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猫池罵詈雑言雑記帳
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 久々に国外脱出して大韓民国のソウルとその近郊を散策してきた。わずかな時間でほんの瞥見したにすぎないけれど、「ああいうところがある」という事実だけでなんだか元気が出てくるようないい街であった。なにしろ街全体の活気がたくましい。姉妹ブログの「つれなのふりや」でちょっとおちゃらけつつ、いずれきちんとした記事をどこかで発表していこうと考えているが、時間をたっぷりかけてじっくりと取材に歩き回ってみたいものである。
 ところで、韓国というと、どうもクルマの運転の荒さでも知られている面があって、たしかにそう感じられることもある。実際に、強引にみえる車線変更やらクラクションが先でブレーキはだいぶ後なんていうシーンも多く、「えっ!?」と思うようなこともあるが、本質的な部分で日本の運転ナマーと比べてどうかということになると果たしてどうかという気もしてくる。むしろ、後でも触れるけれど、わが郷土の房総あたりのほうがよほど乱暴かつ品位に欠けるドライバーが多いと思ったものだ。  

 2006年8月、福岡市東区の「海の中道大橋」で起きた3児死亡事故は、社会的に広く関心を集めている。1月8日に下された福岡地裁判決では、危険運転致死傷罪が適用されるのかどうかが注目されたが、業務上過失致死傷罪とひき逃げとを併合した上限の懲役7年6月(求刑・懲役25年)が言い渡されるのに留まっており、危険運転致死傷罪の実際の運用を含めてさらに議論を呼び込む結果となった。

 この報道に接したとき、「甘過ぎるのではないか?」という疑念とともに、被告にとってはむしろ厳刑を言い渡させるほうが幸いなのではないかと思ったものだった。
 まず、法の運用ということについて、法律家でもなんでもない立場で云々することは極力避けたい気持ちはあるが、たとえ事故とはいえ3人もの生命を奪い、かつその背景のひとつに重大な交通違反である飲酒運転をしていたという事実があるという2点だけとっても、あまりに軽い判決だという気がする。世論のなかには件の判決について疑問視する声は少なくないようだし、世論が被告とその事件をみる目は極めて厳しいに違いない。一方で被告がなにを感じているのかはわからない部分はあり、ひょっとすると相当以上に悔恨の気持ちに支配されている可能性だってないわけではないだろう。しかし、被告の態度はどうあれ、ここで世間的にみて軽い刑罰で済むような事態になれば、その立場はいよいよ危ういものとなりかねないのではないか。
「あれだけの重大事件を起こして軽い刑で済んだ」
 という事実が、むしろ先々にある被告の社会復帰への妨げとなる可能性だってあるのではないかと思うからだ。求刑の25年という懲役はたしかに厳しいものではあるが、被告の背後にいる家族ら関係者の立場を慮っても、長期の刑を受けるほうがいいのではないかと素朴に思ったのである。

 ところが、22日になって「福岡地裁判決が“重すぎて不当”」として福岡高裁に控訴したという報道があった。検察側は危険運転致死傷罪適用の是非などを争点にすでに控訴しているが、被告側は一審に続き執行猶予つきの判決を求るとみられるらしく、弁護士ともども少しは自分たちをきちんと見つめ直してみたらどうかと下世話ながら思ってしまう。感情的に言えば「非常識」というものである。

 当ブログでは、新聞の社会面にあたる事件などについてはほとんど触れないが、ここであえて取り上げてみたのにはもちろん理由がある。
 相も変わらずありきたりにみられる酒飲み運転。
 この愚かな状態についてなんとも情けない気分にさせられるからだ。

 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008012302081751.html

 リンクした「東京新聞」の記事によれば、飲酒運転のクルマが道路脇の街路樹に衝突し大破、クルマに同乗していた2家族7人にうち運転していたとみられる30代の男性と中学生の女子、小学校低学年の男児の計3人が死亡したという。
 警察の調べによれば、運転者は自宅で酒を飲んだ後、家族らと入ったファミリーレストランでも飲酒、そのまま泥酔状態で運転していた可能性があるらしい。クルマの損壊状況や現場にブレーキ痕はないことなどから相当なスピードが出ていた可能性も示唆されているというが、ようはこんなのを公道に走らせていたわけである。
 ここであれこれ推論しても仕方がないが、子どもはとにかくとして、運転者とその家族らにとって酒を飲んでの運転はごくあたりまえにあるいつものできごとだったのではないか? どうもそんな気がする。いうまでもなく、酒飲み運転は道路交通法云々以前の問題として社会悪のひとつとして広く認知されてきている。もちろん摘発されれば罰金を含め決して軽く済みはしない(ところが、運よく無事故のまま摘発されるとなかなかに厳しい類の罪状が突きつけられるのに対して、死亡を含む重大事件に発展すると、その他の“人殺し”と比べてなんとも軽い刑罰となるケースがある。福岡の例はそのひとつ)。が、現実はコレである。

「東京新聞」の記事では、酒を提供したファミレスについて、道路交通法違反(酒類の提供)容疑での立件も視野に入れられているという点が強調されている。今後どのような経過を辿るかはわからないけれど、こういうのはどんどん摘発の前例をつくるほうがいい。むろん、法を厳しくしたからそのまま犯罪がなくなるなどとは思わないけれど、現に守るつもりのない連中がいて、それらが殺人者予備軍でもある以上、もはや致し方のないことともいえるからだ。

 ところで、以前なにかの折に記したこともあるが、わが郷土である房総には、駐車場つきの飲み屋ってのが非常に多い。ファミレスなどでも酒を出すが、そうではなく明らかな一杯飲み屋の類が堂々と駐車場つきなのである。むろん、クルマで来て帰りは代行という客がほとんどなのだろうと思いたいが、果たしてすべてがそうだと言い切れるだろうか。房総人に極めて多い下品かつ乱暴な運転状況を日々みていると、極めてアヤシイように思うのだが……(もちろんきちんとしているドライバーのほうがふつう。念のため)。
 じつはこの件について警察官に訊いたことがある。すなわち、こうした駐車場つき飲み屋を指導することはできないのかということだ。
「ひとつひとつの店を訪問して取り締まるわけにもいきませんから」
 答えてくれた警察官は、現状について苦々しく感じているようであった。が、この答えにあるとおり、日常的に店のなかに入ってまで取り締まるわけにはいかないというのが常識なのである。この答えが警察官個人としての所感なのか、それとも組織としての考えなのかはわからないが、オレは評価している。もちろん取り締まりは必要だ。だが、それにもやっていいことといけないこととがある。たとえば、始終警察官が見張っているところで酒を飲みたいひとがどれだけいるかということである。ということは、取り締まりだの法律だのという以前の問題として、ひとがやってはならないことのひとつが酒飲み運転という認識を絶対のものにすべきなのだ。これも以前に記したことだが、ようは、ルールで取り締まられるのか、それともモラルで生きてゆくのかという社会人としての選択なのである。司法はそれをフォローするにすぎないというのは理想論だろうか。

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