例によって(?)、昼食をとりながら正午のNHKニュースをみていたところ、コンクリート屋さんの発言について「相手にしません」という“身内”からの反応が伝えられ、思わず吹き出しそうになった。
※http://www.nhk.or.jp/news/k10015499181000.html
※http://www.nhk.or.jp/news/k10015499181000.html
これは、20日午前に開かれた自民党道路調査会の席上でぶった“十八番”の出任せ「道路特定財源の一般財源化に伴い、地方交付税1兆円を自治体に配分する」に対するリアクションのひとつなわけだが、それにしても「きのうの発言に左右される必要はない」(山本有二道路調査会長)ってのはなかなかによろしかろう。リンク記事によれば、「疲弊している地方の道路財源の確保について議論している最中であり」というのが前段につくけれど、ようは「相手にするな」と公言しているに等しい。かくのごとしの背景には、与党内での派閥争いやら“族”争いの類があるのではあろうが、藤原新也氏曰くの「100年に一度の無能内閣」を雄弁に物語る低劣ないざこざというものだ。
あるいはこんな“記者会見”。
※http://mainichi.jp/select/seiji/news/20081120mog00m010024000c.html
関連して「明るい性格だから思いついたことをぱぱっと話す」という笹川堯総務会長によるコンクリート屋評もあったりするけれど、こんな受け答えから感じられるのは、「明るい」というのではなしに、「不真面目」「不誠実」「無知のいい加減」といったところである。
つくづく、わが国はどうしようもない人物を首相にしてしまった。
■枕詞の効用
ところで、このごろのテレビニュースをみていると、「世界経済の不況による」とか、「市場経済の低迷による」といった“枕詞”を耳にしない日がない。あとに続くのは、たとえば百貨店業界をはじめとする小売・流通業の売り上げ不振であったり、マンションなど住宅や不動産価格の低迷であったり、そうした向い風に立ち向かう“地元商店街”の努力云々だったりする。これらはもちろん事実であり、消費や流通が著しい低迷状態にあることは間違いないのであろう。そんななかで少しでも売り上げ・利益を(フェアに)確保しようとがんばっている企業や個人商店などの姿をみると、心から応援したくなってくる。日々が真剣勝負であり、いまを生き残らなければ明日がないからである。
ところが話は冒頭に戻るのだが、こうした低迷状態を伝えるのに、「世界経済の不況による」という前置きは果たして適当といえるのだろうかという気がしてならない。不況は確かに事実である。だが、たとえば日ごろ利用しているような商店や商店街が売り上げ確保に四苦八苦させられているところには、直接には結びつかないのではないかと思うのだ。
やれ株価が下がった。回復のきざしが窺えない。……だが、そんなことでわれわれ一般庶民のサイフのヒモがどうして固くなろうか? 中長期的な目でみるまでもなく、すでにギャンブルでしくじった大企業なりが損益を出し、関連して従業員らの収入が減り、かつクビが斬られ、下請け企業があおりを喰って倒産あるいは破綻寸前に追い込まれている報道が日々なされてはいる(自分自身のことでいえば、雑誌類に対する広告出稿の減少は避けられないだろうし、めぐりめぐってこちらが受取るギャランティーに影響が及ぶことに対する備えをしなければならない)。しかし、低迷の原因のなかには、いまひとつ重要な事実が含まれているのではないか。すなわち政府・政権の無策であり無能ぶりである。ニュースの枕詞は、その無策ぶりを誤魔化す以外のなにものでもない(*注)。
アメリカ合州国経済の破綻傾向は、早くから指摘されてきており、いきなりなんの前触れもなく起こったできごとではない。したがって、それに対する無策ということもあるわけだが、それよりもなにも、とうのアメリカでさえ方向転換を余儀なくされつつある市場原理主義に対するわが国の妄信があり、自国経済の根底をなすべき層に対する事実上の切り捨て政策がある。
はたして、“いざなぎごえ”とやらで空前の利益を得たらしい一部大企業は、まっ先に派遣労働者をはじめとする雇用の切り捨てをおっぱじめた。トヨタ自動車、日産ディーゼル、マツダ……まだまだ出てくるだろう。あれだけ社会的批判のマトとなった現代的搾取の構図がなんら改まらないままにこのていたらく。たしかに減収・減益はあろうけれど、莫大な内部留保とともに大赤字を生んでいるわけではないハズだ(仮にその内部留保からして大幅な減少に見舞われているならば、それはまったくもって経営陣の責任というものであろう。ついでにいえば、あのコンクリート屋もまた、現代搾取企業に勝るとも劣らない犯罪的搾取企業であった)。さらに金融機関によるおもに中小企業に対する“追い剥ぎ”がさらに悪化しているとも伝えられている。国民生活の屋台骨からは、いままさに悲鳴が上がっている状況なのである。
ところが、そうした実態に対してなされた、あるいはなされるとされる政策ときたらどうか。消費税大増税とセットになったわずかばかりの税金還付? 1兆円の地方バラマキという思いつき? 迫る総選挙を睨んでの政局争いのあけくれ? そういえば、大きくは国の施策の影響で必要最低限の医療さえ受けられなくなっている状況に対して、その責任を医療側になすりつける発言も、あのコンクリート屋からあった(のちに“撤回”したとはいえ、そんなもので誤魔化される段階ではもはやない)。……自国の、こんなバカげた状況を日々みせつけられて、いったいぜんたいどうして明るい未来を描けようか? それどころか、今日の生活に対してさえ、自分なりに防衛していかざるをえないではないか。
庶民レベルの消費低迷は、まずはそんなところの不安あるいは絶望感からはじまっていると思うのだが……。
*注:
