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猫池罵詈雑言雑記帳
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 一部で騒がれてきた2016年のオリンピック開催地には、ブラジルのリオデジャネイロが決まった。経過はいろいろあろうが、開催に向けての諸条件を検討したうえでの最良の都市を選んだのであろう。本音をいえば、オリンピックの開催地などにはこれっぽちの興味を持っておらず、今回の場合は東京でさえなければどこにでもお好きにどうぞという考えであったから、そういう意味でまさに慶賀に値するできごとであるといえる。

 オリンピックをふたたび東京でといういささか突飛なアイデアは、そもそもがあの小説家崩れの政治家による独断ではなかったか? 最終選考に残った4都市のうちで、地元民からの反対の割合が高かったのが東京とも聞いており、そんなところからも妙な安堵感を覚えたものだったが、最後の最後まで、東京で開催することの意義をさっぱり理解しえない騒動ではあった。
 環境に配慮だなんだと演説してきたおとっつぁんだが、あの男がそんなことにちゃんちゃら意識を持っていないことはたいていの常識人ならばわかっている。狙いにはさまざまあろうけれど、その最大ともいえるのが招致・開催に関連する再開発利権であることもまた、多くのひとびとから指摘されてきたことである。その陰で、在来の現役施設が粗末にされていることを白川勝彦氏が皮肉たっぷりに伝えている(「兵どもが夢の跡!?」)。ほんの一例かもしれないが、旗ふり役のセンスを顕わす好例といえるだろう。なんにしてもいまとなっては後の祭り。バカげた騒動もひと段落である。一体全体いくら税金を遣ったのかははかり知れないが。

 それにしても、毎度のことながら間尺に合わない気持ちにさせられるのは、こうした招致合戦の類にともなう騒ぎについてである。1次予選的な立候補合戦からはじまり、昨日の最終決定まで、はたしてどれだけのイベントが開かれてきたのか。最後に至っては、鳩山首相やオバマ米大統領らまでが終結し、ちょっとした首脳外交の態ですらあったが、いかに世界中の国や地域が集う催しとはいえ、はたしてそこまでの騒ぎが必要なのかと思うのだ。こんなものは、立候補地と主催者側とで平等な協議を持ち、最終的には開催地としてふさわしいだけの環境があり、十全な準備がはたせるのかどうかを現地での検分を重ねながら決めればいいのであって、あんなに騒々しく見せ物化されたレセプションなどでもったいをつけるようなシロモノではありはしない。
 ああした会合は、1回につきどれだけのカネがかかっているのだろうか? 飛行機のチャーター代なども含めて、税金の拠出を洗い直すべきであろう。表向き「平和の祭典」を謳われているその表舞台での贅沢三昧。しかしその陰では今日のメシにも、明日の展望にも見放されたひとびとが、それこそ世界中に溢れていることを忘れてはならない。

 そうした点を含め、オリンピックそのものについての疑問もある。
 たとえば、さして珍しい疑問でもないだろうけれど、あれが国単位ではなく都市開催であることの不思議。実態は国単位であることに近しいとはいえ、そろそろ伝統から解き放たれてみてはどうか? 同じ世界規模のスポーツ大会としてのサッカーワールドカップのように、国ごとに開催地をめぐるほうが、予算面はもとより、肝心要(であるハズの)競技環境という面からもよほど有利ではないかと思うからだ。
 さきの北京大会では、大気汚染問題が持ち上がったものだったが、これは東京やリオでも似たり寄ったりの部分があるだろう。リオの気候に対する知識も実感もないが、夏の東京が、とりわけ屋外競技に向いているのかという疑問は常に持ってきた。屋内競技はとにかく、たとえばマラソンなどは(冬期大会が開かれた)札幌や長野のほうがよほどふさわしいような気もするのだが、これが国レベルの開催となれば、日本中でトップレベルの好適地を競技に合わせて選ぶことだってできるのである(マラソンのみならず、クロスカントリーやボート関連などいろいろ)。それに伴う開発にしても、分散するぶんだけ環境や経済面での負担を軽減させられるハズで、むしろ選手やスタッフの受け入れ地や世界中からの来訪者向けの宿泊施設の類も、その開発を最小限にとどめることだってできるのではないだろうか(このことはまた、大会終了後に予想される施設の閑古鳥を未然に防ぐ効果もあろう)。

 書き出すとキリがないからこのあたりに留めておきたいが、オリンピックに代表される世界的催しの意義は大いに認めるとはいえ、その運営方法という面を含め、真の意味での人類の祭典、平和の祭典になってもらいたいものである。


*おまけ:
 これは単なる勘ぐりではあるが、東京へのオリンピック招致騒ぎに裏に、共謀罪導入が蠢いていたりしたのかもしれない。テロを未然に防ぐ、それも世界的祭典に向けてという大義名分をでっちあげ、世論を誘導する。オリンピックだからと雰囲気に誤魔化され、気がついてみれば目論みどおりの“21世紀の治安維持法”の完成が近づくというシナリオだ。共謀罪については、旧自民党政権の裏にアメリカ合州国のブッシュ政権があったともいわれるが、それがオバマ政権に代わり、状況が変わってきたという筋書きはいかがであろうか。これは文字どおり「おまけ」ですが(笑)。

 さらについでながら、またしても書かなければならないのが、英語によるスピーチである。今回は、お祭りに引っぱりだされた中学生が、シロウト耳には祖国の首相と比べても上手なスピーチを演じ、それはそれで立派なことだと思ったものだが、やはりあれはおかしいと言わざるをえない(外国語を使えるのは大切なことだ。ただし英語に限ったことではないし、あれはよくある「英語スピーチ大会」の類でもなかった)。しつこく繰り返すけれど、なぜ自分の母語で、あるいは祖国の言語ではいけないのか? それに、最終選考に残った4つの都市のうち、英語を公用語としているのは同じく真っ先に落選したシカゴだけではないか。仮にIOCが「英語を公用語」としているのならば、それこそ問題ではないかと思うが、そうでもないのであれば、堂々と母語でしゃべればよろしい。おかげで、ユキ〜オハトヤマサンのお世辞にも上手とはいえない英語のスピーチが、同時通訳で祖国のテレビニュースで放映されるという摩訶不思議な案配になってしまったではないか(笑)。そこまでヒマでもないので、ほかの2カ国の代表がどの言語でしゃべったかはみなかったが、はたしてどうだったのだろうか? あのレセプションは、スペインやブラジルでも放送されていたに違いないが、現地では、当然のことながらスペイン語やポルトガル(ブラジル)語である。日本でのそれのように、同時通訳なり字幕なりが挿入されたの否か。少なくとも、日本のそれがおよそおろかしいセンス(宗主国の公用語を選ぶあたり)だとはいえる。同じ日本人として心底恥ずかしかった。
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 ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
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