ここに至って、我らがアベシンゾーやおとりまきらを指して「馬鹿」と呼ばわりすることのためらいがなくなったことは、以前、「馬鹿の巻き添えは御免蒙る・・・の巻」に記しました。その後の(とはいっても、たいして時間は経っていないのですが)動きをみていると、他人をそうたとえることの卑しさという点で己を反省するどころか、むしろもっと酷いことになっているとの思いを禁じえません。
おそらくは、それに近いかあるいはもっと辛らつな思いに違いありませんが、ネット上にあるふたつの記事を紹介してみましょう。
ひとつめは、「改憲派の憲法学者が安倍政権の改憲を批判する理由…愛国の義務化で“非国民”再教育制度が!」です。
※http://lite-ra.com/2015/05/post-1070.html
リンク記事は、改憲論者として知られる慶應義塾大学名誉教授の小林節氏の著書『タカ派改憲論者はなぜ自説を変えたのか 護憲的改憲論という立場』(皓星社)を紹介したもの。
<35歳の助手のころから自民党の憲法改正論議に付き合ってきた筋金入りの改憲論者だ。安倍晋三首相の祖父でいまは亡き岸信介元首相が会長をしていた「自主憲法制定国民会議」にも最年少メンバーとして参加し、1994年に読売新聞社が出した「読売改憲試案」にも深くかかわっていた。>(同記事)
という著者が鳴らす警鐘とはなにか? 詳しくはリンク記事をお読みいただきたいと思いますが、たとえばつぎのくだりはいかがでしょうか。
<それでも「改憲」という大きな目標に向かって進むのならと我慢して付き合ってきたが、自民党が具体的な「憲法改正草案」を出したところで糸が切れたのだという。
〈私はこれで具体的な改憲論議を始める叩き台が出来たと、素直に喜んだ。しかし、中身を読んで、私は落胆し、遂には怒り出していた〉
何が問題なのかというと、どれだけ口をすっぱく教えても憲法とは何か、立憲主義とは何かがまったく理解できない人たちだったということだ。議論の前提となる基礎知識すら共有できないのだから話にならない。改憲をこんな奴らにやらせたら、トンデモないことになるというのが小林氏の言い分だ。では、憲法とは、立憲主義とは何なのか。
〈そこで、いま、改めて原点を確認しておきたいが、憲法の本質は、主権者・国民が権力担当者に課す制約である。(中略)憲法は、主権者・国民大衆の中から例外的に選ばれて個人の能力を超えた力を託された人々(つまり権力者)が、人間の本来的な不完全性ゆえに、その権力を乱用することがないように、権力に歯止めをかける規範である〉
〈言うまでもないことであるが、心配だからあえて言うが、憲法とは、主権者・国民・大衆が、一時的に「権力」という大きな力を国民から託された権力者(つまり政治家と公務員)がその権力を濫用しないように「権力者に課した制約」である。それが権力者によって無視されたら、もはや日本も例えば北朝鮮と違いがなくなってしまう〉
同書には、こうした表現が繰り返し出てくる。ところが自民党の草案は、この立憲主義の大原則を踏み外し、国家が国民を縛るかたちになっているというのである。2012年版「自民党憲法改正草案」第102条に「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」とあるのはその象徴だ。憲法を尊重しなければならないのは、国民でなく権力者だ。
(中略)
〈そこで、改憲論者である私も、最早これまでと思い、反対の論争を始めた〉のだ。>
(リンク記事。下線挿入はブログ筆者)
まさにそのとおりでありましょう(「馬鹿の巻き添えは御免蒙る・・・の巻」で引用した伊藤真氏の「中高生向け」コメント参照)。「刃物とはなにか?」、そんなことをまったく理解できない赤ん坊のごとしなのが、アベ政権であり、そのおとりまきなのであります(いや、いくら「無知」のたとえだとしても、これでは赤ん坊に失礼。したがって、抽象的表現としての「馬鹿」こそが最適)。こんな恥知らずの政権が、世界に名だたる自由な民主主義国家であり先進国にわがニッポンに君臨しているとは……。北朝鮮の主体思想がその為政者でしか通用しないように、自民創価主体思想も本来はそうあるべき。
いまひとつは、当ブログでたびたび引用させていただいている“元・自民党幹部”の白川勝彦氏(リスペクト!)の「永田町徒然草」です。
※http://www.liberal-shirakawa.net/tsurezuregusa/index.php?itemid=1686
<「日米安全保障条約を中心とする日本とアメリカの二国間関係は、双方にとって死活的に重要な二国間関係である」というのが、私が国会議員当時(平成10年頃)の、最大の肯定的な表現であった。これを修辞的に日米同盟と呼ぶのは許されるとしても、政治の場で“日米同盟”と無批判に呼ぶのは、断じて許されない。日本の政治家である限り、絶対に許されないことなのである。
およそ政治的知識も見識もない安倍首相が、アメリカでどのような演説をしようが、日米安全保障条約や日本国憲法は毫も変わらない。安倍首相が、日本とアメリカとの関係を“希望の同盟”と表現したとしても、それは文学的表現に過ぎない。そんなものは、政治的には全く意味がない。従って、これを批判する者は、日米安全保障条約と日本国憲法に基づいて、正面から批判しなければならない。これからの国会論戦を、じっくりと見る必要がある。>(リンク記事。下線挿入および太字強調はブログ筆者)
白川氏の指摘も、前出の小林氏のそれと通ずるところがあります。すなわち「同盟とはなんぞや?」というその基本のところすらこれっぽっちも理解できていない無知なアベ政権。それでいて強力な刃物を振り回しているのだからたまったものではありません。
しかしもっとも危険視すべきは、そういう政権を生み出し、存在を許しているのがほかならぬニッポンジンだということでしょう。政権は国民の態をなすという意味において(いわんや、北朝鮮や中華人民共和国などとは異なる自由主義民主国家でその体たらくなのですから、言い訳のしようがないわけです)。
それにしても。マトモな(?)改憲論者はさておきかもしれませんが、改憲の正当性を訴えるひとつのアピールとして、現・日本国憲法が宗主国であるアメリカ合州国から押しつけられたものであるという論があります。これについては、「たとえそれが事実だとしても、いいものはいいのだ」という反論が容易にできますし、「押しつけ」についての解釈の違いだってあります。しかしそれはさておくとして、その「押しつけられたからダメだ」とのお説を振りかざしながら、アベ改憲の目指すところがアメリカ合州国の下請け化でありこれまで以上の隷属化であることはケッサクのひとこと。自衛隊の扱いしかり。沖縄問題しかり。(改憲とは直接の関係はないかもしれませんが)TPPしかり……。
こんな単純な矛盾にすら気づかない(フリをしている?)連中に対しても、「馬鹿」というのはまっこと相応しい比喩とはいえないでしょうか?
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