“7・1クーデター”
脱法スレスレと言い表したいぐらいの暴力でもってごり押しした「集団的自衛権」行使の容認。こんなものは、たとえ用語として「自衛」を謳ってはいても、祖国を守ることとはなんら関係がないことは、いまや多くの同胞が気づいているハズだ。
そうして“暴力的談合”によって決定されるや、アメリカ合州国のヘーゲル国防長官が歓迎の旨、声明を公にしたという。
これで明らかになったことがあると思う。
アメリカ合州国という国家は、いわば自由主義の総本山的に自らを標榜し、たとえタテマエだとしても民主主義およびそれに基づく手続きこそを尊重し、重視してきたのではないか(タテマエと断った点に注意)。それに反すると、自国の権力層以外に対してはしばしば常軌を逸した行動すら展開してきたが、そんな国の政府中枢から歓迎されたわが国における非民主主義的横暴。どういうことか?
簡単にいえば、こんなドジンの国など、彼らにとってはどうだっていいのである。自分たちにとって都合よく従えばそれでよし。そのためにはニンゲン社会でいうところの民主主義などもったいないし必要なしというワケだ。もっとハッキリ書くのならば、「ドジン(ニッポンジン)とその社会には、それ相応のやりかたで十分」という“ホンネ”に収斂されるのではあるまいか。
この「自衛権」。はたして何者から祖国を「自衛」するのか。勘繰ってみると、飼い主の横暴からわが身を「自衛」する。そんな発想にも結びつく。まさかおっかない飼い主に噛みつくワケにもいかないから、ならば自国の同胞たちを丸め込んでしまえというためのドジンの酋長らしい裏切り行為。そんなのを歓迎もしくは黙認、ないし追認するというムキも、一説(世論調査)でかなりの数にのぼるらしいから、まっことニッポンに相応しい転落劇が、“7・1クーデター”だったといえるだろう。
それにして、も。つくづく思うのは、我らがアベシンゾーと韓国現大統領のご父君との類似性である。自国の経済を発展させた(る)実力を除いては(前・朴政権下における重工業を中心とした“発展”とともに起こった諸問題は、ここでは措く。単なる皮肉としての対比だからだが、この点は自分なりに考察していることをいずれアップしたいと思う)。
さて、ここから先はまったくの個人的思いつきである。確たる根拠も具体性もないフィクションだとお断りしておく。
このあとのニッポンになにが起こるか?
そのひとつに“日本版天安門事件”があるような気がしてならない。
先に「ニッポンに相応しい転落劇」と皮肉ったけれど、その一方で抗議の声を上げたり、無言の反意を示しているひとだって大勢いる。そのごく一部はデモによって酋長連に対し抗議を表明している。オレが懸念しているのは、そうした合法行為に向けて文字どおりの暴力を発動する可能性が、今後のわが国にありはしないかということである。まさか現首相にそこまでの“心臓”があるとはこれっぽちも考えてはいないが、今後タイプを異にする暴君がお出ましになる可能性は極めて高い。
そのときは、「逆行した国家」として世界中の注目を集めることになるであろう。
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