小沢騒動についていまいちど少しだけ触れておきたい。
世論調査などにもとづくいくつかの報道によれば、回答者の多くが小沢一郎氏の辞任(議員を含む)を求めているといわれている。さしあたりは不起訴になりはしたものの、法的な手続き云々をさておいても、国民のなかには小沢氏に対する疑念が払拭できないということであろう。
世論調査などにもとづくいくつかの報道によれば、回答者の多くが小沢一郎氏の辞任(議員を含む)を求めているといわれている。さしあたりは不起訴になりはしたものの、法的な手続き云々をさておいても、国民のなかには小沢氏に対する疑念が払拭できないということであろう。
その一方で検察による一連の捜査をある種の陰謀だと捉え、前政権を含む勢力がたくらむ民主党落としの一環であるという声が少なくない。いわゆる「小沢VS検察」のせめぎあいという解釈でもあり、不起訴という結果を捉えて“欣喜雀躍”あるいは“安堵”する民主党の姿も伝えられている。
検察の動きにそうした政治的な意図があるかどうかについては、自分自身も「あるに違いない」と考えるほかない。今回の小沢事件のみならず、その幕引きを含めて多くの事例の積み重ねがそれを物語っていると思うからだ(小沢氏への捜査の一方で自民党の面々への捜査がどうなっているのかなどの問題もある)。だが、やや乱暴にいえば、そんなものどうだっていい、と思う。
問題は小沢氏や民主党の実態がどうなのかということであり、自民党はどうだっていいのである。つまり、自民党に対する国民の審判はさきの選挙などでの「民主党圧勝」、言い換えれば「自民党に対する不信感」によって下されており、仮にここで民主党に対する不信が明らかになったとしても、それがすなわち自民党の復権に直結するとは思えないからだ(*注)。大雑把にすぎる観察かもしれないが、検察の陰謀を主張するひとびとのなかには、「せっかく成し遂げた政権交代をこんな形で失ってたまるか」とか「自民党だってもっと悪辣なのだから、小沢氏の(それも不起訴になった)案件など問題にするのが間違っている」あるいは「小沢氏(や鳩山由紀夫首相)に問題があるのはわかっているけれど、新政権を潰さないためにも目をつぶろうではないか」といった“虞れ”の類が透けてみえるような気がしてならない。しかし、問題にすべきは自民党(さらに創価学会)政権の誤りを正してゆくことであり、同時に新政権たる民主党に対してもおかしなところは積極的に質してゆくことではないのか。ものごとは最初が肝心なのである。現在の、あるいは今後の政権をより健全にするためにも、小沢氏が抱えるような禍根をひとつひとつ清算してゆく必要があるハズだ。
いまひとつ気になっていたのは、民主党の勢力拡大とともに流布されてきた「二大政党制」との兼ね合いであった。“小沢擁護派”の心理の一端として「自民党の復権に対する虞れ」があることを指摘したが、仮にそのとおりだとすれば、それこそがすでに「二大政党制」成立に向けての洗脳が効果を示している証拠になるかもしれない。
兼ねてから主張しているように、民主党の主流と自民党との違いはさほど大きなものではない。民主党に所属する一部のリベラルな議員は別としても、その差は派閥間のそれと変わらないことも、なんどか当ブログで述べてきた。また、自民党出身者以外で実権を握っている面々には“右派”の労働組合を基盤にしてきた旧民社党の残党が居座っていることも忘れてはならないだろう。そうした要素があるなかで自民か民主かというのは、少なくとも現時点ではイヌのクソとネコのクソとどちらを食いたいかという二者択一かもしれないのだ。
もちろん、新政権になって前進した部分がいくつかある点については大いに認めてゆきたい。ここでいまひとつ問題にしたいのは、「二大政党制」のワナにはまるかのように政権を監視する視線を鈍らせてはならないということである。監視を十全にしてゆくことが新政権を育てることにもつながるハズではないのか。
ジャーナリストの黒薮哲哉氏は、氏のブログで新聞報道を使った世論誘導が、今般の小沢騒動でなされていることを指摘している。
※「新聞販売黒書・7日の朝刊各紙、横並び報道、世論誘導の可能性も」
氏は、「あくまで仮説という前提」と断っているが、その根拠には大いに注目する必要がある。すなわち、「小沢氏は元自民党の構造改革推進派」であり、「小沢氏の方針は、根本的には自民党の路線と同じ」ということである。以下、引用してみると、
『小沢氏が最初に提唱したことを、小泉氏が実現したのだから、「対立」どころの構図ではない。小沢氏は、自民党よりも財貨よりともいえる。
むろん民主党の中には、リベラルな議員もいるが、小沢氏が幹事長に座っている事実は、この党の性格を象徴しているのではないか。
日本の権力構造の構成員は、小沢氏を排除したいわけではない。二大政党制を維持することで、ぼろもうけが出来る現在の体制の延命を図るために、小沢氏の政治資金問題を持ち出して、自民党とのバランスを取った可能性の方が高い。』(引用ここまで)
である。
小沢氏(ひいては民主党)に対する追求がすなわち自民党の復権につながるという虞れは、まさにそのワナにハマっているという見方だってできるだろう。しかし、繰り返すけれど小沢問題は小沢問題であるとともに民主党問題であり、ここでは自民党や創価学会などどうだっていいのだ。新政権の健全化をはかるために、あるいは第3の勢力にいくぶんかの期待を寄せるのもいいが、いずれにしても小沢氏の問題を追求することが、われわれ国民の不利益になるとはとても思えない。
