夕方のテレビ番組にデイビッド=K=シプラーという人物が登場しインタビューを受けていた(NHK総合「クローズアップ現代」)。コーヒーをいれに階下に降りたときにたまたまぶつかっただけなので番組そのものは瞥見したにすぎないけれど、なんだかインチキ臭さを感じたので、今日はこの話を。
番組のテーマは「ワーキングプア」である。
NHKサイト番組予告によれば、『「勤勉に働けば報われる」という米経済の理念が、ついに崩れ始めた』ことが注目を集めているそうだ。言葉そのものは「真面目に働いても豊かになれない」という現象あるいは社会をさすが、そもそもが「勤勉に働けば報われる」というのが木をみて森をみていない、単なるまやかしだということを視聴者は気づく必要がある。この点はあとで触れるが、ようはそんなもので報われないのがアメリカ合州国であり、いま日本が向かおうとしている世界なのだ。
シプラー氏は、この問題を取り上げた著作(『ワーキング・プア』・森岡孝二訳・岩波書店)があるなどのジャーナリストであり識者であるらしい。あいにく読んだことがないのでネット上で書評を探してみたところ「東京新聞」に掲載された書評をみつけることができた(評者は矢部武氏)。
同書評および番組インタビューによれば、ワーキングプアという問題が、なぜ“世界一豊かな国”アメリカ合州国で起きたのか、シプラー氏は低賃金労働者の職場や住宅などを訪れ取材、不満足な医療や教育、あるいはカード破産などを招く“貧困の連鎖”に巻き込まれているさまを描くなかで、国家的問題として議論すべきだという結論に達しているようだ。
番組は幼児を抱えるシングルマザーを登場させ、日々真面目に「勤勉に」働いているにも関わらず、居住費と食費を稼ぎ出すのがせいぜいであるという実態をみせる。食生活の一部を教会の配給に頼ざらるを得ないギリギリの生活。もちろん貯えなどあるハズもなく、余裕のない生活は家の片づけすらする気が起きないほどに荒廃しつつある。そして満足な教育を受けられなかったこともあって資格の類を持たない彼女(母親)が、子どもの将来を考えて教育に不安を覚える……。これはもちろん日本でもいえることで、大学などの高等教育ばかりでなく、小学校、あるいは小学校入学以前からの教育機会の多寡が親の経済力によって左右され、やがて社会的格差につながっていくとされる。近ごろ当局側からすら目の敵にされる“ゆとり教育”などもそのひとつの現れだったが、これは国としてそうした格差化を狙ったということが導入の正体だということを理解せず、逆に意味に勘違いしているひとは多いけれど、それはそれとして、彼女が持つ不安に共鳴した視聴者は少なくないのではないだろうか。
さて、オレがなぜシプラー氏について訝ったのか?
まず、氏はアメリカ合州国におけるハリケーン惨禍のさい、貧困層にあるひとびとが事実上放置され、そんな災害にあってさえ差別があったという事実を取り上げた。このとき、テレビをはじめとするメディアに載って全世界にあからさまにされたのが貧困と差別というアメリカ合州国の正体であり、ここでそれがバレたことによって、国がなんらかの救済政策に、格差社会に関わる“恥じるべき”問題に対して真剣に取り組むことを期待したと、そんなことを語ったのだった。オレは思った。このヒトは、本当にアメリカ合州国という国をみて、知っているのだろうかと。
もし自分の国について理解しているのであれば、ここで貧困対策に乗り出すことなど金輪際あり得ないのがアメリカ合州国であり、とりわけブッシュ政権だということぐらいはわかっていそうなものだ(ポーズを含めて、部分的にはないとはいわないし、募金の類は盛んに行なわれるのがあの国)。はたしてホントにそんな期待を抱いたのだろうか。そうだとすれば、ジャーナリストとして、あまりに楽観主義的な見方とはいえないだろうか。
さらに、氏は自国の政治を評してこのように語る。
「民主党やその支持者は、貧困は社会的責任だと言う。共和党になると、それは個人の責任(努力など)だとなる」(録画をしていないので、いずれも要旨になることをお断りしておきます。)
