「おおっ、いまとまったく変わってないではないか!?」
近ごろ凝っている大韓時代劇「王と妃」を鑑賞しながらそう思った。
「王と妃」は、 朝鮮王朝第5代王・文宗の晩年から、第10代王・燕山君の王位追放(中宗反正)に至るまでのおよそ55年間を描いた文字通りの大河ドラマ。大人気を博した「大長今(宮廷女官チャングムの誓い)」をはじめとして、フィクションとして創作された時代劇は日本と同様に韓国でも数多いが、この作品は朝鮮王朝の“正史”とされる「朝鮮王朝実録」に則りつつ、ときにその記述内容に対し疑問が呈せられているなど、歴史物語に仕上がっているのが特徴といえるだろう(わが国のNHKは、同じ大韓時代劇でいえば「太陽を抱く月」など100%のフィクションをさして「歴史ドラマ」と銘打っているが、いったいぜんたいどういう神経をしているんだ?)。
場面は中盤。7代王・首陽(世祖)のもとにあるできごとが報告される。送ってきたのは咸鏡道の豪族のひとりイシエ(이시애/李施愛──メロドラマのような名前だが、「王と妃」ではちょっとだけあの“勝新”風味を漂わせる豪快なおとっつぁんが演じている)。その文言によれば、咸吉道節度使(当地の軍などを統括)がふたりの重臣とともに政権転覆を企てているという。名前の挙げられている重臣はともに首陽の側近中の側近として重責を担ってきた人物(ハンミョンフェ<韓明澮/한명회>とシンスクチュ<申叔舟/신숙주>)である。首陽にとっては、青天の霹靂ともいえる報告であり、なんの前触れもないなかで地方の一豪族から送られてきた内容は、その信憑性を疑うに十分であったハズだし、重臣たちもその点を指摘していたのだが、怒涛のように怒り狂った首陽は、即座に盟友中の盟友の投獄を命じたのであった。
このイシエの乱(1467年)として史書に残るできごとは、なんら根も葉もない密告だけを真に受けて重臣らを投獄したり殺戮の犠牲者を出すことともなった(一方で密告したイシエは当地の民衆とともに中央政権に対する戦いを挑んでおり、“正史”が伝える「反乱」で片づけていいのだろうかとの興味も引く)。
ちょっと長い前置きになってしまったが、あれこれもれ伝わってくる金王朝北朝鮮とソックリではあるまいか? たったひとつの密告(それも捏造だ)をもって、もっとも信頼してきた盟友でさえ粛清してしまおうとした首陽。もちろん、ドラマはそれがいかに史実に沿っていたとしてもエンタテイメントであり、創作の部分が多々あることはあたりまえだが、本作で描かれている時代は、これがふつうのセンスであったようだ。この事件以外にも、同様の密告やささいな誤解などによって多くの罪なきひとびと──それもときには盟友であったりもする──が一方的に、それも“公開処刑”や“さらし首”などをもって殺戮されていっているのである。
これはドラマのなかのほんの一例に過ぎないが、殺戮までにいかないまでも、重臣の首を挿げ替えるのも日常茶飯事だったようだ。たとえば重臣の筆頭格であった領議政の変遷を見ると、世祖(首陽)時代の晩年からその息子・睿宗(海陽)の時代にあたる1466年から1469年にかけては9回もの交代があったというめまぐるしさ。言い換えると王に次ぐ権力者であったとしても、いつなんどき粛清されるか知れたものではなかったということが窺える。
古くからの愛読書のひとつ『ソウルと平壌』(萩原遼・文春文庫)では、著者が「一九六七年の金日成のクーデター」と呼ぶ粛清についてが触れてある。その“粛清”の直後、つぎつぎと朝鮮労働党幹部らが姿を消していったという。挙げられている数字によれば、1961年9月に選出された中央の役員151人中97人(約64%)が1970年11月までの間にその姿を消している。
あるいはまた、つぎのような報告もされている。
>代議員が壇上で報告中、ヒナ壇中央で聞いていた金日成が突然話をさえぎってどなりだした。彼の声はしゃがれて野太い。いわゆるドスのきいた声である。(中略)
そのあと十分あまり一方的にまくしたてた。代議員といっても地方の政府機関の大幹部である。その人物が、親に叱られる子どものようにうなだれている。(161~162ページ)
大韓時代劇ファンであれば、これがドラマのなかでよくみかける情景であることをすぐさまに理解するに違いない(「王と妃」でいえば、「朝鮮王朝実録」に記されているこうしたできごとの解説がときに加えられており、ドラマとはいえ史実のひとつとして捉えることが可能だと考える)。 金王朝北朝鮮は、少なくともこの時代の朝鮮王朝のごときなのではあるまいか? これはあの国が少なくともこの点ではなんら進歩していないか後退してしまったという見方ができるのかもしれない(一方で、殺戮の手段は圧倒的に“進化”したのだからなにをかいわんやである)。
ところで、首陽の圧政に対し反旗を翻した重臣や、手を貸さないことで無言の対抗をつづけた人物についても史実の中でいわば“英雄”として残されている(「死六臣」と「生六臣」など)。一方、積極的に強力した人物や自らの意思を押し殺すかのように従順に遣えた人物もいる。後者はいうまでもなく自らの生命や暮らし、名誉、権力欲などが交錯しつつときの最大権力者におもねったのであろうが、そのひとりであるシンスクチュなどは、世祖の確信的盟友であったハンミョンフェとは異なる意味で、現代韓国での評判はあまりよろしくないらしい。
首陽の顔色を窺っては右往左往する重臣たち。そのはざまで権力支配をたくらむひとびと。ひるがえって、現代ニッポンはいかがなものなのであろうか?
