最初に、昨日ぶんの追記を。
なんでも、件の年金記録問題にさいして、「公約違反というほど大げさなものなのかどうかねえと思うけどね」と福田首相が語ったという(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071212-00000159-mai-pol)。
これがわが国の政治家、それも首相のセンスである。
そもそもが、“公約”として掲げたのはとうの与党側であり、それが町村氏が口を滑らせたとおり選挙対策にすぎなかったとしても、公約は公約、きちんと責任を果たすのが政治であり民主国家のあるべき姿である。しかし、問題の根幹はこれが公約だからどうのということではない。国として国民に果たすべき役割はなにかということなのである。それに対して国民の代表であるハズの代議士らがどのように解決を図るのかということでもある。昨日記したとおり、故意かどうかはとにかくとしてこれは詐欺事件に極めて近い失態であり大事件だ。年金制度がさまざまな意味で問題を抱えているなか、さらに国民を欺いたのである。ところが、このオッサンときたらコトを公約云々に矮小化するかのような発言をし、それどころかその根拠についてさえも「具体的にどういうふうに言ったのか、私もよく覚えていない」とウソぶいているあさましさだ。リンクした「毎日新聞」の配信によれば、記録に関する調査は続け、「最後まで確認しなければいけない」と語ったというのだが、これだってどのように誤魔化されるか知れたものではないだろう。「確認してもしきれない場合もある」とかなんとか。こういうセンスの持ち主が国政に関わっていることそのものが誤りなのである。
■さて、今日の本題
前置きが長くなってしまった。今日取り上げたいのは国土交通省が掲げる「エコ通勤」とやらについてである。
どうも言葉からしてうさん臭い雰囲気が漂うお題目だが、ようは環境に配慮した交通体系を実現するということであろう。すなわち、マイカー通勤を止め鉄道など公共交通機関を使ったり、自転車なども活用してCO2排出量削減への取り組みをするというそのスローガンらしい。それはそれで結構なことではある。ところが、これを国土交通省によれば“国民的運動”にしたいということらしく、このあたりについて、どうにも摩訶不思議な発想だと思わざるをえない。
なんでも、件の年金記録問題にさいして、「公約違反というほど大げさなものなのかどうかねえと思うけどね」と福田首相が語ったという(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071212-00000159-mai-pol)。
これがわが国の政治家、それも首相のセンスである。
そもそもが、“公約”として掲げたのはとうの与党側であり、それが町村氏が口を滑らせたとおり選挙対策にすぎなかったとしても、公約は公約、きちんと責任を果たすのが政治であり民主国家のあるべき姿である。しかし、問題の根幹はこれが公約だからどうのということではない。国として国民に果たすべき役割はなにかということなのである。それに対して国民の代表であるハズの代議士らがどのように解決を図るのかということでもある。昨日記したとおり、故意かどうかはとにかくとしてこれは詐欺事件に極めて近い失態であり大事件だ。年金制度がさまざまな意味で問題を抱えているなか、さらに国民を欺いたのである。ところが、このオッサンときたらコトを公約云々に矮小化するかのような発言をし、それどころかその根拠についてさえも「具体的にどういうふうに言ったのか、私もよく覚えていない」とウソぶいているあさましさだ。リンクした「毎日新聞」の配信によれば、記録に関する調査は続け、「最後まで確認しなければいけない」と語ったというのだが、これだってどのように誤魔化されるか知れたものではないだろう。「確認してもしきれない場合もある」とかなんとか。こういうセンスの持ち主が国政に関わっていることそのものが誤りなのである。
■さて、今日の本題
前置きが長くなってしまった。今日取り上げたいのは国土交通省が掲げる「エコ通勤」とやらについてである。
どうも言葉からしてうさん臭い雰囲気が漂うお題目だが、ようは環境に配慮した交通体系を実現するということであろう。すなわち、マイカー通勤を止め鉄道など公共交通機関を使ったり、自転車なども活用してCO2排出量削減への取り組みをするというそのスローガンらしい。それはそれで結構なことではある。ところが、これを国土交通省によれば“国民的運動”にしたいということらしく、このあたりについて、どうにも摩訶不思議な発想だと思わざるをえない。
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年金問題。年金不備問題の解決を事実上放棄した日本政府である。
くしくも町村信孝官房長官件が述べたように、政府・与党が選挙対策の一環として解決をはかる旨をぶちあげたまではよかったが、公約として挙げた期限である来年3月から前倒しする形で放棄するとは、なんともあっさりとしたものである。報道によれば、およそ2割にあたる945万件前後の処理が放棄されるとみられるというのだが、これは国家的詐欺事件(故意とか失策の問題ではなく詐欺は詐欺として成立しうる)であり、国益とやらを真っ向から損失させるバカげた実態だといっていい。
「作業はエンドレスでできないこともある」と舛添要一厚生労働相と言い訳をぶったようだが、こんなものはできるもできないもなく、「でもやるんだよ!」なのである。コトはちっとも複雑でもなんでもないのだ。