まず、ここで言えることは、氏には民主党でも共和党でもない“アメリカ人”の存在を見失っているか、あるいは無視していることだ。なかには国籍こそアメリカ合州国人であっても、自らをそうだと認めていない層もあると思うのだが、これがたとえとしての話だとしても、ちょっと違和感を覚えざるをえなかった。はなから無視されている層に対する視線に欠けているように思えるのだ。
ちなみに、ここで氏が語りたかったのは、ようはそうしたイデオロギー的な主張によるのではなく、もっと真剣に対話をし、国の重要な問題として取り組むべきだということのようだが、そのなかでもっとも重要視しているのが教育だというのである。しかし一見すると正論のように思えるこの論理は、ここではお門違いのシロモノに感じられる。なにしろ氏の強調する教育とは、仕事(産業)に直接的に役立つような内容を指すのだ。近ごろは日本でも「産学共同」が正当化されつつあり、大学や大学院でさえ学問の場というよりは就職予備校あるいは企業人養成所となる傾向が強まってきたが、氏が必要性を訴える教育とは、ようはそういうことを指すのであろう。
たしかに教育は大切だ。教育機会に不平等があるのであれば、それは国の責任として是正しなければならない。だが、この問題にあたってもっとも重要なのはそんなところではない。
経済界が果たすべき社会的責任のまっとうと、それをコントロールすべき国の責任。オレはズバリここにこそ問題の根幹があると考える。産業のための教育では、むしろ逆なのだ。そこには権利としての労働ではなく、企業側にとっての働かせる自由があるにすぎない。権利としての労働でないとすれば、それは奴隷労働となんら変わらない。そもそもがなにを教育するというのだ?(*注)
偽装請負いという違法就労を続けさせ、問題化するや、違法とするきまりのほうがオカシイと抜かす男がトップに居座るわが国の財界はどうか。そして応急処置的に不十分な施策でその場凌ぎをし、財界と一心同体にある政府。こんな状態に対し、シプラー式楽観論で太刀打ちできるとはとても思えない。
さて、冒頭にふれた「勤勉に働けば報われる」というのがまやかしだというその正体。これはアメリカ合州国という国家の歴史をみればだれにでもわかりそうなものだ。たしかにごく初期の侵略部隊を含めて、開拓という名の“努力”が報いられたり、いまなお「アメリカンドリーム」という言葉そのものは過去の遺物とはなっていない面がある。しかし、過去から現在に至る繁栄の根底を支えてきたのはどういうひとびとなのか? 奴隷制度によって「勤勉に働いても報われ」ない仕組みを続け、解放後もなお最低未満の賃金しか得られない層が多数存在してきたことは、いくつかの報告書を読めば容易に理解できる。そういう社会的システムが綿々と続くアメリカ合州国という国が、「勤勉に働けば報われる」国だとはたしていえるのだろうか。もちろん報われることがないとはいわないが、むしろそうでない事実が、これまでひた隠しあるいは見てみぬフリにされ、それが現代になって表面に出てきた、こういうことではないのか。こうした点を含めて、あるいは氏の著書に触れられている可能性はあるけれど、少なくとも今夜の番組から窺えたのは、なにやら疑わしい男だなということであった。
それにしでも、同じヨコモジでひところ流行った「ワーキングシェア」(労働の分かち合い)という言葉はどこへやら……ですね。
*注:
たとえば、NASAの技術者になりたいからそれ相応の学校の学部に進むとか、金融業界に進みたいからそれなりの学校を選ぶということはもちろんあるが、ここで問題としたいのはその逆なのである。すなわち、○○ていどの企業にしか入れないから学校は■■で、あるいはせっかく学校の成績がいいんだから、本当に目指したい進路を捨てて医者にでもなるかといったことが、実際にまかり通っているし、これからさらに深化すると考える。そのすべてを否定しようとは思わないが、極論すれば、ここには教育の自由も労働の自由もないといえる。企業をみてみれば、あえて具体例をさけるけれど、安い賃金でもいいやという人材を集め、結果として全体のレベルが下がる、逆に、単に高給にのみ惹かれ集まってきた人材が、その業務そのものにはなんら興味も情熱も持ち合わせていなかったら……。