おそらく、ほとんどなにも考えずに枕詞にしてるのであろう。以前にも触れたが、アメリカ合州国で起きた9・11テロを「同時多発テロ」と馴れ親しんでいるのに近いような気もする。そういや、アメリカ大統領選でオバマ氏を勝利させた事実をして、「あの国の多様性」がどうのと表現しているのを目撃した。なにがどう多様性なのかさっぱり理解できないのだが、これもなにも考えずになんとなく使ってみた言葉なのであろう。コンリート屋の出任せよろしく……。
あるいはこんな“記者会見”。
※http://mainichi.jp/select/seiji/news/20081120mog00m010024000c.html
関連して「明るい性格だから思いついたことをぱぱっと話す」という笹川堯総務会長によるコンクリート屋評もあったりするけれど、こんな受け答えから感じられるのは、「明るい」というのではなしに、「不真面目」「不誠実」「無知のいい加減」といったところである。
つくづく、わが国はどうしようもない人物を首相にしてしまった。
■枕詞の効用
ところで、このごろのテレビニュースをみていると、「世界経済の不況による」とか、「市場経済の低迷による」といった“枕詞”を耳にしない日がない。あとに続くのは、たとえば百貨店業界をはじめとする小売・流通業の売り上げ不振であったり、マンションなど住宅や不動産価格の低迷であったり、そうした向い風に立ち向かう“地元商店街”の努力云々だったりする。これらはもちろん事実であり、消費や流通が著しい低迷状態にあることは間違いないのであろう。そんななかで少しでも売り上げ・利益を(フェアに)確保しようとがんばっている企業や個人商店などの姿をみると、心から応援したくなってくる。日々が真剣勝負であり、いまを生き残らなければ明日がないからである。
ところが話は冒頭に戻るのだが、こうした低迷状態を伝えるのに、「世界経済の不況による」という前置きは果たして適当といえるのだろうかという気がしてならない。不況は確かに事実である。だが、たとえば日ごろ利用しているような商店や商店街が売り上げ確保に四苦八苦させられているところには、直接には結びつかないのではないかと思うのだ。
やれ株価が下がった。回復のきざしが窺えない。……だが、そんなことでわれわれ一般庶民のサイフのヒモがどうして固くなろうか? 中長期的な目でみるまでもなく、すでにギャンブルでしくじった大企業なりが損益を出し、関連して従業員らの収入が減り、かつクビが斬られ、下請け企業があおりを喰って倒産あるいは破綻寸前に追い込まれている報道が日々なされてはいる(自分自身のことでいえば、雑誌類に対する広告出稿の減少は避けられないだろうし、めぐりめぐってこちらが受取るギャランティーに影響が及ぶことに対する備えをしなければならない)。しかし、低迷の原因のなかには、いまひとつ重要な事実が含まれているのではないか。すなわち政府・政権の無策であり無能ぶりである。ニュースの枕詞は、その無策ぶりを誤魔化す以外のなにものでもない(*注)。
アメリカ合州国経済の破綻傾向は、早くから指摘されてきており、いきなりなんの前触れもなく起こったできごとではない。したがって、それに対する無策ということもあるわけだが、それよりもなにも、とうのアメリカでさえ方向転換を余儀なくされつつある市場原理主義に対するわが国の妄信があり、自国経済の根底をなすべき層に対する事実上の切り捨て政策がある。
はたして、“いざなぎごえ”とやらで空前の利益を得たらしい一部大企業は、まっ先に派遣労働者をはじめとする雇用の切り捨てをおっぱじめた。トヨタ自動車、日産ディーゼル、マツダ……まだまだ出てくるだろう。あれだけ社会的批判のマトとなった現代的搾取の構図がなんら改まらないままにこのていたらく。たしかに減収・減益はあろうけれど、莫大な内部留保とともに大赤字を生んでいるわけではないハズだ(仮にその内部留保からして大幅な減少に見舞われているならば、それはまったくもって経営陣の責任というものであろう。ついでにいえば、あのコンクリート屋もまた、現代搾取企業に勝るとも劣らない犯罪的搾取企業であった)。さらに金融機関によるおもに中小企業に対する“追い剥ぎ”がさらに悪化しているとも伝えられている。国民生活の屋台骨からは、いままさに悲鳴が上がっている状況なのである。
ところが、そうした実態に対してなされた、あるいはなされるとされる政策ときたらどうか。消費税大増税とセットになったわずかばかりの税金還付? 1兆円の地方バラマキという思いつき? 迫る総選挙を睨んでの政局争いのあけくれ? そういえば、大きくは国の施策の影響で必要最低限の医療さえ受けられなくなっている状況に対して、その責任を医療側になすりつける発言も、あのコンクリート屋からあった(のちに“撤回”したとはいえ、そんなもので誤魔化される段階ではもはやない)。……自国の、こんなバカげた状況を日々みせつけられて、いったいぜんたいどうして明るい未来を描けようか? それどころか、今日の生活に対してさえ、自分なりに防衛していかざるをえないではないか。
庶民レベルの消費低迷は、まずはそんなところの不安あるいは絶望感からはじまっていると思うのだが……。
*注:
おそらく、ほとんどなにも考えずに枕詞にしてるのであろう。以前にも触れたが、アメリカ合州国で起きた9・11テロを「同時多発テロ」と馴れ親しんでいるのに近いような気もする。そういや、アメリカ大統領選でオバマ氏を勝利させた事実をして、「あの国の多様性」がどうのと表現しているのを目撃した。なにがどう多様性なのかさっぱり理解できないのだが、これもなにも考えずになんとなく使ってみた言葉なのであろう。コンリート屋の出任せよろしく……。
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ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
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