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猫池罵詈雑言雑記帳
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 このところいささかサボリ気味にて失礼しました。
 それにしてもデタラメ。そんなどうしようもない所感に襲われている今日このごろである。そこで、一杯ひっかけつつ四方山的ボヤきを……。

 有象無象のデタラメ。その馬脚が顕われたひとつの例として、関越自動車道におけるバス事故が挙げられるだろう。事故に至る表面的な背景は明らかにされつつあるし、その遠因についても早くから取り沙汰されている。事故そのものということでは関係業者らにこそまず責任があることは間違いないが、それを生み出した背景についてはきちんと考証する必要がある。すなわちあるべきルールの放棄。規制緩和という名の無法状態づくりである。
 ことさらに単純化するつもりはないけれど、今般の事故につながるような状況(商売)を可能にしたのは何者なのか。規制緩和というといかにも聞こえがいいかもしれないが、目先の利便性(安い運賃)や商売の自由と引き換えに失われたものはあまりにも大きい。“自由主義”を目指すにしても、それは一定以上のルールがあってこその自由というものであろう。ルールあるいは倫理無視の自由など、弱肉強食の別名でしかなく、もっといえばそんなものは小狡さの奨励でしかないのではないのか。

 面白いなと思うのは、一方でさまざまな規制導入が進められていることだ。ネット上の発言監視や共謀罪、あるいは「君が代・日の丸」崇拝の強制……。もちろん必要なものもある。たとえばネットゲームの課金(コンプガチャ騒動など)問題もそのひとつだろう(──すぐさま関係各社が中止を表明したようだが、それそのものが最初からシナリオとして描かれていたのではないか。これは想像にすぎないが、「どうせ遠からず規制されるから、それまでにいくら巻き上げられるか、だ」、せいぜいがそんなセンスと前提とでカネモウケをしてきたのではないだろうか。つまりいつでも逃げられる準備がしてあったのだ。でなければあれだけ素早い撤退ができるハズがない。姑息、小狡い──)。あるいは、脅迫詐欺(一般に「振り込め詐欺」などと称されるが、あれは脅迫事件の亜型であろう)などの新しい犯罪に対応する規制もある。ネット上に反乱する人権蹂躙などへの対応も然り。だが、ざっとみて気がつくのは、おもに規制が強化されつつあるのは、そうした新規対応型の類やカネに関することではなく、言論や思想・信条の自由についてだということである。逆に(正当な商売を含む)カネについての規制がつぎつぎと取り払われているのにだ。これはどこかおかしくはないだろうか。
 そうした規制が緩和されてなお重大なミスを犯しても「ルールは守っている」と開き直る。小はチンピラ詐欺師から大は大企業(トップはもとより末端まで)あるいは官僚、政治家たち……。そしてそんなおとなや社会のザマをみて育ってゆくわが国の子どもたち……。

 ホントに大丈夫なのかわが民族の未来はと大仰に思わないでもないが、そうするとこんどは独自の“倫理観”を他者におしつける人間が現われてくる。これだって自らが実践しているぶんにはいいし、他者に対しても言論や態度によって説くのはまったくの自由というものだ。ところが、なにを勘違いしているのか、そうした“倫理観”を絶対のきまりとして強制してしまえなんていう輩がいる。そしてそれを歓迎する市民(彼らは強制される側にすぎないのだが)がいる。大いなる誤認。これが恐ろしい。
 オレもまた、ここでわが国にまん延してみえる倫理観の欠如を嘆いてみせているけれど、これは単に個人としてそう感じているだけの話である。なかには共感を覚えてくれるひともいれば、逆に「アホか」と呆れるムキもあるのだろうが、それぞれが強制でもなんでもないのだから、そんなのはまったくの自由というものだ。逆に言えば、いかに民主主義的手続きを経た権力者であろうとも、強制してはならないのである。あたりまえではないか。

 デタラメといえば、現政権に勝る存在もひょっとしたら希有といえるかもしれない。消費税増税という逆賊法に政治生命とやらを賭ける首相とその取り巻き。あの腐れドジョウはアメリカ合州国旅行にでかけてきたようだが、どうせ先方の御機嫌どりに終始してきたのであろう。飼い犬同然──というとイヌに失礼なので、むしろ家畜人のヘボ酋長──とはこのことか。当然のことながらそんなことは大方の国民が見抜いている。支持率もそれを反映する。有権者の多くは刻も早い解散・総選挙を望んでいる。さらにその多くは──その一部は自らの失敗を自覚しながら──再度の政権交代をも視野に入れているハズだ。ところが、とうの腐れドジョウ一派ときたら、満期まで政権に居座ることこそが責任を果たすとまで開き直った。彼ら民主党の面々が野党時代になにを言ってきたかを問うまでもないが、このさき下野してからの行動や主張と、はたしてどのように折り合いをつけるつもりなのか(笑)。こういう自家撞着に対しては笑い飛ばすほかはないが、それにしてもデタラメにすぎる。そうしたデタラメ軍団の主導によって、大増税や売国(TPP批准)が現実のモノと迫りつつあるのだ。

 そうしたデタラメ国家と社会である。こんなことは驚くにあたいしないかもしれないが、東京電力が値上げ宣言に打って出た。いちおうは賞与がゼロだのと伝えられているが、そんなものはまやかしである。
 しかし呆れるのは、ごく一部を除く大手マスコミが、電力会社に対し手を貸すかのごとく電力不足の予測やら発電コストの増加などをクローズアップしていることだ(某首長によって原発廃止をつきつけられている──とはいえ、その真の狙いがなんなのかはわからないが──関西電力の不足予測がズバ抜けて伝えられたあたりも興味深い)。
 発電コストについていえば、あれがまやかしであろうことはシロウトでも推測できる。いわく、原油高にあって火力発電にシフトせざるをえなかったためコストが増大したという話だが、対比すべき原発稼動時のコストに未来あるいは不測の必要経費が見込まれていないだけの話。

 適当なたとえかどうかはわからないが、こういうのはどうだろう。
 一般的には保険にかかる経費がわれわれにはある。公的な医療保険もそうだが、自動車保険や火災保険、生命保険、あるいはオプション的医療保険もあろう。ところが、風邪やケガのひとつもしなければ、クルマも無事故つづき、火災だって気をつけていれば大丈夫さとそれぞれへの支払いをやめてしまった(もちろん加入義務があるが、あくまでたとえ話)。おかげで生活費には余裕ができたが、あるとき大病を患ってしまった、あるいは自動車事故を起こしてしまったらどうなるのか。言い換えると、電力会社にはそうした備えに対する必須経費をことさらに軽視する姿勢があるのではないのか。今般の原発事故に関する事後処理、そしてその経費。あるいは今後、廃炉にするさいの経費はどうか。仮に稼動がつづけられ、たとえ無事に稼動を終え“満期”を迎えたとしても、結局はその解体、片づけをしなければならないのだ。そして大量に生産されつづける核廃棄物の処理方法とその費用。そうしたもろもろを無視するという前提で、原発による発電コストが見積もられ計上されているのではないのか。そうしておいて、原油高のさなかコストがあがったから値上げさせろ。さらに厚顔無知なのは、自分たちが起こした大事故の処理にカネがかかっているから値上げさせろ。ふざけるのもいい加減にしろというところだが、こんなデタラメを許すかどうかというその常識と倫理観とが日本という国と国民とに試されているともいえるだろう。
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 レジャーライター=植村誠の別館ブログです。
 ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
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