄”として残されている(「死六臣」と「生六臣」など)。一方、積極的に強力した人物や自らの意思を押し殺すかのように従順に遣えた人物もいる。後者はいうまでもなく自らの生命や暮らし、名誉、権力欲などが交錯しつつときの最大権力者におもねったのであろうが、そのひとりであるシンスクチュなどは、世祖の確信的盟友であったハンミョンフェとは異なる意味で、現代韓国での評判はあまりよろしくないらしい。
首陽の顔色を窺っては右往左往する重臣たち。そのはざまで権力支配をたくらむひとびと。ひるがえって、現代ニッポンはいかがなものなのであろうか?
■おまけ1:
北朝鮮の太っちょとアメリカ合州国のおしゃべりおとっつぁんとが言葉でやりあっている様子が伝えられている。そこに並ぶ罵詈雑言の類を目にすると、「目くそ鼻くそ」という言葉が浮かんでくるが、一方の大国の顔色窺いに専念しているわがニッポンのアベ政権などは、「目くそ鼻くそ」にすらなれないバカゴミといっていいだろうよ。
ところで、北朝鮮側からの罵詈雑言だが、ありゃぁまさにパンソリなのではアルマイトの弁当箱? 手持ちの文献が未整理なまま丘陵状態になってしまっていてネタモトが記せないが、韓国におけるケンカの作法として、手を出す前に言葉でやりあうといった話がどこかにあった。それゆえ、日本では考えられないような(?)汚らしい言葉が飛び出したりもするようなのだが、あの太っちょあんちゃんのメッセージを目にするたびに、「ぁあ、あそこに書いてあることは本当なんだなァ」と感心するほかはない。ただ、一方のおっとっつぁんが朝鮮伝統のそうしたセンスが理解できているのかはわからない。暴発に至らないことを期待するほかはないが、ああした「目くそ鼻くそ」(少なくとも両トップはだが)の応酬のさなかにあって、わが国などは、理想をいえば世界に対し平和的な存在感を示す絶好のチャンスなのではないかという気もする。もっとも、いまの政権にそれを期待するなんていうのは、まさに太陽を西から昇らせるようなものなのであろう。哀しいことである。
■:おまけ2:
その哀しき政権が、解散総選挙に打って出るという。重要な国政問題はもとよりあれこれ政権そのものに疑惑が浮かび上がってきたなか、野党がさんざん臨時国会の召集を要求してきたにも関わらず一切の無視を決め込み、その挙句にこの暴挙である(返り討ちにしなければ!)。
“報道”によれば、一時下降傾向にあった「内閣支持率」がやや持ち直しているという。不思議だ。彼らはその間になんら国民や国家のためになる施策など打っていないではないか。ではなにがあったかといえば北朝鮮による一連の暴挙であり、いままさに進行している北朝鮮危機である。つまり、アベ政権が北朝鮮に助けてもらっているとの解釈も十分に可能であろう(ホント、金一封でも金王朝の手に渡っていないとだれが断言できようか?)。
しかし、アベ政権は北朝鮮危機に対する有効な手立てなど、なんら示していないばかりか、おそらくはそれを描き実行するつもりも力もないとみる。やってることはあいも変わらず宗主国の顔色窺いであり、願わくば、これ幸いとばかりに憲法改定になだれ込みたいというのがホンネだ。さきの韓国(ないし伝統という意味で「朝鮮」も)の罵詈雑言語のひとつに「ケーセッキ(개새끼)」というのがある。「イヌの子」を意味する言葉だが、簡単な日本語に置き換えれば「こん畜生」の類。ただし、最大級に近い罵倒語らしいので、現地では使わないほうがいい(笑)。でまぁ、アベなんぞはまさにこのケーセッキなんじゃないかと思うのだがどうか(笑)。
아~! 개새끼 아베~~~~!! 넌 일본의 수치 다・・・
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もはや理解の範疇を超えていると思った。
北朝鮮当局による一連の挑発行為。そしてそれを指揮する金正恩そのものがである。
金正恩が常軌を逸しているのは疑いようもないと考えるが、ここにきて、一連の行為については、その度合はともかく、なんらかの“出来レース”的な力が働いているのではないかと疑いを持ちたくなってきた。
推理小説ではないが、この騒ぎで「もっとも利益を得ているのは何者なのか?」という疑問がアタマから離れないのである。
そんななか興味深いのは、「敵」として北朝鮮から公言されているアメリカ合州国が意外と思えるほどに冷静な態度を見せていることだ。“大将”トランプこそ威勢のいい出任せを放言していたりするものの、母体となる共和党内部や財界からさえ、それをたしなめる様子が窺える。これは、イラクをはじめとする中東問題などと比べると異例ともいえる冷静さであり、だからこそそこになんらかの狙いがあるのではないかという疑念が生じてくる。
