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猫池罵詈雑言雑記帳
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 なんだかよくわからない(?)が、新党がどうのと連日のニュースで騒がれている。保守のなかでもとりわけていどが低い連中が演じる毎度おなじみの三文芝居。離合集散という言葉があるとおり、どうせ離れたり集まったり。ハッタリまるだしの名称。おそらく、大方の有権者にとってのそれは、「ああ、またか……」。テレビチャンネルをいじればどこかしらで必ず出食わす類のクソ面白くもない“バラエティー番組”のごとし。言い換えればヘキエキとさせられるということだ。
 もちろん、それがいかに低俗なシロモノであろうとも、政党やある種の寄り合い(グループ)をつくる権利は尊重されなければならない。問題はそれに対する受け手の側にこそあり、個々の有権者が彼らの正体を見極めることにこそあろう。

 今回打たれている芝居興行のひとつに、あの石原のおとっつぁんが一枚噛んでいるそうな。その興行に対して“シルバー新党”がどうのと揶揄するムキもあるという。タニマチを気取るおとっつぁんを筆頭に、“役者”の面々がそれ相応のベテラン揃いであることなどがそうした皮肉を呼んでいるようだが、オレはそんな揶揄をしようとは思わない。大ベテラン揃いやお年寄りの集まりだっていいではないか。おとっつぁんが記者会見だかで「このままでは死ねない」と宣ったというのは正論であろうし、そういう声には謙虚さを持って耳を傾けたいと思う(もっとも、「このままでは〜」の前段に「戦争の経験があるぼくたちは」などとぶたれても、なんとも同意のしようがない。戦争の──に限らずなんらかの──経験においても、個人や集団にとって、その経験の生かし方においてさまざまな違いがあるからだ)。
 だが、これがほかならぬおとっつぁんから飛び出した出任せであるというその一点において、たとえ正論であろうともしらっちゃけたたわごとになってしまうから哀れを隠せなくなってしまう。女性をさして「ババァ」だの近隣諸国のひとびとをさして「三国人」だの、はてはイコール犯罪者(あるいは予備軍)とてもいわんかのごとしの差別発言をしゃぁしゃぁと繰り返す男。知的障害を持つひとびとを半ば人間扱いしていないとみられる発言もあった。そんな輩が「老人、老人というが、若いヤツはみんな腰抜け」などと騒いでみたところで、同意はおろか同情すら誘うことはできはしまい。しかも、“若いヤツ”に含まれるであろうご自分の息子の面倒をみているという見方まであるのだから、いかに「入学式に親がついていくバカな時代になっちゃったんだ」なんてテレビニュースネタを披露してみたところで、「ああそうですか」である。てめぇの子どもの就職にさいして大なり小なりのコネクションを行使するオヤは時代に関わらずどこにでもいるものだし、子を心配するオヤの心情としては別段おかしくもなんともないという見方もできるけれど、であるならばこういう発言は不用意にすぎるというものであろう(*注)。とんだ自家撞着である。

 そんな男がからんでいる新党がこしらえられたわけだが、なぁにこんなのは冒頭に記したように単なる一時的な離合集散劇、結局は元の鞘に戻るのだ。
 一部にはこうした流れをさして自民党の崩壊のようにとらえられている面もあるようだが、たとえ死に体にみえたとしても自民党としての息はまだまだ続くハズ。ほとぼりさえ醒めれば、ちゃっかりと元通りになっているというのがこの種の騒動の顛末ではないか。筋書きとして自民党を飛び出した──おとっつぁんは飛び出す以前の問題だが──面々に、自主独立の覚悟や信念があるとはとても思えないからだ(その点では、まだしも小沢一郎氏はキモが座っているということもいえそうだが、だからといって国民のために働いているかどうかはまったくの別問題)。

 あるいは、自民党はとっくに朽ちているという見方もある。たとえば、写真家の藤原新也氏がいう「父親の口調をまねた小泉ジュニアのような青臭い小僧を人気とりの盾にするようなおそるべき無能集団であったことがはっきりとわかった」なとというのもそのひとつであろう。だが、いかに政権交代を果たしたといってもそれが保守から保守へという図式であることや、その新政権の支持が落ち目になったさきの受け皿が自民党やこうした超保守の新政党に流れてゆく可能性が大きいというわが国の現状からみても、そう簡単に自民党が解体されることはないとみる。大衆の“自民党信仰”はそんなヤワなシロモノではない。

 自創政権陥落で盛り上がった昨年の夏から1年。こんどはとんでもない冷夏への入口が待っている可能性もある。だが、そうするもしないも、じつはわれわれ国民にこそ主体があるのだということに気がつくかどうかにかかっているともいえるのではないだろうか。そうであれば、あのレベルの新党がどうのと騒ぎ立てるほどのことではないハズなのだが……。


*注:
 おとっつぁんのいう“入学式”とは大学の入学式を指すのだが、テレビニュース(「首都圏ネットワーク」NHK総合関東ローカル)によれば、式において入学者よりもつき添いのオヤのほうが人数が多いなどという現象もあるという。たしかにオレもバカバカしいというか情けない風潮だと思う。テレビ番組なかでインタビューされていた父親が、「(自分は行くことは考えてなかったが)周りがみんな出席するようなので」のごとく答えているのをみて、心底アタマが痛くなった。大学入学式のノコノコついてゆくということにではなく、主体性皆無のバカなおとなの姿に、だ。とはいえ、政治家の世襲をはじめとして、おとっつぁんが発揮してやまない“石原人脈”の類と比べて、はたしてどちらのほうがマシかという気もする。いや、どちらのほうが害悪か? そんな言い方もできそうだ。
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 ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
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