NHKサイト番組予告によれば、『「勤勉に働けば報われる」という米経済の理念が、ついに崩れ始めた』ことが注目を集めているそうだ。言葉そのものは「真面目に働いても豊かになれない」という現象あるいは社会をさすが、そもそもが「勤勉に働けば報われる」というのが木をみて森をみていない、単なるまやかしだということを視聴者は気づく必要がある。この点はあとで触れるが、ようはそんなもので報われないのがアメリカ合州国であり、いま日本が向かおうとしている世界なのだ。
シプラー氏は、この問題を取り上げた著作(『ワーキング・プア』・森岡孝二訳・岩波書店)があるなどのジャーナリストであり識者であるらしい。あいにく読んだことがないのでネット上で書評を探してみたところ「東京新聞」に掲載された書評をみつけることができた(評者は矢部武氏)。
同書評および番組インタビューによれば、ワーキングプアという問題が、なぜ“世界一豊かな国”アメリカ合州国で起きたのか、シプラー氏は低賃金労働者の職場や住宅などを訪れ取材、不満足な医療や教育、あるいはカード破産などを招く“貧困の連鎖”に巻き込まれているさまを描くなかで、国家的問題として議論すべきだという結論に達しているようだ。
番組は幼児を抱えるシングルマザーを登場させ、日々真面目に「勤勉に」働いているにも関わらず、居住費と食費を稼ぎ出すのがせいぜいであるという実態をみせる。食生活の一部を教会の配給に頼ざらるを得ないギリギリの生活。もちろん貯えなどあるハズもなく、余裕のない生活は家の片づけすらする気が起きないほどに荒廃しつつある。そして満足な教育を受けられなかったこともあって資格の類を持たない彼女(母親)が、子どもの将来を考えて教育に不安を覚える……。これはもちろん日本でもいえることで、大学などの高等教育ばかりでなく、小学校、あるいは小学校入学以前からの教育機会の多寡が親の経済力によって左右され、やがて社会的格差につながっていくとされる。近ごろ当局側からすら目の敵にされる“ゆとり教育”などもそのひとつの現れだったが、これは国としてそうした格差化を狙ったということが導入の正体だということを理解せず、逆に意味に勘違いしているひとは多いけれど、それはそれとして、彼女が持つ不安に共鳴した視聴者は少なくないのではないだろうか。
さて、オレがなぜシプラー氏について訝ったのか?
まず、氏はアメリカ合州国におけるハリケーン惨禍のさい、貧困層にあるひとびとが事実上放置され、そんな災害にあってさえ差別があったという事実を取り上げた。このとき、テレビをはじめとするメディアに載って全世界にあからさまにされたのが貧困と差別というアメリカ合州国の正体であり、ここでそれがバレたことによって、国がなんらかの救済政策に、格差社会に関わる“恥じるべき”問題に対して真剣に取り組むことを期待したと、そんなことを語ったのだった。オレは思った。このヒトは、本当にアメリカ合州国という国をみて、知っているのだろうかと。
もし自分の国について理解しているのであれば、ここで貧困対策に乗り出すことなど金輪際あり得ないのがアメリカ合州国であり、とりわけブッシュ政権だということぐらいはわかっていそうなものだ(ポーズを含めて、部分的にはないとはいわないし、募金の類は盛んに行なわれるのがあの国)。はたしてホントにそんな期待を抱いたのだろうか。そうだとすれば、ジャーナリストとして、あまりに楽観主義的な見方とはいえないだろうか。
さらに、氏は自国の政治を評してこのように語る。
「民主党やその支持者は、貧困は社会的責任だと言う。共和党になると、それは個人の責任(努力など)だとなる」(録画をしていないので、いずれも要旨になることをお断りしておきます。)
まず、ここで言えることは、氏には民主党でも共和党でもない“アメリカ人”の存在を見失っているか、あるいは無視していることだ。なかには国籍こそアメリカ合州国人であっても、自らをそうだと認めていない層もあると思うのだが、これがたとえとしての話だとしても、ちょっと違和感を覚えざるをえなかった。はなから無視されている層に対する視線に欠けているように思えるのだ。
