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猫池罵詈雑言雑記帳
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 今日3月10日は、かつて東京大虐殺(東京大空襲)があった日である。それに対する見方についてはすでになんどか述べたので繰り返さない。しかし、これが一般市民に対する一方的大量虐殺行為という点で、広島および長崎を焼きつくした原爆投下や同じくアメリカ合州国によるベトナムの焦土化などとまったく変わることがないことを、とくにわれわれ日本人はあらためて認識すべきであろうことは強調しておきたい。もちろん怒りとともにだ。

 アメリカ合州国によるそうした攻撃は、虐殺という見方においてはホロコーストを並べることも可能ではないかと思うし、わが国が中国など近隣諸国で働いてきた暴虐も同列である(*注1)。
 しかし、たとえばホロコーストが戦後になって謝罪や反省がなされてきたことと比べると、アメリカ合州国およびわが国がとりつづけている態度は、本質的な部分で両者がまったく反省していないことを示しているといえるかもしれない(わが国においては、まだしも進歩している部分があると思うが)。それどころか、見方によってはそうした態度に根っからの侵略者体質が露呈しているとすることも可能であろう。

 反省させようにもできない体質の連中もいる。歴史的事実をなかったこととして葬り去ろうという日本人や、原爆投下を正統な行為としていまなお信じきっているアメリカ人etc。彼らは言っているのだろう「戦争だから仕方がないだろ?」と。
 さまざまな虐殺、軍事目標に対する攻撃などではなく無辜の市民らに対するそうした行為を「戦争だから仕方がない」としたり顔で語る開き直り、あるいはモノワカリのよさは、それがたとえ自国や同胞に対する虐殺に対するものであったとしてもおそらく変わりはなく、すなわち一方的殺人や破壊を認めていることにほかならないのではないか。その体質が「戦争だから殺してもいいのだ」、現代ならばイラクやアフガニスタン、パレスチナなどで無実の一般市民の頭上に爆弾が投下されているのも「仕方がないだろ」というセンスを醸成することになる。
 はたして戦後から現代にわたって、自分たちは進歩してきたといえるのか。そうしたもろもろを含め、今日のような日を忘れずに、事実を事実としてなんどでも噛み締める必要があるのではないだろうかとも思う。

■主権なき独立国?
 さて、日米間における核兵器持ち込みの密約問題が取り沙汰されている。米軍による日本への核兵器持ち込みに対して、わが国はどういう態度で接してきたのか、その一部を露見させたのが9日に発表された“有識者委員”とやらの「報告書」である(*注2)。
 報道によれば、「報告書」では日米間での討論の事実を認めながらも、「日米両国間には、核搭載艦の寄港が事前協議の対象か否かにつき明確な合意はない」、ようは「討論記録が核兵器持ち込みの密約ではない」と「密約」嫌疑を否定しているという。しかし、とうのアメリカ合州国側はときの大平内閣との間で「完全な相互理解に達した」としているのである。これは在日米軍が核兵器を装備するというアメリカ合州国側の意向に対する日本側の態度を示した事実だ。つまり、外国の軍隊が核兵器を持ち込む、それも「非核三原則」というわが国の考え、もっとハッキリいえば主権を踏みにじることを政府が国民に対し一切を知らせることなく認めたということなのである。そういうのを「密約」というのではないかと思うのだが。
 そのうえで、「報告書」は「核搭載艦を事前協議なしに寄港することを事実上黙認した」とタマムシ色の見解を示しているのだからなにをかいわんやといったところであろう。「報告書」の主張どおりだとすれば、国際間の取り決めである「条約」はおろか「密約」すらない、すなわちまったくの合意がないままに一外国の軍隊である米軍が好き勝手にわが国の国土に核兵器および搭載艦船を持ち込めるということを野放し的に認めてきたということになってしまうからだ。はたしてアメリカ合州国側がそんな“暗黙の了解”的な“合意”を根拠に核兵器の持ち込みを是認してきたのかどうかという疑問もあるが、肝心なことは、「密約」があろうとなかろうと、あるいはそれが核兵器であろうとなかろうと、はたまたたとえそれが“冷戦時代”であったとしても、結果としてアメリカ合州国がわが国の主権を無視しつづけているという事実であり、かつそれをそれこそ“暗黙の了解”的に認め続けてきた日本政府の傀儡ぶりをどのように捉えるかということにほかならない。これはたまさかのように核兵器が関係していたけれども、本質的にはそれ以前の日米安保条約をはじめとする日米間の不平等を認めるわが国の態度にこそ問題があるということなのである(*注3)。それとも「日米関係とはこういうもの」、だから「仕方がない」とでも開き直りますか?


*注1:
 それにしても。たとえば南京大虐殺をなかった、あるいはことさら矮小化してしまいたいとするひとびとを支持する層のなかに(すべてとまではいわない)、一連のアメリカ合州国による大虐殺──それはわが国自身に及んだ事実であったり、いまなお綿々と続けられる他国・他民族に対する行為であったりするのだが──を容認、あるいは追認、はたまた当事者からの謝罪の類が一切ないなかで免罪するがごとく目をつぶってしまいたがるひとびとが多く存在する(であろう)ことがなんとも興味深い。方や事実をなかったことに、方やわが身にふりかかった事実を「戦争だから仕方がない」とでもいわんかのごとしという違いがあるにせよ、双方に対する容認が、じつは似たり寄ったりのセンスによってなされうることのひとつの証明につながるかもしれない。

*注2:
 一連の核兵器持ち込み疑惑に関する調査そのものは政権が変わったからこそ可能になったひとつの進歩ではないかと思うのだが、(少なくとも現状においては)それがある種腰砕けのような展開をみせているあたりに、現政権の本質が顕われてはいないだろうか。

*注3:
 はたせるかな、こうしてすでに核兵器がわが国にあるのだからそれを認めてしまおうといった類の発言が自民党から漏れ伝わってきている。そうしたお門違いの現状追認は自民党というか一部保守層のお家芸ともいえそうだが、それをいうなら……と思ったのが、ときを同じくして報じられている芸能人による薬物事件である。
 覚醒剤をはじめとする違法薬物が暴力団の強力な資金源になっていることはだれも否定しないだろう。ということは、一般に印象づけられている以上に薬物が蔓延していると考えるのが常識であり、でなければ彼ら暴力団だってやっていけないハズだ。つまり、こうして摘発され報道されているのは実際の関係者にあっては氷山の一角にすぎないともいえるのだが、ここに自民党流の論をあてはめてみるとこうなる。
「まぁ、実際問題としてここまで広範に薬物が愛好されているのだから、いっそのこと合法にしてしまおうではないか」
 現状追認のおろかしさを示すひとつの例である。

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 ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
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