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猫池罵詈雑言雑記帳
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 22日、九州新幹線でレールの「締結式」が実施され、来年予定の開業に向けての工事がまた一歩進捗したという。
 なんどか臭わせてきたように、昨今の新幹線開業はすなわち既存路線の改廃を意味し、そういう意味で必ずしも進歩とは言い切れないのではないかと考えているが、都市間連絡というその1点に関して利便性が増すことには違いがなく、完成後にはそれ相応のプラスも期待できるのであろう。

 ところで、この「締結式」が報じられるなかで、青森と鹿児島間の新幹線が「1本につながった」といった類の見出しが散見された。つまり、今年12月の開業を予定している東北新幹線の青森(新青森)延伸と合わせ、博多〜新八代間がつながったことにより、新青森〜鹿児島中央間という長大ルートが新幹線方式で結ばれたことをさすのであろう。だが、「1本につながった」は本当だろうか?
 あくまで個人的な見方ではあるけれど、新幹線のレールなど、じつはどこも1本にはつながっていないのではないか? たしかに新青森〜鹿児島中央間の新幹線レールは、形としてはつながったかもしれない。しかし、レールがつながったことがすなわち鉄道がつながったということにならないところに、ある種の空しさを覚えずにはいられないのだ。

 たとえば、とっくのむかしにつながったハズの東北新幹線と東海道新幹線との間にはまったくといっていいほど交流がなく、いわんや直通運転など望むべくもないことは多くのひとが知っていることであろう。電力方式の違いなど物理的問題もさることながら、運営する会社にその意志もなければ、それぞれほぼ無関係に運営しているのだから、事実上はまったくの異なる鉄道路線といっていい。かろうじて東京到着前に相互間での乗継ぎ案内ぐらいはなされているとはいえ、それならばなにも新幹線同士じゃなくても同じである。ようは、単に類似規格の鉄道路線が東京駅に同居しているだけなのではないか。それが同じJRグループとして機能しているのは、極論すれば運賃計算のみがグループ内で通算されるという全国ネットワークの優位点がかろうじて残されていることだけかもしれない。
 九州新幹線に目を移すと、博多開業後について、いちおうは山陽新幹線との直通運転が予定されている。そういう意味ではつながったことの意味はあるが、東海道新幹線との直通運転は否定され、大阪以東と博多以南との間には「1本につながった」ことの進展があるとはいえないだろう(需要に対する車両編成の違いなどの問題もあるが)。いわんや、東京以東との関係ではなおさらである。

 いや、そんな長距離客はほとんどすべてが空路利用であり、直通運転など意味がない? たとえば首都圏と九州間ほどになれば、そう考えるほうが一般的なのであろう。だが、そうした事情以前の問題として「1本につながった」ことに疑問を呈するのは、こうして線路がつながってゆく一方で、それを利用する鉄道会社間の分離(対立も?)の深化が進んでおり、全国ネットが崩壊寸前にあるのではないかと考えるからなのだ。
 さきにふれたグループ内の運賃通算についていえば、一部の企画切符販売をタテマエに、その原則が徐々に崩れつつある(*注)。また、在来線におけるグループ会社間の直通運転は形骸化が進み、なかには異常時の連絡業務さえ遂行されていない例もみられている(一例として「Blog a_Tocsin 看板の巻」)。線路はつながったかもしれない。だがしかし……である。
 しかし、それよりもなにも、じつは線路そのものはもともとひとつのグループ路線として1本につながっていたのである。北は稚内から南の枕崎まで、あるいは根室から佐世保や長崎まで。ところが、新幹線の延伸とともに既存路線が切り捨てられた結果、そうした路線がグループから除外されてしまい、事実上の分断を強いられたのである。つまり、新幹線というレールが形としてはつながったかもしれないけれど、それと引き換えのように路線・線路が分断されているわけだ。

 はたして、切り離された既存路線では運賃の値上げが実施された。それでも賄えない部分については税金が投入されている(JRの負担もあるが期限つきである)。その多くは沿線自治体の負担だが、もとが単独での黒字化が困難な路線である。“姥捨山”よろしく見捨てられた路線のその後が、はたしてどのようになってゆくかは今後の推移が物語ってくれるに違いない(こうした分離は後期高齢者医療制度を彷佛とさせる)。そのとき、全国ネットのグループ企業としてのJRがどうなっているか、いろいろな意味での興味を持ってみつめているところだ。

 今後さらに予定されている函館延伸や北陸ルートなどが完成すれば、新幹線ネットワークがますます拡大することになるに違いない。そうなれば、一面での利便性は向上するだろう。だが、それはそれとしてプラスにする一方で、在来線を含む鉄道ネットワークとしての利点を活かせるように、グループ企業としての1本化を謀っていただきたいと思うばかりである。


*注:
 東海道・山陽新幹線相互間を除き特急料金(およびグリーン料金)が打ち切り計算になっているのは、一般的な料金体系を踏襲したきまりであり、たとえ九州新幹線と山陽新幹線との間で通算されなかったとしても、いちおうの合理性がある。

*おまけ:
 前から思っているのだが、各新幹線は分社化したJRグループ各社共有の運営にすべきではないか。なにしろ国策に基づき多額の税金が投入されながら建設が続けられているのである。それが、開業にあたって一企業の既得権益にされてしまうのも不思議なのだが赤字路線廃止のタテマエとしても利用されて、いわばいいとこどりになっているのが自由競争の原則からしてもおかしいとはいえないだろうかと思うのだ。
 これをたとえば「JR新幹線」として分離し、ある種「持ち株会社」のように各社(旅客および貨物)共有の事業としたらどうなのだろうか。運転業務や駅の管理などは既存のように各社が中心となって担当してもいいが、全体的なマネージメントは全社共通の責任とし、当然ながら利益はその役割に応じて配分されることにする(形態は異なるが、日本サッカー協会が取り入れているようなテレビ放映権料の管理・分配などが参考になりはしないか?)。現状では“超ドル箱路線”である東海道新幹線を持つJR東海が比較的良好な経営を進められているのに対し、新幹線を持たないJR北海道や、新幹線どころか都市圏輸送すらないJR四国が厳しい経営を強いられている。新幹線が自社内にないのはそうした会社の責任ではなく、いわば国策が招いた格差だ。しかし、そうした会社が新幹線運営に携わることにより、不平等がいくらかでも改善されるハズだし、拡大する新幹線網の将来にとっても、早い段階から技術が蓄積されるなどのプラス面が多々あると思うのだが、いかがだろうか。
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