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猫池罵詈雑言雑記帳
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 もはや打つ手なし。
 昨今の、とくにテレビニュースの類をみていると、どうしてもそんな気持ちになってくる。
 おぼっちゃんに逃亡辞任の煽りを受ける形で国会がストップ。本来ならば国会云々以前に解散総選挙となってもおかしくはなかったにも関わらず、やっていることといえば自民党という一政党のトップ選び。国民のごく少数しか参加資格のない儀式が。
 たしかにここで選ばれる人物が事実上つぎの総理大臣になる(しかし決定ではない)とはいえ、なにもかもがそっちのけでもはやそれこそが国の一大事といった風情であることに疑問を感じているひとも少なくはないだろう。自民党(民主党も大差はないが)の諸君は「スムースな国会運営」を好んでおられる(したがって反対勢力などないほうがよい)と常にみうけられるのだが、さて……。
 逃亡した元首相への責任追求はどうなるのか? 相次ぐ閣僚や政治家の“不祥事”の類は継続して俎上に挙げられるのか? 瀕死の政権をかばい続けた連中の責任は? 新聞や雑誌といった印刷媒体はとにかくとして、とりわけテレビをみる限りではそんなことは遠い過去のようにすら錯覚させられそうになる。  


 もちろん自民党総裁選がどうでもいいというわけではない。あのおぼっちゃんをしのぐかあるいは同等の無能者(または不適格者)になられては国民にとって大損害だ。だが、候補となっている福田康夫氏と麻生太郎氏とをみくらべてみてどうか? ズバリ所感を記せば、あくまで比較論としてだが福田氏のほうが“いくらかマシ”。しかし本質的にこの両者にどれだけの違いがあるというのだろう。たとえば税や年金の問題(むろん一般国民の側からみて)。たとえば従米路線。たとえば改憲問題。総裁選にあたって表明された両候補の“公約”をみても、とりたててクローズアップするほどの差があるわけでもないだろう。ごく大雑把にいえば、「なんだかよくわからない麻生」と「それよりはいくらか慎重な福田」といったふうであろうか。麻生氏の挙げた項目はあまりにも抽象的・観念的すぎて、そのせいかどうか福田氏のほうにやや具体性が感じられるかもしれない(両候補の“公約”中にある「安心」だの「明るい」だの「活力」といった抽象的表現をみくらべていただきたい)。「希望と安心のくにづくり──若い人に希望を、お年寄りに安心を──」という福田氏の題目については賛成できるし、「ぜひ実現に向けてがんばってください」とでも励ましたいところだが、その方法についてどう考えているのか、あるいは「希望と安心」というのが国民の立場に立ったものなのかどうかについては注視してゆく必要がある(医療問題などについての福田氏の言はいちおう評価してもいいが……)。

 そして、この両者ともに小泉ー安倍路線を支える重要人物であったことも忘れてはなるまい。口の軽さもあいまってその“スーパー右翼”ぶりがわかりやすい麻生氏の一方で(もっとも麻生氏にそんな“高級な”イデオロギーがあるのかどうかはわからないが・笑)、“いくらかマシ”な福田氏だって“スーパー右翼”町村派の重鎮であり、あのどうしようもない森喜朗氏の子飼いに近い人物である。ここで仮に方向転換をするとすれば、それはこれまでの政策を否定あるいは棚上げすることにもつながりかねないし、そんなことをするつもりなどないと考えるほうがより自然であろう。ようは麻生氏の舵とりになれば「速やかに悪化する」し、福田氏になれば「減速しつつも進路クリア」といったところではないか。まぁ、そういう見方では小沢一郎氏だってどれほどの違いがあるのかと思うのだが(しかし政権交替には期待する)。
 なんというか、ロクな“持ち駒”がないというふうにみえているひとも多いのではないだろうか。

 ところで、総裁選にかこつけて自民党の広報を一所懸命に繰り広げているマスメディアだが、おぼっちゃんを辞任にまで追い込む力となった一面を無視するわけもはいかないだろう。もっとも大半のテレビと一部を除く新聞ではなく、週刊誌を中心とする雑誌である。
「東京新聞」の連載コラム「週刊誌を読む」。17日朝刊は「安倍辞任の兆候をキャッチ 取材攻勢が追い詰めた?」と、いくつかの週刊誌について辞任およびその直前までの動向を取り上げている。各誌は競うように「政権末期」を伝え、さらに辞任の背景を探っているようで、それなりに迫力がある。ただし、「週刊新潮」や「週刊文春」あたりが本質的な意味で政権の批判や追求を強行するとは思えず、そうした記事の本当の狙いはなんだったのか(カネだろう)と斜に構えた見方をしたくもなるけれど、それだってやられる側としては気持ちのいいものではありえない。

 そんななかで、いくらか目立って政権批判を展開してきたのが「週刊現代」であろう。あくまで拾い読みの範疇でみれば、かなり手厳しい指摘や追求がみられた雑誌である。しかし、「週刊誌を読む」によれば、各誌はこの上半期にわたっていずれも大幅な部数の落ち込みをみせ、とりわけ苦戦したのが「週刊現代」であるという点がちょっと気になる。
「業界ではこの間、最も元気のよい週刊誌とされていたのだ。それが部数上昇どころか逆に大幅に落ち込んだ」(同コラム)
 というのだが、これはどういうわけなのだろう。同コラムは「週刊誌市場がいかに深刻な危機に直面しているかを物語る」とする一方で、原因にまで踏み込む態度を保留している。しかし、各誌それぞれのスタンスはどうあれ、テレビなどにくらべればよほど硬派な記事づくりをしてきたハズの週刊誌のこの現象に、ちょっとイヤな感じを受けなくもない。なぜ読者が離れたのだろう・・・?

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 ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
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