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猫池罵詈雑言雑記帳
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 ネット上のヘッドラインをみていたら、自民・共産の2党だけの党首会談があったという短い記事が目にとまった。会談のテーマは雇用不安への対応や中小企業の貸し渋り対策だったらしく、共産側からの申し入れによってもたれた会談だったようだ。
 どうやら、2党のみによる会談というのは異例のことらしく、そういわれてみればあまり記憶にないなとも思うが、たびたび開催されている党首あるいは政党間の会談の類にあって、いざ報道される段になるとほとんど申し訳ていどにしか取り上げられない共産側としてはその存在感をアピールする意味もあるのかもしれない。しかし、見出しをみただけで、はたしてこの両者、すなわちあのコンクリート屋のパボとインテリCサンとの間にマトモな会談など成立するのだろうかと訝ってしまった。はたして、非正規労働者の相次ぐ解雇について政府の強力な指導監督を要請するCサンがキヤノンらによる人員切り捨ての実態を指摘するや、“首相は「企業は非正規を切らないで、正社員に置き換える道を探るべきだ」などと一般論に終始し、10分弱の会談は平行線で終わった。”(「毎日新聞」5日配信)というから、なんら実りのない“会談”だった可能性がある。

 それにしても。「毎日」が「平行線で終わった」というその結果はなぜそうなったか。こんな会談は、並行線もなにもようは人間とサル(あくまでタトエですがね)とが話し合いをするようなものではなかったか。それぞれのセンス云々以前の問題として、Cサンが話したことあるいは話したいことのたったひとつでも、あのコンクリート屋が理解できたかどうかすらアヤシイからだ。つまり、平行線もなにも、その訴えるところのAからZまで、なにひとつ理解できないし理解しようという姿勢すらないというのがあのコンクリート屋ではないか。おそらくは、この場合はその場の問答なり言質なりよりも、会談があったという事実と、その段でなにを訴えたかをメディアを通じて国民に発するほうに主眼があったハズなので、相手がサルだろうがゾウリムシだろうが、極論すればなんでもよかったのかもしれない。
 願わくば(というのも大袈裟だが)、会談のひとときの感想を、政治家としてではなく一個人としての所感をCサンに訊いてみたいものである。かなりの心労だったのではないかと察するのだが……。

 さて、その雇用対策をはじめ、大きな意味での景気対策がいくつか取り沙汰されている。たとえば、与党の「新雇用対策に関するプロジェクトチーム」は「雇用維持対策」と「再就職支援対策」、「内定取り消し対策」からなる“新対策”を首相に提出、ここには3年で2兆円規模という予算が試算されているという。あるいはまた、自由化に伴い超過当競争状態となり、その運営すらままならない状況にあるタクシー業界に対する支援と対策とが交通政策審議会(国土交通相の諮問機関)で進められており、新規参入や増車などを野放ししている路線から規制強化に転換する旨の答申案を了承したという報道も5日にあった。
 こうした対策に実効が期待できるかどうかはわからないし、さしあたりここでは触れない。だが、あえてといおうか、ひとつ気になったのは、対策は結構だけれども、それで済ませていいのかということである。すなわち、現在のような雇用の異常事態はどういう流れと背景のなかで一般化したか? あるいは混沌の主因とされている自由化とはいったいなんなのか? そうした政策を率先して導入してきたのはいうまでもなく自公政権であり監督官庁はないのか? いうなれば失政をやらかした当人たちが、ここでもまた、対策という名の施策を打ち出そうということに対する違和感があるのだ。緊急に対策をとり実行してゆく必要があるのはいうまでもないが、それと同時にかくのごとしの現状に対する責任の所在をハッキリさせ、相応の責任をとらせることもまた必要ではないのだろうか。でなければ、延々と失策が繰り返されることになりかねない。

 個人の名前だって挙げられよう。筆頭はあのコイズミスネオであり、その片棒を担いだ竹中平蔵氏であり、経済界のみならず政界にまで影響力を行使してやまない御手洗冨士夫氏であり、メディアとともに国民を牛耳ったつもりでいる狂犬的・奥田碩氏であり……。こうした名前をみていると、中世から近代にかけて起きた諸革命にさいする民衆の気持ちがよーくわかるとこのごろ思うが、もはや付け焼き刃の対策(対症療法)だけで済ませるのではなく、こうした面々に対してその責任をとらせることも必要というものだ。現在巻き起こっている不況の原因は、もちろんこうしたひとびとの手にも及ばない規模のものではあるにせよ、それ以前の問題として雇用の異常があり(そもそもが、“いざなぎ超え”とやらでトヨタやキヤノンらのオオモウケを裾野で支えていたのが派遣など非正規労働者であった。この問題は不景気だから起こったわけではないし、いまなお一部を除く大株主らは巨額の配当を手にしているといわれる。低リスク・ハイリターンってやつだ)、ちょっと目を広げれば医療の異常(中核公立病院の閉鎖や相次ぐ産科惨禍などなど)だって、その道筋をつくったのは厚労相時代から首相時代にかけてのスネオであり、附随する面々らがそれを支えてきたのである。

 そして、コトナカレ的に責任をとることなく法をこしらえ、国の仕組みを綻ばせてきた官僚の面々(*注)。これらの異常を生み出すカラクリをつくったこの連中。逃がしてはコトが繰り返される。そんな輩をきちんと裁ける時代は、はたしてやってくるのだろうかと思うのだが。



*注:
 以前から理解できないでいることに公務員に対する賞与というのがある。賞与すなわちボーナスというのは本来は企業なりが得た利益の一部を一時金という形で従業員らに配分するという仕組みなハズなのに、そうした利益とは本来は相容れない公僕にこうした形で賃金が支払われることには疑問を感じるのだ。通常の月給に対して明らかな不足があるのであれば、そのぶんをプラスした年俸としてあらかじめ計上し、そこに残業などの諸手当を加算すればいいではないかと思うのだが、どういうわけか民間の、それもけっして少与側でない金額が比較対象とされ税金が拠出されているのが不思議でならない。とはいえ、われわれが一般に接する地方公務員らのそれはけっして高額でないともいわれる。問題は国の政策に直接的に関わる高級官僚らのそれであろう。しかも数々の失政の片棒を担ぎ一般国民の足を引っ張ってもなお、きちんと与が支払われているわけである。成功しようが本質的な失敗(本質的でない失敗として内部だけで通用するおとがめの類があろう。こちらは報酬に影響するらしいが)を重ねようが、在職実績に応じてきちんと支払われる賞与。おかしいではないか。少なくとも高級官僚に限っては、その実績を国民目線で正当に評価し、報酬についても厳しく審査されるべきであろう。ついでに、60歳で退職金7000万円などというのも、一般庶民からみればおったまげるにあたいする税金の拠出といえる。
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 ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
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