>金日成・金正日父子体制の崩壊もまた必定である。(中略)今年(八九年)七十七歳で金日成が死亡し、息子正日に権力が移されたときが危機の始まりというのは、専門家のほぼ一致した見方である。(中略)
しかし、そうかんたんでないことをさとったのは、一九九〇年九月二十八日のことである。この日、自民党の金丸信、社会党の田辺誠、朝鮮労働党の金日成の三氏による三党共同声明が発表されたのである。
このニュースを私は滞在中のワシントンできいた。そのとき直観したのは、溺れる金日成に浮袋を投げ与えたということだった。そして、これで金日成政権の崩壊はさしあたりない、と判断した。日本の支配者たちは、朝鮮半島の危機のさいにはきわめす素早く動くということもまた目のあたりにした思いだった。(中略)
かつて韓国の政情が危機的だった一九六一年ごろ、朴軍事政権を助けるために日本は、日韓条約の締結のためにす早く動いた。こんどは北の崩壊をくいとめるためのテコ入れである。朝鮮半島は分断してくれていれ日本は安泰ということか。(『ソウルと平壌』萩原遼・文春文庫/292~293ページ。太線は当ブログ筆者による)
ちょっと長い引用をしたが、久々に本書を読み返してみて、わが国のセンスになんら進歩がないという実感を得た。
引用箇所では触れられていないが、アメリカ合州国もまた同じ穴のムジナ・・・というより、むしろ実質的な主役であろう。もちろん中華人民共和国やロシアを無視するわけにはいかないにせよ、それぞれが「安泰」を狙ってきたからこそ、昨今の事態へと発展しているという見方は穿ちすぎであろうか?
そんななか、わが国ではこんな事態になっている。
※過去最大の軍事費 来年度概算要求 「ミサイル防衛」大幅増(「しんぶん赤旗」2017年9月1日)
いわゆる軍需産業にはわが国の企業も関わっているが、最大のセールス元はアメリカ合州国である。この軍事費大幅増のタテマエが北朝鮮対策とだけはいわないが、少なくとも軍需産業にとっては「ウハウハ」であり、もっといえば「北朝鮮様様」といったところであろう(いうまでもなく、沖縄をはじめとするわが国への米軍の駐留や韓国への駐留および軍需セールスに対するこのうえない材料となっている)。
逆にいえば、北朝鮮の現体制が(アメリカ合州国およびその子分による軍事行動なしに)崩壊してしまえば、軍需産業にとってはイベントリスク的な打撃を受けることにもなりかねないのではないか? 言い換えると、北朝鮮がああした特殊な国家として成立し、小競り合いにもならないイベントを繰り返してくれているほうが、彼らにとっては利益になるということになろう。アメリカ合州国の冷静さの裏には、そんなホンネがあると見る。
一部の報道によれば、「予告なし」と大々的に報じられた今回のミサイル発射について、安倍真理教本部および教祖・安倍尊師がつかんでいたという話もある。北朝鮮当局を擁護するつもりはまったくないが、わが国の為政者らが本気でこの問題を危機として捉えているのだろうかという疑念が、どうしてもぬぐえないのである(この点での危機意識の欠如は、先代の防衛大臣にあのくだらない女史を据えていたことからも窺えよう)。
■おまけ1:
こんなネット記事も目に留まった。
※島田雅彦のツイッターが「大炎上」 「金正恩に小遣いやって日本を射程から外してもらう」
(J-CASTニュース / 2017年9月1日)
リンク記事によれば、小説家の島田雅彦氏がツイッターにこんな投稿としたという。
>PAC3に116億、Jアラートに92億を払うより、金正恩に小遣いやって懐柔し、日本を射程から外してもらう方が安上がりで確実なミサイル防衛になったりして。
これがいわゆる“炎上”を巻き起こしたというのだが、そんな個人(著名人とはいえ)の「つぶやき」の揚げ足を取っているヒマがあるのであれば、これまで日本政府が北朝鮮とどう相対してきたのかをお勉強しなさいといいたい。
わが国政府なりが金正恩に「小遣い」をくれてやっているかどうかはいざしらず、それに類する“援助”はすでに積み重ねているではないか。先に挙げた『ソウルと平壌』でも、そのあたりに触れられているし、引用部分からして「小遣い」以上のものを北朝鮮に進呈しているのである。
