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猫池罵詈雑言雑記帳
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 悲しい裁判の判決があった。
[自殺を図り意識不明になった長男=当時(40)=を刺殺したとして、殺人罪に問われた千葉県A市、無職B被告(67)の裁判員裁判が二十二日、東京地裁で開かれ、山口裕之裁判長は「自殺未遂後、十日間であきらめ、殺害に及んだのは短絡的」とする一方、「異常とも言える心理状態で犯行に至り、同情の余地は多々ある」とし、懲役三年、執行猶予五年(求刑懲役五年)の判決を言い渡した。](東京新聞4月23日朝刊・所在地および被告名を記号に改変)

 判決のみについての感想を記せば、「同情の余地が多々あ」れば、無抵抗のひとりの人間、それもわが子を殺めてもなお執行猶予の判断が下されるという事実に、正直愕然とさせられた。批判や反論を承知であえて強弁すれば、(いわゆる正当防衛の類はさておき)人殺しという行為さえもが場合によっては大幅に免罪されるということではないか。精神的にも(あるいは経済的にも)極度に追い詰められた挙げ句のできごととはいえ、こうした判例が生まれるということに違和感を覚えざるをえない。ややもすると、無辜のまま殺された側の人権はどうなるのだという疑問がわいたからだ。

 報道によれば、生命を奪われた長男は意識不明から回復する見込みがほとんどないと判断されていたという。そのうえ、自殺未遂の結果であることなどから治療に保険が適用されないため、医療費が日額10万円以上(!)に及ぶ。いつまで続くか予想もできない高額の医療費負担である。そうしたなか、長男の妻が延命治療の中止を医師に申し入れたものの拒否に遭う。ところが、こんどは妻自身が「人工呼吸器を外す」と訴えるはじめたため、B被告が「長男に手をかけるのは親である自分の責任」と考え、犯行に至ったというのだ。いわば残された家族の生活と将来とを慮った末のできごとであったハズだが、それにしても「意識不明で入院中の長男の左胸を包丁で4回」という状況を知ると、「実刑には躊躇を覚える」という裁判長のコメントとの間に大きな乖離があるように思えてならないのである。
 ただ、裁判長を含め、裁判にあたって大きな苦悩があったことは想像できる。なによりも、わが子の生命を自ら奪った母親の悲しみ。夫の生命を諦めつつあった妻の苦悩。裁判長は「判員みんなで思い悩み、この結論に達した。判決は、人を殺すこと自体を是認するものではない。重い有罪判決を受けたことを、(長男の子どもである)お孫さんにもしっかり伝えてください」(「東京」同記事)と判決後に被告に言い添えたという。果たして同判決が「重い有罪」かどうかは疑問の余地を残すが、そこにはなによりも残された家族や周辺のひとびとの将来に希望を託した心の優しさをみることは可能であろう。ここで仮に実刑判決を受けたとしても、亡くなった長男が戻ってくるわけではなく、かついかなる判決を受けようとも、被告の自責の念が軽減されるわけでもないのだ。これは、仮に我が身に起きたできごとであったらということを自分なりに考えたことでもある。

 しかし、これは「同情の余地が多々あ」る事件に対する恩情判決といった類の“美談”だろうか。その点について、「東京新聞」の記事では直接に触れられてはいないものの、補充裁判員を務めたひとのコメントがひとつのヒントを提示している。
「同じようなことが起こらないよう、保険制度や医療のことを見直していくことが大切」
 然り。この悲しい事件は、なによりも一家の大黒柱の自殺未遂(その背景はなにか?)を発端とした将来への悲観こそが大きな背景としてあり、社会保障の不備こそが直接の引き金として作用したのではないか? 本質的には社会によって殺されたという見方だってできるかもしれないのだ。言い換えれば、長男(夫)の治療にあたって、かくのごとしのケタ違いの負担を強いられなかったとしたら、よもや生命を断つまでに発展しなかったのではないだろうか。たとえ快復の見込みに乏しかったとしても、看病し治療を尽くしたいというのが肉親や家族としての当然の感情だからだ。判決の全文を読んだわけではないので深入りは避けるけれども、仮にそうした抜本的背景にまで踏み込んでいないとしたら、それは被告だけでなく社会保障の不備に対してもまた「執行猶予」を施したという見方だってできるような気がするのである。


*補足:
 類似の事件に触れたものとして、「母親の殺される側の論理」(「殺される側の論理」本多勝一・朝日文庫に所収)や「長持唄考」(矢口高雄「ボクの先生は山と川」講談社文庫ほかに所収)などを挙げてみたい。
 後者は漫画家・矢口高雄氏のデビュー作でフィクションではあるが、題材としては幼少のころから見聞きしてきた事実がもとになったという優れた作品だ(ただし描き方にやや気になる部分があり、取り上げてみたいと思ったことがある)。今回のような事件と裁判をめぐって、あるいはその社会的背景にまで考えを及ぼしたこのふたつの作品を比較してみると、なにがしかのヒントになるかもしれない。

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