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猫池罵詈雑言雑記帳
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 週末が近づいている。言うまでもなく参院選、その日がである。
 当初から「自民苦戦」が取り沙汰されてきたが、それが「自民大敗」へと変わってきたなかで迫る投票日。おぼっちゃん内閣は選挙の結果に拘わらず退陣をしないつもりでいるらしいけれど、それはそれでますますドロ沼にもがくことになるに違いない。伝えられてくる状況から察すると、すでに「自民不支持」を通り越して「自民嫌悪」の段階にすら大衆の意識が移ろってみえるからだ。  


 J-CASTニュースは「自民議員への「襲撃」相次ぐ 悪感情というより「敵意」爆発」と題して自民への逆風情勢を報じているが、「単なる嫌悪感ではなく、敵意といったものさえ感じる」という早川忠孝氏(衆議院埼玉4区・自民)のブログ記事などを紹介し、その風当たりがのっぴきならないものであることを臭わせている。
 このブログでもたびたび紹介している白川勝彦氏(元衆議院議員)も「私は30年近く自民党の衆議院議員およびその候補者として活動してきた。だから普通の用件で会う人々となると、これまでは自民党支持という方々が圧倒的に多い。しかし、今回会ったこうした人々の中で、今度の選挙で自民党に投票するという人はほとんどいなかった。ハッキリいうとそう明言する人は一人もいなかった。自民党支持などということは、恥ずかしくていえないという雰囲気なのであろう」とご自身のブログに記している(「“天の時”が?!?」)ほどで、感情的な部分でもまた、自民離れが深化してきているのかもしれない。
 とはいえ、こうした現象は常に逆転する可能性を孕んでおり、いついかなるタイミングで彼らが息を吹き返すかわからないあたりに恐ろしさが潜んでいる。言い換えると、いまはまだ“ムード”にすぎないのではないか? これを単なる雰囲気ではなく確固たる潮流とするためにはまだまだ力が弱く、今回の選挙はもとより、今後の働きかけによって関心を持たせ、かつ意識を高める必要があるだろう。なぜ“反自創”なのか。なぜ彼らではダメなのか。こうしたことを理解の段階にまで高める絶好のチャンスではあるけれど、そのためには単純に“極悪タッグ”を批判するばかりでなく、自己に対しても批判の目を持つことが必要なのではないかと思う。

 さて、投票日が迫るにあたって、ひとつのコラムを紹介しておきたい。
「主権行使の機会に考える」は、歴史家の色川大吉氏が「東京新聞」6月15日づけ(文化欄)に寄せた小論である。大雑把に要約すれば、スネオのパフォーマンスに踊らされ、「小泉さんなら何とかしてくれる」との幻想に操られるまま自民に圧倒的力を与えてしまった日本国民。あの選挙は俗に“郵政選挙”と呼ばれたが、その正体とはアメリカ合州国に追随するまま戦争に巻き込まれ、その延長線上にテロに怯えざるをえない社会をもたらし、あの巨大国家に対して“米軍再編”と称して3兆円ものカネをめぐんでやることを約束し、靖国参拝をはじめとして周辺諸国からの評判を失墜させ、それと同時に大半の国民にとって生活は楽にならないばかりか雇用情勢が以前とはやや形を変えつつ悪化した……そういう時代の門戸を大きく開いた瞬間であった。続くおぼっちゃんは「戦後レジーム」(ところでオレはいまだに「レジーム」の意味を調べたことがない。だいたいにおいて、こんなヨコモジを導入するモノにロクなことはない)からの脱却とやらで、ようは民主主義社会を否定し、平和主義体制をぶち壊そうというその1点で突き進んでいる。こんなことを彼らは合法的にできるようにしてきたのである(以下、赤字部分引用)。

「国民はとりかえしのつかない失敗をしてしまったものだ。
 わたしが五十年ほど近代の歴史(*注)を研究してきて、つくづく思うのは、政治とはほとんど、いかに国民をたくみに、気づかれないようにだますか、ということで、政策とはその方便だということだった。(中略)主権者である国民は権力者に首輪をつけ、つねに手綱をひきしめておかなくてはならない。近代憲法はそのために創られたのであって、権力の行使にタガをはめ、制限をくわえるもの。その逆では断じてない」
「こうしたときに日本の若者の多数が(中略)ゆっくり私的生活を楽しみ、趣味に生きたいと望んでいる(それ自体は健全だ)そうだが、そうした自由は他人まかせでは維持できないものだ。わたしの経験でも、国がきめた戦時体制下の動員令ひとつで家庭の幸福など粉砕されてしまう。自由とは日常不断の監視と努力によってしか維持できない」


 自創という反動権力に対峙し、自らの主権を維持するというのはじつは案外面倒なことかもしれない。騒がれている年金問題だって、なかには「オカミに任せておきゃぁいいだろう」ぐらいに思っている当事者がいてもおかしくはないが、これらはやがて自分自身に跳ね返ってくるとっても大切なことである。現憲法では国民主権を定めているが、これはすなわち国民の側が主権を行使するのだという意識と責任とがなければなしえないものではないか。自らのために、家族や友人のために、故郷や祖国のために……。さらにふたたび自分のために。
 ざっくばらんに言えば、このまま放置しておけば、その主権を行使することすら不可能になる時代が絶対にやってくる。いまはその岐路にあり、そのじつ崖っぷちに立たされているのは自創などではなくわれわれ一般国民の側なのである。



*注:
 色川氏はさりげなく記した「近代の歴史」。これこそがわが国の教育でもっとも反故にされているものではないだろうか。小学校や中学校、高校でもわが国の歴史授業があるが、その大半は縄文時代あたりからはじまり大和朝廷だの鎌倉幕府だのという古代から中世期にかけてのものから順繰りに行なわれる。そしてやっとこさ近代にさしかかったところで、それも戦中から戦後に至るあたりで時間切れとなってしまうのである。もちろん例外はあると思うが、こんな案配でどうやって自分の祖国の歴史について事実を知ることができようか? それに、現代から遡りつつ古い時代を探ってゆくというのも、国や地域、社会の成り立ちを理解するのにわかりやすい面もあるのではないかと思うのだが、近代史軽視とも思えるこの教育政策は、色川氏いわくの「だまし」の手法のひとつなのではないかと思う。
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