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猫池罵詈雑言雑記帳
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“終戦記念日”である。いうまでもなく、太平洋戦争におけるわが国の敗戦日であり、ダイレクトに“敗戦記念日”と呼びならすひともいる。
 一方、隣国の大韓民国ではこの日を“光復節”と呼び、独立記念日として位置づけられている(意味合いは若干異なるが台湾でも“光復節”が用いられている)。1910年8月の“併合”以来、日本による支配を受けてきた韓国・朝鮮が、日本の敗戦に伴う植民地支配から解放された日であり、解放から3年後の1948年に韓国政府が樹立した記念日でもある。日清および日露戦争にからみ一方的な支配(傀儡はいたにせよ、そんなものは免罪の手立てにはならない)を受けたなか、言語を核とする文化を蹂躙され、宗教を強制され、日本のための戦争や開発に狩り出されるという時代を乗り越えた彼らにとって、この瞬間がまさに“光復”であったことは疑問を挟む余地もない。

 現実には、日本からの解放がそのまま独立にはつながらず、アメリカ合州国やソ連による形を変えた占領政策に踊らされたこともあって、朝鮮戦争を経ていまなおふたつの国家に分断されてしまってはいる。逆にこの事実は、現在の南北分断が日本による支配にその原因の一端を求めうることを示しているといえよう。わが国による植民地支配が、新たな対立の舞台をつくってしまったのである。“終戦記念日”にあたって、わが国の平和を祈念するとともに、現在に至るまでの近代史をいまいちど反芻すべきである。

 そういうわけで、いまここで再認識してみたいのは、隣国についてではなくわが祖国・日本についてである。
 韓国では、彼らの言葉で解放記念日を“光復節”を言い表わしているが、この「光りを復くする」というのは、じつはほかならぬ日本人自身にもあてはまる事実ではないかと思うのだ。ごく限られた支配層を除けば、大半の日本人は常に戦火による生命の危機にさらされ、その体制維持を目論む自国の政府によって自由が著しく制限されてきた(重複するが、生命の自由……人生を謳歌する自由さえ制限されていたのだ。同じ戦争でも侵略に抗したのではなく帝国主義国同士の争いによって)。
 末期には少年といえども紙切れ1通で軍隊に狩り出され、“志願”という詭弁を弄しながら無謀ともいえる作戦を遂行させてきた日本。死地へ赴く肉親や友人らを「万歳三唱」で送り出すことを強制する監視社会を醸成した日本。言論の自由は封じられ、ひとたび戦争に対する異論を口にしようものなら“アカ”呼ばわりされ、祖国によって抹殺されかねなかった日本人。そうしたことが、国を動かす中枢が直に動かなくとも、住民の末端にまで相互監視が及びながら従わざるをえない社会だったのがこの日までのわが国だったのではないか? それが敗戦を迎え、その後の数年こそ経済を含め大混乱が続いたにせよ、大衆のなかに自由というものが取り戻されたその契機だったハズだ。ということは、多くの日本人にとってもまた、8月15日というのは“光復”日ということもいえるのではないだろうか。

 いま、にわかに戦争をやりたがっているひとびとの声が大きくなりつつある。戦争とはなにか。核爆弾が炸裂するということはどういうことなのか。戦争、あるいはその準備としての軍備増強の真の狙いとはなんなのか。そのとおりカネモウケのために軍備を増強しているだけならまだマシかもしれない。恐ろしいのは、イデオロギーというレベルにも達せずに、ある種の小児病的冒険主義ともいえそうな戦争やりたがりが、徐々にではあるが増大しているようにもみえることである。戦争というのは破壊と人殺しである。ミサイルをぶっぱなせば、その先にはわれわれと同じように人間の暮らしがあるのである(*注)。

 国家間や民族間になんらかの対立があることは少しも不思議なことではない。しかし、だからこそ外交というものがあり、単に政府間での話し合いに留まらず、経済の交流があり、文化的な交流があり、なによりもひととひととの結びつきがあるのではないかと思うのだが、それをとにもかくにも「先制攻撃をせよ!」などと勇ましく叫ぶ連中というのは、ようはそんな単純なことすら理解できないことを自らが暴露しているのであろう。だが、もちろん嘲っているわけにもいかない。“光復”が解放された韓国・朝鮮のひとびとのみならず、日本の大衆にとってもそうだったように(支配された側にとっては間違っても「同じ」などとはいえないと思うが、象徴的な意味合いで捉えてみている)、逆もまた然りなのである。どこの国に対してでもいい。「先制攻撃」などがなされたが最後、攻撃された側はもちろんだが、した側に所属するわれわれもまた、暗黒の時代へと沈みゆくのである。

 日本人が自由を手に立ち直る節目となったこの日。現在のために、未来にために、“光復”をわれわれ自身の言葉として噛み締めてみてもいいのではないだろうか。それこそがまた、戦争にからみ亡くなった先人たちを悼むことになるのではないかと思うのだ。

*注:
 爆弾がふつうの暮らしのなかに降ってくるということは、さすがに実際の現場でなければ理解のしようがないとは思うのだが、恐怖を想像することは不可能ではないだろう。たとえば、自宅のすぐ隣で火災が起きたとしたらどうだろう。もちろん延焼の危険もあるが、それよりもなにも、その熱と建物が焼け落ちてゆく音を自らの暮らしのなかで感じてみるがいい。ましてや、それがまわりじゅうに広がっているなかに立たされているとしたら……?
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