石橋凌自伝『表現者 我 語る 魂こがして』(カンゼン刊)が発売になった。個人的にはARBのイメージがイコールに近い石橋だが、本書に触れてみて、その俳優としての魅力を再発見することができた。松田優作との出会いから役者としての苦悩と発見の日々、アメリカ合州国での挑戦からみえてきた“表現者”としての人生……。生きることへの問いかけに満ちたその語りが、迫真のエネルギーをもって迫ってくる。石橋ファンはもちろん、「万人にお薦めしたい1冊」だ。
さて、本書をこの罵詈雑言ブログで紹介したのは、石橋自身が日本のテレビ界の現状を憂えていることに関係する。いわく、日本のテレビ界の「低年齢化」である。
これはもちろん子どもなど若年齢層向けの番組がどうのという話ではない。石橋自身がそこまで語っているワケではないが、乱造されるお手軽バラエティはもとより、定型化されたおまわりドラマの花盛り、マンガ原作頼みであまりに乏しい自主企画、ちょっとヒットすれば延々と焼き直し……。そうした作品のなかにもいいものがあることは否定しないし、それぞれ受け手側の趣味の問題にも関わってこよう。もっといえば“捨て番組”的コンテンツだって必要なのかもしれない。だが、昨今の日本のテレビをみるにつけ、その将来が心配になってくるのだ。
個人的にはテレビはあまりみないので、ホンネをいえば日本のテレビ界がどうなろうと知ったことではない。しかし、たとえば“アンチ韓流”騒動に関連して触れたことでもあるけれど、国や業界を挙げて活性化に取組んでいる韓国と比べ、わが国テレビ界のお粗末ぶりがなんとも情けなく映るのである。
細かいところでは、たとえば「水戸黄門」シリーズが今期をもって打ち切られるが、これは時代劇の連続ドラマが事実上は消滅したことを意味する。ということは、日本の時代劇の見せ場のひとつである殺陣がまず用済になってしまうだろう。衣装やセットを含む時代劇ならではの演出も、過去の遺物と化してゆくかもしれない。つまり、日本のテレビや映画界が培ってきた技術やセンスが、ここで断ち切られかねないのである。そうした蓄積は、いちど失ったが最後、取り戻すまでには相当以上のエネルギーが必要になるに違いない。かろうじてNHKの大河ドラマなどに時代ものが残る可能性があるとはいえ(ほかに毎年焼き直し放映される忠臣蔵の類もある。みたいとも思わないが……)、日本独自の技術とセンスとが失われかねないことを、件の業界人たちは自覚しているのだろうか。
これはもちろん時代劇だけの話ではない。ジャンルを問わず、はたして日本のテレビ界がきちんとドラマづくりに向き合っているだろうかということである。もちろん、テレビマンのなかのは高い志をもって番組づくりに臨み、あるいは制作への野望を抱いているひとも少なからずいるハズだ。しかし、現実の現場がどうなっているかということは、たとえ外野からであっても視聴者はとっくに見抜き咀嚼している。これは想像にすぎないが、営業の論理が最優先され、積極的オフェンスが打てなくなっているのではないか(出版業界はまさにそれだ)。もちろんカネモウケとしての正当性云々も尊重しなければならないが、いまのコンテンツをみていると、よりやる気のある人間は、もはや日本に見切りをつけますます海外流出してゆくことになるかもしれないとすら思う。ちょうど日本のプロ野球リーグが、アメリカ合州国リーグの4軍5軍化しつつあるのと同様に、実力のあるテレビマン(裏方はもちろん、役者も含まれる)はやがて海外にこそ自分の仕事の居場所を見い出すことになってゆくのではないか。そして、その“海外”というのは、アメリカ合州国はもちろん、お隣の国や香港、台湾、タイなども有力なのであり、貿易商社マンなどが英語力を必須とするように、役者や演出家、脚本家を目指すのに韓国語が必須という時代だってこないとはいえない(もちろん、言葉以上に大切なものはあるが)。
ところで、「低年齢化」ということに関連して、頭痛を覚えた番組があった。
