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猫池罵詈雑言雑記帳
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 裸の王様式歴史観をスローガンとする男が、外国人ジャーナリストらを相手に持論をぶったという報道があった。これは12月1日に外国特派員協会(東京都)で開かれたもので、核武装は議論すべきということや、自衛隊についての意見が割れる憲法は直すべきだとする自らの意見を述べたという。

 このひとのスタンスというのは、ようはより強力な軍備を擁することによって戦争を抑止できるというものであり、そのためには現憲法9条は不要であり、核兵器所持も視野にいれるべきであるということだ。
 純情である。純な子どものごときである。──そんなことを思ってしまった。

 戦争の本質とはなにか?
 幸いにして、オレ自身は戦争を体験せずにいるけれど(ただしこれはとうのダボちゃんこと田母神俊雄氏だって同じだ)、これが大量殺人であり大規模破壊であるということぐらいはわかる。おおよそこれぐらい単純なことはないではないか。いかなる理由があれ、人殺しはやっていいのかいけないのか? 他国に攻め入って蹂躙することは許されるのか? いいや、あくまで“防衛”について述べている? しかしテロや紛争などの武力衝突が、武力で十全に解決できえないことは、幾多の事実によって明らかにされている。

 ほんの少し過去に遡れば、たしかにアメリカ合州国による一方的軍事介入を応戦などを通じて阻止したベトナムのような例もあるけれど、現代で議論されるべきは外交による諸問題の解決であり、軍備ありきでものごとをすすめることはきわめて時代遅れであり危険なことといわねばなるまい。軍事的衝突でものごとが進められる時代ではないし、軍備増強の真の狙いとはそんなところにはないのだ(*注)。だいたいが、当人からしてこう述べているではないか。
「きちんとお互いに本音をぶつけて話すことが重要」
 ところが、気の毒といおうか、この言葉の直後にはもう持論を破綻させてしまっているのだが(笑)。
「日本では“察し”の世界というか“いまにわかる”というところがあるが、これでは外国人には通用しない。日本人は討論のストレスに耐えられない」
 このあとには「きちんと話し合いをすることが近道」とも語っているにせよ、ようはご自身でもなにが訴えたいのかその本音を言い出しかねているのであろう。おそらくそれは「話し合いなどわれわれ日本人にはできないのだ」というみじめな敗北宣言でないかと思えるのだが……(ついてにいえば、このおっさんのいう“察しの世界”だの“日本人は討論のストレスに耐えられない”ということもまたお得意の詭弁である可能性がある。ここでは深入りしないが、これはだれの受け売りなのかな?)。

 それにしても。もっとも哀れといわざるをえないのはつぎのひとことである。
「どこの国でも、歴史教育は“光”の部分に焦点を当てて教えるもの。ところが、“自分の国はいい国だ”と言ったら(中略)クビになった」
“光”の部分とやらに焦点を当てるのは結構だが、それはウソや歪曲、詭弁を弄して事実を覆い隠していいということではもちろんない(このヒトは、「裸の王様」の寓話をご存じないのだろうか?)。自国の歴史が光り輝いてばかりいさえすれば自ずとそうならざるをえないハズだけれど、国だろうが個人だろうが、成功もあれば失敗もあり、そうした積み重ねがいまをつくっている。そうしたなかからことさらに“光”ばかりを強調する必要が、いったいぜんたいどこにあろうか。仮に、そうした“光”ばかりを、あるいはウソ八百を交えた歴史教育を導入している国があったとして、どうしてわが国がそんな低レベルに合わせてわーわーやる必要がある? そんな愚かな国があるとしたら、「バカなものだ」とせいぜい嘲ってやればいいのだ。むしろ、事実を事実として、“光”輝く未来をつくるために負の歴史をも理解してゆくことこそが進歩的教育、進歩的国家のありかたとはいえないか? それに、負の部分、陰の部分はあるにせよ、立派な光の部分だっていくらでもあり、そういう点は事実をひとつひとつさらってゆくなかで自然と顕われてくるものである。

 そもそもが“いい国”ではないか、わが国・日本は! たとえタテマエになっているにせよ軍備を破棄するとう平和憲法があり、核兵器を正面から批判し、治安が比較的良好に保たれており、これは軍備ではないけれど国民皆保険制度があって公衆衛生が発展し、経済的にも他国に引けをとらない先進国であり、言論の自由が保障されており……(ところが昨今では、とりわけコイズミスネオ政権以降に……こんないい点を率先して破棄しようという動きがある。ダボちゃんはどう捉えているのカナ?)。

 ようは、単に陰の部分に目をつぶりたいだけなのだ。幼稚かつ愚か、弱虫にして哀れとしかいいようがない。
 そしてあんな詭弁をもってして“自分の国はいい国だ”と言い張る無知と錯覚。恥の上塗りというものであろう。

 しかし、さらに哀れなのが、それを「言った」から罷免されたわけでなく(ついでにいえば「クビ」になったわけでもない)、自身にあった立場をわきまえることができなかった、その自覚や常識、規範のひとつひとつについて理解できていなかったその無知こそが、自らの失職を生み出したのだということをさっぱりわかっていない点だ。それゆえ、それがわかっている外国人記者からはこう言い捨てられるのである。
彼は正しく歴史を検証していないと感じたが、もう民間人だからトップニュースで報じるほどの内容ではない」(香港フェニックステレビ記者の弁・ヨミウリオンライン12月1日配信)
 これが世界の常識というものだ。

 だいじなのは現在であり未来である。そのために過去からなにを学ぶかということであろう(この点では、現在の日本がいい国とはいえなくなってきたとはいえる)。はたしてこんな愚か者が国の中枢にいた(る)日本。こうして日本の恥が世界に知れ渡ったことを、この御仁やその背後にうごめく連中はなんと思う?



*注:
 わが国に限らず、軍備増強の真の狙いが経済的要因(ようはカネモウケ)であることは、多くの国家でいえる共通の事実であろう。一部に例外はあろうけれど、たとえばアメリカ合州国における最大の公共事業が戦争であることは否定できない事実であるし、わが国の過去の戦争にしても、その狙いは地域の覇権であり経済を牛耳ることであった。たとえ結果の一部として(あくまで一部だ)欧州による覇権の一角が崩れたということがあるにせよ、そんなものは単に帝国主義国家同士の争いの副産物に過ぎない。侵略された側にとっては、欧米だろうが日本だろうが、ともに自国や民族を蹂躙した破壊者であり殺人者である。こんな単純なことすら理解できない人間というのは、ようはバカといっていい存在である。
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