(それはそれとして、リンクしたJ-CASTニュースだが、小泉政権時代にはわりとキレのある記事が多かったような印象を持っていたが、アベ政権になったころから(?)その応援隊的な配信が目立つようになった気がする。リンク記事でも、ちょっと見に公平を装いつつも、内容はまったくの島田批判になっている。)
■おまけ2:
アメリカ合州国軍需産業のセールス品のひとつに、あの「オスプレイ」がある。当初から墜落を繰り返すなど欠陥が指摘され、いずれ致命的な事件を起こすのではないかと個人的に観察しているが(あっては困るけれども)、セールス側はもとより、わが国政府も安全だと強弁している。だが、つぎの指摘はどうだろうか? オレはまったくもって正論だと思うのだが。
>オスプレイについてアメリカや日本の関係者は、しきりと機体には異常がなく、過去の数件の事故はパイロットの操作ミスや追い風が原因だったとしているが、パイロットの立場からいわせてもらうと、パイロットにとって操縦が難しい機体は、そもそもそれ自体の安全性に問題があるといわざる得ない。(『危ういハイテク機とLCCの真実』杉江弘・扶桑社)
九州をはじめ、各地で大雨の被害が続出している。
この重要なできごとも、今日あたりは安倍真理教布教の格好のネタにされた感じがしないでもないTVニュースの類だが、安倍尊師云々(うんぬん)はさておき、このところちょっと気になっていることがある。
TVの天気予報(気象情報)でここ数年よく耳にするようになった言葉に「あめかぜ」がある。
たとえば、
「あめかぜが強くなるおそれがありますので、お出かけのさいなどには十分気をつけてください」
といった類。
意味は十分にわかる。しかし、子どものころから親しんできたこういう場合に用いられる日本語は、「あめかぜ」ではなく「ふうう」ではなかったか?
漢字にすればともに「雨風」。
「ふうう」が「あめかぜ」となった理由は十分に想像がつく。ようは、「ふうう」ではわからんだろうとTV局側が視聴者のレベルをあらかじめ下げているのか(余計な「忖度」ともいう)、逆に視聴者の側から「ふうう」ではわからんといったイチャモンが頻発したのに応えたのか、おおよそそんなところなのであろう。
愚かなことである。
大げさかもしれないが、こうしてわが民族の母語が壊されてゆくのだなァ……と思った。
一方で、同じ枠のニュース番組なんかでは「ガバナンス」だの「コンプライアンス」だの「レジーム」だの「スキーム」だのといったおおよそ意味不明のカタカナ語が、ときに乱発されているっていうのに、「ふうう」はダメで「あめかぜ」とはね。
なかには、同じことを伝えるにも「あめ・かぜ、ともに強くなる~」といったふうに、「風雨」とは異なる言葉としているフシのある予報士もみかける。案外、オレと同じような疑問を抱いたうえでの苦肉の策なのかもしれない。
話はかわって、だいぶ前の話だったと思うが、ネットで「女子高生」というのを検索すると、ヒットするのはポルノ(アダルトビデオ作品など)関係のオンパレードで、いったいニッポンという国はどうなってんだといった話があったのを覚えている方もあるだろう。いまも変わってないかもしれないが。
いつだったか、『東京最後の異界鶯谷』(本橋信弘・宝島社)を読んでいて、そのなかに出てくるある種の店に「そんなのがあるとはねぇ……」と感心含みの仰天をしたことがある(真面目な話、スケベって奥深いものなんだなぁとウレシくなった)。で、つい先ごろ、その店名をふと思い出したので、なにげにグーグルで検索をしてみた。
検索語は「デッドボール」。
興味のある方は、ぜひ検索してみていただきたい(設定によっては内容が異なる可能性はあるが)。
お出ましになったそのトップは件の店の「広告」であり、以後延々とその店関係のURLが連なっている。4つめに日本独自の野球用語である「デッドボール」を表す「死球」(Wikipedia)があるものの、冒頭の1ページ目はほぼその店関係(口コミなどを含む)でおしまい。
まっ、別段そうした業種の店を差別しようとは思っていないし、ことさらに隠蔽する必要もないと考えているけれど、「これこそが、わがニッポンの素顔ナリ!」と悲しんでいいのかウレシがっていいのか、どうにも複雑な思いにかられてしまいMASITA。ぇえ、ぇえ。野球少年なんかが見たら、トラウマになること必至だろうなァ(笑)。
ここはいっちょ、『ポルノ立国論~究極のインバウンド~キーワードはスケベだ!』ってな本でも、あの村西とおる御大に書いてもらうってのもええなぁ。どっかに企画を売り込もうかね?
