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猫池罵詈雑言雑記帳
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 ──どうしようもない国・ニッポン。そんなことばかりが際立った2011年8月ではあった。

 なによりもまず、この国において充満する官民を挙げてのデタラメぶり。肩書きや権力を武器に、ウソ三昧を繰り返すひとびと。そのほんのささいな例として、たとえば原子力関連に横行していた「やらせ」問題が浮上しているが、あれは「やらせ」などというレベルではなく、イカサマとしかいいようがないのではないか?
 官民こぞってのイカサマこそがこの国の実態であり、こうした姿を目の当たりにするにつけ、たとえば大阪府議会に巣食う“コマーシャル型反動”が主張するような「愛国心」の類がいかにも空しく響く。官民問わず権力者、それも国家の中枢をなす組織やひとびとによるイカサマがしめつめらしく通用するのみならず、ややもすれば明らかになってなお罪に問われない可能性すらある国が、わが祖国・日本の事実だとは……。

 教育現場などに「愛国心」の「強制」を持ち込もうと企む連中に問いたいが、こんなお粗末な「国」を素直に「愛する」あるいは「誇りに思う」ことができますか? たとえばアナタが異性に「愛されたい」と願ったとして、そしてアナタがいまのままではとうてい「憧れのヒト」には振り向いてもらえそいうにないとしたら、それでも自らをなんら向上させないままに「愛せよ!」と強要するとでもいうのだろうか。それがオシャレていどのレベルでもいい。まずは自分自身を磨き魅力をもって相手を振り向かせるというのがスジなのではないか。それすらせず、たとえ口だけから「愛してます」と応えさせたところで、そんなものは強姦となんら変わりがないとすらいえるように思うのだがどうだろうか。
 ひるがえって、いまのニッポンの姿、それも権力の中心に向かえば向かうほど「愛する」ことなどおよそ不可能だというものであろう。おおよそ恥ずかしくて仕方がない。怒りを通り越して悲しくすらあるというものだ。

 ところで。このところというか、ここ数年にわたって感じることが増えたのは、この国の国民ひとりひとりに巣食いつつある無責任体質である。これはことに大企業のサラリーマンにこそ顕著ではないかと推論を立てているが、とにかく自分の仕事に誇りを持ってもいなければ、とりわけ対外的な部分での責任感がまったく感じられないケースにたびたび遭遇する。自社の商品に対する知識はいい加減。ミスをしてもとぼけっぱなし。対外的窓口(通常の営業用であったり、ときにはクレーム用もあろうが)にまったく決裁権のない人間を配置し、そうした連中ときたら業務に対する熱意のひとつもないのだから、これはもう消費者に向けてのみならず、企業そのものにとってもマイナス以外としかいいようがない(もちろんきちんとした企業なりだって存在するが……)。
 極論ととられるかもしれないけれど、一連の「やらせ(イカサマ)」の実態は、こうした現代日本型組織の隅々にまではびこるセンスによって産まれたのであり、いわば末端やトップと問わずアタマのてっぺんからケツメドまで染みついた膿の一部が顔を出したにつぎない。そんなセンスだから、たとえば原子力関連の癒着のように、審判と選手との間に綿密な関係があっても爆発的な問題とはならず、抜本的な対策ひとつみえてこない状況が延々と続くのである。そこにあるのは、国家や国民を挙げての「責任回避」の体質であり、これが改まらなければおそらくは滅びるまで昨今のような痴態が繰り返されるであろう。

 ちょっと古い記事だが、8月19日「東京新聞」の「こちら特報部」では、「専門家問われる責任感」との見出しで、原子力関連の責任問題について報道している。
 これは、社団法人「日本原子力学会」が福島原発事故に関連する「事故調査・検証委員会」に対し、個人の責任を不問にせよとの声明を出したことにふれたものだ。記事によれれば、
「事故調査においては、現場で運転、連絡調整に従事した関係者はもとより、事故炉の設計・建設・審査・検査等に関与した個人にたいする責任追求を目的としないという立場を明確にすることが必要」
 だというのである。これに対しては、内部を含め異論も出ているというが、こんなものがここでまかりとおるのかどうかが、わが国の未来を占うといってもいいように思った。

 同記事には「専門家の意見は信頼性があるとみなされる。それを根拠に重要な決定が下される場合も少なくない。その結果に対し、責任は伴わないのか」との疑問を投げかけている。これはかなり核心に迫る重要な疑問であり、近々に別件をダシに触れてみたいと考えているが、ここでの問題はそんなレベルの話ではない。結論からいえば、たとえ組織に組み込まれていようともその個人に対する責任を免ずる根拠はない。たしかに、上役からの命令によって、(自らの生活のためもあって)しぶしぶそれに従ったがゆえというケースもあろうが、たとえそうした背景を考慮するにせよ、免罪をしてはならないと考える。
 ここでは原子力という国家事業にからんではいるけれど、こうした公権力や公的事業、あるいは公務員らについてはなおさらであろう(権力の類から離れた、たとえば個々の企業内部のミスなどはこれとは別問題。ケースにもよるが、そんなものはその組織のご勝手に、である)。言い換えれば、そうした責任を明らかにしたうえでなければ、今回のような重大事件は間違いなく繰り返されるということである。さまざまな薬害問題。アスベストや電磁波問題。度重なる警察による冤罪。公金横領。ムダ(あるいは横暴)な公共事業の推進と失敗、その尻拭い……。
 こうしたなかには、わずかながら関わった個人に対する責任追求がなされた例もあるが、そのじつ大半の“推定罪人”たちは追求の埒外に置かれたままいまも平和にすごしているのであろう。しかし、こうした体質を改めることこそが日本という国家が脱皮する第1歩だと考える。

 ミスはだれにでもある。だがミスはミスとして検証は必要だ。そして組織を動かすのも、責任の軽重はともかく個人ひとりひとりなのである。
 そしてイカサマやウソ。昨今暴露された「やらせメール」のみならず、原子力関連だけをみてもイカサマやウソだらけではないか。そんなものを放置しておく筋合いがどこにあるというのかと思うのだが、そもそもがウソの類に甘いのがニッポンの権力体質である。だからこそ、国民やその生活が毒されてゆくともいえよう。だが、このままでいいハズがない。「誇れる」わが国の未来のためにも、組織およびそこに関わるひとりひとりの責任とミスあるいは“罪”を明らかにしてゆく必要がある。たとえはよくないが、欧米によるナチス清算レベルの姿勢こそが求められよう。少なくとも「イカサマやウソには厳しい」センスを磨こうではないか。
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 ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
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