家の者が午後にテレビドラマをみているので画面をのぞいてみると韓国ドラマであった。いわゆる“韓流”ではないハズだが、それでも韓国モノを選んでみることは多いようだ。やっていたのは他愛のないホームドラマ仕立ての作品。とはいえ、吹き替え演技のレベル云々を除けば気楽に鑑賞できるレベルで、ついつい立ち止まって最後までつきあってしまった。
それにしても。このときの家の者のセリフがよかった。こちらがコーヒー碗を手にしたまま立ち止まってみていると、
「韓国のドラマだよ。ほら、日本のは殺人とか警察とかそんなのばっかりだから」
というのだ。だから、ともに再放映だとはいえ、そんな決まりきったシロモノをみているよりは、韓国製ドラマのほうがよほどいいということなのであろう。
いわれてみればそのとおりで、とりわけテレビ朝日の午後枠はその傾向が顕著。延々とひと殺しドラマのオンパレードで呆れ返ったことがある。“韓流ドラマ”にしても作品の出来や好みはまちまちだし、日本製ドラマ、それもサスペンスの類にだって面白い作品がないわけではないけれど(たとえば「相棒」──藤本卓也じゃなくて水谷豊のほうだが──はタマにみることがある)、つぎつぎと生み出されてゆく似たり寄ったりの番組にヘキエキとしているひとは案外多いのだろうなぁとあらためて思った次第。
閑話休題。元自民党の平沼赳夫氏(元経済産業相)が民族差別発言をし、「ぁあ、またか」とこれまた呆れ返らされた。「またか」というのは、わが国の保守層に根強くくすぶっている差別感情とその発露に対してということである。
発言は、平沼氏の選挙区である岡山市内で開かれた後援会パーティーの席上でなされたもので、現政権による「事業仕分け」を批判するなかで飛び出したものだという。いわく、
「言いたくないが、(蓮舫議員は)元々日本人じゃない。帰化して国会議員になって、事業仕分けでそんなことを言っている」
というのだから、こんな発言に対し寛容が示されるようであれば、わが国のセンスが根本から疑われなければおかしい。これは恥じるべき差別発言にほかならないばかりか、国会議員としての資質を問われる問題発言だといっていいだろう。とうの平沼氏側は「撤回するような発言はしていない」と開き直りの姿勢を示しているというが、そんな理屈が通用するのは日本の保守層の一部をはじめとする狭隘な集団のなかだけの話であり、とりわけ“国際的センス”で捉えるならば、この段階で平沼氏の政治稼業は即廃業が必定である(言い換えると、そんなものを許す連中はとんでもない“野蛮人”であり、いいところ平沼氏本人も田舎紳士にすぎない。相手を「元外国人」とくくりたいのなら、あんたらは何者なのだ?)。たとえば欧米などに根ざしている人種・民族差別の実態がタテマエと比較してどうであろうと、少なくとも平沼氏のような発言者はそれ相応の処遇を受けている。
「事業仕分け」そのものについては、個人的に賛同できる部分もあればそうでないところもある。また、テレビニュースなどに流された会議の様子をみたとき、蓮舫氏をはじめとするメンバーからある種“小児病的”驕りを感じたものだった。力強くコトを進めることは大事だが、「仕分け」を受ける側もまた人間がやっていることである。たとえば人生の先輩であるひとびとに対するモノの言い方ひとつをとっても、相手に対する思いやりが著しく欠けているように思えたこともあった。悪いけれど、「こういうあたりの身の処し方は自民党ってのは長けているんだよなぁ(だからこそ実態が悪辣であるにも拘わらず長期政権を維持できたともいえないか?)」とも思ったものだ。したがって、平沼氏にせよだれにせよ、「事業仕分け」をそのものを批判するなかに感情的な部分がでてきてもおかしいとは思わない。しかし、平沼氏のそれは相手方を批判するにしてはお粗末にすぎるばかりか、完全に誤っている。しかも自らの差別発言に対する自覚すらまったく持ち合わせていないのであれば、これはもう代議士としての資格を根本から疑わざるをえないではないか。これは、捉え方によっては小沢一郎氏をめぐる疑惑のそれどころではない代議士失格事件なのである。
昨年末に一読した『差別と日本人』(野中広務・辛淑玉著/角川書店刊)の書中、著者の野中氏と辛氏が対談等を通してわが国に蔓延する差別感情とその発露の実態を明らかにしている。野中氏はいわゆる被差別部落出身者として、辛氏は在日朝鮮人として日本人と日本社会から差別を受けてきた人物だが、さしずめ平沼発言などは差別する側の信条を顕わす代表ともいえるのではないか。書中では、新井将敬元衆議院議員(故人・元自民)に対する石原慎太郎現東京都知事による差別を含む選挙妨害(新井氏が「帰化」した人物であることをネタに誹謗中傷を繰り広げた事件。ところがそんな御仁が政治家として抹殺されないばかりか、いまだに首都の知事に居座っているという羞悪な社会とはいったいなんだろう?)などにもあらためて触れられているが、石原陣営の所業と平沼氏の発言とは、根がまったく同じである。保守政治家として平沼氏の先輩にあたるハズの野中氏が、はたして今回の発言をどのように感じているのか、あるいは憤りを覚えるのであれば、叱責のひとつでもしていただきたいものである(*注)。
幸いにして、平沼氏の発言と開き直りについては批判的な声が多いという。日本社会も捨てたものではないというところかもしれないが、けっしてあやふやにせずに、処罰を含む厳重な対応をすることも必要なのではないかと思う。これは、少なくとも発言者が閣僚まで務めた国会議員であり、しかも公式の場での発言ということが無視できないからだ。ごくプライベートな飲み屋でのたわごとならまだしも、氏のそれは思想・信条の自由というレベルを超えている。
