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猫池罵詈雑言雑記帳
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 墓参の季節である。
 祖先を含めて、亡くなった方に対して敬う心を持つというのは、人間として当然のことである。これは単に宗教的な意味合いということでなしに、先人についてなんらかの思いを馳せたり、ときにはそうしたひとから受けた“教え”のようなものを反芻してみたり、それはそれで大切なことであろう。身近なところでいえば、お墓参りなどもそのひとつである。
 報道によれば、おぼっちゃんが終戦記念日での靖国神社参拝を見送る意向だという。前任のスネオは内外からさまざまな批判を浴びせられながらも、持ち前の厚顔無知ぶりと目立ちたがりを存分に発揮し、一見すると強固に参拝を続けてきていたが、それに比べるとおぼっちゃんの“腰砕け”は決して多くはない支持者らにとってはなんとも歯がゆく映っていることであろう。見送るとされる背景のひとつに、先の参院選での自民惨敗があることは想像できるけれど、ようは政争の一手段としての参拝見送りということのようだ。もっとも、現時点では参拝する可能性は十分にあるし、その日でなくともなんらかの儀式を済ませるということは考えられるだろう。
 で、今日の話というのは、直接的にはおぼっちゃんやスネオがどうのということではなく、いわゆる靖国派の矛盾のひとつについて常々感じていること、これである。


 冒頭に、先人を敬うことについて触れたが、靖国という施設がそうした先人を敬ったり偲んだりするための装置なのかということについては、疑問を挟む余地がある。そもそもが戦争推進をはかるひとつのパーツとして創建された国策施設であり、形としては戦死者らを弔っていることにはなっているにせよ、元来の姿勢が「英霊として祀ってやるから安心して戦死してよろしい」という逆立ちした発想に基づくシロモノであることは否定できないだろう。
 もちろん、そうした“教え”をよりどころにして、はからずも戦死した先人もいたに違いない。そうしたひとびとに対して、オレ自身だって偲ぶ気持ちはあるけれど、これは同じ人間としてでのことであって、靖国云々とはまるっきり別の問題である。また、近親者や祖先が靖国に祀られており、自分はこの宗教施設について信仰心を持って敬っているのだという考えがあっても真っ向から批判するつもりはない。しかし、そうした個々の“信仰”を含めて靖国というシステムを利用しようとしている層(ここにはとうの靖国神社も含まれる)に対しては警戒心を持つ必要がある。

 靖国に対する個人的な考えについては、このブログの前身である「日々是雑感」になんどか記したのでさらに細かくは繰り返さない。ここで考えてみたいのは靖国派(信者一般ということよりは利用する側をさす)にとって先人を敬うこととはどういうことかということであり、彼らが言うとおり靖国に祀られている“英霊”を礎にしてわが国の繁栄(というより「国体護持」か)があるというのが、果たして本当なのかということである。

 スネオをはじめとしてわが国の中枢には靖国派が多数存在しているが、彼らが推進してやまない政策とその後の経過をみてほしい。ちょっとだけみても、現在俎上に挙げられているイラク特措法問題は、アメリカ合州国という一外国が勝手に続けている侵略戦争あるいは他国への言い掛かりに加担するという家畜人国家法である。また、米軍再編というこれまた一外国の都合をまるまる受け入れ膨大なカネをめぐんでやまない日本。そうしたカネはいうまでもなく国民の税金あるいは借金なわけだが、そうしたムダ遣いと背中合わせで切り捨てられているのが医療や福祉予算である。
 たとえば高齢者医療に対する自己負担の増大。加えて消費税増税をはじめとして日常生活への負担増。人間に限らず、高齢になれば身体のどこかに不具合が出てくるのは仕方のないことだし、それでなくとも体力は落ちてくるのだからそれをフォローするために医療施設の利用や健康増進(保持)をしやすくするのが、国としてやるべきことのひとつであろう。わが家の周辺では病院の統廃合が進められており、ある中核病院では医師の確保すらままらない状態が起きている。この件は後日あらためて触れたいが、そんななかで犠牲を受けやすいのが高齢者であろう(さらに子どももだ!)。カネがないから病院にかかれない。近所の病院がなくなってしまった。こんな現象は、ひょっとすると農村部など自民支持基盤が強かった地域でこそ顕著なのではないかとみているのだが、ひとついえることは現政権にとって高齢者など基本的にはどうでもいいということではないだろうか。
 すなわち、高齢者に対する医療など、どうせ先が知れているんだからムダだ、とこういう発想がビンビンに感じられるのである。でなければ、あんな政策はとれませんよ。予算が足りないとかいいながら、方や散々ムダ遣いを続けているんですから。

 靖国派に話を戻すと、彼らは口では先人の戦死者を弔い敬っているとしながら、先輩である高齢者、それも現にこの国で暮らしているひとびとに対しては迫害的政策をとっているのである。すでに亡くなった方といまを生きているひとと、仮にどちらかを選べといわれれば生きているひとをとなるハズなのだが、彼らはそうとは違う感覚の持ち主なのだろうか。
 いうまでもなく、現在の高齢者のなかには、靖国に祀られているひとびととともに戦地に送られていたひともいるだろうし、たとえ戦場にこそ行かされなくとも自分の国のなかで一所懸命に生き延び、戦後の日本の繁栄をつくってきた仲間であり先輩たちではないか。それを戦死したひとびとを敬う一方で、どうしていままさに生きているひとびとに対して「死にたければどうぞ」とも受け取れる政策がとれるのいうのだろう。

 おぼっちゃんは、靖国神社に関し「亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、尊崇の念を表する思いを持ち続けていきたい」との姿勢を堅持し、春季例大祭(4月)では祭壇などに供える真榊料として私費から5万円を支出、「みたままつり」(7月)でも、提灯献灯のため、私費から1万円を支出したという。しかし、亡くなられた方々の後を継いでわが国を支え続けているひとびとに対して、彼はどういう姿勢をとっているのだろうか。もちろんスネオもしかりだが、そんなことを考えてゆくと、彼らにとっての「先人を敬う」ということの意味がにわかにみえてくるような気がするのである。  

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