東京都議選の結果をめぐり、「自民大惨敗」といった見出しが日本中を駆け巡った。
「よもや?」という懸念こそあったものの、意外でもなんでもないというのが個人的な感想だ。
数字のうえでは“小池派”の勝利であり、ほかに目立つところといえば、これまた下馬評どおりに民進党の議席が激減したことと、共産党が前回を2議席上回ったことだろうか。もっとも、民進党でいえば、前回の当選が15人にあったにも拘わらず、改選時にはその半分にも満たない7人という状態であったから、選挙云々(うんぬん)以前の問題だったようにも思える。
自民は改選57(前回当選59)議席の半数を下回る23議席を確保したが、「あんな人たち」(アベ語)だってのに、まだそんなに当選したのかとの思いを禁じえなかった。
しかし数字のうえでは負けは負け。
このまま一気に改憲まで持ち込み、わが祖国の中華人民共和国化を共謀しているアベ真理教にしてみれば、これはちょっとした打撃だったハズで、そういう意味では意義深い選挙だった。
一方でアベ真理教の“腹心の友”(アベ語)あるいは共謀相手である創価学会・公明党が安定した選挙戦をみせ、前回と同じ23(改選22)議席を得ている。このカルトコンビを合算しても46議席に留まるので、現政権に対する「NO!」が突きつけられたと見ることも可能ではあろう。だが、“小池派”都民ファーストの会と自民党本流との違いは、どこまで明確なのだろうか。東京都議会の与党となった都民ファーストではあるが、国政(への影響)という視野で窺ってみれば、これまたかぎりなく“与党”に近いか、あるいはそのものなのではあるまいか? そもそも、都政においてもほとんど実績もなければ確たる姿勢を示しているワケでもない彼らについて、票を投じた有権者はどれだけ理解しているのだろうか? ましてや、今回の選挙においては、創価学会の組織力を借りてしまったのである。これでは、創価学会によって延命してきた自民党本体となんら違いはないではないか? とんだ茶番ではないかと思うのだが……。
言い換えれば、ちっとも痛くはないのだ。アベ真理教にとっては。
もっともこの現象。プチブーム時代の民主党がそうであったように、この49議席という数合わせもまた“烏合の衆”であったという可能性がないとはいえまい(なかにはホネのある議員がいないとまでは言わないが)。自民党に擦り寄るもよし、維新あたりで再出発するもよし。こうしてまた「ああ、やはり自民党しかないねぇ」といったところに落ち着いてしまうのが、現代ニッポンジンの善良なるマジョリティなのかもしれない。悲しいことである。
■おまけ
アベ尊師の名言「こんな人たち」がちょっとした話題と呼んでいる。もちろんあの男の正体を顕わしたという点で批判を浴びているワケだが、オレがむしろ大歓迎に思った。かぜか? あれによって(だけではないが)、あの男とその共謀仲間が、明白な「敵」であることが明らかになったからである。
またぞろ、「惨敗アベ真理教」を救済するかのように、つまりそのピンチにあたって「忖度」(とうの尊師は読めるのだろうか?)したかのように北朝鮮がミサイルをぶっ放した。
“脅威”としてけっして無視はできないと思うし、あの金王朝を(武力以外の手段で)ぶっつぶさなければならないと考えてはいるけれど、それでも(差し迫った)「敵」とまでは考えていない(あの政権を「味方」や「友人」などともこれっぽっちも思ってはいないが)。この件はいずれ改めたいと思うが、「敵」というくくりでは、アベ真理教のほうがよほどの「敵」であり、日本国民にとって間近に差し迫った「脅威」なのである。
ところで都民ファースト。「東京」ではなく「都民」としたところにはまだしも好感が持てる。しかし、くれぐれも「都民ファシス党」に化けませんように……。
●追記
「都民ファースト」について、興味深い記事があった。
※「都民ファースト」は情報公開の党か? 都議選・インターネット映像メディアIWJの取材申し込みに答えず(日刊ベリタ)
嗚呼、東京都議選。
有権者じゃないし、さしあたりウォッチするにとどめているが、事前の想像どおりといおうか、アベ自民とコイケ自民劇場派ばかりがクローズアップされ、あたかもこの似たり寄ったりでしかない両者の戦いであるかのような演出がなされてきた。
まっ、こんなのに騙されるほうがバカだとオレは考えているが、その顛末はフタを開けてみないことにはわかりようがないし、賢明なる都民有権者諸氏の冷静さにわずかな期待を寄せていたいような気もする。
なぜ自民劇場派と造語を記したかといえば、そのボス格にあるおばさんの正体について、個人的なあるできごとからオレなりに見抜いているからだ。いちおうの“恩義めいた”気持ちがないわけではないし、こんなところでなにを記したところでどうってこともないと思うので具体的な記述は避けておく。
しかしながら、劇場型だと見るその根拠について、ひとつだけ“たとえ話”を記しておこう。
あのおばさん、かつては環境大臣を務めていたが、その“ご専門”であったハズの環境問題としてこういう“お伽話”はどうだろう?
