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猫池罵詈雑言雑記帳
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 珍しく新年早々にたてこんでいるため、予定よりアップが延び延びになってしまいました。遅ればせながら本年もよろしくお願い申し上げます。

 というわけで、2008年最初の話題はこれにて。
 http://www.j-cast.com/2007/12/27015117.html  


 リンク記事『小栗旬「オレは許せない」 「KY」現象に批判噴出』(J-CASTニュース)は昨年末に公開されたものなので、すでにご覧になった方もいらっしゃると思う。「KY」、すなわち「空気が読めない」という言葉に象徴される風潮について簡単に紹介したものだ。
 詳細についてはリンク記事をお読みいただくとして、この「KY」についてはオレ自身もある種の気色悪さを感じているので、そんな風潮に疑問を持つ声が顕われてくるのは大歓迎である。そもそもが「空気を読む」となんなのか? 飲み会などでエロ噺に花が咲いているのに“わが社の業績と展望”について語り出すとか、葬儀の場で高笑いをするなどをさすのか? そういうのは、「野暮」とか「礼儀(あるいは常識)知らず」などという言葉でたしなめられてきたものだと思うのだが、この「KY」というのはそういったレベルの話ではないようである。すなわち、

 自分を殺せ

 であり、少し噛み砕くと
 長いものには巻かれろ

 ということであろう。

 たしかに、なんにつけその場の雰囲気というものはあるし、どこでもなんでも自己を主張してばかりいていいわけではない。もちろん、ときには周囲のムードを尊重することも大切だろう。が、現代日本を汚染しているようにみえる「KY」というのは、じつはそういう常識論で済まされる風潮ではない。極論すればファシズムなのだ。
 本当はさまざまな立場や意見があるのに「空気を読んで」、あるいは「読まされて」発言ひとつままならない。場の雰囲気や方向性がこうだから、それに反する自分の考えを自ら封じ込めてしまう。「空気を読む」ことが知らず知らずのうちに習慣となってしまい、気がつかないうちになんにでも流されかねないというのが、この「KY」の正体ではないのだろうか。

 リンク記事の見出しになっている俳優の小栗旬さんは、
「KY(空気読め)って言葉、オレは許せない。どこまで知的レベルを落とせばいいんだ、この国は、って思います。オレだって勉強ダメですけど、でも自分の中に良い悪いの基準はちゃんとつくっているつもりだから」
 と記事のなかで語っているが、まさにそのとおりである。
 すなわち、知らないうちにものごとに対して考える習慣が乏しくなり、自分自身の座標軸を失ってしまうのである。なにしろ、「KY」で大人しくしていれば、とりあえずは楽に違いないからだ。もっとも、同時になんらかのストレスが社会に蓄積していることも否めないのであるが……。

「自分自身の価値観を大切に!」
「KY」なんかクソ食らえ! 年頭トップの言葉はこれにきまりだ。
 昨年も触れた世界遺産という看板に殺到する心理(「白神ライン探訪」)に対する考察にもつながるし、たとえば『月刊「記録」』の「エガちゃんと福田首相が同列に!?」に書かれている内容にもつながる。『月刊「記録」』の記事では『ミシュランガイド東京』についても触れているが、ここで語られている「膨大にあるレストランを一列に並べ、シチュエーションやTPOに関係なく、一気に評価する手法が一緒だ。おかげでデートに使うべき店と、接待で使うべき店の差が星付きの店では消滅した。「星付きなんですよ」と言えば、クライアントも恋人も満足するからである」(同記事)はひとつのヒントになろう(『ミシュラン』といえば、そのガイドブックに高尾山(東京都)が“三ツ星観光地”に取り上げられたため行楽客が急増、その結果、山岳事故が多発しているという。バカな話である。たまたま目にした「スポーツ報知」のネット配信記事では、「ミシュラン原因!?」との見出しをつけていたが、原因は「KY」的心理に流された家畜人気質にこそあろう)。

 クレイジーケバンドは「ミステリアスな気分を自分で全部プロデュース 面白いことなんて自分次第でエフェクトれ」(「Shock HAWAIIAN Shock」)と歌っているが、そういうスタンスこそが大切だと思う。「KY」ばかりしていると、ガラガラヘビに巻きつかれる腐れガイコツになっちゃうぞ。



*おまけ1:
 本題とは関係ないので別の機会に記そうかと思ったが、以下の“事件”についてひとこと。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080109-00000082-sph-soci
 リンク記事は、特別支援学校の男性教諭を「教員として指導力不足で適格性に問題がある」と分限免職処分としたというものである。なんでも20年ベテラン教員らしいのだが『「三角形は一つの曲線と二つの曲線に囲まれる」「地図の上は北で下は南」、経線を「かけせん」と読んだりと、仰天授業を展開。』(同記事)といい、記事をみる限りでは処分はさもありなんという感じがする。そんな状態もあって、「1年間の校外研修を行ったが、改善が見られず、今回の処分が下った。」(同)というのだが、疑問が3点ある。

 ひとつは、『助言や指導に対し「言い過ぎだ」「中傷だ」と声を荒らげ、逆ギレ』したという教育委員会による模擬授業は実際にはどういう内容だったのか。もうひとつは、本来の専門科目は、この教員の場合はなにだったのかということである(もっとも記事上からはそれ以前の問題という感じだが)。そしてそれよりもなにも疑問を感じたのは、「全国的に健常者の学校で問題が発生した場合、特別支援学校に異動させる人事が行われる傾向にある」という実態である。これが事実だとすると、特別支援学校勤務はある種の懲罰人事としてまかり通っている可能性があるが、とすれば、なんとも児童・生徒の人権を無視した所業といえないだろうか。なにしろなんらかの問題のある教員を配置させるというのである。授業を受ける側は問題を提起すべきであろう。件の教員は14年間にわたって特別支援学校で教鞭をとってきたというが、単に「問題アリ」教員の顛末として済ませてはならない事件である。


*おまけ2:
 ところで、リンクした最初にJ-CASTニュースの記事だが、なんとかいう大学のセンセのコメントがなんとも浅はかである。リンク切れのことを考えてまんま引用してみると、

「日本のメディアは空気によって党派がわかれ、慰安婦でも沖縄でも、初めに結論ありきで、歴史的事実におかまいなしに、朝日=岩波ムラと産経=文春ムラにわかれて罵倒の応酬が続き、論理的な論争が成立しない。たとえば『諸君!』に執筆すると、文春ムラに入ったとみなされ、そっち系の雑誌からばかり注文が来るようになる」

 というのだが、「歴史的事実におかまいなしに」というのがまずこのセンセの錯覚あるいは誤解。「朝日=岩波ムラと産経=文春ムラにわかれて罵倒の応酬」という現象はたしかにないわけではないが、そんなものはことの本質とはなんら関係がない。「『諸君!』に執筆すると、文春ムラに入ったとみなされ、そっち系の雑誌からばかり注文が来る」なんていうくだりは、おそらくセンセの愚痴であろう。同じくリンクした記事に取り上げられている学校教員とは異なるカテゴリーではあるが、そんな学校の先生もいらっしゃるわけであった(笑)。

 ちなみにといおうか、J-CASTの記事で紹介されている福田首相やおぼっちゃんについての「KY」評はまったくの的外れ。あんなのは単に政治家としての資質の問題であり、“空気”がどうのとは関係のない話である。
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 ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
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