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猫池罵詈雑言雑記帳
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 姉妹ブログ「つれなのふりや」にも記したが、夏の暑さはじつは嫌いではない。まぁ、ウチの場合は風とおりがいいということもあるのかもしれないけれど、案外エアコンなしでもすごせるものである。
 そんな夏だけれど、8月も15日をすぎると秋が近づいてきたんだにゃぁと思う。もっとも“残暑”というのは言葉だけのことであって、例年をみると本格的な夏の暑さはこのあたり数日がもっともそれらしい。だが、何日か前、房総のあるところでツクツクボウシの声を耳にした。ちょっと早いようにも思うのだが、この声を聞くと、いかにも夏の終りが感じられて、なんとなく寂しさを覚えてみたりする。

 そんなわけで(?)、今日15日は終戦記念日だった。アメリカ合州国をはじめとする一部の国には日本で言うような意味での“戦後”がないけれど、わが国ではどうにか戦後を守ってきた。これは非常に価値のある事実ではないかと思うし、世界に向けて誇るべきことでもあろう。自衛隊のイラクへの傀儡的派遣によって、すでに戦争に参加しているという見方はあるし、事実そのとおりなのだが、ギリギリのところで辛うじて留まっているという解釈だって不可能ではない。留まっている背景として最大の要素が、いうまでもなく日本国憲法第9条の存在であろう。  


 もちろんイラク侵略以外にも同じくアメリカによるベトナム侵略などにおいて、日本はその後方を務めてきており、戦争や紛争の類にまるっきり参加してこなかったわけではない。だが、冷戦時代にたび重なったという旧ソ連による領空侵犯や北朝鮮との政治的対立などにさいして、わが国が武力による解決をとらなかったという事実はたいへん重い。“宗主国”のアメリカでさえ、戦地に自衛隊を引っ張り込むのにこれだけの手数と年月を要しているのである。本音ではおそらく前線への実戦的派遣を要求したいところなのであろうけれど、その一線についてはどうにか守られている状況だ。
 もちろんこうした事実を9条だけに求めるつもりはないにせよ、わが国のお粗末な外交をみるにつけ、この非戦条項の重要性というのが窺えてはこないだろうか。“もし”という前提はあまり意味がないかもしれないが、9条の有無いかんによってはとっくに武力衝突を起こしていたかもしれないし、そうでなくともアメリカ合州国だけの都合によって日本国民に戦死者があり、もちろんとっくに戦後が終っていた可能性はある。“戦後”という意味について、いまいちどその価値を考えてみてもいいのではないだろうか。

 しかし、そんなことをとんと理解できないバカ者の類もいる。さきの参院選で議席を得た元自衛隊員などはその一例であろう。
 ネット上など一部で取り上げられていたなか、「日刊ベリタ」掲載の記事がわかりやすいのでリンクしておく。『自衛隊イラク派遣軍は実は関東軍だった! 「あえて巻き込まれ」、戦争状態をつくりだすつもりだったと佐藤元隊長・参議院議員が語る』

 詳しくはリンク記事をお読みいただきたいが、簡単にいえば戦闘に巻き込まれた形をデッチアゲ、自衛隊の実戦活動を追認させようというものである。“正当防衛”を自作自演に近い形で行使する、すなわち本来はあり得ない交戦状態を自らつくりあげればいいといいう恐るべき発想を、こともあろうか現職の国会議員が公言したわけである。
日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろう」という一見すると勇ましい発言の裏には、自分こそが法であるという類のごう慢さがあるが、気をつけなければならないのは、この発言者が一介の一般市民ではなく、自衛隊の、それも海外派遣された部隊の重要位置にあり、かつ現在は堂々たる国会議員であるところにある。法を無視してもいいという指揮官(当時)。それを悪びれることなく自慢話のごとく放言する国会議員。こんな逆立ちした男を立法府に送り込んだバカはどいつだよ?(自民比例ですがね)
 いや、きっとわからないひともいると思うので、もっと下品にたとえてみよう。「政治家の●●を討伐することによってこそわが国が守られる。ひいては討ち死にする覚悟でヤツを斬る! これが法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろう」なんていうのはいかがか? 武闘派の右翼なんかが好みそうな発想だが、この元自衛隊員の発言というのはこんな冗談とは比べるべくもなく危険なことだという認識を持つ必要があるだろう。そもそもがわが国の自衛隊があそこで米軍の手先をなっていることからして大間違いだということを、本来ならば戦場に送られるハズのないという事実を、この男のアタマでは理解できないようなのである。

 言うまでもなくわが国は法治国家である。「本人にとっての“正当な理由”があればなにをしてもそれはそれ」というニオイをこの男の発言なか感じられるのだが、そんなことが許されるのであれば、それこそ殺人だろうと強盗だろうと、「やったもの勝ち」だという論理だって成り立ちかねない。「喜んで裁かれてやろう」というのは法を尊重しての発言ではない。むしろ「裁けるものなら裁いてみろ」。これであろう。
 そして、さらに恐ろしいのが、この法治国家破壊発言をちっとも問題としないマスメディアの諸君であろうか。“平和ボケ”という言葉は使いたくないけれど、戦後の価値を理解しようとせず、先々の平和を守ることについてここまで鈍感になるとはねぇ。これこそが“平和ボケ”といってもいいのではないだろうか。

 このほかにも“沖縄担当相”による靖国参拝などあれこれ体温の上がるできごとがあったけれど、今日はこのへんにて……。



*おまけ:
 そういえば、リンク記事にはあのQマちゃんの発言についても触れられているが、あの終戦にあたっての主体は言うまでもなく日本であったというところをいまいちど確認してみたい。

 すでに米軍に蹂躙されつくし、まともな武力も持ち得なかった日本。“勝敗”の帰趨はすでに明らかだったことはだれの目にも明らかであろう。なのに(背景にはさまざまあることが明らかにされているが、ここでは割愛する)敗戦を引き延ばし、幾多の空襲(そのひとつとして、今日のNHK総合「首都圏ネットワーク」では、まさに終戦の日に大空襲を受けた小田原のリポートを放映していた)を許し、ついには2度にわたる原爆投下まで実行させた日本。Qマちゃんは、あの原爆投下があったからこそ終戦を迎えられたんだのごとき発言をしたが、見方を変えれば、これは終戦の決断を見誤った当時の政府およびその最高指揮官でもあった昭和天皇を批判、あるいは愚弄していることにはなりはしませんかねぇ。このあたり、“右翼”のみなさんがどう思ってるかははかりかねるけれど、オレには「あんたが戦争を終らせないからアメリカ合州国が原爆で国体を護持してくれたんだ」のように聞こえてくる。だって、「日本が早く戦争を終わらせていれば、こうした悲劇が起こらなかったことも事実で、為政者がいかに賢明な判断をすることが大切かということを強調したかった」(「朝日新聞」07年6月30日)というのだから、日本における戦争の最大の責任者である昭和天皇が「早く戦争を終らせ」る決断を下せば・・・というふうにとるのがふつうでしょうよ。この発言、一般の日本国民に向けてはもちろん、天皇すら侮辱していたという点において、大量虐殺者であるアメリカを除くすべてに対して、いかようにも申し開きのできない重大発言であったわけだ。
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