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猫池罵詈雑言雑記帳
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 2月11日の「東京新聞」(朝刊)に、漫画家の安彦良和氏をみかけた。安彦氏といえば、「機動戦士ガンダム」。とくにオレの世代にとっては思い入れのある人物である。人肌の温もりを感じさせる絵柄に、当時のアニメブームのさなかにあった受け手たちの多くは、こぞって惹き込まれていったものだ。が、記事の話題はアニメではなく憲法である。
 http://www.tokyo-np.co.jp/kenpou60/txt/070211.html
 これは同紙のシリーズ特集「試される憲法 誕生60年」に寄せられたインタビューであり、「今の改憲論はサブカル的」と見出しのあるとおり、安彦氏が独自な所感を語ったものである。
 詳しくはリンク記事をお読みいただきたい。大衆の心理をくまなく観察するなかから導き出されたと思われる鋭い考えが述べられている。語り口こそやさしいが、いま“主流”となりつつある流れと、その延長線上にある「改憲論」にある種の警鐘を鳴らしているといっていいだろう。



「なにか面白いことない?」という関心にあおられるのが、サブカルチャーの世界。そこでは行儀が悪くて、刹那(せつな)的で、非日常的なものを求める。昔は「お楽しみ」にすぎなかったのに、最近は偉そうな顔をして出てきて、本当の政治気分を醸し出している。サブカル的政治ブームというのでしょうか。 (同記事)

 というくだりは、いまこの国を覆いつつある心理状況の一面をきわめて的確に捉えているように思った。つまり、一見すると政治に参加しているようでありながら、そこには確たる芯が存在していない。できごとのほんのごく一面を捉えては単純化し論ずるやり方。これが、たとえば高校生など若い年代ゆえの未熟さであればまだいい。しかし、テレビや雑誌などで“識者づら”しているある種の著名人までがそういう論にもならぬ論法で攻撃的な意見を吐き、単純さゆえの“わかりやすさ”に騙されてコロっとなびいてしまう大衆はどうか。記事にも例が挙げられているコイズミスネオ式世論誘導にもそれに近いものがある。安彦氏の所見には大いに耳を傾ける価値があるだろう。

 ところで、ここで安彦氏が示す「サブカル」というカテゴライズおよび名前づけには個人的に以前から抵抗がある。語源(?)の「サブカルチャー」とはもともとは西欧で起こったカテゴライズであり、ようは自分たちの文化=カルチャーに対して、東洋などそのほかの文化に影響されてきた面が広がるなかで考え出された言葉だというのである。つまり、(メイン)カルチャーに対するサブ=カルチャー。とんでもございません。東洋人たるこっちに言わせれば、こちらが(メイン)カルチャーだと、これは半分は冗談を含むけれど、そんなところであろう。ところが、このサブカルチャーが現代にあって徐々に変化をし、むしろ「カウンターカルチャー」的な現象あるいは流行を捉えてサブカルと呼ばれる面が出てきた。しかし、“サブ”というのはあくまで傍流であるし、にわかに“サブ”とは思えない面もあるように思うので、オレ自身はいつの間にか「サブカル」という言葉を拒否するようになってしまったのである。ついでの話だが……。

 で、じつはこの一文を記しているのは、安彦氏が捉える現在の「“改憲論”論」について云々するのが主ではない(それも多少はあるが)。同記事の冒頭部分。

 機動戦士ガンダムでは、主人公の敵の「ジオン公国」はナチスなんです。整列して挙手して「ジーク・ジオン」。ところが、ガンダム人気はジオン人気というぐらい人気が出た。かなり否定的に描いたのに、それを承知で格好いいと思うのが人間の性(さが)なんですね。