NHKで放映中の韓国時代劇「トンイ」は好きな番組だ。先日はその主演を務めるハンヒョジュとペスビンが来日し、NHKの特番にゲスト出演していた。スタジオにはNHKのアナウンサー(女性)とどこだかの大学教員、さらによくわからない男女のタレント(自慢ではないがホントに知らなかった。後で調べたら名前ぐらいは聞いたことはあったが・笑)が共演していたが、この男女タレントゲストが、なんつうか「思いきりガキ」なのにアタマがクラクラしたものだ。韓国人役者ふたりのその端麗な容姿や役者としての“オーラ”の類はこのさいどうでもいい。問題は、韓国人役者が大人っぽく折り目正しいスタジオマナーを通したの対し、日本側のガキふたりがことごとくその雰囲気をぶち壊していたところにある。
台本に従っていただけかもしれないが、それにしたってせっかく話が深い方向に立ち入ってゆくぞと思わせておいて、つぎのコマであっさりと“お笑い”的にしてしまうそのセンス。それぞれの実年齢がどうかまでは知ろうとも思わないが、オレの目には日本人タレントのガキぶり、あるいはみっともなさばかりが映り、終始恥ずかしい思いであった。これはタレント本来のウリキャラかどうので済む問題ではないのではないか。それともよほど低レベルの番組をつくりたかったのだろうか(下世話ながら思ったのは、あの番組をみた韓国ドラマファンがどうのというよりも、タマタマ韓国嫌いのひとがみていたとしてどう感じたかということである。きっとますます嫌いになったろうなぁ……)?
これはいわゆる“上から目線”というか、上段に構えて番組をつくれということではない。実態はむしろ逆で、ああして“ゆるく”“やさしい”内容にあえてすることこそが、まさに“上から目線”なのである。その裏には、「あまり固くしちゃうと視聴者が理解できませんから」とか「あいつら(視聴者)にはこのぐらいで十分だろ」といった独自の“理解”があるに違いないからだ。これはテレビ番組だけでなく、雑誌や書籍づくりにも関係してくることではあるが、「あまり難しくしちゃうと……」というある種の配慮こそが上段に構えているのだという見方だってできるだろう。そうした勘違いの積み重ねがやがて全体のレベル低下を招く。もちろんそうしたコンテンツも必要ではあるにせよ、その繰り返しが番組をつくる能力を喪失させ、やがてつくりたくてもつくれない事態に陥ってゆくというのは、はたして穿った見方であろうか?
なんだか話がだいぶそれてしまったけれど、なにはともあれ石橋凌自伝、オススメです! 著名人自伝書の理想的スタイルであり、エンタテイメントの枠を超えて充実した1冊でございます。
これはもちろん子どもなど若年齢層向けの番組がどうのという話ではない。石橋自身がそこまで語っているワケではないが、乱造されるお手軽バラエティはもとより、定型化されたおまわりドラマの花盛り、マンガ原作頼みであまりに乏しい自主企画、ちょっとヒットすれば延々と焼き直し……。そうした作品のなかにもいいものがあることは否定しないし、それぞれ受け手側の趣味の問題にも関わってこよう。もっといえば“捨て番組”的コンテンツだって必要なのかもしれない。だが、昨今の日本のテレビをみるにつけ、その将来が心配になってくるのだ。
個人的にはテレビはあまりみないので、ホンネをいえば日本のテレビ界がどうなろうと知ったことではない。しかし、たとえば“アンチ韓流”騒動に関連して触れたことでもあるけれど、国や業界を挙げて活性化に取組んでいる韓国と比べ、わが国テレビ界のお粗末ぶりがなんとも情けなく映るのである。
細かいところでは、たとえば「水戸黄門」シリーズが今期をもって打ち切られるが、これは時代劇の連続ドラマが事実上は消滅したことを意味する。ということは、日本の時代劇の見せ場のひとつである殺陣がまず用済になってしまうだろう。衣装やセットを含む時代劇ならではの演出も、過去の遺物と化してゆくかもしれない。つまり、日本のテレビや映画界が培ってきた技術やセンスが、ここで断ち切られかねないのである。そうした蓄積は、いちど失ったが最後、取り戻すまでには相当以上のエネルギーが必要になるに違いない。かろうじてNHKの大河ドラマなどに時代ものが残る可能性があるとはいえ(ほかに毎年焼き直し放映される忠臣蔵の類もある。みたいとも思わないが……)、日本独自の技術とセンスとが失われかねないことを、件の業界人たちは自覚しているのだろうか。