白川勝彦氏が言及するとおり、この問題の権利者は年金加入者=国民の側にある。したがって、いやしくも民主国家を標榜するのであれば全面解決しか着地点はありえず、そのためになにをなすべきなのかを考えてゆけば、そのやり方の指針もできてくるハズなのだ。ところがこの体たらくとは、この国の為政者たちは、いったいどこを向いて日々の生業をしているというのだろう。いうまでもないことだが、政権がなにかといえば利用したがる民間や市場ではこんな言い訳にもならない言い訳はよもや通用しますまい。
くしくも町村信孝官房長官件が述べたように、政府・与党が選挙対策の一環として解決をはかる旨をぶちあげたまではよかったが、公約として挙げた期限である来年3月から前倒しする形で放棄するとは、なんともあっさりとしたものである。報道によれば、およそ2割にあたる945万件前後の処理が放棄されるとみられるというのだが、これは国家的詐欺事件(故意とか失策の問題ではなく詐欺は詐欺として成立しうる)であり、国益とやらを真っ向から損失させるバカげた実態だといっていい。
「作業はエンドレスでできないこともある」と舛添要一厚生労働相と言い訳をぶったようだが、こんなものはできるもできないもなく、「でもやるんだよ!」なのである。コトはちっとも複雑でもなんでもないのだ。
白川勝彦氏が言及するとおり、この問題の権利者は年金加入者=国民の側にある。したがって、いやしくも民主国家を標榜するのであれば全面解決しか着地点はありえず、そのためになにをなすべきなのかを考えてゆけば、そのやり方の指針もできてくるハズなのだ。ところがこの体たらくとは、この国の為政者たちは、いったいどこを向いて日々の生業をしているというのだろう。いうまでもないことだが、政権がなにかといえば利用したがる民間や市場ではこんな言い訳にもならない言い訳はよもや通用しますまい。
28日、イラク特措法廃止法案が参院本会議で可決された。これは明らかな進歩といっていいだろう。同法案を提出した民主党の真意についてはきちんと検証する必要があるとはいえ、こうした動きを可能にしたのがほかならぬ先の参院選で示された民意であるからだ。もっとも、衆院議席の占有3分の2という“力”をもって自公傀儡コンビが廃案に持ち込む可能性は極めて高い。民意のねじ曲げである。“ねじれ国会”だのなんだのと流行語のようにタレ流しにされているけれど、こうした実状をみるにつけ、そのねじれの原因というのが過去の選挙で獲た議席数に拘泥し、しかつめらしく合法を開き直る傀儡コンビの側にこそあるという実態が窺えてくるというものではないか。
ヨミウリは新聞の態を装った“クズ紙”である。
個人的に、もうそれなりに長いことそう思ってきたし、拙ブログにも記してきた。
些細な例ではあるが、拙著『ぼくがバス釣りをやめた理由』(大月書店)の巻末「参考文献一覧」中、「赤旗」から「産経」、さらに一部地方紙など数紙がリストアップされているにも関わらず、いわゆる全国紙では「読売新聞」の名前がないことにお気づきになった読者がいらっしゃるかもしれない。もちろん一切「参考」にせず、引用もしなかったから、したがってそんなところに名前を挙げさせていただくわけもないわけだが、別段、同紙の記事がなくともなんら支障がなかったことも事実である。こうしたことには故意的な意味合いも含まれてはいるにせよ、実際問題として参考にすべき記事があれば引用させていただいたかもしれず、本を書くといううえでさほどの差別をしたつもりはない。ようはあの場合は単に役立たなかったというだけであった。しかしこれは同紙に対して“クズ紙”だと思うこととは関係がないこともないとはいえ、さほど重要なことでもない。
ところが、だれの目にもわかりやすい事件をもって、まさに「読売新聞」が“クズ紙”であり、およそジャーナリズムとは懸け離れた存在であることがこのたび明らかになった。いうまでもなく民主ー自公の大連立騒動にからめた事件である。
個人的に、もうそれなりに長いことそう思ってきたし、拙ブログにも記してきた。
些細な例ではあるが、拙著『ぼくがバス釣りをやめた理由』(大月書店)の巻末「参考文献一覧」中、「赤旗」から「産経」、さらに一部地方紙など数紙がリストアップされているにも関わらず、いわゆる全国紙では「読売新聞」の名前がないことにお気づきになった読者がいらっしゃるかもしれない。もちろん一切「参考」にせず、引用もしなかったから、したがってそんなところに名前を挙げさせていただくわけもないわけだが、別段、同紙の記事がなくともなんら支障がなかったことも事実である。こうしたことには故意的な意味合いも含まれてはいるにせよ、実際問題として参考にすべき記事があれば引用させていただいたかもしれず、本を書くといううえでさほどの差別をしたつもりはない。ようはあの場合は単に役立たなかったというだけであった。しかしこれは同紙に対して“クズ紙”だと思うこととは関係がないこともないとはいえ、さほど重要なことでもない。
ところが、だれの目にもわかりやすい事件をもって、まさに「読売新聞」が“クズ紙”であり、およそジャーナリズムとは懸け離れた存在であることがこのたび明らかになった。いうまでもなく民主ー自公の大連立騒動にからめた事件である。
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レジャーライター=植村誠の別館ブログです。
ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
なお、トラックバックおよび「コメント」は受けつけない設定にしております(当面はBBSへどうぞ!)。
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