大相撲界で発覚した暴力団関係との交際は、定番を務めてきたNHKが場所中継を中止するという事態に発展した。中継を続けることに対する異論が数多く寄せられたことなどが理由として取り沙汰されているが、しかしこれはなんにしても騒ぎすぎなのではないか?
今回の事件については、テレビのニュースショウを中心に、あたかも極悪事件であるかのごとく報道が繰り返されている。たしかに、“国技”とされている大相撲の世界で起きた不法行為であり、社会的な影響も無視できないものはあると思う。しかし、あんなものは極論すれば個人的な不始末ともいえるのではないだろうか。
違法の賭場にハマって破産しようがどうしようが、それが関係しないひとびとに迷惑を及ぼさない限りは「どうぞご勝手に」というものだ。人命に関わりかねない薬物中毒などを比べても、これは単にカネと“娯楽”の問題なので、そういう意味での社会的影響だってたかがしれている。博打なら大衆のお遊びとして定着しているし、なによりも国や自治体こそがそうした博打の儲けを利用しているではないか(一方の合法賭博については「スポーツと博打の巻」で触れた)。
個人の判断で違法の賭場に出入りし、それが胴元側からの恐喝を誘発した。もちろんそれそのものは問題ではあるにせよ、事件の主役は違法の賭場を開帳した側であり、客を恐喝した連中にこそある。そうした賭場に入り浸ることの是非という常識論はあるとしても、こと恐喝事件だけに限っていえば摘発された力士らは被害者なのである。それを恐喝者側に対するよりも“被害者”らを熱心に追い回すマスメディア。仮にここで“反社会的な”という言葉を用いるとするならば、もろもろ賭場の胴元らにこそ向けるべきなのに、たとえばどこだかの大学教授である山口二郎氏は、「東京新聞」紙上の連載コラムにおいて、日本相撲協会側にその罵声をつぶけているというお門違いを演じていて心底呆れ返えらされた(この御仁の論の底の浅さには、ときおり読むコラムの類で驚かされることも少なくないが)。言い換えれば、毎度おなじみのヒステリー合戦なのである。
そうした経緯の延長線上に、NHKの中継中止問題がある。
個人的にいえば、大相撲の中継などなくったって一向に構わないし、場所がはじまるや2週間にもわたって番組が占拠されることに常々疑問を抱いてきたので、事件とは別の視点から中継の今後を検討してほしいとも考えているぐらいだ。だが、ひとつ抱いたささやかな疑問は、同じ中止を決めるならば、なぜ先だって起きた“監禁・殺人”事件のさいにそれが実現しなかったかということである。いささややましい賭場遊びの顛末とかつてのオウム真理教も真っ青の監禁・暴行・殺人と比べて、どちらのほうがより重篤な事件といえるのか? 前者ではそれに関わっていた人物が多岐にわたり、後者では単なる一部屋内での事件として幕引きが謀られた。オレはあの事件を受けてなお中継を続けたNHKついてそのジャーナリズム的感受性の低さにクビをかしげされられたものだ。それが今回の事件で腰を上げたというその理由、ようは関係規模の違いだけが考慮されただと極論することも可能なのではないだろうかと思うが、それよりも集団ヒステリー状態に陥ったわが国のマスメディアの体質こそに問題の根幹が潜んでいるといえるだろう。
それにしても。そのヒステリーに埋もれかねない参院選。いやしかし、その参院選をめぐっても、その前段階からヒステリー的状況が演出され続けているのだ。
ちょっと話を飛躍させる。オウム真理教に白装束、北朝鮮……。これらは日本相撲協会をめぐる事件とは関係ないし、今回の事件はこの3者でいえばせいぜい“白装束”レベルの小モノだが、真に重要な案件や問題が取り沙汰されているまさにそのタイミングで、そうした“事件”が利用されてきたこととの関連性を疑わずにはいられない。ついでながら。
違法の賭場にハマって破産しようがどうしようが、それが関係しないひとびとに迷惑を及ぼさない限りは「どうぞご勝手に」というものだ。人命に関わりかねない薬物中毒などを比べても、これは単にカネと“娯楽”の問題なので、そういう意味での社会的影響だってたかがしれている。博打なら大衆のお遊びとして定着しているし、なによりも国や自治体こそがそうした博打の儲けを利用しているではないか(一方の合法賭博については「スポーツと博打の巻」で触れた)。
個人の判断で違法の賭場に出入りし、それが胴元側からの恐喝を誘発した。もちろんそれそのものは問題ではあるにせよ、事件の主役は違法の賭場を開帳した側であり、客を恐喝した連中にこそある。そうした賭場に入り浸ることの是非という常識論はあるとしても、こと恐喝事件だけに限っていえば摘発された力士らは被害者なのである。それを恐喝者側に対するよりも“被害者”らを熱心に追い回すマスメディア。仮にここで“反社会的な”という言葉を用いるとするならば、もろもろ賭場の胴元らにこそ向けるべきなのに、たとえばどこだかの大学教授である山口二郎氏は、「東京新聞」紙上の連載コラムにおいて、日本相撲協会側にその罵声をつぶけているというお門違いを演じていて心底呆れ返えらされた(この御仁の論の底の浅さには、ときおり読むコラムの類で驚かされることも少なくないが)。言い換えれば、毎度おなじみのヒステリー合戦なのである。
そうした経緯の延長線上に、NHKの中継中止問題がある。
個人的にいえば、大相撲の中継などなくったって一向に構わないし、場所がはじまるや2週間にもわたって番組が占拠されることに常々疑問を抱いてきたので、事件とは別の視点から中継の今後を検討してほしいとも考えているぐらいだ。だが、ひとつ抱いたささやかな疑問は、同じ中止を決めるならば、なぜ先だって起きた“監禁・殺人”事件のさいにそれが実現しなかったかということである。いささややましい賭場遊びの顛末とかつてのオウム真理教も真っ青の監禁・暴行・殺人と比べて、どちらのほうがより重篤な事件といえるのか? 前者ではそれに関わっていた人物が多岐にわたり、後者では単なる一部屋内での事件として幕引きが謀られた。オレはあの事件を受けてなお中継を続けたNHKついてそのジャーナリズム的感受性の低さにクビをかしげされられたものだ。それが今回の事件で腰を上げたというその理由、ようは関係規模の違いだけが考慮されただと極論することも可能なのではないだろうかと思うが、それよりも集団ヒステリー状態に陥ったわが国のマスメディアの体質こそに問題の根幹が潜んでいるといえるだろう。
それにしても。そのヒステリーに埋もれかねない参院選。いやしかし、その参院選をめぐっても、その前段階からヒステリー的状況が演出され続けているのだ。
ちょっと話を飛躍させる。オウム真理教に白装束、北朝鮮……。これらは日本相撲協会をめぐる事件とは関係ないし、今回の事件はこの3者でいえばせいぜい“白装束”レベルの小モノだが、真に重要な案件や問題が取り沙汰されているまさにそのタイミングで、そうした“事件”が利用されてきたこととの関連性を疑わずにはいられない。ついでながら。
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ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
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