これはもちろん時代劇だけの話ではない。ジャンルを問わず、はたして日本のテレビ界がきちんとドラマづくりに向き合っているだろうかということである。もちろん、テレビマンのなかのは高い志をもって番組づくりに臨み、あるいは制作への野望を抱いているひとも少なからずいるハズだ。しかし、現実の現場がどうなっているかということは、たとえ外野からであっても視聴者はとっくに見抜き咀嚼している。これは想像にすぎないが、営業の論理が最優先され、積極的オフェンスが打てなくなっているのではないか(出版業界はまさにそれだ)。もちろんカネモウケとしての正当性云々も尊重しなければならないが、いまのコンテンツをみていると、よりやる気のある人間は、もはや日本に見切りをつけますます海外流出してゆくことになるかもしれないとすら思う。ちょうど日本のプロ野球リーグが、アメリカ合州国リーグの4軍5軍化しつつあるのと同様に、実力のあるテレビマン(裏方はもちろん、役者も含まれる)はやがて海外にこそ自分の仕事の居場所を見い出すことになってゆくのではないか。そして、その“海外”というのは、アメリカ合州国はもちろん、お隣の国や香港、台湾、タイなども有力なのであり、貿易商社マンなどが英語力を必須とするように、役者や演出家、脚本家を目指すのに韓国語が必須という時代だってこないとはいえない(もちろん、言葉以上に大切なものはあるが)。
ところで、「低年齢化」ということに関連して、頭痛を覚えた番組があった。
NHKで放映中の韓国時代劇「トンイ」は好きな番組だ。先日はその主演を務めるハンヒョジュとペスビンが来日し、NHKの特番にゲスト出演していた。スタジオにはNHKのアナウンサー(女性)とどこだかの大学教員、さらによくわからない男女のタレント(自慢ではないがホントに知らなかった。後で調べたら名前ぐらいは聞いたことはあったが・笑)が共演していたが、この男女タレントゲストが、なんつうか「思いきりガキ」なのにアタマがクラクラしたものだ。韓国人役者ふたりのその端麗な容姿や役者としての“オーラ”の類はこのさいどうでもいい。問題は、韓国人役者が大人っぽく折り目正しいスタジオマナーを通したの対し、日本側のガキふたりがことごとくその雰囲気をぶち壊していたところにある。
台本に従っていただけかもしれないが、それにしたってせっかく話が深い方向に立ち入ってゆくぞと思わせておいて、つぎのコマであっさりと“お笑い”的にしてしまうそのセンス。それぞれの実年齢がどうかまでは知ろうとも思わないが、オレの目には日本人タレントのガキぶり、あるいはみっともなさばかりが映り、終始恥ずかしい思いであった。これはタレント本来のウリキャラかどうので済む問題ではないのではないか。それともよほど低レベルの番組をつくりたかったのだろうか(下世話ながら思ったのは、あの番組をみた韓国ドラマファンがどうのというよりも、タマタマ韓国嫌いのひとがみていたとしてどう感じたかということである。きっとますます嫌いになったろうなぁ……)?
これはいわゆる“上から目線”というか、上段に構えて番組をつくれということではない。実態はむしろ逆で、ああして“ゆるく”“やさしい”内容にあえてすることこそが、まさに“上から目線”なのである。その裏には、「あまり固くしちゃうと視聴者が理解できませんから」とか「あいつら(視聴者)にはこのぐらいで十分だろ」といった独自の“理解”があるに違いないからだ。これはテレビ番組だけでなく、雑誌や書籍づくりにも関係してくることではあるが、「あまり難しくしちゃうと……」というある種の配慮こそが上段に構えているのだという見方だってできるだろう。そうした勘違いの積み重ねがやがて全体のレベル低下を招く。もちろんそうしたコンテンツも必要ではあるにせよ、その繰り返しが番組をつくる能力を喪失させ、やがてつくりたくてもつくれない事態に陥ってゆくというのは、はたして穿った見方であろうか?
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ここではおもに時事ネタを中心に独断と偏見にて雑感を記してゆきます。本館サイトアトリエ猫池ともどもお楽しみください。
なお、トラックバックおよび「コメント」は受けつけない設定にしております(当面はBBSへどうぞ!)。
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