■おまけ1:
北朝鮮の太っちょとアメリカ合州国のおしゃべりおとっつぁんとが言葉でやりあっている様子が伝えられている。そこに並ぶ罵詈雑言の類を目にすると、「目くそ鼻くそ」という言葉が浮かんでくるが、一方の大国の顔色窺いに専念しているわがニッポンのアベ政権などは、「目くそ鼻くそ」にすらなれないバカゴミといっていいだろうよ。
ところで、北朝鮮側からの罵詈雑言だが、ありゃぁまさにパンソリなのではアルマイトの弁当箱? 手持ちの文献が未整理なまま丘陵状態になってしまっていてネタモトが記せないが、韓国におけるケンカの作法として、手を出す前に言葉でやりあうといった話がどこかにあった。それゆえ、日本では考えられないような(?)汚らしい言葉が飛び出したりもするようなのだが、あの太っちょあんちゃんのメッセージを目にするたびに、「ぁあ、あそこに書いてあることは本当なんだなァ」と感心するほかはない。ただ、一方のおっとっつぁんが朝鮮伝統のそうしたセンスが理解できているのかはわからない。暴発に至らないことを期待するほかはないが、ああした「目くそ鼻くそ」(少なくとも両トップはだが)の応酬のさなかにあって、わが国などは、理想をいえば世界に対し平和的な存在感を示す絶好のチャンスなのではないかという気もする。もっとも、いまの政権にそれを期待するなんていうのは、まさに太陽を西から昇らせるようなものなのであろう。哀しいことである。
■:おまけ2:
その哀しき政権が、解散総選挙に打って出るという。重要な国政問題はもとよりあれこれ政権そのものに疑惑が浮かび上がってきたなか、野党がさんざん臨時国会の召集を要求してきたにも関わらず一切の無視を決め込み、その挙句にこの暴挙である(返り討ちにしなければ!)。
“報道”によれば、一時下降傾向にあった「内閣支持率」がやや持ち直しているという。不思議だ。彼らはその間になんら国民や国家のためになる施策など打っていないではないか。ではなにがあったかといえば北朝鮮による一連の暴挙であり、いままさに進行している北朝鮮危機である。つまり、アベ政権が北朝鮮に助けてもらっているとの解釈も十分に可能であろう(ホント、金一封でも金王朝の手に渡っていないとだれが断言できようか?)。
しかし、アベ政権は北朝鮮危機に対する有効な手立てなど、なんら示していないばかりか、おそらくはそれを描き実行するつもりも力もないとみる。やってることはあいも変わらず宗主国の顔色窺いであり、願わくば、これ幸いとばかりに憲法改定になだれ込みたいというのがホンネだ。さきの韓国(ないし伝統という意味で「朝鮮」も)の罵詈雑言語のひとつに「ケーセッキ(개새끼)」というのがある。「イヌの子」を意味する言葉だが、簡単な日本語に置き換えれば「こん畜生」の類。ただし、最大級に近い罵倒語らしいので、現地では使わないほうがいい(笑)。でまぁ、アベなんぞはまさにこのケーセッキなんじゃないかと思うのだがどうか(笑)。
近ごろ凝っている大韓時代劇「王と妃」を鑑賞しながらそう思った。
「王と妃」は、 朝鮮王朝第5代王・文宗の晩年から、第10代王・燕山君の王位追放(中宗反正)に至るまでのおよそ55年間を描いた文字通りの大河ドラマ。大人気を博した「大長今(宮廷女官チャングムの誓い)」をはじめとして、フィクションとして創作された時代劇は日本と同様に韓国でも数多いが、この作品は朝鮮王朝の“正史”とされる「朝鮮王朝実録」に則りつつ、ときにその記述内容に対し疑問が呈せられているなど、歴史物語に仕上がっているのが特徴といえるだろう(わが国のNHKは、同じ大韓時代劇でいえば「太陽を抱く月」など100%のフィクションをさして「歴史ドラマ」と銘打っているが、いったいぜんたいどういう神経をしているんだ?)。
場面は中盤。7代王・首陽(世祖)のもとにあるできごとが報告される。送ってきたのは咸鏡道の豪族のひとりイシエ(이시애/李施愛──メロドラマのような名前だが、「王と妃」ではちょっとだけあの“勝新”風味を漂わせる豪快なおとっつぁんが演じている)。その文言によれば、咸吉道節度使(当地の軍などを統括)がふたりの重臣とともに政権転覆を企てているという。名前の挙げられている重臣はともに首陽の側近中の側近として重責を担ってきた人物(ハンミョンフェ<韓明澮/한명회>とシンスクチュ<申叔舟/신숙주>)である。首陽にとっては、青天の霹靂ともいえる報告であり、なんの前触れもないなかで地方の一豪族から送られてきた内容は、その信憑性を疑うに十分であったハズだし、重臣たちもその点を指摘していたのだが、怒涛のように怒り狂った首陽は、即座に盟友中の盟友の投獄を命じたのであった。