*注:
ただし、石原のおとっつぁんをめぐっては、「あれはあれでいいところがあるんだ」と擁護し、対談相手(共著者)の辛氏を仰天させている。
「韓国のドラマだよ。ほら、日本のは殺人とか警察とかそんなのばっかりだから」
というのだ。だから、ともに再放映だとはいえ、そんな決まりきったシロモノをみているよりは、韓国製ドラマのほうがよほどいいということなのであろう。
いわれてみればそのとおりで、とりわけテレビ朝日の午後枠はその傾向が顕著。延々とひと殺しドラマのオンパレードで呆れ返ったことがある。“韓流ドラマ”にしても作品の出来や好みはまちまちだし、日本製ドラマ、それもサスペンスの類にだって面白い作品がないわけではないけれど(たとえば「相棒」──藤本卓也じゃなくて水谷豊のほうだが──はタマにみることがある)、つぎつぎと生み出されてゆく似たり寄ったりの番組にヘキエキとしているひとは案外多いのだろうなぁとあらためて思った次第。
閑話休題。元自民党の平沼赳夫氏(元経済産業相)が民族差別発言をし、「ぁあ、またか」とこれまた呆れ返らされた。「またか」というのは、わが国の保守層に根強くくすぶっている差別感情とその発露に対してということである。
発言は、平沼氏の選挙区である岡山市内で開かれた後援会パーティーの席上でなされたもので、現政権による「事業仕分け」を批判するなかで飛び出したものだという。いわく、
「言いたくないが、(蓮舫議員は)元々日本人じゃない。帰化して国会議員になって、事業仕分けでそんなことを言っている」
というのだから、こんな発言に対し寛容が示されるようであれば、わが国のセンスが根本から疑われなければおかしい。これは恥じるべき差別発言にほかならないばかりか、国会議員としての資質を問われる問題発言だといっていいだろう。とうの平沼氏側は「撤回するような発言はしていない」と開き直りの姿勢を示しているというが、そんな理屈が通用するのは日本の保守層の一部をはじめとする狭隘な集団のなかだけの話であり、とりわけ“国際的センス”で捉えるならば、この段階で平沼氏の政治稼業は即廃業が必定である(言い換えると、そんなものを許す連中はとんでもない“野蛮人”であり、いいところ平沼氏本人も田舎紳士にすぎない。相手を「元外国人」とくくりたいのなら、あんたらは何者なのだ?)。たとえば欧米などに根ざしている人種・民族差別の実態がタテマエと比較してどうであろうと、少なくとも平沼氏のような発言者はそれ相応の処遇を受けている。
「事業仕分け」そのものについては、個人的に賛同できる部分もあればそうでないところもある。また、テレビニュースなどに流された会議の様子をみたとき、蓮舫氏をはじめとするメンバーからある種“小児病的”驕りを感じたものだった。力強くコトを進めることは大事だが、「仕分け」を受ける側もまた人間がやっていることである。たとえば人生の先輩であるひとびとに対するモノの言い方ひとつをとっても、相手に対する思いやりが著しく欠けているように思えたこともあった。悪いけれど、「こういうあたりの身の処し方は自民党ってのは長けているんだよなぁ(だからこそ実態が悪辣であるにも拘わらず長期政権を維持できたともいえないか?)」とも思ったものだ。したがって、平沼氏にせよだれにせよ、「事業仕分け」をそのものを批判するなかに感情的な部分がでてきてもおかしいとは思わない。しかし、平沼氏のそれは相手方を批判するにしてはお粗末にすぎるばかりか、完全に誤っている。しかも自らの差別発言に対する自覚すらまったく持ち合わせていないのであれば、これはもう代議士としての資格を根本から疑わざるをえないではないか。これは、捉え方によっては小沢一郎氏をめぐる疑惑のそれどころではない代議士失格事件なのである。
昨年末に一読した『差別と日本人』(野中広務・辛淑玉著/角川書店刊)の書中、著者の野中氏と辛氏が対談等を通してわが国に蔓延する差別感情とその発露の実態を明らかにしている。野中氏はいわゆる被差別部落出身者として、辛氏は在日朝鮮人として日本人と日本社会から差別を受けてきた人物だが、さしずめ平沼発言などは差別する側の信条を顕わす代表ともいえるのではないか。書中では、新井将敬元衆議院議員(故人・元自民)に対する石原慎太郎現東京都知事による差別を含む選挙妨害(新井氏が「帰化」した人物であることをネタに誹謗中傷を繰り広げた事件。ところがそんな御仁が政治家として抹殺されないばかりか、いまだに首都の知事に居座っているという羞悪な社会とはいったいなんだろう?)などにもあらためて触れられているが、石原陣営の所業と平沼氏の発言とは、根がまったく同じである。保守政治家として平沼氏の先輩にあたるハズの野中氏が、はたして今回の発言をどのように感じているのか、あるいは憤りを覚えるのであれば、叱責のひとつでもしていただきたいものである(*注)。
幸いにして、平沼氏の発言と開き直りについては批判的な声が多いという。日本社会も捨てたものではないというところかもしれないが、けっしてあやふやにせずに、処罰を含む厳重な対応をすることも必要なのではないかと思う。これは、少なくとも発言者が閣僚まで務めた国会議員であり、しかも公式の場での発言ということが無視できないからだ。ごくプライベートな飲み屋でのたわごとならまだしも、氏のそれは思想・信条の自由というレベルを超えている。
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