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猫池罵詈雑言雑記帳
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 鳩山邦夫総務相の辞任は、予想されたこととはいえ、唖然とした気持ちにさせられた。鳩山氏いわくの「正しいことが通用しないなら潔く去る」というコメントは、総務相という権力者でありながら、自らの意志が仲間うちからの手によってつぶされるということをあらためてしらしめたといえる。一般論としていえば、そのことそのものは別段異常だとは思わないが、それが民意によっていないばかりか、むしろ正反対からの力によって発動された点に、日本という国家の中枢に巣食う病をみせつけられた思いがする。

 鳩山邦夫という人物には正直好きになれない部分があるし、総論としてはとても支持できるとは思っていない。だが、たとえそういう政治家であろうとも、各論という点では納得できる部分はあるし、大袈裟にいえば共闘だって可能であろう。
 一連の郵政問題はまさにその支持できる部分であり、たとえ重役を辞任したとはいえ、引続き徹底した追求をしていってほしいと考えている。戦いはまだこれからである。

 政治の裏の話というのは、その信憑性という点を含めあまり重視しないでものごとをみているつもりだが、今回の辞任が、コイズミスネオと彼を利用する連中が仕組んだ罠である可能性はあるのであろう。西川善文氏の郵政会社社長への留任でもめているとはいえ、問題の根幹が西川氏云々に収斂できるとは思えない。コイズミ=タケナカ=ミヤウチ=ニシカワ・・・と呼び心地の悪い名前を並べてみて感じるのは、彼らに共通する傀儡性である。郵政民営化の真の狙いがその金融資産をそっくりアメリカ合州国にくれてやることにあるというのはもはや常識といっていいが、いまここでその傀儡ラインの一角を崩されては都合の悪い力が働いているのであろう。しかしその本丸は、彼らニシカワだのコイズミだのではないのではないか? たとえば、アフリカ大陸での西洋による奴隷収奪は、途中からは現地に傀儡を仕立て上げたうえで、それを利用するという手法がとられたことはよくしられている。自らの手をできるだけ汚さずに現地の傀儡によってドジンどもを支配させるという卑怯者の論理はいまなお生きている。さしずめ日本の自民党はそのさいたる存在であるけれど、いままたここで祖国を差し出そうとしているのが、コイズミだののラインなのではないか。自民党のなかにあって、そこまでの裏切り行為だけは許せなかったというのが鳩山邦夫氏であり、傀儡に盲従したかあるいは傀儡そのものの集まりが自民党ということなのであろう。もっとも、とうの傀儡どもにとっては、自民党がどうなろうと知ったことではない可能性はあるが。

 今後、この問題(鳩山氏の去就を含めて)がどうなるかはわからないが、一連の騒ぎをみていて、いよいよ自民党および自創政権の終わりが近づいたなという気はする。残念ながら、それは新政権が期待される民主党が評価されてのことではないにせよ、崩壊の度合いがさらにヒートアップしているということはいえる。


■地方選の争点そらし
 ところで、巷では千葉市長選挙が間近に迫り、都議会議員選挙も近づいている。千葉市に関しては自民党と創価学会との間にヒビが入っているという報道もあり、みている限りは千葉県知事選のような恥さらしをすることにはならないようだ。
 しかし、それらの選挙の実態が不思議でならないのだ。いずれもきたる総選挙を占う「自創・民対決」のような取り沙汰のされかたをされているが、そんなことでいいのだろうか。あるいは、候補者を応援するそれぞれの党首や幹部が現地入りをしているのはいいけれど、そこでも国政選挙云々が争点にされているのに違和感を覚えないだろうか。
 ごくあたりまえのことだが、これらの選挙は地方自治のための選挙である。千葉市であれば、今後の千葉市政をどのようにしていくのかいきたいのかこそが争点であり、都議選であれば、同じく東京都政をどのように運営していくのか、ようはそのための選挙ではないのか? 現在のような情況で総選挙が近づいている以上、意識するのもまた当然かもしれないが、いうまでもなく、地方選挙は国政選挙ではありはしない。自創VS民主? 彼らはともに石原都政にあって立派な与党である。つまり、肝心要の都政という点では、そのどちらが優勢になろうとほとんど関係がないことになってしまうのに、これが“プレ総選挙”としてデコレーションされてゆくことにより、民意の向かうべき方向を混乱させているとはいえないだろうか。
 テレビニュースで千葉市長選の各候補の選挙運動をみていると、民主(と社民ほか)と共産候補に関しては市政についてが語られていた。したがって、その点では健全性を感じられるのだが、報道する側の視点(あるいはリード)が国政選挙にばかり向いているのでは、有権者として争点がみえづらくなるということはないのだろうかと思うのだ。


*おまけ:
 それにしても。トップの西川氏をはじめ、次々とアヤシサが浮き彫りになってきた郵政会社。各地で郵便が不便になったという報道もあるが、そうした動きをみるにつけ、せっかく得ていたハズの国民からの信頼を、民営化とともにまたたくまに食いつぶしているんだなぁという気がしてならない。断っておくが、各郵便局などでお目にかかる職員のみなさんは、一所懸命に仕事をこなしているし、十分な信頼をいまでも得ているだろう。それなのに、トップがそれを裏切る。現場の効を経営陣がぶっ潰しているのである。
 さて、一部の友人や知人はすでに知っていることではあるが、今後はますます郵便会社の利用を差し控えることにした。取材に対する礼状や、仕事の請求書を送るなどでは使わざるをえないけれど、ゲラや資料、あるいは掲載誌などを送るなら純民間会社のメール便などで十分(どころか安いし早いし、伝票が切られることから安心感がある)である。
 そうした細々としたものはいいのだが、このままであればいずれゼロにしたいものに年賀状がある。年賀状という習慣そのものはいいものではあるけれど、民間会社を謳っていながら国営時代の既得権を独占しているという実態はどうか。あんな“裏切り者”の類がトップに居座る会社を、そんな殿様商売で儲けさせる必要はないというものだ。
 したがって、もしこのまま民営化が推進されるのであれば、やはり中止せざるをえない。同業他社が参入でき公正な競争がはじまったあかつきには、より好もしいほうを使うことになる可能性はあるが、この習慣からは遠からずおさらばしなければならないことになりそうな予感がする(すでに知人のなかにはハガキによる年始の挨拶を取り止めたひとも少なくない。電子メールだと味気ないという見方もあるようだけれど、あれはあれで年始の挨拶からなんらかのやりとりが広がりやすいという利点もあり、やってみたところでは悪くない感触を持っている)。
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自己紹介:
 レジャーライター=植村誠の別館ブログです。
 ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
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