このイシエの乱(1467年)として史書に残るできごとは、なんら根も葉もない密告だけを真に受けて重臣らを投獄したり殺戮の犠牲者を出すことともなった(一方で密告したイシエは当地の民衆とともに中央政権に対する戦いを挑んでおり、“正史”が伝える「反乱」で片づけていいのだろうかとの興味も引く)。
ちょっと長い前置きになってしまったが、あれこれもれ伝わってくる金王朝北朝鮮とソックリではあるまいか? たったひとつの密告(それも捏造だ)をもって、もっとも信頼してきた盟友でさえ粛清してしまおうとした首陽。もちろん、ドラマはそれがいかに史実に沿っていたとしてもエンタテイメントであり、創作の部分が多々あることはあたりまえだが、本作で描かれている時代は、これがふつうのセンスであったようだ。この事件以外にも、同様の密告やささいな誤解などによって多くの罪なきひとびと──それもときには盟友であったりもする──が一方的に、それも“公開処刑”や“さらし首”などをもって殺戮されていっているのである。
これはドラマのなかのほんの一例に過ぎないが、殺戮までにいかないまでも、重臣の首を挿げ替えるのも日常茶飯事だったようだ。たとえば重臣の筆頭格であった領議政の変遷を見ると、世祖(首陽)時代の晩年からその息子・睿宗(海陽)の時代にあたる1466年から1469年にかけては9回もの交代があったというめまぐるしさ。言い換えると王に次ぐ権力者であったとしても、いつなんどき粛清されるか知れたものではなかったということが窺える。
古くからの愛読書のひとつ『ソウルと平壌』(萩原遼・文春文庫)では、著者が「一九六七年の金日成のクーデター」と呼ぶ粛清についてが触れてある。その“粛清”の直後、つぎつぎと朝鮮労働党幹部らが姿を消していったという。挙げられている数字によれば、1961年9月に選出された中央の役員151人中97人(約64%)が1970年11月までの間にその姿を消している。
あるいはまた、つぎのような報告もされている。
>代議員が壇上で報告中、ヒナ壇中央で聞いていた金日成が突然話をさえぎってどなりだした。彼の声はしゃがれて野太い。いわゆるドスのきいた声である。(中略)
そのあと十分あまり一方的にまくしたてた。代議員といっても地方の政府機関の大幹部である。その人物が、親に叱られる子どものようにうなだれている。(161~162ページ)
大韓時代劇ファンであれば、これがドラマのなかでよくみかける情景であることをすぐさまに理解するに違いない(「王と妃」でいえば、「朝鮮王朝実録」に記されているこうしたできごとの解説がときに加えられており、ドラマとはいえ史実のひとつとして捉えることが可能だと考える)。 金王朝北朝鮮は、少なくともこの時代の朝鮮王朝のごときなのではあるまいか? これはあの国が少なくともこの点ではなんら進歩していないか後退してしまったという見方ができるのかもしれない(一方で、殺戮の手段は圧倒的に“進化”したのだからなにをかいわんやである)。
ところで、首陽の圧政に対し反旗を翻した重臣や、手を貸さないことで無言の対抗をつづけた人物についても史実の中でいわば“英雄”として残されている(「死六臣」と「生六臣」など)。一方、積極的に強力した人物や自らの意思を押し殺すかのように従順に遣えた人物もいる。後者はいうまでもなく自らの生命や暮らし、名誉、権力欲などが交錯しつつときの最大権力者におもねったのであろうが、そのひとりであるシンスクチュなどは、世祖の確信的盟友であったハンミョンフェとは異なる意味で、現代韓国での評判はあまりよろしくないらしい。
首陽の顔色を窺っては右往左往する重臣たち。そのはざまで権力支配をたくらむひとびと。ひるがえって、現代ニッポンはいかがなものなのであろうか?