ちなみに、ここで氏が語りたかったのは、ようはそうしたイデオロギー的な主張によるのではなく、もっと真剣に対話をし、国の重要な問題として取り組むべきだということのようだが、そのなかでもっとも重要視しているのが教育だというのである。しかし一見すると正論のように思えるこの論理は、ここではお門違いのシロモノに感じられる。なにしろ氏の強調する教育とは、仕事(産業)に直接的に役立つような内容を指すのだ。近ごろは日本でも「産学共同」が正当化されつつあり、大学や大学院でさえ学問の場というよりは就職予備校あるいは企業人養成所となる傾向が強まってきたが、氏が必要性を訴える教育とは、ようはそういうことを指すのであろう。
たしかに教育は大切だ。教育機会に不平等があるのであれば、それは国の責任として是正しなければならない。だが、この問題にあたってもっとも重要なのはそんなところではない。
経済界が果たすべき社会的責任のまっとうと、それをコントロールすべき国の責任。オレはズバリここにこそ問題の根幹があると考える。産業のための教育では、むしろ逆なのだ。そこには権利としての労働ではなく、企業側にとっての働かせる自由があるにすぎない。権利としての労働でないとすれば、それは奴隷労働となんら変わらない。そもそもがなにを教育するというのだ?(*注)
偽装請負いという違法就労を続けさせ、問題化するや、違法とするきまりのほうがオカシイと抜かす男がトップに居座るわが国の財界はどうか。そして応急処置的に不十分な施策でその場凌ぎをし、財界と一心同体にある政府。こんな状態に対し、シプラー式楽観論で太刀打ちできるとはとても思えない。
さて、冒頭にふれた「勤勉に働けば報われる」というのがまやかしだというその正体。これはアメリカ合州国という国家の歴史をみればだれにでもわかりそうなものだ。たしかにごく初期の侵略部隊を含めて、開拓という名の“努力”が報いられたり、いまなお「アメリカンドリーム」という言葉そのものは過去の遺物とはなっていない面がある。しかし、過去から現在に至る繁栄の根底を支えてきたのはどういうひとびとなのか? 奴隷制度によって「勤勉に働いても報われ」ない仕組みを続け、解放後もなお最低未満の賃金しか得られない層が多数存在してきたことは、いくつかの報告書を読めば容易に理解できる。そういう社会的システムが綿々と続くアメリカ合州国という国が、「勤勉に働けば報われる」国だとはたしていえるのだろうか。もちろん報われることがないとはいわないが、むしろそうでない事実が、これまでひた隠しあるいは見てみぬフリにされ、それが現代になって表面に出てきた、こういうことではないのか。こうした点を含めて、あるいは氏の著書に触れられている可能性はあるけれど、少なくとも今夜の番組から窺えたのは、なにやら疑わしい男だなということであった。
それにしでも、同じヨコモジでひところ流行った「ワーキングシェア」(労働の分かち合い)という言葉はどこへやら……ですね。
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たとえば、NASAの技術者になりたいからそれ相応の学校の学部に進むとか、金融業界に進みたいからそれなりの学校を選ぶということはもちろんあるが、ここで問題としたいのはその逆なのである。すなわち、○○ていどの企業にしか入れないから学校は■■で、あるいはせっかく学校の成績がいいんだから、本当に目指したい進路を捨てて医者にでもなるかといったことが、実際にまかり通っているし、これからさらに深化すると考える。そのすべてを否定しようとは思わないが、極論すれば、ここには教育の自由も労働の自由もないといえる。企業をみてみれば、あえて具体例をさけるけれど、安い賃金でもいいやという人材を集め、結果として全体のレベルが下がる、逆に、単に高給にのみ惹かれ集まってきた人材が、その業務そのものにはなんら興味も情熱も持ち合わせていなかったら……。
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レジャーライター=植村誠の別館ブログです。
ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
なお、トラックバックおよび「コメント」は受けつけない設定にしております(当面はBBSへどうぞ!)。
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