八ッ場ダム問題について、いまいちど思ったことを触れておきたい。
28日に開かれた群馬県議会においてこの問題が討議され、大沢正明群馬県知事は、「地元の意見をひと言も聞かず、生活再建の代替案もなくただ中止という。住民生活を小石のごとく蹴飛ばすことはあってはならない」と、民主党が打ち出した建設中止案について批判を展開したという。気持ちとしては当然のことであり、その点は大いに理解できるつもりなのだが、どこか視点がブレてはいまいか? 言い換えれば、本当にそう考えているのかという疑問であり、「住民生活を小石のごとく蹴飛ば」してきたのは、いったいだれだったのかということであり、はたしてダム建設中止が「住民生活を小石のごとく蹴飛ば」すことになるのかということである。
28日に開かれた群馬県議会においてこの問題が討議され、大沢正明群馬県知事は、「地元の意見をひと言も聞かず、生活再建の代替案もなくただ中止という。住民生活を小石のごとく蹴飛ばすことはあってはならない」と、民主党が打ち出した建設中止案について批判を展開したという。気持ちとしては当然のことであり、その点は大いに理解できるつもりなのだが、どこか視点がブレてはいまいか? 言い換えれば、本当にそう考えているのかという疑問であり、「住民生活を小石のごとく蹴飛ば」してきたのは、いったいだれだったのかということであり、はたしてダム建設中止が「住民生活を小石のごとく蹴飛ば」すことになるのかということである。
当ブログでは、前々回のアップで前原案を支持、断固たる意志で建設にストップをかけるべしとの意見を記したが、もちろんいまでもそれは変わっていない。しかしながら、前原氏の手法は、それがいかに政権公約等で表明されてきたこととはいえ、強硬すぎる印象を与えたことは否定できないと思う。そこで暮らすひとびとにさまざまな意見や立場があり、その原因となった事業計画が、立案からすでに半世紀も経ってしまっていること、すなわち、住民らがそれだけ長きにわたって苦しめられてきた懸案に対し、はたしてそうしたひとびとを慮るだけの気配りがあったのかということである。相手は人間なのである。一方的といっても差しつかえのない政策表明をした背景には、失礼ながら前原氏が培ってきた人間性が多分に顕われていると感じているが、この問題についての発案そのものには賛成できるとはいえ、今後の政権をみるといううえで、ある種の危険性をも見逃すわけにはいかないのではないだろうか。以前から指摘してきているように、前原誠司氏という人間が“スーパー右翼”の政治家であることを忘れてはならない。
だが、それを差し置いても、大沢知事に代表される見方には大いなる誤りがあることを指摘しておきたい。繰り返すが、「住民生活を小石のごとく蹴飛ば」してきたのは現政権ではなく、歴代の自民党(主体)政権であり、事実上自民党が実権を握っている各自治体(一部を除く)であろう。いまのいままでさんざんやりたい放題にしてきて、それに待ったがかかるやかくのごとしのいいがかりである。
かつてのベトナム戦争。膠着化した戦局にあって大義名分が破綻したアメリカ合州国ニクソン政権は、やがて「派遣米兵の生命を守るため」という論理のスリカエをするにいたったが、八ッ場ダム推進をはかる側が「地元住民の生活を守るため」という論に達し、あたかもそれそのものが主役であるかのようになっているのは、まさに当時のニクソン政権の主張を思わせる。歴史を振り返れば、侵略者のこれは常套的言い逃れだったのではないか? 昨今のイラク侵略を思いうかべてみればいい。あるいはわが国に米軍が駐在する本当の理由を考えてみるがいい。そして、そこで展開するタテマエと、「住民生活を小石のごとく蹴飛ばすことはあってはならない」の裏にあるものとを比べてみてほしい。
コトの根幹は、主体となっている国土交通省でさえ「治水の役には立たず」と認めざるをえず、水不足対策という大義名分もあやしまれているムダなダムが、はたして本当に必要なのかということなのである。現実にある住民らの移転問題は、原因こそダム建設計画に発しているが、建設をこのまま推進しようとしまいと十全に補償されるべきであり、つまり、中止することがすなわち「住民生活を小石のごとく蹴飛ばすこと」にはなりはしない。その場のムードに騙されて逆立ちした論理に飲まれてはならない。
いまひとつ、「すでに多額のカネを使ってしまったから」という論も多い。政治評論家の森田実氏もそのひとりだが、この意見に対しては「勇気ある撤退」のひとことを差し上げたい。多額のカネと膨大な手間をかけ、達成を目前(八ッ場ダムのそれははるか彼方だが)にした撤退など、いくらでも例があろう。
ダム建設は中止。それを動かす民主党政権の手法と手腕とが、実務面はもちろん、確固たる論理のあるなし、さらに人間性をも試されているのがこの問題ともいえるのではないだろうか。
だが、それを差し置いても、大沢知事に代表される見方には大いなる誤りがあることを指摘しておきたい。繰り返すが、「住民生活を小石のごとく蹴飛ば」してきたのは現政権ではなく、歴代の自民党(主体)政権であり、事実上自民党が実権を握っている各自治体(一部を除く)であろう。いまのいままでさんざんやりたい放題にしてきて、それに待ったがかかるやかくのごとしのいいがかりである。
かつてのベトナム戦争。膠着化した戦局にあって大義名分が破綻したアメリカ合州国ニクソン政権は、やがて「派遣米兵の生命を守るため」という論理のスリカエをするにいたったが、八ッ場ダム推進をはかる側が「地元住民の生活を守るため」という論に達し、あたかもそれそのものが主役であるかのようになっているのは、まさに当時のニクソン政権の主張を思わせる。歴史を振り返れば、侵略者のこれは常套的言い逃れだったのではないか? 昨今のイラク侵略を思いうかべてみればいい。あるいはわが国に米軍が駐在する本当の理由を考えてみるがいい。そして、そこで展開するタテマエと、「住民生活を小石のごとく蹴飛ばすことはあってはならない」の裏にあるものとを比べてみてほしい。
コトの根幹は、主体となっている国土交通省でさえ「治水の役には立たず」と認めざるをえず、水不足対策という大義名分もあやしまれているムダなダムが、はたして本当に必要なのかということなのである。現実にある住民らの移転問題は、原因こそダム建設計画に発しているが、建設をこのまま推進しようとしまいと十全に補償されるべきであり、つまり、中止することがすなわち「住民生活を小石のごとく蹴飛ばすこと」にはなりはしない。その場のムードに騙されて逆立ちした論理に飲まれてはならない。
いまひとつ、「すでに多額のカネを使ってしまったから」という論も多い。政治評論家の森田実氏もそのひとりだが、この意見に対しては「勇気ある撤退」のひとことを差し上げたい。多額のカネと膨大な手間をかけ、達成を目前(八ッ場ダムのそれははるか彼方だが)にした撤退など、いくらでも例があろう。
ダム建設は中止。それを動かす民主党政権の手法と手腕とが、実務面はもちろん、確固たる論理のあるなし、さらに人間性をも試されているのがこの問題ともいえるのではないだろうか。
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ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
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