今年4回目の韓国散歩に繰り出してきた。ちょうど3連休にぶつかってしまい、かの国の休暇模様などを瞥見する機会に恵まれた。そこであれこれ思うところもあった次第だが、これはいずれあらためて触れてみたい。で、閑話休題。
いやはや。このオッサンは言葉の意味をきちんと理解しているのだろうか。オッサンとは、あの腐れドジョウノダのアホタレである。すなわち、原発再稼働に向け、自らの「責任」でもって推進するというアレだ(画像は韓国・古里原発。列車の車窓間近に数基……)。
そもそも、「責任」というけれど、万が一が起きたとして、はたしてどのように責任をとるつもりなのだろうか。大方、辞任のひとつでもして逃げ仰せようという魂胆なのだろうが、ここで求められる責任とは、そんな軽薄なシロモノでありはしない。
個人的な主張としては、原発の再稼働は反対である。これは、件の事故が起ころうと起こるまいとまったく変わらない。原発は滅びの道である。
目下、全原発が停止中という画期的状況にあって、今後のエネルギー供給をどうするかという点でさまざまな意見があるのは当然だが、これは原発依存から脱する絶好の機会でもあるのだ。あえてキレイごとをいえば、原発後のエネルギー政策をわが国が先導するチャンスでもある。世界にさきがけ、原発を卒業する先進国としての日本。もちろん新たなビジネスも生まれるだろう。ここには他愛のない空想も含まれるけれど、しかしこういうのを前向きな発想とはいえまいか。
しかし、それはさておき腐れドジョウ曰くの「責任」とはなんぞや(笑)?
思うのだが、仮にここで再稼働するのであれば、その「責任」については「無限責任」を前提とすべきであろう。首相然り。原発官僚然り。電力会社および原発メーカー然り。再稼働賛成の自治体然り。もちろん組織だけでなく、個々もまたその「無限責任」からは逃れえないのだ。言い換えれば、コトの大きさを問わず、なにがか起きた場合には「腹を切れ」ということである(残念ながら、地元自治体とその住民は否応なしに「責任」を「とらされる」ハメになるのだ。ほかの連中をさておいても)。もっと直接的にいえば、(一族郎党を含め)死をもって責任をとるぐらいの覚悟はあるのかということである。もちろん、資産・財産についても「無限責任」が大前提。ようは、原発というのがそれほど危険極まりないという事実であり、いまやいくばくかでも常識を持つ人間であれば、コトの重大さを理解しているハズだということなのである。
もちろん、再稼働がただちに事故につながるとまでは考えていないが、“万が一”はいずれかならず起こる。そのときに、自らの「責任」云々とウソぶいた連中は、はたしてその「責任」をとることができるのだろうか? 死云々はともかく、とれるハズがないではないか。
福島では、いまのところあの範囲(とはいえすでに重篤な状況だ)で収まっているかもしれないが、こんどがそれ未満に収まるという保障はまったくない。ややもすれば、わが国の国土がより広範に汚染され、未来永劫に取り返しがつかなくなる可能性だってあるのだ。そんな簡単なことを、どうして理解しようとしないのか(もっとも、西欧なりアメリカ合州国なりでより重篤な事故でも起きないかぎり、人類規模では目覚めることがないのかなぁというタチのよくない“たとえ”も浮かぶ。ひょっとすると、人類とはそれほどまでに愚かな存在なのかもしれないが……)。
そういえば、腐れドジョウの迷言に「政治生命を賭けて消費税(大)増税」というのがある。では問い。あの男曰くの「政治生命」とはなんぞや? 大増税に失敗したら議員を辞めるということだろうか? しかし、芸能タレントらの「引退」と同様に、政治家「引退」などとは、およそ意味のない言葉だといえるだろう。なかには強固な意思をもって引退する例もあるが、大方がほとぼりさえ醒めればちゃっかりと復活しているではないか。そんな軽々しい「生命」を賭けての大増税。くだらないにもほどがある!
まっ、政治に関わるのは権利として保障されているから、まさかすべてを放棄せよとまではいえないかもしれないが、自らが放棄するのは自由である。そこでノダサンよ、首相なり政治家なりを辞めるだけでなく、もちろん民主党(というより政党)から脱退、茶飲み話を含め、今後は一切の政治的発言をしないことを誓っていただきたい。「政治生命」を賭しているのだから、選挙の応援や投票すらもその権利を棄てなさい。世襲もダメです。違いますか?
個人的な主張としては、原発の再稼働は反対である。これは、件の事故が起ころうと起こるまいとまったく変わらない。原発は滅びの道である。
目下、全原発が停止中という画期的状況にあって、今後のエネルギー供給をどうするかという点でさまざまな意見があるのは当然だが、これは原発依存から脱する絶好の機会でもあるのだ。あえてキレイごとをいえば、原発後のエネルギー政策をわが国が先導するチャンスでもある。世界にさきがけ、原発を卒業する先進国としての日本。もちろん新たなビジネスも生まれるだろう。ここには他愛のない空想も含まれるけれど、しかしこういうのを前向きな発想とはいえまいか。
しかし、それはさておき腐れドジョウ曰くの「責任」とはなんぞや(笑)?
思うのだが、仮にここで再稼働するのであれば、その「責任」については「無限責任」を前提とすべきであろう。首相然り。原発官僚然り。電力会社および原発メーカー然り。再稼働賛成の自治体然り。もちろん組織だけでなく、個々もまたその「無限責任」からは逃れえないのだ。言い換えれば、コトの大きさを問わず、なにがか起きた場合には「腹を切れ」ということである(残念ながら、地元自治体とその住民は否応なしに「責任」を「とらされる」ハメになるのだ。ほかの連中をさておいても)。もっと直接的にいえば、(一族郎党を含め)死をもって責任をとるぐらいの覚悟はあるのかということである。もちろん、資産・財産についても「無限責任」が大前提。ようは、原発というのがそれほど危険極まりないという事実であり、いまやいくばくかでも常識を持つ人間であれば、コトの重大さを理解しているハズだということなのである。
もちろん、再稼働がただちに事故につながるとまでは考えていないが、“万が一”はいずれかならず起こる。そのときに、自らの「責任」云々とウソぶいた連中は、はたしてその「責任」をとることができるのだろうか? 死云々はともかく、とれるハズがないではないか。
福島では、いまのところあの範囲(とはいえすでに重篤な状況だ)で収まっているかもしれないが、こんどがそれ未満に収まるという保障はまったくない。ややもすれば、わが国の国土がより広範に汚染され、未来永劫に取り返しがつかなくなる可能性だってあるのだ。そんな簡単なことを、どうして理解しようとしないのか(もっとも、西欧なりアメリカ合州国なりでより重篤な事故でも起きないかぎり、人類規模では目覚めることがないのかなぁというタチのよくない“たとえ”も浮かぶ。ひょっとすると、人類とはそれほどまでに愚かな存在なのかもしれないが……)。
そういえば、腐れドジョウの迷言に「政治生命を賭けて消費税(大)増税」というのがある。では問い。あの男曰くの「政治生命」とはなんぞや? 大増税に失敗したら議員を辞めるということだろうか? しかし、芸能タレントらの「引退」と同様に、政治家「引退」などとは、およそ意味のない言葉だといえるだろう。なかには強固な意思をもって引退する例もあるが、大方がほとぼりさえ醒めればちゃっかりと復活しているではないか。そんな軽々しい「生命」を賭けての大増税。くだらないにもほどがある!
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ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
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