いまひとつ、おなじみの白川勝彦氏のコラムをリンクしておきたい。
※「永田町徒然草・虚しい論争…」ほか、必読。
*注:
ただし、たとえば先の総選挙でコイズミスネオのムスコがまんまと国会に送り込まれていたり、もはや“政害”としかいいようがない森善朗氏のような人物が議席を守っている実態などからみて、なにかしらのきっかけによって元の木阿弥になる可能性がないとまではいわない。
検察の動きにそうした政治的な意図があるかどうかについては、自分自身も「あるに違いない」と考えるほかない。今回の小沢事件のみならず、その幕引きを含めて多くの事例の積み重ねがそれを物語っていると思うからだ(小沢氏への捜査の一方で自民党の面々への捜査がどうなっているのかなどの問題もある)。だが、やや乱暴にいえば、そんなものどうだっていい、と思う。
問題は小沢氏や民主党の実態がどうなのかということであり、自民党はどうだっていいのである。つまり、自民党に対する国民の審判はさきの選挙などでの「民主党圧勝」、言い換えれば「自民党に対する不信感」によって下されており、仮にここで民主党に対する不信が明らかになったとしても、それがすなわち自民党の復権に直結するとは思えないからだ(*注)。大雑把にすぎる観察かもしれないが、検察の陰謀を主張するひとびとのなかには、「せっかく成し遂げた政権交代をこんな形で失ってたまるか」とか「自民党だってもっと悪辣なのだから、小沢氏の(それも不起訴になった)案件など問題にするのが間違っている」あるいは「小沢氏(や鳩山由紀夫首相)に問題があるのはわかっているけれど、新政権を潰さないためにも目をつぶろうではないか」といった“虞れ”の類が透けてみえるような気がしてならない。しかし、問題にすべきは自民党(さらに創価学会)政権の誤りを正してゆくことであり、同時に新政権たる民主党に対してもおかしなところは積極的に質してゆくことではないのか。ものごとは最初が肝心なのである。現在の、あるいは今後の政権をより健全にするためにも、小沢氏が抱えるような禍根をひとつひとつ清算してゆく必要があるハズだ。
いまひとつ気になっていたのは、民主党の勢力拡大とともに流布されてきた「二大政党制」との兼ね合いであった。“小沢擁護派”の心理の一端として「自民党の復権に対する虞れ」があることを指摘したが、仮にそのとおりだとすれば、それこそがすでに「二大政党制」成立に向けての洗脳が効果を示している証拠になるかもしれない。
兼ねてから主張しているように、民主党の主流と自民党との違いはさほど大きなものではない。民主党に所属する一部のリベラルな議員は別としても、その差は派閥間のそれと変わらないことも、なんどか当ブログで述べてきた。また、自民党出身者以外で実権を握っている面々には“右派”の労働組合を基盤にしてきた旧民社党の残党が居座っていることも忘れてはならないだろう。そうした要素があるなかで自民か民主かというのは、少なくとも現時点ではイヌのクソとネコのクソとどちらを食いたいかという二者択一かもしれないのだ。
もちろん、新政権になって前進した部分がいくつかある点については大いに認めてゆきたい。ここでいまひとつ問題にしたいのは、「二大政党制」のワナにはまるかのように政権を監視する視線を鈍らせてはならないということである。監視を十全にしてゆくことが新政権を育てることにもつながるハズではないのか。
ジャーナリストの黒薮哲哉氏は、氏のブログで新聞報道を使った世論誘導が、今般の小沢騒動でなされていることを指摘している。
※「新聞販売黒書・7日の朝刊各紙、横並び報道、世論誘導の可能性も」
氏は、「あくまで仮説という前提」と断っているが、その根拠には大いに注目する必要がある。すなわち、「小沢氏は元自民党の構造改革推進派」であり、「小沢氏の方針は、根本的には自民党の路線と同じ」ということである。以下、引用してみると、
『小沢氏が最初に提唱したことを、小泉氏が実現したのだから、「対立」どころの構図ではない。小沢氏は、自民党よりも財貨よりともいえる。
むろん民主党の中には、リベラルな議員もいるが、小沢氏が幹事長に座っている事実は、この党の性格を象徴しているのではないか。
日本の権力構造の構成員は、小沢氏を排除したいわけではない。二大政党制を維持することで、ぼろもうけが出来る現在の体制の延命を図るために、小沢氏の政治資金問題を持ち出して、自民党とのバランスを取った可能性の方が高い。』(引用ここまで)
である。
小沢氏(ひいては民主党)に対する追求がすなわち自民党の復権につながるという虞れは、まさにそのワナにハマっているという見方だってできるだろう。しかし、繰り返すけれど小沢問題は小沢問題であるとともに民主党問題であり、ここでは自民党や創価学会などどうだっていいのだ。新政権の健全化をはかるために、あるいは第3の勢力にいくぶんかの期待を寄せるのもいいが、いずれにしても小沢氏の問題を追求することが、われわれ国民の不利益になるとはとても思えない。
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ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
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