場面はとある環境問題を論ずる会議の席。
主催者はこうした集まりの慣例にしたがって水差しを用意したかったが、会場に容器などがなかったため、やむを得ず市販のペットボトルの緑茶をテーブルに並べておいた。
で、それをみたおばさん、
「これから環境問題について語り合うというのに、ペットボトルとはなにごとですかっ!」
とどえらい剣幕でまくしたてた。
一方、その騒ぎの影で、同じく会合に出席した別のひとりが、自らのバッグから水筒を取り出して、なにごとも言わずに自らの席前に置いた……。
※どうでもいいが、とうのご本人が日常生活にあってペットボトル飲料の類とまったくご縁がないかどうかはいざ知らずといったところでもありますな。
閑話休題。
いくつかの報道によれば、都議選の応援演説をしたわれらが安倍尊師に向かって、こともあろうか「安倍辞めろ」だの「安倍帰れ」といった抗議の声が飛び交ったという。なかには「臨時国会をいますぐ開け」というそのとおりでしかありえない声もあったらしいが、愉快だったのがそれに応じた尊師であった。
いわく、
「人の演説を邪魔するような行為を自民党は絶対にしない」
「憎悪からは何も生まれない。こういう人たちに負けるわけにはいかない」
っていうんですからねぇ。
嗚呼、国会における自民党の面々から飛び出すヤジは、「人の演説を邪魔するような行為」ではないとでも主張したいのだろうか?
記事を目にしたとたん、悪いけれど腹の底から大爆笑をしてしまいMASITAYO。
その安倍尊師が、複数の学校法人をめぐって汚職めいた渦中にあるのはご存知のとおり。そしたら、それを正当かしたいのかどうか、こんどは獣医学部云々(でんでんじゃないYO)を後付で合法化しようとまであがいている始末。感想をハッキリと書きましょう。
「コイツ、ほんまもんのバカ雀っ!」
オレはそうしみじみ思うほかはない。あくまで個人としての感想ではあるが。
ところで、その子分のひとりが都議選応援で自衛隊がどうのと演説して問題化。アベ尊師をはじめ自民党でもその火消しに追われているというが、なぁに心配するこたぁありませんよ。なぜか?
いまの安倍真理教・自民党を支持している善良なるひとびとにとっては、それのどこが問題なのかさっぱりわかりようがないんですから(これは共謀罪などをめぐってもまったく一緒)。ゆえに、ヘンにじたばたしないで静観していればいいのです、アベ尊師どの。
それにしても、あんなのがこともあろうか「防衛大臣」とはねぇ。中国がどうのとか北朝鮮がどうのとか、さんざんっぱら「有事」をあおっている安倍心理教やその支持者だが、それでいてあんなのを「防衛」の責任者にしてるってんだから、笑うほかはないではないか。「バカ丸出し」とはこういうザマのことを指さないか?
・解釈イ:周辺国との対立や有事的な危機問題など、じつはまったくないのだというのがホンネ。
・解釈ロ:あおっているとおりに微妙な状況にあるのを事実として、そんなさなかにあんなのを責任者にすることに対する危機感をまったく持っていない(つまり、危機をあおりながらも、自分自身はなんら危機感を覚えていない)。
・解釈ハ:単なるバカ。低能なだけ。
・嗚呼、こんなんでニッポンの防衛は大丈夫なのだろうか(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)
■おまけ
加計学園をめぐる「幕引き」(まぁ、真理教側からみてね)のザマを眺めていてふと思った。
「でんでん」だの「腹心の友」だのといったアベ語だが、案外、その「お気持ち」に「忖度」した出版社なりが、国語辞典のつぎの改訂版かなにかで正式な日本語として掲載するかもしれませんなァ(笑)。
・うん-ぬん【云々・云云】・・・「でんでん」とも
とかね(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;) 現代ニッポンに、いかにもありそうな話ではないか。
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