■おまけ1:
北朝鮮の太っちょとアメリカ合州国のおしゃべりおとっつぁんとが言葉でやりあっている様子が伝えられている。そこに並ぶ罵詈雑言の類を目にすると、「目くそ鼻くそ」という言葉が浮かんでくるが、一方の大国の顔色窺いに専念しているわがニッポンのアベ政権などは、「目くそ鼻くそ」にすらなれないバカゴミといっていいだろうよ。
ところで、北朝鮮側からの罵詈雑言だが、ありゃぁまさにパンソリなのではアルマイトの弁当箱? 手持ちの文献が未整理なまま丘陵状態になってしまっていてネタモトが記せないが、韓国におけるケンカの作法として、手を出す前に言葉でやりあうといった話がどこかにあった。それゆえ、日本では考えられないような(?)汚らしい言葉が飛び出したりもするようなのだが、あの太っちょあんちゃんのメッセージを目にするたびに、「ぁあ、あそこに書いてあることは本当なんだなァ」と感心するほかはない。ただ、一方のおっとっつぁんが朝鮮伝統のそうしたセンスが理解できているのかはわからない。暴発に至らないことを期待するほかはないが、ああした「目くそ鼻くそ」(少なくとも両トップはだが)の応酬のさなかにあって、わが国などは、理想をいえば世界に対し平和的な存在感を示す絶好のチャンスなのではないかという気もする。もっとも、いまの政権にそれを期待するなんていうのは、まさに太陽を西から昇らせるようなものなのであろう。哀しいことである。
■:おまけ2:
その哀しき政権が、解散総選挙に打って出るという。重要な国政問題はもとよりあれこれ政権そのものに疑惑が浮かび上がってきたなか、野党がさんざん臨時国会の召集を要求してきたにも関わらず一切の無視を決め込み、その挙句にこの暴挙である(返り討ちにしなければ!)。
“報道”によれば、一時下降傾向にあった「内閣支持率」がやや持ち直しているという。不思議だ。彼らはその間になんら国民や国家のためになる施策など打っていないではないか。ではなにがあったかといえば北朝鮮による一連の暴挙であり、いままさに進行している北朝鮮危機である。つまり、アベ政権が北朝鮮に助けてもらっているとの解釈も十分に可能であろう(ホント、金一封でも金王朝の手に渡っていないとだれが断言できようか?)。
しかし、アベ政権は北朝鮮危機に対する有効な手立てなど、なんら示していないばかりか、おそらくはそれを描き実行するつもりも力もないとみる。やってることはあいも変わらず宗主国の顔色窺いであり、願わくば、これ幸いとばかりに憲法改定になだれ込みたいというのがホンネだ。さきの韓国(ないし伝統という意味で「朝鮮」も)の罵詈雑言語のひとつに「ケーセッキ(개새끼)」というのがある。「イヌの子」を意味する言葉だが、簡単な日本語に置き換えれば「こん畜生」の類。ただし、最大級に近い罵倒語らしいので、現地では使わないほうがいい(笑)。でまぁ、アベなんぞはまさにこのケーセッキなんじゃないかと思うのだがどうか(笑)。
아~! 개새끼 아베~~~~!! 넌 일본의 수치 다・・・
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レジャーライター=植村誠の別館ブログです。
ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
なお、トラックバックおよび「コメント」は受けつけない設定にしております(当面はBBSへどうぞ!)。
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