 ここに引っ掛かった。
「機動戦士ガンダム」において、敵役にあたる「ジオン公国」に人気(“国”というより、登場人物にだと思うが)があったのは事実であり、ナチス的に描写されていた部分があるのも本当のことである(ただし多分にステレオタイプな捉え方としてだが)。そのうえで、いわゆるコスプレの題材としても大人気になるぐらい、ファンの目には「カッコイイ」ものとして映っていたのだった。だが、安彦氏が証言するとおり、「かなり否定的に描」かれていたかどうかについては、作品をくり返し楽しんだ目からみると、「ええっ、そうだったんですかっ!?」といささか意外な感じがしてくる。

 これはたとえばジオンの戦士「シャア」がヒロイックな役割を与えられていたとか、「ガルマ」が貴公子として描かれていたとかそういうレベルの問題ではない。問題は、「ナチスなんです」という設定で否定的に描かれたにしては、じつは“ムードとしてのナチス的”レベルにしかとどまっておらず、仮にあれがナチスだとしたら、本物の「ナチス」の犯罪とはいったいなんなのかがわからなくなってくるところにある。「ハイル=ヒットラー!」と整列した軍服姿が連呼すればナチス的か? それは一面そうかもしれないが、「ハイル=ヒットラー!」と挙手することそのものは本質的には犯罪でもなんでもない(国によっては法律違反を問われるケースもあるようだがこれは別問題)のだ。むしろ自らの帝国主義を強化し、他国(他民族)に対する侵略をくり返しただけでなく、自国民の安寧さえ脅かしてやまなかった事実、そのためのファシズムを醸成し実践してきたことこそがナチスの犯罪ではないのか。
 安彦氏がナチス(的)だとしたジオンは、たしかに主人公側の「連邦政府」に対して宇宙戦争を仕掛けた側ではあるけれど、設定上は「独立戦争」であり、本物のナチスのそれとは背景が異なる。まずもって、ここでナチスと一緒にしてしまうのはいかにフィクションとはいえジオンにとっていささか気の毒にもなってくるが、それよりもなにも、もっぱら描かれていたのが軍服姿ばかりであり、本当の犠牲者としての一般大衆が、少なくともジオン側において前面に表れることはなかったところに、否定的に描かれていなかったと思う根拠のひとつがある。終盤になると「学徒出陣」を強制されたらしい若者が戦死してゆくシーンが数コマあったけれど、本来は軍人でもなんでもない若者が戦場にかり出されるのは、むしろ「連邦」側にこそ多く描かれていた(主人公のアムロもそうだ)。極論をすれば、「ジーク=ジオン」の連呼などで全体主義的にみえるジオンと、そこまでは統制されていないらしい連邦というていどの差であり、両者にそれほどの隔たりがあるわけではない。したがって、あの描き方ではやはり「カッコイイ」と思ってしまうのは十分にありうることであり、いわんやナチスに対するような嫌悪感などはほぼ抱きようがないばかりでなく、犯罪性すら実感のしようがないのではないだろうか。
 ということは、ジオン人気の背景にはナチスの影はなく、両者を結びつける要因はほどんとないということもいえそうに思うのだかいかがなものだろうか。
 制作者の思いとみていたほうの捉え方との差に、ガンダム世代二十余年がいささかショックを受けたという今日の話であった(ただし、氏自身が語っているように、単純な「善悪」をもって作品が表現されていたわけではないので、あるいはいまあらためて視聴していったら、もっと別の感想を持てるかもしれない)。安彦氏が新聞インタビューで語りたかったこととはいささかズレた話題になってしまったが……。


*補足:
 ただし、「機動戦士ガンダム」がいかに当時のアニメ作品として画期的で人気を集めたとはいえ、“商品”としてのアニメ、それも子ども向けの戦闘(ヒーロー)ものとして世に出されたことを考えると、描写の手段や方向性にはある種の限界のようなものがあったということもいえるだろう。それでもなお完結を目前として放映打切りの憂き目にあった事実は、あのころの“アニメ世代”にとってひとつの事件だったかもしれない。もっとも・・・土曜日の17時30分からという放映時間(東京地方)は、「全日本プロレス中継」との選択を迫られる時間帯であり、オレはというとプロレスのほうをもっぱらみていたのだった。懐かしいですにゃぁ……。
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 ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
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